きっと どこかで
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2005年09月25日(日) ドラマ「電車男」終了

覚えているうちに書いておこう、ということで、ドラマ「電車男」のことを書きます。

実話を元にしたフィクションとは書いてあったけど、どこまでが本当なのかな、と思いながら見ていた。

それにしても、最後ハッピーエンドで終わるにしては、主人公の相手役の女性、青山さん(エルメスさん)、主人公の男性、山田さん(電車男さん)に対して、ちょっとそっけなさすぎないか、と思った。そっけないから、最後までどうなるのか、わからない、ってところで、ドラマとして、興味を持ってずっと見続けるという、製作者側のメリットがあるのかもしれない。

インターネットの掲示板でのやりとりは、見ていて面白かった。いろんな人が、電車男を応援していて、見ず知らずの人の為にここまで一生懸命なれる人がいるなんて、今の若者もまんざら捨てたものじゃないなという気がした。(いや、私もまだ若い気でいるけどね・・でも、若者と言われる年じゃないもんね)

電車男さんにこんなに想われた、エルメスさんは、幸せだろう。恋愛なんて、最初はふとしたきっかけで始まる。でも、この場合は、ふとしたどころか、大事件がきっかけだ。(相手の女性が酔っ払いにからまれるという)

当然、お礼はするだろう。それが、まともな人間のすることで、その後、食事に誘われたら、まあ、最初は私も付き合うかな。後どうするかは、その時の印象で変わるんだろうけど。ドラマでは、いろんな事件が、エルメスさんに起こって、その度に、電車男が助けるということが続き、その誠実さに、しだいに好感を持つ、というところかな。

一途な想いを持っていた電車男さん、最後は、勇気をふりしぼって、告白するわけなんだけど、エルメスさんはその想いを受け止め、自分もそんな彼が好きだと告白する。両思いを確認して、二人はラブラブムードに・・。

そして、掲示板で報告して、恋が成就したことを告げると、その住人からは、もうここにいる必要はない、と言われる。ここは、この実際のインターネット掲示板を知っている人でないと、わかりにくいところかも。ドラマ上では「Aちゃんねる」となっているのは、「2ちゃんねる」のことでしょ。

ここは、すごく多くの掲示板があり、それぞれ、内容により専用板が分かれている。それで、そこから話題が少しでも違ってくると、板違いとか言われたりする。

電車男さんの場合は、エルメスさんと両思いを確認するまでは、その板でよかったんだけど、両思いになったら、もう、その板ではその話題は書き込みできなくなる。板違い、という扱いになるわけだ。

板違いの書き込みは出来ないから、電車男さんや、そのスレッドをずっと見守ってきた人達は、お別れの書き込みをするんだよね。それが、ほんとにずっと一緒にいた人達の別れみたいで、結構感動的・・。そして、1スレッドは1000までというルールがあり、それ以上は書き込みできないようになっている。で、お別れのメッセージで残りを埋めていこうという話になる。そして、最後の1000は、電車男さんが書くことになる。そして、お別れのメッセージを書いた後、「もう書き込み出来ません」というようなメッセージがパソコン画面に出て、もう、この人達ともお別れなんだと思うと、なんだか泣けてきてしまう・・・。

電車男さんはこれから、エルメスさんを守っていってほしい、恋を成就させたんだから、というのが、みんなの願い・・。頼りなくも思えた電車男さんだけど、エルメスさんを守れるのは、君だけなんだ、とみんなが励ます。そうだね、好きな人と一緒にいる、っていうのが、一番幸せ。それだけで、うれしい・・。こんな時期も私にもあったなあ・・。なつかしい・・。

じゃあ、今はどうかって・・?今は、いろいろ忙しくって、そういう雰囲気はないなあ・・。でも、この人と結婚してよかったって思ってる。


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2005年09月24日(土) ドラマ終了の季節

9月は、連続ドラマ終了の時期なのかな。お気に入りドラマ「がんばっていきまっしょい」「電車男」どちらも終わってしまった・・。

この2つとも、最初は映画で出て、その後テレビ連続ドラマで出て、というパターン。最近このパターンが多いような気がする。

私の場合は、映画はなかなか見にいけないので、ドラマの方で見るというのがほとんどだけど・・・。(パニック障害持ちのためー混んだ場所、閉鎖された場所が苦手)

「がんばっていきまっしょい」は、愛媛が舞台のドラマ。以前映画化された時、愛媛の知り合いが話していたので、興味を持った。お隣の県に住む私としては、方言など、似ている気がして、それだけでも親しみが持てた。

ボート部の女子高生達の青春ドラマ、あまり恋愛話も入ってなく、(でもちょっとはあったね)、部活動に一生懸命取り組むという内容が、いつになく新鮮でいいなあと思った。

私もとにかく高校生時代は、部活動(吹奏楽)一生懸命やったもんね。練習は毎日で、厳しく、私はその中では真面目なほうではない部員だったが・・・。でも、なんだかんだいって、3年の夏のコンクールまで続けられた。合宿のこともいい思い出、コンクールやコンサートのことも懐かしい。

そんな自分の高校時代も思い出しながら見ていたドラマだった。

ドラマの話に戻るけど、「悦ネエ」は最後の大会に出なかったんだねえ。ドラマ、毎回見ていたわけでないので、事情がはっきりとは分からないんだけど、途中で、貧血か何かで倒れてしまうんだよね、その後しばらく練習を休むようにドクターストップを受けるんだよね。それから、大会向け選手からは外されたのか・・と思う。

そういうこともあるよなあと思いながら・・。でも悦ネエのがんばりはみんなが認めていたところ、たとえ選手になっていなくても、大会史に名前は残らなくとも、部員のみんなの心には残っている、かけがえのない仲間として・・。

私は、表に名前が出てきている人間以外に、その人達を支える人達が大勢いること、気づくようになってきた。表に名前が出ている人間も立派だけど、その人間を支える人間も、立派なんだということ。

がんばっていきまっしょい(10月末まで)

「電車男」の話はこの次・・。


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2005年09月22日(木) 母の葬儀翌日以降(その2)

母の葬儀関連の話に戻ります。

葬儀の時、香典や花輪などをいただいたし、私も出した。私の場合は、実の娘として出した訳だが、実際は、私の名前でなく、旦那の名前で出す。葬儀の一般的なしきたりらしいので、そうしたが・・。香典も、従姉、従妹(いとこ)から来た物は、旦那さんの名前になっている。だから、え、この人誰だっけ、というのがあったりして・・。でも、父は結構いろいろ覚えているので、誰だか、だいたいわかるようだった。

だから、葬議場では、受付で、香典を貰う時に、故人や、喪主やその家族との関係を書く紙を別に渡して書くようになっているんだなあと思った。でも、それにも、続柄をきちんと書いてあったのは、ごくわずか。貰った数も少ないので、ほんとにわからないのはなかったけど・・。最後にわかった人・・従弟の奥さんの実家・・。結婚したのが最近だったし、そんなところからは、あまり来ないもんで・・。

せっかく出しても、この人誰だかわからないなあ、と思われない為にも、続柄は書いておいた方がいいと思う。そうでないと、やはり、失礼になるからと、喪主や関係者が、どういう人か、調べることになるから・・。後、最近は、お返しは、自宅へ送ることがほとんどだと思うので、自宅住所、できれば電話番号も、書いておいたほうがいいと思う。

翌週の月曜日から、出勤。結局、1週間休んだことになる。(土日を含めて)研修を、母の臨終が近いという理由でキャンセルした私だったのだが、母は亡くなったので、キャンセル料も職場で出すからという話を上司がしてくれた。あと、いろいろ東京の方とも話をしてくれていたらしく、別の日程で、同じような研修があるらしいから、それに行けばいい、という話をしてくれた。

また、2週間後くらいの土日に、職場の親睦旅行に行く予定になっていたのだが、研修をキャンセルして、親睦旅行に行くのもどうかと思う、という上司の話で、こちらも、キャンセルするという話で、上司がこれも連絡してくれた。

実際、7日ごとの法要が土曜日にあり、行けるような状況ではなかった。毎週の法要が1ヶ月くらい続き、子供達は、すっかりお経を覚えてしまった。これは、お坊さんからも誉められて、子供達もますます得意げ。旦那の実家とも同じ宗派なので、その後の旦那の実家の法要でもお経を読んで、そこのお坊さんにも誉められて、ますます得意げに・・。意味は分かっていないんだろうけどね・・。まあ、大人でもほとんどがそうだと思う。意味はわからないけど、お経をあげることに、意味があると感じる人が多いらしい。

意味がわからない、と思っていたお経だけど、お寺さんが持ってきてくれた本には、ちゃんと、日本語での意味(訳とでもいう?)が書いてあった。これをじっくり読めば、意味もわかった上であげるお経になるので、自分としても納得できそうな気がした。

意味もわからず、読むお経に、疑問を感じていたので・・。


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2005年09月19日(月) ピアノの音

先日のピアノレッスンの時、先生から、音が良くなりましたね、と言われた。先生に言われるとは、がんばって練習しているかいがあるというもんだ・・。グレードテストの時に試験官の先生にいろいろ言われて、ちょっと注意しながら練習した後のレッスンだった。曲は、全部新しい曲。

今使っているテキストは、ハノン、ツェルニー100番練習曲集、ソナチネアルバム、カーペンターズピアノ曲集(簡単アレンジ)この4曲をやっている。月2回で1回30分のレッスンなので、この時間内に全曲みてもらうのは結構忙しい。

練習した曲に合格をもらって、次の曲に進むとき、次のレッスンまでにはなんとか両手通して弾けるように練習する。月2回レッスンなので、あまり無理なく続けられているように思う。大人のレッスンで毎週のコースの知り合いの方に言わすと、月2回じゃ上達しない・・だそうな。いや、ゆっくりでもいいんだ、続けていれば、ゆっくりでも、上達する、と思う。月2回だからと、家での練習もさぼり気味だと、上達しないだろうけど・・。家の練習は、毎週レッスンでもいいくらい、しっかりやってるからね、私。

ただ、家事もやらないといけないので、毎日は、出来ないときもある。練習する時も、時間は1時間まで、と決めてある。それ以上は、やはり、家事がおろそかになってしまうので。

管楽器を以前やっていた私なんだけど、管楽器は、バテてしまって、長時間の練習は出来ないのだが、ピアノは、時間におかまいなしに弾いていれば、何時間でも練習できる。あと、今のピアノにはサイレント機能を付けてあるので、いつでも、まわりを気にせず練習できる。練習の音など、音楽といえるような物ではないのだ。最初のうちは・・。

サイレント機能で最初練習して、ある程度仕上がったところで、音を出してもいい時間帯に、普通に音を出して練習する。これが今の私のやり方。やはり、ヘッドホンで聴いた音と、実際にピアノから出てくる音とは違いがあるので・・。あと、家のはアップライトピアノ、教室はグランドピアノなので、多少はまた、違いがあるんだけどね。

ピアノは、昔、転勤族でピアノを買ってもらえなくて中断したので、また、大人になって、再開できたことが、うれしい。

父は、転勤族で団地住まいになるので、近所迷惑になるから、というのと、ピアノなど高価な楽器を買って、習っても、役に立たないという思いもあったのではないかと思う。その父の判断は正しいと思う。ピアノを習って、続けて、職業にまで出来る人はごくわずか。また、昔はサイレントピアノとか電子ピアノとかなかったから、近所迷惑にもなったことと思う。

我が子も、今、ピアノを習っているが、家では、ほとんどヘッドホンを付けて練習している。家族である私ですら、どの程度弾けているのかわからない。

もちろん、趣味の範囲内で、楽しんでもらえたらという思いで、習わせている。こういう考え方は、私達の親の世代には、理解しがたいようだ。


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2005年09月16日(金) 母の葬儀翌日以降(その1)

また、実母のことを書きます。今回は、葬儀の翌日以降の事について。

職場からは、忌引きでしばらく休みをもらったので、その日も仕事は休み。いや、実際、いろいろとやることがあるので、忌引き休暇、このくらいはいるなあと実感した。

葬儀の翌日、父に呼び出され、父と妹と私の三人で、葬儀の時の香典などの整理をした。

香典袋を見て誰から来たのか確認し、開封し中の金額を確認する。そして、三人のうちの誰の関係者なのか、確認する。(それ以外に、母の友人とか、親戚などもあったが)後、住所などを確認して、リストに書き込む。
お返しをする予定なので、金額ごとに振り分ける。

そういう作業をしている時に、お客さんが来る。通夜、葬儀を会館でした関係で、近所の人で、葬議場まで行けなかったからと、お参りに来てくれた方もいる。後は、仏壇、カタログギフト、お墓などの業者。

その後のおおまかなスケジュールなどを決めた。

七日ごとの法要は、土曜日の夕方に行gうこと。四十九日に行われる満中陰は、死後3ヶ月をまたぐため、繰り上げて、三十五日に行うこと。お返しはその頃に送ること。仏壇は、満中陰までには納品すること。満中陰は自宅で行うこと。お墓は、一周忌までに作り、その日に納骨すること。

2日目以降は、その具体的なことを決めていった。

満中陰の法要はどのように行うか。出席者への連絡方法。満中陰の法要も、初七日の法要も、喪主からお呼びがあった人しか出席できない。これは、後で、食事などを振る舞う関係だろうか。逆に、お呼びがあった場合は、出席しないと失礼にあたるらしいという話も聞いた。

食事については、何度かいろんなところの法事にいっていたので、その時のことを思い出し、だいたい、この地域の平均的なことはしないとと思っていたので、似たような感じで予定した。食事は、どこへ行っても、余るほど出てくるのだ。私は食べきれない。でも、このあたりの法要ではたいてい、このくらいはするので・・という感じ。値段もいろいろあったが、そんなに高いのする必要もないと思い、まあまあの値段のところにした。業者は、父が前、職場でよく利用していたというところにした。

後、その他に手土産も持って帰ってもらう。これもこの地方の普通のしきたりだ。

お返しはどのように行うか。カタログ業者がいろいろカタログを持ってきてくれていたので、その中から選ぶこととした。

お返しを品物で貰っても、使わずに物置に置きっぱなしになっているものが私は多かったので、品物でなく、カタログブックの中から好きな物を各自で選んでもらう方法にした。私も前は、こういう方法で贈り物を貰った事が何度かあったのだが、それだと、自分の欲しい物を選ぶので、すぐに使えるので、物置に置きっぱなしということはなかったので。カタログブックも金額ごとのものが出ている。大体、もらった額の半額くらいのものを送ることに決めた。

仏壇については、私が休んでいる期間中には見にいくことは出来なかったので、父と、父の兄弟(おじ)に任せることとした。


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2005年09月13日(火) 自由参観日

先日、子供の通う小学校で自由参観日というのがあったので、行ってきた。

我が子の通う小学校で何年か前から、するようになったもので、参観日となっている日は、1日、朝から夕方まで、どの時間帯に参観に行ってもよい。普段の子供達の様子が見れる、親の都合のいい時間に行ける、と好評らしい。私も、参観の為の特別授業でなく、普段の授業中の様子が見れるので、いいと思う。もちろん、参観の為に、我が子の通う小学校でやっている、親子参加型授業もいいと思うが。

その日は、仕事はそれほど急を要するものはなかったので、1日休みをもらった。久々に休養したいというのもあり・・。

実際に参観したのは、4校時目。

最初は、ちょっと気になる子供の方。

最初に教室で先生から説明があり、教室を移動することになった。先生が話をしている時も、手遊びなどして、見た感じは、先生の話を注意して聞いているようには見えない様子だった。移動の為、教室から出てみんな廊下に並んでいるのに、じっとして動かない我が子。一番最後に先生に手を引っ張られながら教室移動。(やっぱりこんなところだろうと思ったが・・)

移動した教室には、夏休みに作った作品が展示してあった。それを見て、自分の気にいった作品を見つけ、それを紙に記入していく、というのがその時間の課題。我が子は、移動した教室に入っても、ぼんやりしているように見えた。先生の話を聞いていないのかも、と思い、我が子を、先生のところに連れて行き、「ここで何をすればいいんでしょう?」と私から先生に質問。先生は、やり方を、手振りも交えながら説明してくれた。その後は、ちょっと作品を見ているようにも見えたが、その教室では何もメモしてない様子だった。

しばらくしてから、別の教室へ移動することに。また、そこの教室から出てこない我が子、私(母親)を見つけた先生は、「お母さんすみませんが連れてきてください」と言う。手を引っ張るようにして連れて行く。

次の教室に行くと、そこで別れ、もう一人の子供のところに行くことにした。

教室に着くと、我が子はすぐ私に気がついて、「お母さん来てる!」と笑顔を見せた。4校時の終わりの時間のようで、連絡帳に書く連絡事を、先生が黒板に書いていた。(宿題とか、持って帰る物とか)その後、給食である。

もう一度、もう一人の子供のところに行ってみると、ちょうど、教室へ戻ってくるところで、例の紙に、2つほど書いてあったのが見えた。(先生の指示は、5つ)

給食の準備。我が子の通う小学校は、給食の時は、給食着と帽子とマスクを全員着用、机にはナフキンを置くようになっている。我が子は、その日は給食当番ではなかったようだ。給食着は全員着ることになっているのだが、なかなか着ようとする様子がない。持ってくるのを忘れたのか?と思った。だいぶたって、隣の席らしき子供が、我が子の給食着の入った袋を持ってきて中から出して、着せていた。うーん・・。自分で出来ないのかな・・。でも、その子供と話したりして楽しそうではある。

給食は、最初は同じ量で少なめに付けて、その後、おかずなど余分に欲しい子供は、自分で取りに行くというようにしているようだ。トレーを使っていないせいかな。私の子供の時は、トレーを持って並んで、おかず多めとか、普通とか、少なめとか、盛り付け担当の子に話したりしていたように思うが・・。

その後しばらくして、もう一人の子供の教室へ。ちょうど給食を食べ終えたところのようで、廊下においてある、食器かごに食器を片付けに来ているところだった。「今日は食べるの早かったんだね」と声を掛けた。(隣の教室もまだ、食べ終えてない子供も多くいたので)「うん、今日は、準備始めるの早かったんだ」とのこと。片づけがすんだら、給食着をきちんとたたんで給食袋へしまっている。こっちは、男の子ながら、きちんとしてるなあと感心。その後は、各自で歯磨き。それが済んでも、みんな教室で過ごしている。これも、私の子供の頃と違うなあと思った。給食を食べ終えたら、特に男の子など、校庭へ遊びに行っていたように思う。これも、子供に聞いたら、給食の時間というのがあって、その時間は、食べ終えても教室に残っているのだそうだ。その後、休み時間となるようだ。

そこまで参観してから、帰ることとした。帰りに、近くでうどんを食べて家に帰った。その後、久々に美容院へ行った。カットとカラーをしてもらった。平日の午後ということもあり、空いていた。私はパニック障害持ちのため、混んだ日は避けるようになってしまっている。平日に休みが取れた時に行くことが多い。空いている日の為、スタッフの方ものんびりしている様子で、こちらも、気楽なのだ。

薬はもうほとんど飲んではいないのだが、気がつくと、まだ、パニック発作の起きそうな状況を避けている自分に気づく。

病院の先生は、もう貴方は大丈夫ですよ、と言ってくれてはいるんだけど、無意識にまだ、いろんなこと避けている自分がいるなあと思う。

まあ、あせる必要はないのだ。自分ではもう割り切っているから・・。これ以上悪くならないよう気をつけるのみ。


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2005年09月10日(土) 台風一過

先週の台風14号。あちこちで被害が出たみたいで、関係する方々にはお見舞い申し上げます。

ただ、この台風のお陰で、今まで渇水に泣いていた、私の地元には、かなりの雨が降り、また、水がめとなっている早明浦ダムの貯水率も、なんと1日で100%に回復。まあ、水不足の心配はこれでしばらくはなくなったわけだけど・・。そんなに雨が降る、早明浦ダムの周辺も被害なかったのか、と余計な心配をしてしまう私。

それにしても今回の台風もすごかった。去年は、高潮と重なって、私の職場の入っているビルの1階も水に浸かってしまった。今年の場合は、早くから土嚢を積んで準備をしていた。地元の自治体でも、土嚢の無料配布をしていた。おかげで、今年は、職場のビルの方は、台風被害はなかったようだ。ただ、今回も、水は、道路のところとかには来たみたいだった。翌日の新聞に載っていた。

私は電車通勤。上司からは、電車が止まる前には帰りなさい、と言われたけど、そんなの分かるのか・・、と思っていたが、その日は、職場のテレビをずっとつけて、台風情報を聞いていた。そこで、私の使っている電車が、午後3時に止まるというニュースが流れ、お昼すぎに帰らせてもらうことにした。他の方も、ビル自体が閉めてしまう、という話も聞いていたので、4時過ぎに帰ったらしい。

その日は、警報が朝から出ていたので、子供達は学校が休みだと喜んでいた。やはり、休みだとうれしいのは、子供でも同じなのかな。台風の時は、休みでも、うかうか外出も出来ないし、家でだらだらしているくらいなんだけど・・。

翌日も休みだとうれしいな、という子供達の期待(?)どおりにはならず、警報は次の日には解除されていた。

私は、前日の被害が出ていないか、心配しながらの通勤だった。去年は、高潮浸水で、道路も冠水していたので・・。今年は幸い、そういうことはなかった。地元自治体も、かなりお金を掛けて、堤防など直したという話を聞いていたので、それも効果あったのかなと思ったりした。

翌日のニュースで、早明浦ダムに水が貯まり過ぎて、放水している様子を見て、どこかに貯めておけないのかなあ、と思ったのは、私だけではないと思う。渇水対策本部も解散した。


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2005年09月08日(木) ヤマハピアノグレード6級受験

この前の日曜に、ヤマハピアノグレード6級を受験した。前回7級を受験したのはいつだったっけ・・。まだ2年も経っていないかも・・?大人のピアノコースにしては、ハイペースかも、私。といっても、吹奏楽等でクラリネットを長いことやっていたから、楽譜は読めるし、練習方法も、クラリネットの時のものを応用してやっている。ただ、ヘ音記号は未だにちょっと読むのに苦労している。(五線からはみだした音がぱっと見てわからないのだー。)あと、未だに、一オクターブくらい間違えそうになることも・・。こんな私なんだけど、今習っている先生から、今年の4月にグレード6級受けてみませんか、という話をいただき、先生が勧めてくれるんだから、大丈夫なんだろうと思い、受験することとした。

曲は今回も、受けることを決めてから、選んだ。今までやっていた曲は、グレード試験で使えるようなものではなかったので、先生と相談しながら、主に、ヤマハレパートリー集(6級編)から選曲した。今回もAコースで受験することとした。

曲はまず課題曲1曲。それと、自由曲を3曲。課題曲は、ヤマハのオリジナル曲。2曲の中から1曲選ぶ。自由曲は、バッハのメヌエット、ベートーベンのエリーゼのために、クレメンティーのロンド。ピアノグレードの選曲は、クラシックから選ぶのが無難のようだ。それ以外は、グレードのレベルの判断をするのが難しいし、グレード受験の曲には、ふさわしくないと考えられているらしい。音楽的にすばらしければいいとは書いてあるけど、そういうのは、私には判断できない。レパートリー集から選ぶと、間違いないかと思い、その中から選曲した。自由曲の1曲は、今使っているソナチネから選んだ。(先生が、この曲がいいと言ってくださったので。)あと、初見演奏。

さて、当日、予定していた時間より少し早く私の名前が呼ばれた。10分くらい?当日は、ピアノ6級以外の他の試験も行われていて、ロビーには多くの人が待っていた。人の大勢いる場所が苦手な私は、(パニック障害の持病のある為)時間が来るまで、ということで、ちょっと離れた場所で待っていた。そしたら、私の名前が呼ばれ、試験室へ入った。

試験官の先生は2名。

鞄から楽譜を取り出し、ピアノの譜面台の上に置く。椅子がちょっと高いようだったので、下げた。(ペダルを使う曲もあるので、足が届かないと困る)

まずは1曲目。バッハのメヌエット。緊張の為、ちょっとミスタッチ。ピアノの鍵盤のタッチも、教室のピアノとも自宅のとも違うので、とまどいながらの演奏だったせいもあるかも・・。(言い訳がましいか・・。みんな同じような思いをしながら受験しているはずだもんね。)

2曲目は、クレメンティーのロンド。え、こっちが選ばれたの?という感じだった。エリーゼの方を弾きたかったんだけど・・。(自由曲の演奏は3曲のうち2曲)と思いながら演奏。テンポが速くて、弾きにくい(私にとっては)曲だったんだけど、普段の練習並みには弾けたと思う。

その後、課題曲を演奏。この曲は、割と自信あったんだけど・・。

最後に、初見演奏。こちらは、元々簡単な曲のせいもあり、ミスタッチなし、フレーズも正確に弾けたと思う。初見演奏はわりと得意。吹奏楽をしていた時、普段の練習でも、楽譜を渡されいきなり合奏なんてこと、よくやっていたから。

試験はこれで終了。

先生から、講評があった。まず、「メヌエットってどういう意味か知っていますか?」と先生から質問あり。そういうこと、疑問に思ったこともないし、教わってもなかったなあ・・。「いや、わかりません。」と回答。「メヌエットっていうのは、踊る曲というような意味なんですよ。」ああ、そういえば、メヌエットって3拍子だ。「3拍子を1拍ずつ感じるようなのでなく1小節を1つと感じられるような演奏をするといいですよ。」というようなアドバイスあり。

ロンドの方は、「平坦な演奏になってしまっていたので、もっと強弱とか付けて、変化をもたせた演奏にするといいですよ。」とのこと。いや、私の苦手とするところなんだよね、ピアノで強弱を出すの、今の課題なんだよね。今習ってる先生からもいつも注意を受けるのは、これが一番多いんだよね。

課題曲の方は、「和音を弾くときは、同時に鳴るように弾くと、響きがきれに聴こえますよ。あと、クレッシェンドをする時は、早くから大きくしないで、途中から大きくしていくようにしていった方がいいでしょう、すなわちクレッシェンドのスタートは音を小さく落として弾いたらいいでしょう。」とのこと。そうなんだよね、これもわかっているんだけど・・。小さくすると、右手の音(メロディー)より左手の音(伴奏)の方が大きくなってしまうので、それを気にしつつ小さくするのが、これも今の私の課題なんだよね。わかっているんだけど、今日もできなかったんだよね。

初見演奏については・・。「よく出来ています。間違いも全くなかったし、ね。」ほめてくれたのはここくらいか・・。

でも、ほめてもらってばかりでは、上手にはなかなかなれないもんね。普段の先生は、なかなかそこまで言えないよね、思っていてもね。

いろいろ注意を受けたので、試験を受けた後、すごく落ち込んでしまった。でも、これから練習する上で気をつけながらしていけば、いいピアニストになれるだろう、聞いていなければ、いつまでも知らないまま、自己流演奏になってしまうもんね。

結果がわかるのは、1ヶ月くらい先くらいらしい。でも、合格か不合格かは、もうその場で決まってるんじゃないかと思ったりもする。ただ、講評用紙に印刷したりするのにそのくらいの時間が必要なんだろうと思った。

ヤマハ音楽能力検定制度HP


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2005年09月07日(水) 県の臨時職員なるもの

私の住んでいる自治体の県庁にも、「臨時職員」という名称の職員が存在する。実質は、「臨時」の職員ではない。常時勤務の、まあ、一般企業でいうところのパート職員のようなものだ。

県のHPを見ていたら、知事へのメールのコーナーに、「職員定数と臨時職員について」というものが載っていた。(内容は、こちらから参照できます。)

日給制、交通費は出ない、昇給はない、もちろん、ボーナスも出ない。

私は今勤めている職場の関係で、県庁に出かけることがある。その部署でも臨時職員と呼ばれる人が働いている。

臨時職員なので、県の職員の定数に入っていないのだろう。人件費を安く、雑用をこなしてくれる、県の職員にとっては、便利な存在だろう。県の職員の方々も、自分の雑用をこなしてくれるので、ちやほやしている感じを受けないでもない。私にしたって、臨時職員の方々は、やはり県の職員なのだから、県庁に行ったら、それなりの応対をする。

県職員って、どんな仕事をしているのかな、と思っている人には、県職員の仕事を、ある程度垣間見ることが出来るいい機会かと思う。でも、長く勤めるような待遇(給料のことなど)ではないと思う。昔聞いた話だと、厚生年金や保険も掛けてもらえないということだったが、今は、どうなのかな。

雇うからには、きちんとした雇用をして欲しいと思う。県職員とあまりに違いすぎる待遇(給料や社会保険など)には、疑問を感じる。

最近、産休等の補助職員という制度ができたと聞いた。その方には、県職員と同等の待遇が与えられるという。もちろん、昇給もきちんとするということらしい。産休等の代わりの職員は、いわゆる臨時職員では勤まらないということから出来た制度らしい。確かに、専門職の場合は、資格も必要だし、実務経験もないと、産休の交代要員としては勤まらないだろう。その背景には、育児休暇が、最長3年まで取れるようになったこともあると思う。

育児休暇3年取得可能、うらやましく思う人も多いと思う。でも、実際は、そんなにとっている人はいないのではないか。

私の職場にも、パート職員さんがいる。それは、ほんとに臨時的な雇用である。でも、同じ人にずっと来てもらっているのではあるけど。

そのパートさんは、他の人にはある、福利厚生制度の適用が受けられない。例えば、職場の健康診断とか、年に1回行っている親睦旅行とか。最初の頃は、労災保険も入っていなかったのだが、私が何度も入るように、経理担当の方に話して、途中から、入るようになった。

私も、今の職場で、最初の頃、臨時職員と呼ばれていた時期があった。給料は、人件費からでなく、事務費から支払われていたのにショックを受けた。もちろん、日給月給制だった。それが、いつからか、人件費から支払われるようになり、交通費も支給してもらえるようになり、ボーナスも、昇給もあるようになった。長く勤めている職員をきちんと評価していこう、という話も出たと聞いた。

ニートと呼ばれる若者が社会問題となっているという話を聞く。アルバイトのような仕事ばかりして、きちんとした仕事をしてないため、正社員として就職したくても、なかなか出来ないんだとか。

アルバイトだからと、いいかげんな社員教育しかしていない企業などにも問題はあるんだろうけど、本人も、かわいそうだ。背景には、就職しようとしていた時期に、バブルがはじけ、企業が正社員の求人を控えたということもあるんだとか。

どちらにしても、きちんとした就職をしてほしいなと、見るたびに思うのだけど、結構居心地もいいの(だろう)で、勤めているんだろうと思う。

まあ、私も今の職場でのスタートは、県の臨時職員と同じようなものなので、他の人からは、同じように思われているのかもしれないけど。今は違う、と自分では思っているのだけど・・!

香川県HP


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2005年09月05日(月) 実母の葬式当日(その2)

(その1)で火葬場までの話を書いたので、その続きを。

葬議場を出るとき、木の札(何ていうんでしょう?)を持つ人(喪主)遺影を持つ人(私ー故人の長女)骨壷を持つ人(妹ー故人の次女)という順番で出て行く。

棺は、故人と血のつながった男性が担ぐのだと、聞かされていたが、葬祭場の男性が担いでくださった。

火葬場までは、何台かの車とマイクロバスで行く。その順番もある程度決められている。

車の運転手さんからは、「遺影が外からも見えるように前向きにしてください。」と言われ、しばらくそのままに。しかし、葬祭場から離れ、街中を走っている時、いかにも・・という感じだったので、途中から、遺影を掲げるのをやめた。

父や母の親戚の方々が火葬場まで見送りに来てくださった。そして、そこでも簡単に焼香などして、点火台の方まで棺を運ぶ。点火のスイッチを押すのは喪主なんだとか。

そこまでの見送りで、ほとんどの方は帰ってしまわれた。葬祭場へ戻った方もいるけど。後残ったのは、父の兄弟、母の兄弟、そして娘である私達と孫である私達の子供。

私の住んでいるところの火葬場は、近代的な雰囲気で、建物もきれい。中に喫茶コーナーもあって、待っている間に、ジュースやサンドイッチやビール名ど、好きな物が注文出来る。葬儀の時間が12時と、ちょうどお昼と重なってしまって、あまりきちんとしたお昼ご飯が食べられなかったので、私は、サンドイッチを注文。子供達も、ざるうどんやジュースなどを注文していた。

どのくらいの時間がかかったのか覚えていないのだが、もう焼きあがったとのことで、骨を拾いに・・。

持参していた骨壷の中に、割り箸のような箸で、骨をつかんで何人かで回し箸をしながら入れていく。だいたい3人くらい。1回すると他の人と交代して、そこにいる人で希望する人みんなが出来るようにする。でも、骨壷は小さく骨は全部は入らない。そんなものだとは、今まで気がつかなかった。何度かここへは、他の人の葬儀でも来ているはずなのに・・。残った骨は、どこか遠方のお寺に運ばれるのだと、その時初めて知った。

さて、それが済んだら、急ぎ、葬祭場へ戻った。すぐ、初七日の法要をする為。初七日というのは、本来は、葬儀の一週間後にするのだが、繰り上げて、葬儀の当日にするのが、恒例になっているのだとか。

初七日の法要も、葬祭場で行われた。その後、みんなで会食をするのがしきたりとなっている。母の死から、葬儀当日まで、ずっと、忙しかったので、お疲れ様、とでもいう感じだろうか?

会食が終わり、親戚の方々が帰った後、荷物を家まで運ぶ。結構荷物は多い。車2台くらいに分けて、荷物を運ぶ。私や、妹の車に荷物を載せる。車で来ていなかった父は、私の旦那の車か何かで乗って帰れると思っていたが、予想外に荷物が多く、父と、子供達数人はタクシーで帰ることに。

葬祭場を出ようとしているところ、もう次の、利用者が入ってきていた。そう、ここは、そういう施設なんだ。

実家に帰って、明日、お参りに来る人がいるかもしれないと、急ぎ、祭壇を準備した。(これは正解でした。)

その後、夜遅く、父、私達娘達、旦那と一緒に、ビールを飲みながら、まあ「お疲れ様会」といったところか。ずっと、お酒も飲めなかったので。


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2005年09月03日(土) 少子化対策(ピントはずれ?)

「ピントはずれの少子化対策」(日経新聞 2005/09/02)という内容の記事があった。(記事は、下記を参照ください。) http://www.nikkei.co.jp/neteye5/asakawa/index.html

少子化対策として、お金を使うのはいいが、問題はその使い方だ。

児童手当の拡充とか、そういったことで、子育て世代の経済的負担の軽減ということを主に考えているらしい。

私はそんなことより、手助けしてくれるできる、人なり施設とか、そういったものが欲しいなあと思う。

我が家は、夫婦共働きサラリーマン世帯なのだが、そういう世帯にとっては、子供が小さいうちは、子供が病気の時どうするのか、というのが一番切実な問題となってくる。

我が家の場合は、実父母が近くに住んでおり、面倒を見てくれた。最近は私の住んでいる自治体では、病後児保育をしてくれる施設もあるのだが、出来れば、職場での理解、これが一番欲しかったことである。

病気の子供を、人に預けて、出かけなければいけない、こういうことをしなくてすむほうがよかった。預かる方にしても、病気の子供を預かるなんて、大変なことだ。実父母にしたって、孫には、我が子の時より気を使う、と言っていた。

また、専業主婦と呼ばれる方々だって、最近は近所に、子供のいる世帯も少なく、近所づきあいも希薄で、孤立感を味わうこともあるとか。子育てで忙しいうちは、外出もままならない。

子育ての問題は、小さいうちだけではない。我が子は小学校5年生だが、未だに、子育ての問題はついてきている。

このくらいの年になると、子供の心や身体や学力のことに気をつける必要がある。ほったらかし、というわけにはいかないのである。

子供がおかしな行動をしたりしていないか、そうなった場合にすぐ気がつく親でありたいと思っている。また、そうなった場合にきちんとした対応がとれる親であるのか、ちょっと不安ではあるけど・・・。

ある程度子供も大きくなってくると、悩みなどあっても、親に話さなくなってくると思う。私も、中学生時代、いじめのようなこともあったが、親には話さなかった。みっともなくて、話せなかった。

高校に入ってから、いじめはなくなったのだが、いままでつらくても我慢して登校していた反動からか、高校の方が、サボリは多かった。

まあ、話はちょっとずれたけど、子育ては楽しいものだとか、言って、子供を生ませようとする政策には、のってこないと思う。大変なこともあるんだから、そういう場合に、きちんとサポートしてくれるところの充実、そういうのが重要だと思う。

我が子の場合でいうと、二人いる子供のうちの一人は、LD(学習障害)(軽度発達障害)であるが、そういう子供や、親へのサポート、欲しいと思う。もちろん、学校の先生の勉強会とかそういったものも必要だと思う。親のしつけとか、そういったことでなる、という誤解、将来に対する不安、そういったものとまだまだ、対面しなくてはならない。

また、社会がまだまだ、男性優位であること、子育てや介護の問題は、主に女性の問題と考えられていることに、私は、疑問を覚える。家庭も顧みず、仕事したような人が、会社に忠誠心があるとみなされるという男性社会。

我が家の場合は、子供の一人が軽度発達障害であることもあり、子供の事は、夫婦で考えてやってきた。学校行事には、旦那が行ける時は、母親である私でなく、父親が行く。

昨年は実母が病気で入院して、かなり心身とも大変な思いをした。これも、心情として、人任せにはしたくないものである。でも、私の場合は、仕事はしないと、生活できないし、子供にもまだまだ手がかかるし、といったことで、あまり面倒見れなかった。多くの人が同じような思いをしていると思う。

政策でなんとかなることもあるんだろうが、要は、社会全体の意識が、変わらないと、だめなんだろうと思う。

でも、少子化対策って、ほんとに将来の為になるのかな?地球資源とか、(特に石油)無くなりそうという話も何年も前から出ているというのに・・。地球の人口は、ちょっと減ったほうがいいんじゃないかと思ったりする。

日経新聞HP

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