あふりかくじらノート
あふりかくじら



 民主化の弾圧は。

警察や国家が、人々を殺すのだとしたら。
ミャンマーの様子を見て思うが、ジンバブエでもこれは他人事ではない。

今年はじめ、野党や活動家などの集まった集会に治安当局が踏み込んで、ひとりを射殺し数百人を逮捕した。民主化に向けた動きが「治安を乱す」として暴力で取り締まられているという状況だ。

本格的な暴動って起きるのだろうか。
皆が色んな意見を国際社会で述べているけれども、実際どうなるかはやっぱりわからないのだ。ただ、日用品がなくて食糧もガソリンもなくて、インフレ率は7,000%を超えているという多くの政治・経済的困難が山積しているというだけだ。

民主化運動を弾圧する強権政治は、21世紀になってもなくならない。

























で、NHK BS1の「今日の世界」でジンバブエ特集が放送されたので、それについてはブログをご参照。


ほんと、もっと明るいニュースは流れないものか。


2007年09月28日(金)



 アラビアの踊り。

以前にも書いたと思うが、子どものころあこがれていたのは「くるみ割り人形」の「アラビアの踊り」だった。主役のクララよりも金平糖の精よりも、アラビアの女王様になってみたかった。もちろん、その踊りはバレエ団のトップクラスのバレリーナがやるものだったので、わたしのような子どもにはとても大きな夢であった。

いま、ベリーダンスにのめりこんでいるのは、やっぱり小さなころから「アラビアの踊り」への憧れがあったからかもしれない。身体のなかから湧き出てくるようなベリーダンスは、ほんとうにこれほどまでにわたしにぴたりとしている。

きらきらと輝く衣装の直しなどを少しずつして、母が作った天然石アクセサリーを物色、それにあわせる。来週の土曜日に向けて。


今日は、ちょっとパワーダウン。
ひとつ作業をしたので良しとする。レッスンは体調がすぐれずちょっと休み。

夕べはとてもすてきな電話での会話を愉しんだので、その余韻にひたっている。参加したい会議やイベントなどが目白押しになってきた。色々と物事が進みそうだ。

そして、ベリーダンスはそのようなわたしのこころのなかで、とても重要な位置を占めている。楽しみ!


わたしは何とか、大丈夫、だよ。

今日は、満月。

*追記:明日のNHK BS1でジンバブエの特集があるらしい。放送時間等はブログ見て。

2007年09月27日(木)



 身体にまとう空気、二分間。

夕べのこと。

ベリーダンスのレッスンが終わってから、少し先生と話をすることがあって、わたしだけ残っていた。夜もずいぶん遅くなってしまったけれど、彼女はとても丁寧にわたしのダンスについてコメントしてくださった。

10月最初の土曜日、スタジオのパーティがあるレストランで行われる。小さな発表会のようなものを兼ねてだが、何組かのひとたちのショーがある。そこへ、恐れ多くもわたしが混ざることになった。他の人たちは、すでにレストランやイベントなどのショーで活躍している方たちもいて、ほんとーうに恐れ多い。

でもこういうふうに自分をちょっと無理に押し上げることで、何事もぐんと上達するものだということはよく知っている。(子どものときのクラシックバレエもそうだった)だから、怖いけれどもやることにした。

肝心の「何をやるか」について、夕べ先生が相談に乗ってくださった。そして、なんとその場で一曲見せてくださったのである。

ダンサーとして、彼女には他の人たちと全く異質の空気が宿っているとわたしは心底感じる。それは、技術などではもちろんない、間違いなく内面から自然と湧き出てくる強い空気なのだ。

二分半ほど。
わたしは圧倒されてしまった。
このひとは、どうしてこういうひとつひとつの動きだけで、すべての時間とか空気とか、そういうものをまとってしまうのだろう。
ベールがうつくしく宙を舞う。
そのベールには魂が宿っている。ふわりと舞い落ちれば、遠い異国の時間や歴史を切り離して持ってきてしまったような、そういう感覚。

ほんとうに、ほんとうにぜいたくな瞬間だった。
たったひとりの観客として。



で、その結局、ネタは間違っても誰もわからない振り付け、つまりジンバブエのクラスで習っていたやつにすることにする。でも、わたしの好きな曲。
わたしにもいつか、誰かを圧倒させるダンスができるといいな。


明日は、満月なのかな。

2007年09月26日(水)



 霧が晴れるような気がしたよ。

もう、繰り返し繰り返しエルマリカをやっているのだけれども(家でもやってるし電車でもイメトレしてるし)、振り付け自体は全部だいたい覚えているものの、どうしても細かいところがうまくいっていないのだ。

で、今日、先生が言ったことばで、自分の弱点が総体的にわかった。お、おおっ・・・そうか!って感じで霧が晴れました。
わたしの弱点というか癖のせいで、ちょっとおかしな関節が痛んでいるわけです。そこを直していかないと。

なんだかこうしてベリーダンスにはまっていて、踊りの奥深いところと背景的なものと、どんどん知っていくことがとても大切な気がしている。もちろん、一見わたしがいままでやってきているキャリアとか、そういうところには直接関係ないのだけれど、大切なところがつながっていると思うのだ。

やっぱり、人間が生きているということはつながっている。
芸術も、それを育ててきた風土があり人間がありその歴史がある。そういうこと。

で、案外自分がやってきたことも、実はすごく自分自身を前進させているんだな、ということを思うようにしている。


今日は、一村一品運動のセミナーに出席。(詳細はブログ
少しずつ、いろんなものが整理されて、霧が晴れていく。


とりあえず、モロッコ、チュニジア、エジプト、トルコをどう訪れるかだ。

2007年09月25日(火)



 でもやっぱりうれしいんだと思う。

彼と電話。
ちょっと長電話。

自分のキャリアのことで、意見を聞いてみたかった。
彼はとても自分のお仕事のことで夢中だし(でもすごく疲れているみたいだけれど)、こういうときとても色んな話をしてくれる。ほんとうに熱心に。

頭のいい男が好きなのは、こういうとき自分にない冷静さをもって本質的なことをきちんと指摘したり、場合によっては上手に諭したりしてくれるからだ。そして彼は、わたしにとってそういうひとだ。

こういうのって、恋愛のセオリー上では良くないのかもしれないが、わたしは彼がやっぱり好きだしその気持ちはなかなか変わりそうにない。彼に、会いたい?と尋ねれば、もちろん会いたい、と答えてくれる。

その、一瞬の間。
電話の向こうの空気が、ぎゅっと収縮していくような、すとんと落ちてしまうような瞬間だ。大好きなひととの電話で、わたしは世界一淋しくなる。


でも、やっぱりうれしいのだ。
恋人じゃなくなっても、それでも、わたしはそのひとを好きなのだから。



旅に出たい。
ほんと、ひとりで。

2007年09月24日(月)



 ベッドからワニ登場、みたいな。

張り切って早起きしようとしたら、明け方に夢を見たよ。
ずいぶんリアルで恐ろしい夢だった。

いや、ベッドの木枠はそのままなんだけれども、マットレスとか何にもなくって、そこは沼なのね。


そしてそこからゆらりとワニ登場。

















ご参考までに、こんなかんじ。

きゃー。
で、わたしは逃げる。

いま、実家にいるんだけれども、かなり実家の間取りもリアル。で、母がたまたまいるので、わたしは彼女にワニさんの存在を知らせるのだ。あぶなーい!


で、ドアのところからふたりで恐る恐るのぞくと、ベッドの沼からワニが出てきて、窓のところまで行くわけ。で、何故か二足歩行で器用に窓をあけるのですよ。

こんな感じ。
ガラッとね。で、ちょっとその夜景のきれいさに驚くの。
おっ??


























そんで、ベランダに出て柵にひじをついてあごを乗せたりして、たそがれているわけです。


その様子にあっけに取られていると、おもむろにこちらを向いてにたりと笑うので、わたしと母は、反対側のリビングのほうまで逃げる。(というかマンションの外に逃げりゃいいものを)

でも、最終的には二足歩行でにたついたワニ(かなり怖い)がリビングに到達し、我々には後がなくなる。



で。



どうするかというと。




何故かリビングのテーブルに一升瓶(ラベルなし。謎)がおいてあるので、それを手にとってわたしは「闘うしかない」と思ってワニに立ち向かい、かっこよく右手に一升瓶を構えるのです。




ワニとどうやって闘うんだろう。




彼らは、水面から2メートルもジャンプできると聞くし。あごの力なんかものすごく強いんだろうし。


瓶か・・・。


で、そのクライマックスで目が覚める。


心臓ばくばくです。良く考えると面白すぎるのだけれど、いや、怖かったんですよ。二足歩行のワニ。



わたしのベッド、いつの間にボツワナのチョベ国立公園とつながるようになっちゃったんだろう。


2007年09月23日(日)



 スーパーくじらノート発足。

佐々木かをりの『佐々木かをりの手帳術』を読んで、脳みそが刺激されてしまった くじら です。実に単純なものです。

佐々木かをりさんとは、ご存知イー・ウーマンの社長さん。(このサイトは非常に盛りだくさんで面白いです)


社長であり、母親である彼女の時間管理術ってすばらしい。「自分は、自分の人生の脚本家であり、主役であり、監督である」なんて、名言。
30分単位で書き込めるアクションプランナーというのも素晴らしい。こういう手帳、以前使用していたけれど、忙しいときはこれがいちばんいい。

現在わたしが使用している手帳は、週間見開きのところが左右に分けられ、左側はさらに十字に分けられていて、右側はメモ書きができるようになっている。(手触りやサイズが気に入っている)
























この場合、十字の左側には午前と午後の予定を分けて記入し、右側には場所や備考、連絡先などを書くと整理されて見やすくなる。
しかし、一日の予定が多い場合は、ごちゃごちゃになってしまう。視覚的にも、時間の長さをつかみづらい。やはり、週間予定表は時間単位に区切られているものの方が使用しやすい。

来年からは、ベストな手帳をまた探すとする。


枝廣淳子さんの本にもあったのだが、目標を立てたらそれに向けた時間を逆算して割り出し、目標達成予定日までにどれくらいの時間があるのかを計算し、それらを実際に記入していくというのが基本となっている。

さらに、「夢」や「漠然とした目標」までも、彼女は具体化させて計算している。そうだよね。わたしもそういえば、ある国際機関に受かった場合と博士課程をやった場合と、その他いろんなものを年間時間軸に一緒に書いてみたことがあった。そうしたら、それらを実現するためにはいつまでに何をすべきかなどがわかった。もちろん身体はひとつなので、ひとつに絞ったけれど、具体的な予定をかかなかったら絞るのが難しかったと思う。

(この本の例だと、「三年後にニューヨークに住む」とかいう曖昧な夢さえ、引越しやアパートの契約日まで決めて書き込んでしまっている。もちろん、予定が変わってもいいのだ。でも予定を立てないと、三年後はいつまでたっても三年後なのだ)


わたしがすでに実践していたことがらもけっこうあったけれど(時間帯や日数に矢印を引っ張って時間の長さを書き込むなどなど)、新しくやってみようということもあった。
ともかく、「今週中にこれをやる」という予定を、「水曜日の10時にやる」などというふうに決めて書き込むようにしようと思う。本にあったとおり、わたしも作っているTo Do Listは、時間を決めない限りいつまでもチェックボックスが埋まらないままにそこへ残っていることが多い。これらを「予定」にしてしまえば良いのだね。


そう考えると、いろいろやりたいことが多いのにも関わらず、時間ってほんとうに短いのだ。具体的な計画を立てずして、夢は叶わない。やりたいことは永遠にやりたいことリストとして残ってしまう。


というわけで、早速明日から色んなことを計画してみた。


そういえば、高校生のときの受験勉強で、そうやって計画を立てていたっけ。案外、うまくいっていたんだよね。


さ。やりましょう。

2007年09月22日(土)



 何故、泣きたくなるのか。

ベッシー・ヘッドはあれほどまでに「こころの病気」で苦しんだけれど、どんどんおんなじ道をたどろうとしているわたしは、よく思う。

彼女は、わたしのように泣いたのか?

これは、あるひとがわたしに言ってくれたことばなのだけど。

(・・・そうか。そういえば。彼の言うことは、いつもとても的を得ている。冷静で、わたしなど到底およばぬほど賢い。ジンバブエのひと)


わたしの職場のポストを継いだひとから、ごくまともな社会人がする至極まともな内容の質問メールなどが来て、わたしはもちろん親切に返信する。
当然、このような精神状態に陥ってしまった直接の原因は、口が裂けてもいえないが。

でも、そのメールが来たことで、それが、あの二度と会いたくないような信じられない人間たちとつながっていると思うと、それだけでほんとうに発狂しそうになる。(わたしの先輩も、何年も経ったいまでも思い出しただけで頭にくるって言っていたんだよ。わたしだけではないの)

自分のこころに負担になるようなことは、ぜったいに思い出したくない。記憶を塗り替えたい。こころの病気に名前をつけて、薬を処方してもらいたい。
でも、社会的不正義だけは絶対に忘れないであろう。
そしてわたしは、一生この世界で生きていく活動家なのだ。わたしひとりの問題で、終わりではないのだ。
(わたしに敵意と悪意を持ついろーんなひとがやったことは、すべてきちんと覚えていますよ。す・べ・て。)



今日は、「一定のリズム運動によるセロトニンの分泌」を怠っている。身体が疲れていて、ベリーダンスのレッスンはおやすみ。でもこんなに精神状態が劇的に落ちてしまうんだったら、やっぱり欠かさずちゃんと行こう。


さあ。
落ち着け、リラーックス。リストアーップ。(なんでもメモ帳使用)

(1)図書館で借りてきた『佐々木かをりの手帳術』を読み佐々木かをりの手帖術を学ぶ。(いま、スケジュールはベリーダンス関連ばっかりなのに。でも手帖ダイスキ)

(2)フジコ・ヘミングのCDをかける。

(3)モトカレのことを妄想する。・・・あ、これは暗い。幸せ気分になれるけど、ちょっとボツ。

(3)申し込むのを面倒くさがっていたあるセミナーに参加申し込みをする。

(4)ずっと怠っていた「皆さんへのジンバブエをとりあえず離れましたご挨拶メール・英文編」を書く。(まだやっていなかったんかい)

(5)早く寝る。

ん?もう午前一時じゃないの。
カモミールティ、カモミールティ、っと。

明日もまた、ベリーダンスの世界へGO!
わたしが、わたしという人生の脚本家であり、主人公であり、監督なのよ。


2007年09月21日(金)



 めぐりあわせとか。

人生のめぐりあわせって、きっと何度もいくつもある。


仕事、ひととの出会いなど。
経験や、より具体的には、資格など。
好きなものをただひたすら求めて追求していくと、一見まとまりがないようでも、やがてそれらは水がひとつところに集まっていくように出会い、より合わさる。

一見関係ないようなもの、関係ないようなひとでも、自分にとってはそのひとつひとつ、ひとりひとりが大切な流れとなるはず。実際、いま振り返ると、この10年がむしゃらにやってきたことがどんどん合わさってきたような気がする。


なんとなくそういうことを考える。


1997年、高齢者福祉の道を志していた大学生のとき、スウェーデンを訪れた。そのときからわたしは、あることばをいつも心のなかに抱いている。



運命とは、二つの事象から成り立っている。
ひとつは、自分の内面から望み求めるもの。そしてもうひとつは外界から近づいてくる。



2007年09月20日(木)



 東京湾に灯がともる。

夕暮れどき、またスパへ。
露天風呂の大きな東京湾の夕空を見る。
そこから、海が夕闇に染まって東京ディズニーリゾートを浮かび上がらせ(火山からは煙が上がっている。それが夜になるとライトアップされる)、やがて対岸の明かりが蒼く染まった海の向こうできらめき始める。


取り出したるメモ帳の類とペンを片手に、カフェで色んなことを書き付けるのは自分の精神状態を保つためでもある。だが、人生はこういうことから少しずつ開けてくるのだよね。

それなりに自分と付き合ってきた時間も長くなってきて、それだけに「いつか何とかなるわよ」という類の、10年前も言われたような気休めを他人に気軽に言われてしまうと、思わず反発を感じてしまったり。だって、そういうこと、わかっているんだものね。ジョシコーセーじゃないんだし、ダイガクセイでもないんだし。今はプーだけれども、いちおうこれでも少しはキャリア積んできたのだよ?少しはのし上がってきたんだよね。まあ、そんなこと言ってもしょうがないけど。



だから、そういう自分ととことんまで付き合うのだ。

英国での大学院進学を考えたときも、いろいろと行き詰ってしまったときも、たったひとり、自分はカフェでメモ帳に色んなことを書き付けてきた。一覧表にしたり、やりたいことリストを作ったり。メリット、デメリットなんかや現実問題を書いたり。
そして整理したあと、あるものは獲得し、あるものはやめた。


頼むから適当なアルバイトは勧めんでください。あのね、それじゃあ意味ないじゃないのさ、いままでのすべての努力が。
(こういうふうに、いちばん気持ちが通じていないのが肉親だったりするのだよね・・・)

ものすごく忙しく働いている時期から考えると、いまはすごく「静」のとき。ちょっとした勝負どころのひとつだね。ちょっとした大プロジェクト(どっちだ?)も抱えているし。


いくつか書くべき書類等をリストアップしたので、それらに取り掛かるとしますか。


はあ、セロトニン。

2007年09月19日(水)



 夕空へ解放されていく。

このところ、電車の中で音楽を聴くようになった。
もともとはベリーダンスの振り付けのイメージ・トレーニングのために「エル・マリカ」を入れていたのだが(イメトレは実はけっこう危険である。無意識のうちに思わず手や足などがぴくっと動いたりくねったり・・・おっとやばい!みたいな)、それだけではもの足りないので、ジンバブエのムビラ奏者チウォニソ・マライレ(Chiwoniso Maraire)とか、その他もろもろ。

今日、夕暮れに似合う曲はなんとなくJohn Mayerというひとの"Clarity"だと思った。(これ
いままで朝の澄んだ空気が似合う曲だと思っていたのに。ともかく、京葉線から見る夕暮れ時の東京湾はほんとうにうつくしいのだ。


喧嘩というほどではないけれど、母親とちょっとしたことがあって自分は思わず考え込んでしまった。肉親との間にあるものって、やっぱりいつでも根深いのだ。もう30年もつきあっていれば。
母が30年抱えてきたものがあるのと同時に、わたしにも母が30年いい続けてきた愚痴というかわだかまりみたいなものが、いつしか心のなかに積み重なってきていたし、それに触れられるともう心底うんざりするのだ。それでも、執拗に同じところを穿り返す。それが肉親なのだ。

うまい付き合い方をしていようと思うけれど、母親だということで甘えがあるのか、わたしも向きになって言い返してしまうことがある。そういうとき、お互いに容赦なく傷つく。わかりきっていることがらで。
長い年月を経ると、許せるものと許せないものが恐ろしく深くなってくる。

実家を離れている期間が親とうまくいっている時間なのは、やっぱり余計なところに触れないで生きているからなのだろう。

30歳を過ぎて実家に戻るというのは、やはりこのような難しさがある。母のためには、わたしは離れたほうがほんとうはいいのだろうけれど。



19歳のころに家を出たわたしは、いったいどう思っていたのだろうか。
あまり思い出せない。






【追記】
「めろんぱんレター」に【あふりかくじら★カフェ】が紹介されたみたいです。ありがとう!ぜひご登録よろしく↓


2007年09月18日(火)



 カモミール、レモングラス。

ジャーマンカモミール、レモングラス、スペアミント。
今宵、くじらとともにあるのは、あるリフレクソロジー・サロンのスペシャルブレンドのハーブティです。とてもとても良い香り。
このところ、ほんとうに宵っ張りになってしまったので、本気で少しずつ戻します。セロトニン分泌のため。


少しずつ、頭のなかにあることを整理。
やりたいこと仕事編、やりたいこと自宅作業編、やりたいことアート編。

これらの大分類の下に、それらの実現のための長期的・中期的・短期的なスケジュールや所要時間などの項目を設け、さらには経済的なもの(費用含む)を「勘定」していくのである。

自分のこころのコントロール。これは「大切ノート」を使用。(過去日記参照)
それから現実問題の整理。ひとつずつやっていけば、何かが見えてくるはずなのだ。そして今は、そういう絶好の機会。

ともかく、ベリーダンスでお金が出て行くことが見え始めたから、少し稼がないとマイナスばかりだからね。ニューヨークの銀行口座にあるお金は動かしたくないし。


整理するためのマトリックスを書き出すと、ずいぶん気持ちが楽になる。


ほんとうに、アフリカとつながる意味のある仕事がしたいね。普通の人々が生きる普通の地球のために。


おやすみなさーい。

2007年09月17日(月)



 「ベター」を尽くす。

100%を目指すと後がない。
いつもベストではなくベターを目指したほうが、次に続くのだ。

というように、高校生だったわたしは思っていたし、いまでもこの考え方を持っている。

毎日いろんなブログや何かに目を通しているが、最近、有名な某女性企業家のブログには「ベストを尽くすとリラックスできる」とあった。自分がベストを尽くしたとわかっていたら、どんな結果でも受け入れられるとのこと。

わたしにしてみれば、ベストを尽くすと燃え尽きてしまうような気がしている。ベスト=100%というのではなく、ベスト=自分の出せる最大限の力、なのだろうけど。

カウンセラー姫野友美先生の本には、ベターを目指す、といった趣旨のことが書かれていた。すべてを出し切ってしまったら、次に続かないということだ。

わたしは、ベターを尽くす。

でも、もちろんそのためには、少しずつ物事を改良していくような、目の前の仕事に向かう真剣さが大切である。だけれど、100%のゴールはありえないのだし、そういうことは考えないようにしている。

なんか、そうやって高校生のとき成績が比較的良いほうのクラスに進級できたことを思い出した。あのころは、ニッポンの高齢者福祉制度のずさんさに憤っていたっけ。今でも、変わっていないように思うけれど。



本日は、借りてきたDVDで映画『SAYURI』を観た。
いつだったか、飛行機のなかで半分も観られなかったので。
もちろんアメリカから見たちょっと変てこで偏見に満ちていてエキゾチックな日本だけれど、その独特の世界観と色彩には魅了されてしまう。独特のアートの世界だね。

2007年09月16日(日)



 広尾で夜まで。

日付変わって15日(土)2時過ぎ。
早寝早起きを心がけているつもりのあふりかくじらです。

本日、金曜日は人に会いました。
危機的引きこもり状況でやばかったのですが、お約束していた方と会い、なんだかパワーをもらいました。レッスンが終わったあとの広尾で、もう終電近くまでおしゃべりして。

ジンバブエのこと、アフリカのこと、日本で普通のアフリカを普通の人に知ってもらうには、というようなこと。とりとめもなく。考え方とか経験とか、かぶっているところもたくさんあって、新しいところもあって、いろいろ深い話ができる相手に出会えるってうれしい。


色んなひとに会って、色んな話をすることで良い刺激を受け、自分がどういう位置にいるかとか、何がやりたかったのか、ともかくもうたくさんのことに気づかされたり、頭がちょっとクリアになって整理されたりする。


ネガティブモードはひどいし、わたしの問題は根深いのは痛いほど自覚している。でもそれは、ちゃんと医者に行くとかカウンセリングとか、ともかくきちんとしたいと思う。

(とにかく、あんまりネガティブがひどいときの日記は、いつも投票してくださる方が投票してくださらないようなのだ・・・。そうよね・・・。でもいつも読んでくださってありがとう)↓


今日のことは少しブログに詳しく書きます。




本日お会いした方は、この絵本を去年出版したひと。
とても鮮やかで、でも落ち着いた色彩で、ジンバブエの空気を丁寧に閉じ込めたような、そんなすてきな本。

ハラレの日本大使館のビザセクションにおいてもらうようローカルスタッフに頼んでいたのにおいてなかったんだよね。どうなったことやら。


『神とつながる音―アフリカ・ジンバブエのムビラ』

2007年09月15日(土)



 大切メモ帳を購入。

現在、日付が変わって午前0時半ごろ。
レッスンに出て帰宅。
やっぱりネガティブモードの日記だけでは公共のウェブ利用者(利用歴約7年)として申し訳ないと思い、日付は次の日だけど書く。
(エンピツはひとつの日付にひとつの日記)


木曜夜のレッスン前に寄りたかった例の店にはさすがに行く時間がなかったけれど(ダンス用品屋なのだけれど)、寄り道した伊東屋でノートを購入。

わたしはノートやメモ帳・手帖の類が好きなのだ。いつも数種類の用途に分けたものを持ち歩いている。

「あふりかくじらノート」(非公開版)とか「大切メモ帳」(本や誰かの大事な言葉をきちんと書き留める)とか「雑メモ」(To do list含。忘れちゃいけない名前をメモったり、気軽に多目的)など。
そして、探しまくっていたのだ。次期「大切メモ帳」を。

いままで愛用していたのは無印のA6サイズで硬い表紙のもの。適度に丈夫で表紙が硬くて、ゴムバンドがついていて、でも大きすぎず重たすぎないもの。ちょうど大切に使いたい気分になる感じのもの。手触りの良いもの。

こういう条件に当てはまるノートはちょっとあきらめかけていたけれど(無印にはもうない)、うっかり入った伊東屋で見つけた。色もきれいでちょっとお茶目な模様。そして何より、中身に罫線がなく真っ白なところが良い。重量感も手触りも表紙の方さも良い。
お気に入り。

ということで、いまどうしても書き留めたかったことばから書きはじめることにします。

新旧交代ぢゃ。

























今日の電車の中で、たまたまムーチャ・ブエナというひとの「リアル・ガール」をリピートして聴く。いままで、あれほどばらばらに壊れそうでやばかったときは、フジコ・ヘミングしか身体が受け付けなかったのに、この曲は夕暮れどきの京葉線の空に映え、ほんとうにわたしを落ち着かせてくれた。そのことが、とても意外で驚いた。

何度も何度もリピートしていくうちに、何かが少しほぐされていったように思う。




あとは、エルマリカの振り付けに集中。
どんどん深くなってくる。麻薬みたいに、離れられなくなる。



ところで、いまちょっと欲しいのはわたしの大好きな会社「ミドリ」の「トラベラーズノート」である。
とてもすてきでしょう。うっとりする。


2007年09月14日(金)



 カモミール・ティ。

夕べ、一日中危機的精神状況だったのち、日が暮れて夜になり、やがて東京湾に深い夜の色が染み込んで静かになると、やっとPCに向かって作業が進んだ。とりかかるまでが長いのだ。

そして、一気にやれば午前4時くらいに作業終了。
ほんとうに、進みさえすれば仕事は難しくないのだ。ただ、そこへ精神状態を持っていくまでに膨大な時間を要するのだ。


今日も夕暮れが近づくと、精神状態が落ちていく。

化粧をした。
レッスンに行くときは、いちおうちゃんとアイカラーも入れる。気分をアップさせるのだ。

そして、このまま教室との往復だけだと、また危機的引きこもりの狂気が自分を襲ってきているので、一日中また頭のなかがふらふらとしていたお陰で時間がぜんぜん足りないのだけれども、無理やりあるところに寄ってみることにする。行くことに意味がある。精神状態を保つために。

また、海に沈んで周りから何かがわたしを被い、そのなかでわたしはばらばらになっている。


夕べ、精神が正常になり作業ができたのは、カモミール・ティの香りが良かったのかな。一秒一秒が、不安定。一日十回は憎くてたまらない人間を思い出し、一日百回は泣きたくなる。


2007年09月13日(木)



 東京湾から吹く風。

これが、東京湾から吹く風。



















この部屋はいつも風が強くて。



今日はレッスンをさぼってまで机に向かっているのに、請けている仕事がちっともはかどらない。


精神的に乱されまくりで、またやばい状態に陥っている。どうしてわたしは、こんなに生きていくのが下手なのだろう。こんなに誰かを激しく嫌悪することができるのだろう。嫌悪の連鎖。ネガティブ・サークル。



せめてもの救いは、やはりベリーダンスなのだ。
とても、深い世界。
宗教的に、のめりこむ。




すごく切れ切れになっている心と頭のなかは、自分がもうどこへ旅に出たいのかすらわからない。


旅に出るにはパワーが足りないみたい。
彼に会いたい気持ちばかりが痛いほど募る。
幸せそうなお母さんと子どもなどを見ると、心のなかで何百回も毒づく。


この散り散りになっているかけらを、よりあわせることからすべきなのだろうか。人生のコマを進める一歩は、とても踏み出せる精神状態ではない。



2007年09月12日(水)



 生活と食事とセロトニン。

起床早め。
食事バランスよく。朝食きちんと。

わかっているんだけれども。


とりあえず、カウンセラー姫野友美氏の本で頭のなかを整理。
これは、生活と精神の持ち方。
最近、不眠気味。わたしと同年代女子にはよくある話だそうで。


それから、ひとつずつアイディアを書き出していく。
こちらは、キャリアのほう。やりたいことを形にするには、ステップが必要だ。



今日は怒り思いっきり大爆発。
この「怒り」というものはやっかいだ。実にばかばかしいとわかっているのに。こうやって生きていくと寿命を縮めそうだ。

くだらん。

わたしの中の、どうしても許せない怒りポイントに触れる人間にはやはり怒り爆発になってしまう。いままでどれほどきつい言葉を吐いて人間関係を壊してきたことか。
そしてそれは、友人だったひとを数年後には悪魔呼ばわりして切り捨てるベッシー・ヘッドにそっくり。

わたしには嫌いな人間が多すぎるな。
そして、病的に執念深いのだよ。


ああ、セロトニン。

アドレナリン。


2007年09月11日(火)



 エル・マリカのリズム。

エル・マリカという曲の振り付けを練習している。
ベリーダンスのクラスで。

この曲は振付師のYousry Sharif(よく知らないけど日本にも来てワークショップなどしているらしい)のものだそうで、少し長く演奏時間が6分ほどである。それにみっちり振付けがついているものだから、まず覚えるのに苦戦している。

それでも、良く考えられた振り付けは、楽器の音に良く似合い、音楽を身体で奏でるベリーダンスという面をとてもうつくしく表現できるようになっている。


何度かレッスンを重ねていくうち(今月はフリーパスなのでずいぶん通っている)少しずつ覚え、前半の振り付けはだいたい覚えた。前半は、少し余裕を持って「表現」を意識しながらできるようになった。あとは後半だ。
この一曲を仕上げると、ずいぶんレベルアップできるような気がする。


ベリーダンスだけでなくとも、ニッポンは「技術」を前面に押し出す文化があると思う。習い事など、音楽や踊り、語学などでも、師匠について基礎から技術を身につける。わたしの通っているベリーダンスクラスもそんな感じだ。

ジンバブエのベリーダンスクラスとのもっとも大きな違いは、この「技術」を重視するか否かにある。ジンバブエでは、まず丘の上にあるすてきな家のテラスで夕日を眺め、月や星を眺めながら、基礎のレッスンをした後は生徒の自由な発想にまかされていた。
それは、百人踊れば百通りと言われる「即興」重視のベリーダンスの神秘性や表現力を大切にしたとても良いレッスンだったと思う。「深み」や「艶」の部分である。

しかし、わたしには技術がずいぶん欠けているということを、いまのベリーダンスクラスで知った。周りの生徒さんはとても上手に踊り、その姿を見ることはとても良い刺激になっている。

技術は大切だ。
でも、ほんとうにベリーダンスを愉しみ、かつそのダンスで魅せるには、技術が血と肉に沁みこみ音楽が身体の中から自然に出てくるようになってから、自然に「表現」や「神秘性」を体現できるようになるそのときであろう。そのためには、まずこの曲を仕上げて自分のものにしたい。


「エル・マリカ」とは女王の意である。




=========


ここで聴けるようです。

2007年09月10日(月)



 調製が好きなの。

これ。









調製しとんねん。









豆だよ、マメ。










イソフラぼぼん。









写真集『豆乳とわたし』。出ます。

たぶん。



 =====

今日、三年ぶりくらいに弟2に会った。
紫色のズボンをはいていた。


夜、NGOの仕事(サボっていた)をやっつける。
意外と簡単に終了。

座右の銘は、「さっさと取り掛かる」だ。
こんな写真撮ってる場合じゃなくってね。


指輪は、パトリック・マブロスだよ?
ジンバブエの。

2007年09月09日(日)



 ベリー・フュージョン。

渋谷でHabibiのベリーダンスを観た。

























わたしの通うベリーダンスクラスでインストラクターをつとめるひとたちでもある。こういうイベントって久しぶり。
そして、ベリーダンスの可能性の広さというのも感じた。

ダンスは、技術も大切だけれども、何よりも愉しむことが大事。そして、そのハッピーな気分が客にも伝わるということが大切なのだね。


右上は、Habibiの頭飾りにあった羽根。
DJの方が頭にそっと挿してくれた。


午後、ベリーダンスのレッスンを終え、渋谷でひさしぶりにブックファーストへ行った。(ところで、木村拓哉はいったい何冊の雑誌の表紙になっているのだろう。すごいひとだね)
ベリーダンスの雑誌と言うものを発見。イカロス出版、すてき。
こういう雑誌が創刊されるほど、ベリーダンスは日本でポピュラーになってきたんだね。表紙の写真、すごくすてきです。

今日は、ベリー三昧。



2007年09月08日(土)



 東京湾の風と夕空。

こんな東京湾って初めてだ。

台風の名残か風がとても強くって雲が流れていって、あのトウキョウベイ・ブルーが空を夕闇へ染めていく。

そして、露天風呂。
しかもヒノキ風呂。


舞浜ユーラシアである。

平日だからか人も少なく、女たちのおしゃべりもほとんどない。
ひとりで湯に浸かり、空を眺める。

東京湾に陽は沈み、やがて遠くに夜景が輝き始める。
あの独特の色。

ひとりで、ぼんやりと考えごと。
風呂につかって、空を見上げながら。


わたしは日本に住んでいるんだなぁ。






2007年09月07日(金)



 ウチとソトの悩み。

今日はブログ『あふりかくじらの自由時間』と同じ。
台風が直撃中。ベリーダンスはおやすみ。

=====

日本語の尊敬語や謙譲語の使い方ってトリッキーな感じだ。
普通の人は、もちろん社会人になって仕事をしていく上でいろいろと覚えていくわけだ。

で、日本語の敬語に大切なのはウチとソトの概念。尊敬とヘリクダリだ。

(ちなみに、以前の職場ではこの使用の仕方が偉く一般常識と違っているという変わった風習だった。すごくやりづらい。まぁそれはともかく)

いつも思うのだが、わたしの所属しているNGOの事務局スタッフの人たちはいつも丁寧だ。でも、会員に対して自分たちをヘリクダルという傾向にある。もしかしたら、けっこう若い人であんまり敬語の使い分けをわかっていないのかな・・・なんて思うこともある。

たとえばわたしは、そのNGOの設立当初からかなり活動してきて、一時期は自分で事務局担当をしていたこともある。最初のウェブサイトも作った。
ジンバブエに二年間いる間は、会合に物理的に参加できないということもあり、ちょっとした仕事しかしていなかった。その間、新しい事務局のスタッフの子たちも何人か入ってきた様子。

すると、何か仕事をした際、とても丁寧に言われてしまうのだ。

「この度は、ご協力大変ありがとうございました。今後とも○○(団体名)をよろしくお願い申し上げます」

わたしは、んんん〜?って思ってしまう。それはおかしいんでないの?

あなた方はわたしを直接知らないかもしれないが、わたしはずっとその団体で活動をしてきているし、第一、事務局=団体そのものではないのだ。自分もその一員なのだ。そして、その活動を築いてきたひとりでもある。
事務局にお礼を言われるというのはおかしい。あきらかにこちらを「ソト」と見ている。でも、わたしの心の持ち方としては完全に「ウチ」である。

ここでさらにトリッキーなのは、会員それぞれのかかわり方が違う、ということだ。
つまり、お客様的にちょっとだけ関わっているひともいるということ。よって、「ソト」扱いがしっくりくるという場合もあるのだ。

嗚呼、難しい。

この話、事務局のひとりの子にしたこともあるんだけれど、他の人はそのまま。
うーん、こういうこと言うのは小姑みたいかしら。
でも、わたしにしてみれば、その態度はしっくりこないんだよね。
どうしたものかしらねぇ。


2007年09月06日(木)



 やわらかな休日の過ごし方。

身体に疲れが溜まっている。

いままでの積み重なったものと精神的なものもさることながら、物理的にベリーダンスのちょっとレベルの高いクラスを連日受けたりすれば、そりゃあ身体に疲れも溜まるのだろう。

今日はぐったりしていて、たびたび睡魔に襲われた。あるスパに行って癒そうと思ったけど、それすら面倒くさくなった。それで、一日中、ちょうど仕事がお休みだった弟1とともに意味もなく地元をうろつく。コーヒー飲んだり、ギター屋をひやかして28万円のギブソンをかき鳴らしたり(弟1はギターが奇跡的に上手い。くじら目に見て)、ホストのような細身のスーツを見たり、ファンキーでキュートな伊達メガネを買ってみたり。(弟1は稲垣吾郎のように見える。って言うと嫌がる)

なんか、そのように「時間だけはたっぷりある」的休日の過ごし方って、あんまりしていなかった。もっとも今は毎日が休日なんだけれどもね。
そしたら、身体の芯の方にあったなんだか重たいものが、少し抜けていったような気がする。

フレッシュネスバーガーで、カメラ雑誌をみてずっと写真について語ったりしながら。


今日、ある書類を仕上げたのでとりあえず今週のひとつの課題はクリア。いまは、NGOから請けた仕事にかかっている。
でも、早寝早起きを心がけているので、もう寝る。(いま、2時過ぎ)


それにしても、激しい雨は気持ちがいい。
が、台風はまずいだろう。明日の夜に関東上陸するとなっているが、ベリーダンスのクラスに行きたい。どうしたものか。



わたしは、来月の今頃、何をしているのだろう。
誰と一緒に、やわらかな休日をすごすのだろう。





2007年09月05日(水)



 しみじみマリ・クレール。

ファッション雑誌を手に取るのってものすごくひさしぶりかもしれない。今更ながら『プラダを着た悪魔』を十回くらい観たからかしら。

最近購入して部屋に転がっているマリ・クレールの「悶々と襲う”孤独不安”から逃れたい」という特集を何だか冷静に見てしまった。

「孤独や不安をひしひしと感じたら、早起き型にする」ということだそうだ。それによると・・・

「孤独&不安のスパイラルにはまってしまっていたら、脳の中のセロトニン(くじら注:セロトニンとは)不足の可能性あり。日常生活が営めないほど不安、という人は専門医に相談すべきだが、考え出すと止まらないという程度の人は、まず早起きを意識してみよう。朝起きたらカーテンと窓を全開にして太陽に向かって、深呼吸を。朝陽を浴びるとセロトニンは増加する。また、ダンスなどのリズム運動も効果的」

・・・ということだそうだ。

おお。セロトニンというのか。

これ、病的に不足してます、わたしの場合。
そして不安で不安でたまらないもの。いつ自分の感情が壊れるかが。
そして、内臓を容赦なく圧迫するかが。そして他人を傷つけ自分が傷つくかが。四六時中、わたしはこのような不安の中にいる。
実際に、社会生活に弊害も出ている。人間関係をことごとく壊したし。


最近、恐るべき夜型になってしまったので、これを変えるべくちょうど少しずつ時間を巻き戻しているところだった。
でも、必ずといっていいほど、明け方に夢を見る。いい夢か、悪い夢かは、どちらともいえないような感じ。

早起きが大切ということはよくわかる。
早朝、あのルプララの岩を登って、天空の眺めの中でヨガの呼吸法をしたように。


そして、ベリーダンス。


これで精神状態が治るとか、問題が解決するとは思いたくない。
でも、解決させようと思ってできるものではない。できるだけ、考えないようにするしかないし。カウンセリングに行ったら、きっと自分の感情が壊れるんじゃないかと怖くて行くこともできないし。


カモミール・ティを飲んで、眠る。

2007年09月04日(火)



 コクソウケンに行く。

二年ぶりくらいにコクソーケン(国際協力総合研修所)の図書館へ行った。
たいした調べ物でもないのだが、時間をかけてわざわざ出向いてみることにした。黄色い電車に乗って、市ヶ谷だ。

いまは時間に余裕があるので、ちょっとした丁寧な仕事ができる。これって心地が良いものなのだ。季節は涼しくちょうど良い感じ。


自分にいくつか小さな課題を課して、今週を過ごそうと思う。
ひとつは、この書類を仕上げること。
そして、TICAD市民社会フォーラムの作業を請けること。(これをアルバイトと思っている方!無料なのですよ)

さらには、もちろんベリーダンスに通いまくること。
今月はフリーパスを購入してしまったので、毎日のように行きます。すごくエキサイティング。


こういういい状態になったら、彼に電話をかけてもいいと思う?


あとは、どこへ旅に出たらいいのか、これだ!という瞬間が来るのを期待している。温泉かな。文豪のように湯につかり部屋にこもって執筆する?


2007年09月03日(月)



 お家へ帰ろう。

明け方に見た、温かい色合いの夢。

どこかの劇場で、夜、入り口の扉のところで待っているわたしがいる。
場所は英国?
温かな色合いの明かりが灯り、やがて映画か何かが終わってたくさんの客が出てくる。皆、コートを羽織ったりして、冬なのだ。

そして、ひとの流れの中、劇場から出てきた彼がわたしを見つけてくれる。


別れて一ヶ月。
ずっと会っていなかった。


わたしを見つけ、ちょっとうれしそうに、おっ?といったような感じで笑いながら眉をひそめたりして、彼はすいっとわたしのそばを通り過ぎる。
そして、建物の陰で携帯からわたしにメールをしようとする。
そのうしろ姿をつかまえ、黒っぽいスーツにコートを着た彼の肩に、わたしは甘えるようにあごを乗せる。彼のコートのにおいがする。


優しく包み込むように微笑む彼。

そして彼は、世界一優しい声で、帰ろう、と言うのだ。


帰ろう。


そして、手に持った袋をちょっと上げる。



ワイン。



わたしは、彼の左腕をとり、ほんとうに幸せ一杯にふたりで歩き出す。


そういう夢だった。



2007年09月02日(日)



 名刺アイデンティティ。

大学を卒業してから、個人の名刺を作っている。
そのときどきで内容は変わるが、基本的には「アフリカ」というコンセプトが伝わるように。

会社などに所属しているときには、名刺を二種類持つことになる。
組織用、そして、個人用。

組織の名刺を出せば、その組織の名前がイメージとしてついてしまい、必ずどこそこの誰々さん、というふうになる。
(実際、わたしを例の会社のOLとしてしか思っていないひとは、ジンバブエの仕事をしたとき非常に驚いていた)
それが嫌で、仕事以外の場所では、わたしはわたしの名刺でアイデンティティを訴えていた。


また、新しい名刺を作っている。


いつか、二種類の名刺を持つのではなくって、やがてこれらが一種類の名刺になってくれればいい。そういうふうに願って、次のステップを踏み出そうとしている。



9月だね。

2007年09月01日(土)
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