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委員長の日記 DiaryINDEX|past|will
昨年の12月に、無人島に行った4人の中高生。
一人の中学生の小さな願いが実現しようとしています。 フォトジャーナリスト「森住卓さん」の撮影された「イラク・湾岸戦争の子ども達」の写真展を2004年2月3日〜11日の間、安佐北区総合福祉センターロビーで開催されることになりました 今回の取り組みをきっかけに「セイブ・ザ・イラクチルドレン広島」の活動を知ることもでき、大江厚子さんのお話を伺うこともできました。 子ども達はこの写真展をきっかけにペットボトルで作ったワンコインカンパを企画し、写真展の経費を差し引いた収益はイラクの子ども達に送る医療品などに役立ててもらうことにしています。 ![]() たくさんの皆さんに会場に足を運んでもらえる事を祈っています。
会員の皆さんには、今月末の事務局ニュースでお知らせしましたが、事務局スタッフとして、私達の活動を陰で助けてきてくださった、Kさんが、1月12日、不慮の事故で急死されました。 Kさん、まさか私よりも一回り以上も若いあなたへお別れの言葉をかけることになるなんて、夢にも思っていませんでした。 一昨日の朝、あなたが踏み切りで事故にあったという連絡を受けた時、一瞬何が起こったのか理解できない私がいました。 団体の代表として、とにかく連絡しなければ…と、委員の皆さんに連絡をしている間も、 「あれは悪い冗談だったのよ!」 って誰かがいってくれないかしらと、ずっとその事実を認められませんでした。 でも、お昼のニュースであなたの事故のことが流れたということを聞いて、 「ああ、本当だったんだ、夢じゃなかったんだ。」 と、現実を目の前に突きつけられたのです。 それでも、あなたの顔を見るまではまだ信じられなくて、式場に運ばれたと聞いて、同じようにその事実を信じられない仲間と駆けつけ、あなたの変わり果てた姿を目の当たりにしました。 棺の中で眠るあなたは、今にも目を開けて 「みんなどうしたの?何を騒いでいるの?」 といつもの笑顔で話しかけてくれそうで、私達は「どうしたの?何があったの?」と声をかけるのが精一杯でした。 そのときにご主人から 「葬儀で、お別れの言葉を読んでやってください。」 と頼まれても、とても私にそんな辛いことが冷静にできるとは思えず、一度はお断りしようかとも思いました。 けれども、あなたのご両親や、ご主人のご両親そしてご兄弟の皆さんが、子どもネットワーク可部のものですとご挨拶をするたびに、 「いつも、いつも、みんなが集まると、素敵な会に参加させていただいて、素敵なお仲間に恵まれて、とても楽しいのよと話していましたよ。本当にありがとうございました。」 と言葉をかけてくださいました。また、ご主人からも、 「子どもネットワーク可部は、妻にとって、大切な居場所だったんですよ。」 と言っていただき、改めて、今日、この席で私があなたにお別れの言葉を言うことが、私達にできる最後のお礼なのだということに気づかされました。 Kさん、あなたが私達と一緒に活動してくれた、この数年間は、子どもネットワーク可部にとって本当に激動の時期でした。 NPO法人格を取得し、これまでの体制から大きく変わっていき、去って行った仲間もたくさんいるなかで、地域の子ども達のために、これからの五年、十年先の活動を支えていこうとしてくれる貴重な若いメンバーの一人があなたでした。 いつも控えめで、「私は何もできないから・・」と言いながら、みんなが集まる席には必ずと言ってよいほど手作りのパンを持ってきてくれましたよね。 あなたのカレーパンや、ゴマパンに舌鼓を打った仲間は数え切れません。 「おいしいね!ありがとう!」って声をかけると、いつも子どものようにはにかんだ笑顔で「おいしい?良かった!」って、無邪気に喜んでくれましたね。 事務所が忙しそうな時には、朝早くからの仕事の帰りに「今日、何か用事がありますか?」と、古川さんにメールで聞いてきてくれて、面倒な発送作業や、印刷の作業を全然嫌がらずに、いつも喜んで助けてくれましたね。 私が委員の皆さんに、チラシやポスターの手配りをお願いしたときも、本当に一生懸命に、毎日毎日、一軒、一軒お店や病院にお願いに行ってくれて、たくさんのお店や病院にポスターを貼っていただくことができました。 そんなときも、「えらかったね!ありがとうね!」 と、私が感謝の言葉をかけると 「えらかったじゃろ!頑張ったんよ!」って、 やっぱり無邪気な笑顔で答えてくれましたよね。 私達の活動にとって、あなたのような縁の下の力持ちは本当にかけがえのない存在だったのですよ。 よっといで市場では、お父さんが焼く焼きそば屋さんの横で、本当に楽しそうにかいがいしく手伝っているあなたの姿が今も目に焼きついています。 あなたのご家族にとってそうであるように、私達にとっても、あなたがいなくなってしまった大きな穴は誰にも埋めることはできません。 これから、もっともっと、楽しいことを一杯するはずだったのに・・・ 子どもを愛して、ご主人を愛していたあなたの口から 「翔くんがね・・ひとみちゃんがね・・お父さんがね・・」 と言う言葉が聞かれない日はなかったといっても良いでしょう。 子ども達のために、良いお母さんになりたいと、先輩のお母さんたちの話に熱心に耳を傾け、とても素直に受け入れて、それを実行しようと頑張っていましたよね。 そんなあなたを、ご主人はとても理解して、私達の活動にも協力してくださって、そのことを本当に喜んでいましたよね。 今から思うと、私達が一生をかけて子ども達や主人に注ぐ愛情を、あなたは三十五年という短い一生の中で、まとめてあなたの子ども達やご主人に注いでいたのかもしれませんね。 あなたがいなくなってしまったということは、こうやってお別れの言葉を読み上げている今も、正直に言って、私にとってはまだ受け入れられないものがあります。 けれども、あなたがあなたのご家族や注いだ愛情の深さや、私達に与えてくれた優しさは、これからも決して消えることなく、ご家族や私達の心の中でより大きく育っていくことでしょう。 気づいてくれましたか?あなたが大好きだった、昨日のお通夜に翔太君や、ひとみちゃんの仲間の子ども達が、たくさん集まってくれたでしょ? みんな、みんな、これからも仲間として、できるだけのことをしていくからね。 私達の活動が広がっていくことを、心から願って一生懸命に動いてくれていたあなたのためにも、この活動を頑張って広げていくからね。 ちゃんと、見ていてね。 お願いだから、時々は、私や事務局長やみんなの夢の中にでもいいから出てきてね。 夢でもいいからあなたの声を聞かせてね、笑顔を見せてね、そうしたら、きっと私達も頑張れるから。 私はもっともっと誉めてあげたかったよ! Kさんありがとうね!えらかったね!ってもっともっと言いたかったよ。 そして、あなたのはにかんだような笑顔が一杯見たかったよ。 あなたのことはずっと忘れないよ、いつか私達もあなたのところに行ったときに、えらかったね!よく頑張ったね!って、今度はあなたに誉めてもらえるように、これからも、私達を見守っていてくださいね。 本当に、ありがとう!
委員長
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