委員長の日記
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●やりたいことをやるところ? 毎年、春になるとそれぞれの新しい出発が始まります。 子どもたちは進級や進学を、大人たちも子どもたちの成長に伴って、その生活の様子も変わっていきます。 今年も、たくさんの子どもたちが新しい世界に羽ばたいていきました。 子どもネットワーク可部の中高生グループ“空”のメンバーの何人かも、高校を卒業し、それぞれの進路に進み、そのうちの何人かは県外へ進学しました。 その中の一人が、連休に帰省したときに話してくれた言葉が印象的でした。 「大学に入って、何かサークルに入ろうと思って、いろいろ探してみたんだけど・・・“空”みたいな活動をしているところはどこにもないのよね。それに、ほかの人たちに説明しようと思うと、とても難しい・・・なかなか理解してもらえない。」 彼女は高校に入ってから“空”の活動に参加し、南アフリカの子どもたちとの交流事業や、ソーラン、劣化ウラン弾の写真展などの企画に参加しています。 また、鑑賞事業でのスタッフや、託児ボランティアの経験もしています。 それらの活動だけを並べて説明しても、“空”の本質を説明することにはならない…というのが、彼女の実感のようです。 先日も、中学生の保護者の方が事務所にこられて、“空”の活動についてたずねられましたが、大人たちもまた一言で説明できなくて困ってしまいました。 では、いったい、“空”って何なんでしょう?
この法人は、子どもたちの生活体験、芸術体験を年齢に応じて豊かに保障し、それらの活動を通じて子どもたちの社会参画を実現する事を目的とする。
これは、NPO法人として新たに設立したときに、子どもネットワーク可部の活動の目的として掲げた言葉です。 また、HPの“空”のページには次のような説明が書いてあります。
学区を越えた中高生の集まり「ネットワーク”空”安佐北」では、映画・舞台観賞などの自主企画、また、表現活動の実践など、学校だけでは学べないさまざまな活動を、大人達と対等な立場で企画運営して行きます。
社会参画・・・大人と対等・・・難しい言葉が並んでいますが、具体的にどういうことなのでしょうか? 実際に、“空”のメンバーとして活動している高校生は、友達に説明するときに「やりたいことがやれるところ…」と話しているそうですが。 じゃあ、子どもたちのやりたいことならなんでもさせてあげることが社会参画なのでしょうか?
●3人のサンタさん 子どもの「やりたい!」を形にする…ということで、ひとつの例を挙げてみたいと思います。 これは、“空”の活動ではありませんが、ピアノ教師を仕事としている私の生徒たちが、約十年前の冬に体験(?)したことです。
毎年、クリスマスが近づくと、教室のクリスマス会に向けて、子どもたちはその年齢に応じてハンドベル合奏の練習をするというのがその当時の私の教室での年中行事の一つでした。 その年も、中学生たちが集まって合奏の練習をしていたのですが、誰からともなく
「もう、クリスマスでもないよねぇ・・・サンタさんも来ないし(笑)」「そうだよねぇ・・」「チビちゃんたちと一緒にクリスマス会って言う年でもないしねぇ・・」
そんな会話が展開されていました。 そのうちに、何歳までサンタさんを信じていたか…という話題になり、それぞれの小さいときの思い出話に花が咲いていたのですが、メンバーの一人が突然「クリスマスイブの夜に、サンタさんがやってきて、ハンドベルを演奏してくれたら、きっとびっくりするだろうね!」 と言い出したのです。それを受けてほかの子どもたちも「うん!絶対驚くし、喜ぶよ!!小学校3年生くらいまでにインパクトを与えておいたら、あと3年は持つよね!!」と急に話が盛り上がり始めました。
私は黙ってその話を聞いていたのですが、そのうち一人が「でもさぁ・・こんな話しても、大人は絶対にさせてくれないよね。」と言ったのです。 その言葉に引っかかった私が「じゃあ、私がサンタさんの衣装を用意したら、君たちはサンタさんになって子どもたちの家を回るの?」と言うと、「やる!!!」「絶対にやりたい!!!」と言い出したのです。 こうなるとある意味売り言葉に買い言葉・・・
「わかった、じゃあ、サンタさんの衣装は用意するから、君たちはお父さんやお母さんの了解を取ってきなさい、でも、言っておくけど、私がやりなさいって言ったわけじゃあないからね、自分たちがやりたいっていったんだから、そこのところはきちんと説明しておいてよ。」 「は〜〜い!!」その日から、彼女たちのハンドベルの練習には俄然熱がこもり、毎日のように集まっては練習に励みました。
彼女たちの家族の反応は…というと、「まぁ、本人たちがやりたいって張り切ってることだから、納得行くまでさせてください。先生は大変でしょうけど、よろしくお願いします。」と、こちらが拍子抜けするほど好意的に受け止めてくださいました。 また、彼女たちが出かけていきたい!という、小さい生徒さんのお家の方に「実は、お願いがあるのですが・・・」と彼女たちの計画を話したところ、これまた皆さん大喜びで大歓迎してくれたのです。
そして迎えたクリスマスイブ・・ 私の用意した衣装に身を包み、髪の毛や眉毛からばれちゃ大変!と、ひげはもちろん顔中綿だらけにした3人のサンタさんたちは、おりしも大雪警報の流れる中、トナカイならぬ、私の車に乗り込んで、小さい生徒さんたちの家々を回ったのでした。 まずは、玄関のチャイムを鳴らして、扉が開いたら、全員で「メリー・クリスマス!!」と叫び、すぐさまハンドベルを合奏し、終わったら「バイバ〜〜イ!!」と手を振って帰る。 ただそれだけなのですが、突然現れたサンタさんたちに目を白黒させながらも大喜びしている子どもたちの表情を見て、一番達成感を味わったのは当のサンタさんたちでした。 一夜明けて、教室のクリスマス会にやってきたチビちゃんたちに「ねぇ、昨日サンタさんからプレゼントもらった?」と興味津々荷問いかけるお姉ちゃんたちに、「うん!サンタさんが来たんだよ!」と、まさか目の前にいるお姉ちゃんたちがサンタさんだったということには全く気づかない様子でうれしそうに話してくれたのでした。3人のサンタさんは、翌年も登場したのですが、進学などの事情から2年で終わってしまいました。
●夢は繋がる しかし、この話には後日談があって、その当時幼児だった子ども達が中学生に成長した、一昨年の冬・・ 一人の中学生が「そういえば、小さいときにサンタさんが来てくれたことがあるんだよね。」と話し出すと、ほかの中学生たちも「うん!うちにも来たよ。ハンドベル演奏して帰ったよね、後から考えたらすごく不思議だったけど、でも嬉しかったよねぇ。あれってひょっとしたら、先生が連れてきたの?」というので、いきさつを説明すると、 「いいよぉ!私たちもやりたい!」って言い出したのです。 おまけに、今回は4人・・トナカイ役の私はもう一着サンタさんの衣装を用意し、クリスマスイブの夜、可部の町に十年ぶりにサンタさんが走ったのでした。 自分たちの子どものころの夢を大切にしたい、その夢を大切にしてくれたお姉ちゃんたちのように、自分たちもその夢を次の世代の子どもたちに届けたい! 初めてサンタさんになった3人の中学生たちの夢をかなえたことが、次の世代の中学生たちに繋がっていったのです。 ●大人に混じって ところで“空”の活動を振り返ってみると・・ “空”の始まりは、当時可部おやこ劇場として取り組んでいた「この空のあるかぎり…」という芝居の上演会の実行委員会に「その実行委員会には、子どもは入れないのか?」という2人の中学生の素朴な質問からでした。
何故彼らがそんなことを言い出したのか、いまだになぞなのですが・・(そのうちの一人は私の末息子なのですが、言い出した当人たちも何故そう思ったのか覚えていないようです、どうも毎夜のように出かけていく母親を見てよほど楽しいのだと勘違いしたようですが・・)
それまで、高学年キャンプなどの話し合いは子どもたちを中心に進めてきましたが、鑑賞事業などに、子どもが実行委員会に参加したことなどはなかったので、どうしようかな・・・と思っていると、別の学校に通っている実行委員の娘さんも同じことを言っているのですがどうしましょう?と困った様子で相談をされたのです。 今まで前例がないからといって、子どもが参加して悪いということは決してないと思うし、この際思い切って受け入れて見ましょう。ということになり、中学生の実行委員が誕生したのでした。 思春期の我が子にとって、母親が同席するのはあまり良くないかなという思いもあり、私自身は、息子が参加するときにはなるべく出席を控え、他の実行委員のみなさんに任せることにしました。 その取り組みの中で、子どもだからという視点ではなく、あくまでも同じ立場の実行委員として大人から認められ、自分たちの意見を真剣に取り上げてもらったことが、彼らのその後の活動の中で大きな影響を与えたことはいうまでもありません。 また、彼らの存在が一緒に関わった大人たちにとっても、対等な立場で向き合うという本来の意味を実際に学ぶことのできた大きな出来事でした。
●“空”の誕生 その後、「二人じゃいやだ。もっとたくさんの仲間と色々なことに取り組みたい!」と声を上げた子どもたちが、次に取り組んだのが、5年前の映画「学び座」の上映会でした。 その実行委員会を立ち上げるにあたって、同じ学校の友達を誘いたい…といのは、彼らの当然の思いでした。 しかし、その当時「可部おやこ劇場」という会員制の会として活動していた私たちは、活動に参加するためには、会員として入会しなければならないという、大きなネックがありました。
つまり、中高生の仲間を増やしたくても、その保護者が同意の上入会し、毎月一二〇〇円の会費を払わなければ活動には参加できなかったのです。 それまでの運営の中でも、幼児のころは観賞や自主活動などに保護者の意向で参加していても、中学生になるとその多くが退会してしまうという状況だった私たちの活動の中で、中学生から入会してもらうというのは現実的にとても難しい話でした。 そこで、学び座の上映会のために、新たに実行委員会を立ち上げたのが「ネットワーク“空”安佐北」の始まりでした。 可部おやこ劇場の会員制の枠組みの中ではなく、一人1000円の年会費を払って登録すれば誰でも参加できる。1000円なら、保護者に払ってもらわなくても自分たちのお小遣いでなんとかなるよね!というのが子どもたちの出した結論でした。 この“空”の誕生が、その後のNPO法人設立の際に、会員制の枠組みをはずして、活動には誰でも参加できるという基本的な考え方の元になったのです。 大人が子どもたちに教えられた第一歩でした。 「学び座」の最初の実行委員会で、子どもたちに経費の計算方法や、チラシ・チケットつくりなどの取り組み方を説明しながら一緒に考えていく私を見て、同席していた大人の一人が「これって、すごい社会勉強ですよね!学校では絶対にできないことです。すごいことですよ!」ともらした言葉が、その後の「大人と対等な立場で取り組んでいく」という“空”の活動の原点になっていきました。
●ボランティアの意味 自分たちのやりたい!を声に出し、仲間の共感を集め、それを実現する方法を大人と一緒に考えていく・・・その道筋の中でさまざまな問題にぶつかりながら、大人も子どもも共に成長していく。 しかし、そこで一番大切なことは、自分たちのやりたい!が目的なのではなく、その活動を通じて自分たちだけでなく、他の子どもたちにも何かを伝えたいということが目的だということです。 つまり、先に述べたサンタさんたちと“空”の子どもたちの共通点はここにあるような気がします。 自分たちがやりたいことを実現することで、もっと多くの子どもたちの笑顔に出会える。 そのことが彼らの達成感に繋がっていくのです。
前回の「学び座」の取り組みで実行委員長だった中学生は、その後参加したスピーチコンテストで、その取り組みのことを取り上げ、「自分たちがやりたいことを実現したのに、参加してくださった多くの人たちが『ありがとう!』と声をかけてくださいました。そのときに僕は、ボランティアの本来の意味が分かったような気がします。」と語りかけていました。 彼は、ボランティアというのが自己犠牲でも奉仕でもなく、自分自身のために行うことなんだな…ということを、活動を通じて学ぶことができたのでしょう。
私たちの目指している、子どもたちの社会参画のひとつの形がここにあります。
昨年実施した「劣化ウラン弾」の写真展の始まりも一人のメンバーの「やりたい!」からでした、「これって、“空”でやるのは無理なことですか?」という問いかけに、私は「君にはたくさんの仲間がいるでしょう?君がなぜやりたいのか、その気持ちを自分の言葉で伝えて、共感してくれる仲間がいればきっと実現できるよ。」 彼女からの呼びかけを受けたメンバーたちは、その気持ちに共感し、取り組みを決めました。 その後大きな反響を呼んだ、「劣化ウラン弾講座」の掲示物は、その取り組みの中で彼らが劣化ウラン弾の恐ろしさを小中学生にも理解してもらいたいという思いから2ヶ月をかけて作成したものです。その作業の中で、私が彼らに与えたアドバイス(?)は、原稿を見ながら「それじゃあわからんねぇ・・」といい続けたことだけでした。 その言葉を受けて、彼らが頭をひねりながらみんなで一生懸命に考えて作った結果だからこそ、多くの人たちの共感を得ることができ、その後、全国で写真展を企画する方から使わせて欲しいという依頼が舞い込んでくるのです。
振り返ってみると、大人はいつも子どもたちに引っ張られ、教えられてきたように思います。
そして今、彼らは再び「学び座」の上映会に取り組もうとしています。 彼らが「やりたい!」と声を上げたときから、私が彼らに言い続けたことは、「自分がどうしてこの上映会をやりたいのか、上映会を通じて何を伝えたいのか、その気持ちをお互いに出し合いなさい。」ということだけでした。 「その気持ちを共有できないかぎり、チラシも作れないし、趣意書も作れないよ。」 私の言葉を受けて、彼らはひたすら自分たちの言葉を捜す作業を繰り返しました。 その上で、事前の試写会を終えた子どもたちは「これは、本当は大人に見てもらいたい映画なんだ!」という思いを強くしたようです。 今回の取り組みで、彼らが私たち大人に伝えたいことは何なのでしょうか? また、私たちは何を彼らから学ぶことができるのでしょうか?
委員長

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