KIYOの日記
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2004年07月31日(土) 午前4:40起床

今朝、どういう訳か、午前4:40に目が覚めた。
窓を開けて、東の空を見たら、朝焼けが鮮やかな感じだった。
ちょっと眠かったけど、カメラバッグを肩に担いで、五老岳に行った。
運が良かったというか、朝陽が登ってくる瞬間の若狭富士と舞鶴湾は
絵に描いたような風景。
港には海上自衛隊の護衛艦が停泊していて、シルエットに写っていた。
フィルムカメラとデジカメを、三脚にセットして撮影開始。
何枚も撮影した。やはり、早起きは三文の得ということか。。。(^^;


2004年07月26日(月) 四十九日法要

時間の経つは早いもので、母の四十九日の法要を営んだ。
女性の場合、三十五日ということらしいけど、現世に生きている者の日程も
あって、この日と決めた。
親戚の人達が集まり、母を偲んでくれて、感謝。
母が逝去して、精神的なものから、数週間は身体に力が入らず、脱力感で辛
かったけど、ようやく気力も出てきたような気がする。


2004年07月18日(日) 福井豪雨

朝、随分と雨が降ると思っていたら、福井の自宅にある川の近くで数人の
人達が集まっていました。
自宅近くを流れる川幅5mの川が、決壊寸前になっていました。
溢れ出る濁流は、川の土手を乗り越え、県道に流れ込んでいました。
道か川か判別がつかない状態。我が家の玄関先近くまで、泥水が流れ込ん
できそうで、オタオタしていました。
テレビのニュースを見ると、臨時放送が放映されていて、美山町、池田町
などが家屋全壊・半壊の被害。お昼頃、福井市内を流れる足羽川が決壊し
て、数千所帯が床上浸水の被害とのこと。
その頃、我が家近くの川は、水が引いていて一安心というところだっただ
けにビックリ。
心配なのは、やはり肉親・親戚のこと。妹が福井市駅前にいることから、
何回も電話。初めのうちは、電話が繋がって励ましていたけど、そのうち
電話も回線混雑で繋がらなくなって。。。
思わず、福井市街地に車を走らせたけど、市街地に入る所で、あちらこち
らとも通行止め。
幸い、妹の所も水害に遭わずに助かったけど、親戚の中には床上浸水の被
害に遭った家もありました。
たった3時間の雨量が、1ケ月分の雨量に相当するという物凄い雨だった
ということだから、やはり天災ということだと思うけど、あの大きな足羽
川が決壊するとは、夢にも思わなかった。
震災、火災、水害など、思いもよらない自然の猛威には、人間の力は弱く
都市型社会で便利で快適な生活をしている中での災害では、その痛みも、
大きなものとなったと思う。
そんな中、沢山のボランティアの方が集まってくれて、災害復旧に力を貸
していただいた。感謝の気持ちでいっぱい。


2004年07月03日(土) 城崎旅情

ちょっとしたきっかけで、城崎温泉に出かけた。
舞鶴〜宮津〜峰山〜久美浜〜豊岡〜城崎〜出石の行程。
僕が舞鶴にいなければ、このような旅に出かけることは無かったと思うけど
縁があったのかな?
「人生いろいろ」とは偉い人の言葉。そんな機会があったことに感謝。
それにしても、島倉千代子の「人生いろいろ」は、良い曲。。。(*^_^*)
ふ〜む、、、年はとりたくないものだ、、、けど。。。。
歌を聴いていて、とても良い曲と思えるのだから、仕方がない。。。
城崎は、志賀直哉で有名な地だけど、とても風情のある所だった。
同じ考えも持った人々と一緒に行けたことが、更に旅の思い出を深くしてく
れたような気がする。


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