あふりかくじらノート
あふりかくじら



 今週末からはじまる。

金曜日。
精神状態相変わらず不安定。
ひとりで昼食に出て、仕事を黙々として、ほとんど誰ともしゃべらず。

夜帰宅して例によって停電。
いじけてシリアルを食べたところでなんと電気が早めに復活。くやしいので、蕎麦を茹でてほんのちょっとだけ野菜炒め作って食べた。温かい食事をしないと、気持ちがおさまらないのだ。

電話で、彼にいじけたことを言った。
ほんとうに、わたしは可愛くない。(注:可愛いという年齢でもない)
遠くに離れていると、心がすれ違いやすくなる。もう丸一年近く会っていない。

でも、電気がもどったのでいじけながらPCを開いてメールチェックしたら、彼からメールが入っていた。ちゃんと心が通じていて、すごく心配してくれていた。ブス丸出しだったわたしの心が、温まった。

わたしを思っていてくれるひと。
彼だけじゃなくても、いろんなひとがいる。
なんてありがたいんだろうと思う。

ただ、心がそれほど広くないし、余裕もないの。
それだけのこと。

月明かりがものすごくまぶしい。
週末、お出かけの予定はない。
なので、ひとりでパトリック・マブロス(シルバー・アクセサリ)のお店に行こうと思って、さっきパトリックに電話した。パトリックは、いつも外国を飛び回って忙しいけど、ハラレにいるときはとびきりサービスしてくれたり、アクセサリをセミ・オーダーメイドにしてくれる。

そんなパトリック、満月の光を浴びながら森のなかに立つうつくしいインパラを見たはなしを聞かせてくれた。なんてすてき。息を呑むようにうつくしいのだろうね。

そして、7月が来るとわたしはジンバブエを去る。
このことをパトリックには言っていない。


今週末から、時間の濃度が変わっていく。

日本にいるときのわたしの精神状態は、きっと今よりずっと悪いものになる。
家族や恋人など、会いたいひとたちに会える以外、とくに何もない。

2007年06月29日(金)



 パワーカット・ブルー。

気持ちがとくに沈んでいるときに停電だと、ますますブルーな気持ちになる。夕べはめずらしく停電もしなかったので、簡単な炊き込みご飯とサヤエンドウを胡麻油で炒めたものなどを作ることもできた。
今日は、一瞬たりとも電気がきません。

もう電気がないとわかっていたので、帰ってきてすぐいつも車を洗う場所で、借りっぱなしだったジェリ缶のディーゼルを車に注ぎ、空っぽになった缶の外と中を洗った。電気はついていないけれど、月明かりが信じられないくらい明るかったので作業はできる。


寒かったけれど、夢中でごしごしと油っぽい缶の表面を洗った。なかなか落ちない。また、ごしごしと。
自分でもおかしいと思うけれど、こういう作業をすることにより、心に整理をつけている。明日にはジェリ缶を返し、もうこれっきりで縁を切りたいとさえ思っている。いま、周囲のひとたちほとんどに対して、わたしはそう思っている。もう、何もいらない。


どうか、わたしなどいなかったことにして、平和にやってほしい。
二度と、心など通わせなくていい。
ひとこともことばを交わさずに、わたしはここを去りたい。

2007年06月27日(水)



 旅は癒しと言うよりも。

ともかくブラワヨにひとりで行ったことは、少なくともわたしの精神状態には何かしらのプラス要因をもたらしたように思う。
延々と続くハラレからブラワヨまでの440kmあまりの道のりを片道5時間かけてひとりでドライブしたことで、結局、自分がドライブをするのが案外好きだということも再確認したし、何よりもこのアフリカの大地と一体感のようなものを味わうことがどれほど自分にとって心地よいかがわかった。
これはひとりでなければ得られなかった感覚のように思う。

そして、何も余計なことを考えずに、「その場所」へ行くことだけを純粋に楽しみに過ごす時間は、なによりも大切な豊かなもののように思えた。

延々と続く道。明るい日差し。ブッシュや、白い雲や青い空。運転マナーのとてもなっていない巨大なぼろいバスにどきどきする。(せまい道路で彼らとすれ違うのはほんとうに危険極まりないのだが)


ブラワヨの街の中、一度泊まったことのある小さなロッジに早めにたどり着き、ベッドでうたた寝したあと、ご飯を食べてシャワーを浴びて、トレーナーとジャージに暖かい靴下(滑り止めつき)でぺたぺたと歩く。
この、包まれたような温かさに幸せになる。清潔なシーツ。親切な宿のひと。
そして何より、何年もあこがれていた「その場所」へ明日いけるのだという純粋な喜び。


旅は、それ自体で癒しなのではない。
こころに何かしらの栄養を与える、ひとつの作業なのだろうと思う。

わたしの心の深いところが癒されたわけではないけれど、なんと説明したら良いのか、わたしは「その場所」に静かにひとりで座って、ほんとうに大切な一瞬を味わったのだと思う。それは、わたしの心に確実に何らかの作用をもたらした。


『ゼンゼレへの手紙』というジンバブエの作家ノジポ・マライレの作品に出てくる、キレネ・ミッションというところである。


そこには、アフリカ人の天使、アフリカ人のマリア、そしてイエスがいるのである。





メルマガにも書くつもり。

わたしはこの週末をぜったいに忘れないであろう。






おまけ。
パッカーズ・ロッジのわんこ。




========

写真は、一部だけブログ『あふりかくじらの自由時間』に載せました。

2007年06月25日(月)



 帰属意識とは。

夜、ベリーダンスのクラスの人たちが集まって、某ヨーロッパの外交官の自宅でDVDを観る会を開いた。食べ物を持ち寄って、びっくりするほどすばらしいパフォーマンスをDVDで流し、自分たちも踊りながら。
キャンドルライトに照らされて、神秘的な雰囲気の中で、ほんとうにベリーダンスが好きな女性たちがあつまって。

わたしは、こうして踊っているとき、何も考えずに幸せになれる。
そして仲間たちと心から楽しみ、笑うことができる。

いつも、こうだったら良かったのにと思う。

今週、精神状態は一気に下り坂。
今日は、とてもではないが他人と会える気持ちになれなくって(泣いて顔を腫らしていたので)、ビジネスランチをキャンセルしてしまった。

そして、小さなこととはわかっているのだけれど、やっぱり予想していた通りのことが起こり、予想していた通りに深く傷ついた。救いようもない気持ちになった。疎外感。
やっぱりわたしはここに所属していないんだという気持ち。

そしてまた、職場の子に起きた重要なことも、わたしは二日間も知らされることがなかった。そのこと自体もショックだったけれど、それを知らされないほど「遠い」わたしの位置もショックだった。

思っていることを言って相手を責めるくらいなら、何も言わずに黙っていたほうがいい。そしてひとりで深く傷ついているほうがましだ。相手を傷つけずにすむ。もちろん、相手を傷つけないということは、これ以上自分自身を傷つけないという意味でもある。


わたしはきっと、誰のことも「友だち」と思えていないのだ。
だから何もかもシェアして分かり合うなんてこともしたくないのだ。それだったら、すべて切り捨ててしまうほうがいい。そう思っているのだ。二度と話を交わさないほうがいい。


もう、たくさんだよ。



明日、ブラワヨに行く。
ひとりで。

2007年06月22日(金)



 旅すること。

言えなかったけれど、というよりも言うべきではなかったし、言ったところで何も意味はないとわかっていて言わなかったけれど、わたしは正直言ってひねくれているんだろうか。
ともかく、ちょっとしたひと言で、ほんとうは深く傷ついたんだよ。

おっしゃるとおり、わたしは「すぐいなくなる」よ。
だから、皆の携帯番号すら知らないよ。そしていらないよ。

ああそう、じゃいいわ、って思ったんだ、ほんとうは。
わたしはすべてを切り捨てるから勝手にすればいいじゃないと思った。わたしはここに「所属してはいない」から。そして、わたしなどいなかったということで平穏に暮らせばいいじゃない、って。そして携帯で電話をかけあえばいいじゃない。

自分に優しさを向けてくれる人すら、わたしは憎らしくさえ思う。
この生活を捨てて、去ってしまいたい。
今の人間関係は、仲良くしているように見える人たちですら、わたしには苦しくて仕方がない。すべてを切り捨てたいと、冷酷な自分が何度も襲う。

早く去りたい。
お願いだからもう、優しくしないでほしい。
何もわかっていないのなら、その優しさはわたしをただ単に苦しめるだけだから。みんな、いいひとなのだから。だからわたしとは関係のないところで生きていってくれればいい。


今日は、『屋根の上のバイオリン弾き』のミュージカルを見ながら、泣いていたんだよ。ひとりのリビングで、寒い部屋を小さなヒーターで暖めながら、泣いていたんだよ。わからないかな。
もう、フジコ・ヘミングしかわたしの心は受け入れられないから。



旅をすることは、読書をすることと同じようにプライベートなもの。
そのことがどれだけ大切なことか。
誰かと一緒にする旅は、根本的に意味が違うんだよ。それは、そのひととの時間のためにする旅なのであって、わたしが感じている「場所」への感覚とはまったく違ったものなんだよ。

旅する目的も愉しみも違う人間が、わたしのプライベートな旅をシェアできるはずがない。でも、そのことをまったくわかっていない人間に、うまく説明なんてできない。だからごまかしている。だから、どうか余計なことをして自分の価値観でわたしの旅を乱さないでほしい。

どうしても侵されたくない領域がある。
それが、旅することなのだから。


だから、ブラワヨへはひとりで行くんだよ。
行きたい場所があるから。


「場所」なんだ。「人」ではないんだよ。


やっぱりわたしは、いつだってどこにも「属する」ことができないのだなぁ。必ず、こういう風になってしまう。そして、周りの優しさに傷つく。



こんなわがままなことばかり書いて、今日はもう無責任に眠る。
明日には、この頭が狂ってしまいそうなくらいの気持ちが晴れていればいいなと願う。


今日は許してね。

2007年06月20日(水)



 コンソレーション「慰め」と困惑。

誰かの誕生日を、誰かが作ってくれた手作りの料理とデザート、寄せ書きのカード、そして年齢をかたどったキャンドル(子ども向けだけど)でささやかに祝う。

いつもいつもそうだったけれど、同じ人たちと同じ時間と場所を共有するということは、もうない。そして、わたしはすでにいまこの瞬間すらを懐かしいと思ってしまうと同時に、早く思い出にしてしまいたいと思っている。
だから写真を撮る。
その写真を心から愛おしく思う。
もう二度とないから。そして、わたしはまた去って、まったく新しい別の自分になるから。
後ろは振り向きたくないし、そこにはもうわたしの居場所などないから。


こういうことは、何度もここに書いたような気がするけれど、また繰り返しそう思う。いまはそういう時期なのか。
来月末、ここを去る。


バースディは別のひとだったけれど、周囲のひとがわたしに気を遣ってくれているのがわかり、途端、やりきれなくなった。とても淋しい気持ちになった。周囲のひとの優しさ、愛すべき人たち。そういうものに囲まれた幸せなわたしは、どんどん淋しくなるのである。虚しくなるのである。

わかっている。

でも、これは自分が悪くした人間関係のせいなのだ。
そのことだけが理由なのではないけれど、いつもならそこへいるべき誰かが今日はいない。その不在が、苦しかった。どこにも逃げ場のない、この苦しい気持ち。誰のせい?わたしのせい?相手のせい?

だからすべてを切り捨てて去りたいとすら思う。
過去にしてしまいたいとすら思う。

わかっている。でもそれだけではだめなのだ。
まったくもって、だめなのだ。

それをするには、わたしは弱すぎる。
そしてわたしは今、人生の中でいろんなことが複雑に絡み合って、すっかりくたびれ果てている。



このところ毎日ベリーダンスのためのアラビアンな音楽をかけては無意識に身体を動かすということをしていたため、忘れていたのはフジコ・ヘミングの音だ。

リストのコンソレーション「慰め」第3番、そして、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』を、フジコが彼女にしか出せない指先の音で奏でる。彼女のピアノにしか出せない音なのだ。奇跡のように、わたしはこの音に吸い込まれる。他のピアニストではぜったいにだめなのだ。
今夜は、ほんとうにこの困惑と虚しさをフジコ・ヘミングに包み込んでもらいたい。



そして、誰か、そばにいてください。
でも、ほんとうは誰にもそばにいてほしくなどないのです。


その、繰り返し。

2007年06月19日(火)



 悠久の石壁、そして夕暮れ。

ジンバブエに暮らして、なんだかんだともう1年10ヶ月ほどになるけれど、グレート・ジンバブエ遺跡を訪れたのは、なんと初めてである。

グレート・ジンバブエ遺跡は、ハラレから300キロ余南下したマシンゴ郊外にある大きな石の遺跡群である。13世紀から15世紀頃の王国の名残で、王や民の住居跡があり、当時の生活や交易のあとなども残されている。中国の陶器や、ヨーロッパのガラスビーズなどがあり、さらに鉄製の器具類もあり、かなり進んだ文化として注目を集めていたが、発見当初、このように進んだ建築物や鉄器を扱う文化はアフリカにはありえないとして、エジプト辺りから南下してきた人々が作った王国だなどという学説が、植民地時代にはまかり通っていた。

(そんな遠くから来てどうしてこんなところに国をいきなりつくるのだ)






これほどの規模の建築物を作るのは容易ではなかろう。

静けさに満ちたその遺跡にたどりついたのは、もう日も傾きかけたころだったから余計そうだったのかもしれないけれど、悠久の時を経て、ひとつひとつ積み上げられた石の壁が、その昔これを作り、ここに生き、ここで死んだ人々の念のようなものが感じられる気がした。

王の権力、民の暮らし。壁の中で行われている儀式の数々。
預言者の語り。

静かな空気の流れが、耳の奥に聴こえる。
誰かの声すら聴こえるような気がして、どこか厳かな気分にすらなる。
わたしはここの人たちをリスペクトしなくてはならないのであろう。この国に降り立ち、わたしは今現在、この土地に立っている。

手のひらを伝い、ぎっしりと積まれた壁から流れ出てくる気の遠くなるような時間。そのあと、この国とこの国の人々は、長い歴史を経た。


ジンバブエとは、ショナ語で大きな石の家という意味がある。




============

写真もう少しブログにアップ。

2007年06月17日(日)



 いらないお札、交差点の子ども。

週末にマシンゴ方面へ出かけるので、どんなオフロードでもがんがん疾走してくれる(させている)愛車カローラ(いまでは、バックミラーに「ニャミ様」つき。過去の日記参照)にディーゼルを入れるべく、ハラレを夕日に向かって西へ西へと進むのであった。

今日のBGMは、昔初めて南アフリカを訪れたときに買ったいちおしのCD。ヨハネスブルグのジャズである。ベースラインという、ヨハネスブルグのライブハウスの録音。これをわたしはいつも聴いてきたし、なんだか昔のことを思い出したりしてきゅんとなる。


わたしがベリーダンスにうつつをぬかしている間にも、ジンバブエの経済状態はメルマガブログに書いている通りにひどいもので、街にはストリート・チルドレンなどがたくさんいて、しょっちゅう声をかけてくる。
交差点には必ずといっていいほど彼らがいて、赤信号で停車する車に寄ってきては窓ガラスをたたいて金をせびる。
いわゆる物乞いという言い方はしたくないけれど、そうだ。

5歳にもなっていないんじゃないかというくらいに小さな子どももいれば、ティーンエイジャーのような子もいる。大人の女性が赤ん坊を連れているというケースも珍しくない。

哀れそうな顔をする子どももいれば、にこにこ笑っている子もいる。いずれも、身なりはあまりきれいではない。(まれに比較的ちゃんとした格好の子もいるが)

もらって当たり前のような顔をされると、やはり気持ちの良いものではない。そして、運転マナーが悪いひとの多いジンバブエでは、小さな子どもが車に跳ね飛ばされやしないかとひやひやする。
ここでは、道路を平気な顔して横断したり(どう考えても間に合っていないし)、交差点で物を売ったり金をせびったり、新聞を売ったりするのが当たり前になっている。あれだけスピード違反したり交通ルールなど気にもかけないドライバーが多いのに。

インフレが激しいので、小さい額のお札はあまり使えない。財布(実際には財布という代物には札束は入りきらないので化粧ポーチのようなものを使用している)のなかにたまってくると非常にかさばるので、このような子どもにあげてしまうことも、まれになくはない。

あの子たちは、こうしてもらうことを当たり前と思って、ありがたいとも何とも思わなくなるのだろう。
そして、もらえるから、また道路へ戻る。

ストリート・チルドレンとは言っても、ほんとうに路上に暮らしているのかといえばそうではないだろう。そして、組織ぐるみで物乞いをしていたり、借り物の赤ん坊やニセモノの視覚障害者を連れたりしている場合もあるであろう。

ひとりひとりの顔を見て、哀れんでいてはきりがない。
ほんとうに、たくさんいるのだ。

いまのわたしには、物乞いの要求に首を振ることしかできない。
安易に金をあげることもすべきではない。

社会に生じてしまったひずみのようなものは、その狭間に翻弄される人々の生活は、そう簡単には変わることがないのだ。

いくら同情しようとも。

2007年06月15日(金)



 うつくしい夕日とムシャ・マトンボ。

今日の夕日はほんとうにうつくしかった。
ムシャ・マトンボのテラスから向こうに見えるうつくしいオレンジ色。とても大きなオレンジ色。

今日は、ジュエリーをたくさん持ってきたひとがいて、思わずたくさん買ってしまいそうでしたが我慢。でも、購入したかったインドのサリーを、こちらは三枚も購入。なんだ。やっぱり浪費じゃないか。

あまりにもうつくしい布なので。

これらを仕立て、ベリーダンス用のレイヤーのリッチなスカートとベールにしたいと思うのです。できるかしら。

アラビックな音楽を聴いて、ノリノリに。
どうしても身体が動いてしまう。
やがて、色んなひとの色んなダンスを見ながら、わたしはわたし自身の知と肉とその躍動を作り上げていきたいと思っている。自分だけの。それでも、大地とつながっているような、夕日に染まっているような、月の光を浴びているような。


昨夜は、ひさしぶりにメルマガを書く。
ほんとうに、ご無沙汰していて申し訳ない。でも、今そんな時期なんだろうな。


そしてもう、6月も半ばに。
早いものです。
わたしの人生もまた、ひとつねじを巻かなければなりません。


2007年06月14日(木)



 キャンドルとマッサージ。

座りっぱなしでパソコンに向かい、持病の腰痛がひどくなり、肩こりもあまりにひどくて頭痛をおこしている。

今日は、ムシャ・マトンボにてマッサージ。

いつもベリーダンスをテラスでやっているすてきな家は、本来マッサージ屋さんなのである。いつものとおり停電だったけれども、キャンドルライトとマッサージ・オイルのカモミールのような香りがほんとうに贅沢だと思った。

ときどき、現実を飛び出してこうしてリラクゼーションを求めたくなる。
わたしの身体はずいぶんくたびれていて、肩こりや腰痛の元は、骨の底にたまっていくような感じにすらなっている。

ディープ・ティシュー・マッサージと聴いただけで、おお、なんだか効きそうではありませんか。

ほんの一時間だけの、癒しの旅に出た感じ。


誰もいない。
誰も、いらない。

2007年06月13日(水)



 水辺、それから時間。

幾日振りかに恋人に国際電話。
体調を崩していたことを知る。
知らなかった自分にショック。

先週の金曜日夕刻から、某近隣国のお友だちがジンバブエを訪問した。週末から月曜日の午後までを一緒に過ごす。

自分より少し年上の女性で、お互い何かこう色んな転機を迎えたり、外国生活ということもあって気づかないうちにストレスがたまってきていたり、精神的になにかパワーを消耗している時期だったことで、じつにたくさんのことについておしゃべりした。

彼女にとっても煮詰まってしまっている生活のひとつの気分転換になったことと思うし、わたしにしてみても、彼女が来るということで一泊旅行を計画したりしながら、これをひとつの「癒し」や「解放」にしたいと思ったのだ。ほんとうに、今のわたしにはこういうことが必要なのだ。

キャリアのこと、自分の専門のこと、現在の仕事と抱えている調査報告書のこと、やり残している数々のことなどに加え、いまのわたしは恋人のこととか人間関係のことなどで、すっかり心が擦り切れてしまっている。

一泊旅行は、カリバ湖に。
ザンビアとの国境にある大きな湖とダムである。
ザンベジ川が流れている。

内陸国で海のない生活など考えられないと思っていながらも、ジンバブエに暮らしている自分ではある。しかし、水辺の良さを思い出してはっとなった。心が解放されていく、あのルプララ(先月の日記参照)の感覚なのだ。とても広く、なだらかな。

わたしに必要なのは、こういう時間なのだと思う。
誰かとのおしゃべり、そしてどこまでも広い水辺。
それから、そこで過ごす何にもしない時間なのだ。

何年かに一度の、「お休み」が必要なのかもしれない。
ほんとうにプライベートな。

2007年06月12日(火)



 季節はずれの。

世界中で地球温暖化の影響か、異常気象であるというのがよくわかる。
乾季のあいだ、6ヶ月間一滴の雨も降らないはずのジンバブエに、何度か雨が降っている。今年はほんとうにおかしい。

書くべき書類を幾日もかけてやっと完成。
仕事もすべて遅れに遅れているが、もうなんとでもなれ。
というか、焦る気持ちもあまりない。

自分の専門分野っていったいなんだろうな、なんていまさら思う。開発とはいっても、開発関連の資格も取っていないし、実際に現場でプロジェクトにかかわっているのかというとそうでもない。
地道に。これから。


今日、ずいぶんと気持ちが乱れたことに参ってしまった。


わたしはいったい、どれほど他人を嫌えば気が済むのだろう。
嫌いたくない。でも、どうしようもない拒絶感に襲われてしまう。自分の中の冷たい部分が他人を切り捨て、温かい部分がそれを拾う。
繰り返し、繰り返し。


停電がひどい。電力不足はますます深刻である。
一日中。いつもは遅くとも21時ごろには復活するのに、昨晩は23時ごろまで続いた。しかも、五分だけ回復するというのが3回ほど続いた。
夕食も、つくれない。

キャンドルのストックも底をつきそうだ。


今夜はもう、くたびれた。
誰も受け入れられないようだ。

2007年06月06日(水)



 キャンドルとテントのもとで。

どこかの国のナショナルデイのお祝いといっても通用するかもというのは大袈裟かもしれないが、それなりな大きさのテントを借りて庭に設営し、キャンドルを灯して、ちゃんとお酒のバーとDJを入れるとは。しかもカラオケマシンまでとは恐れ入った。そして、プロフェショナルの"DJ"がMCを入れつつ率先して歌うなど一気に盛り上げる。

これは個人のパーティである。近いうちこの土地を去る、ある若手外交官だ。ここまでやるとは恐れ入った。

そして、どこかのクラブのように皆踊り狂い、夜はどんどん更けていく。とてもうつくしいジンバブエの夜が満ち、音楽が響く。外国人ばかりではあるが。

皆、外交官や国際機関勤務など、異動の多い職場のひとばかり。数年ごとに、すべての人が入れ替わる。この独特な感じ。なんだかとても淋しくって、でも今この瞬間をできるだけ楽しみたいとも思っている。
それから、それぞれはどこか知らない別の土地を目指して別の時期に去っていき、わたしのわたし自身と土地との関係のなかで生きていく。いつ、どこの国に暮らすかわからない。

そういう淋しさみたいなものと、それらを共有し、またこの土地に暮らすという時間を共有しているひとたちと楽しむ。ダンス好きのわたしは、もうとまりません。リズムを身体に感じ、動き出すしかありません。

この瞬間、それだけのために。

次の瞬間、わたしはいったいどこの国に暮らしているんだろう。なんて、ぼんやり頭の隅で感じつつ。


今日は、また別の誰かの送別会を兼ねた昼食〜夕食会へ。
そうしてまた、ひとり去る。


帰ってきて、また停電。
キャンドルを灯し、PCに入っているエジプトのミュージシャン「Ruby」の曲を流しながら、ケープタウンで買ってきた薄紫色のコインベルトを身につけ、神秘的な雰囲気の中で踊る。天井が高くて良い。

難しいこと、考えたくないな。

2007年06月03日(日)



 満月+1の湯船。

毎週のように旅に出ていたので、今週末は少しお休み。
考えたらずいぶんたくさんの週末を、ハラレの外で過ごしていた。長時間ドライブしたり、飛行機に乗ってケープタウンに行ったり。

ハラレの週末もいいものだ。
いくつか用事を片付けたり、いつものお店をのぞいたり、食材を買い整えたり、そしていつもの町並みを走る。また新しい道などを発見してみる。
こういうのも、ぜいたくな週末だと思う。
心が豊かになるような。

いくつか作るべき書類もあるし。
お菓子でも買ってパソコンに向かったり、ゆっくりお風呂に入るのもいい。


こうしてわたしはわたしと過ごす週末を愛する。


そして、6月は形作られてゆくのだ。
意識をどこかへ向けて。

小さなパーティにも誘われている。また誰かがこの地を去る。



今日は、ほんとうに月が明るい。
ハラレがいくら都会でも、わたしの住んでいるあたりまでくると闇夜は濃くて、月がものすごく明るく照らすのだ。
朝陽が差し込むお気に入りの白いバスルームは、月明かりも入ることがわかった。
ぜいたくに、お風呂に入りたい。

満月、プラス1日。

2007年06月01日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME

エンピツランキング投票ボタンです。投票ありがとう。

My追加


★『あふりかくじらの自由時間』ブログはこちら。★




Rupurara Moon 〜ルプララ・ムーン〜 ジンバブエのクラフトショップ



『あふりかくじらの自由時間』 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


【あふりかくじら★カフェ】 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


 iTunes Store(Japan)