あふりかくじらノート
あふりかくじら



 少しずつ、それを改良していくのである。

最近、いつも頭の中にあるイメージが浮かんでいる。
何もないところから、何かを作り出し、それを少しずつひとつずつ、丁寧に改良していくというイメージだ。

これはつまり、村上春樹の『国境の南、太陽の西』という小説がわたしの体内に一部染み込んでしまっているせいであろう。
主人公は青山でバーを経営し、それを改良したり経営「方針」を語ったりする場面が出てくる。主人公に「方針」という方針はないのだけれど、それでもただ真面目に生き、その仕事を楽しむ様子が印象的なのである。

「想像力を働かせる。
ひとつの架空の場所を作って、それをひとつひとつ丁寧に肉付けしていく」

主人公は、店の内装を大幅に変え、使いにくかったところを機能的にし、とびきりのバーテンダーに良いお給料を払う。そういう「努力」をする。村上春樹特有のディテールの描写が心地よく調子付いてくる。


最近、仕事をしている間じゅう、「少しずつ、それを改良していく」ということばがイメージとなってわたしの中にあるのがわかる。
そうすると、いい加減だったわたしが少しだけまめになる。ひとつひとつのことを考えて行動するのだ。ほんとうに小さなことの積み重ね。


主人公がバーを経営する様子は、わたしにしてみれば報告書を書くということに似ている。
つまり、海のように広い情報の山、社会の波から何かひとつをつかみ出し、手探りのままに少しずつそれを肉付けしていく。そうすることにより、あるときふっとひとつの筋が見える。そうして、「論文」の形が出来上がる。あとはそれを、どんどん肉付けしていき、いらないところは削ぎ落としていくのである。

ジンバブエで起きていること。
この国に暮らす人々のこと。

書くべきことは永遠にあり、わたしはこれを終わらせることはない。
そんななか、多くのことを無視して、わたしはひとつの報告書を書くのである。少しずつ肉付けさせ、形にして。



*******

この文章を載せようと思ったのに、ネットがなかなかつながらず幾日も過ぎ去ってしまいました。
最近のジンバブエはやばいです。
とくに電力が不足しています。毎日のように停電だわ。


2007年01月30日(火)



 ひとりファッションショー。

やってしまいました、ひとりファッションショー。
昨日書きました、アフリカンドレスです。

しかも姿見がないので、玄関先の鏡を(ビッグファイブの木彫り)ソファに立てかけてひとりで。
あほな自分に快感を感じながら。

ブログのほうは、なかなかつながらないのでエンピツに先に載せます。
最近、ネットの調子が非常に悪い。




↑これ、スカートのすそ広がりが特徴的。フィッシュ。
こういうときは、170cmの身長ってちょうどいいな。





こちらのスカートはストレート。トップがなかなかセクシー。




こんな感じ。

着てみると映えますな。


冷蔵庫が写っているのはご愛嬌。
さ、気が済んだから寝るとするか。

2007年01月24日(水)



 あふりかくじらのアフリカ・ドレス。

作った。服。
いや、わたしが作ったんではなくて、もちろんオーダーしたんだけれども、その服が出来上がってきたということ。

マラウィで買ったザンビアの布。(ややこしい。チテンゲなのかな)とてもクラシックなアフリカン風のデザインだったので、三種類買ってそのうち二枚はその模様に似合ったアフリカン・ドレスに仕立てようと思ったのである。

で、今日それが出来上がった。

曖昧なオーダーの仕方でほとんどお任せだったのだけれど、それはすてきなデザインに仕上がっていた。上下組のドレスが二着。同じ布でスカーフもあるので、頭に巻くこともできる。

不思議なもので、あのデザインは身に着けるとうつくしく映えるのである。いい気になって、職場の人に見せまくった。
ドレスがあるってよいものだ。念願のアフリカン・ドレス。
いったいいつ着るのかは、まぁ、よくわからないけれども着るときもあるんじゃないか?

うっかり職場で着ても良さそうでもある。
そんな勇気はないが。

写真はまた今度。



2007年01月23日(火)



 轟音という名の雨。

ざあーっなんてもんではない。
どどどーっという圧倒的なパワーで雨が降る。
夜のハラレに雨のちからが押し寄せる。それはもう、誰にも何にも言わせないくらい圧倒的な雨なのである。

そして、雷。
ほんとうに派手な、強い雷の力を感じる。
まるで、身体の芯が抜けてしまったみたいに、一瞬ぼおっとしてしまうくらいの雷。

雨が嫌だな、とか、そういうことを思う余裕すらない。
この地球に生きているというその躍動感を、直に感じる。


家に帰ってきて、そして圧倒的な停電です。
真っ暗です。

パソコンのバッテリが続く限り、わたしはこの雷雨の夜を書き付けます。



ヴィクトリア・フォールズの写真、アップしました。
見て。

2007年01月22日(月)



 今年、ベッシーは70歳。

生きていたら、70歳なのだな。
なんだか、しみじみ。

なんとなく、しみじみ。


わたしは結局、彼女に惹かれてアフリカに来たのでもあるし、今年はとっても節目の年なのだ。よく考えたら、わたしは30歳、彼女は70歳。
もちろん、1986年に48歳で亡くなっているのだけれど。


最近は、BessieHead.orgなんてサイトもできて、どんどんファンが増えているんじゃないかな。そして今年はイベントもある。

すごくうれしい。
しみじみ、うれしい。

我がソウルメイトのベッシーよ。
あなたの文章に触れ始めて、論文を書いたり、ひとりこっそり泣いたりしながら、もう10年もの時が流れてしまったよ。

今年、8年ぶりに会いに行く。

それはきっと、多くの人と触れ合ってわかちあえるあなたの笑顔。
そして、ひとりこっそりと胸の奥にしまう、わたしの心のなかだけの、ひっそりとしたあなたの影。


わたしはきっと、どこか彼女に近づいている。
作家ベッシー・ヘッドという女性に。


2007年01月16日(火)



 ささやかに、やさしく。

穏やかな日々を過ごしたいと願うのは、自分の生き方がそれなりに波乱に満ちた(というと怒られそうでもあるが)ものであるから、その無意識の反動なのかもしれない。

ただ、静かに、やさしく。
そしてささやかに。


仕事をひとつずつ丁寧にこなしていくことで、精神的にもどこか浄化される。ほんとうにささやかに。でも、前向きに与えられたことを精一杯きちんとこなしていこうと努力することは、精神衛生上とても良いことと思う。


ささやかに生きたい。

焦り、苛立ち、怒り。
そういうものを通り越した、もっと高い次元で。


アフリカのゆったりした大地にいるのだもの。

2007年01月15日(月)



 スコールと活字。

風邪をひいた。
立派な風邪である。

熱はそれほどあがらないけれども、身体がだるく喉の痛みも激しかった。
今日は少し落ち着いていて、そしてわたしは家から外に出ないことに決め、のんびりと本を読んでいる。
少し、風邪の症状はやわらいだ。

活字中毒気味なのは昔からだ。
そして、書くほうもまた完全なる中毒。

田辺聖子の短編小説を読み、それから江国香織の短編小説をいくつか読んだが、なんとなく「まとまり」が足りないような気がして、わたしはまた村上春樹を手にとってしまう。何百回となく読み返した『ノルウェイの森』である。
村上春樹のことばをひろっていくと、自分のなかの何かと呼応してどうしたらいいのかわからなくなってしまうこともある。そして、結局は「書く」ということに落ち着いてしまう。ときに変な効用があるので、村上春樹作品には注意が必要であると思っている。


マラウィから帰ってきて、わたしはまだどこか遠くにいるような感覚を身体に残しながら、わたし自身の日常に戻る。
ひっそり焚いているお香は「ノルウェイの森」ではなくて「カナディアン・フォレスト」だ。




彼に電話し、つかの間、その声に寄り添っていく自分の心をそのまま流れに任せておく。
わたしはきっと、好き勝手に生きている。


マラウィは懐かしいところと思ったが、やはりジンバブエに戻るとこの国が自分の住むべきところだと思いはじめる。ハラレ、ショナ語。
わたしはこの国に迎え入れられ、受け入れられているのか。

何となく窓辺にパソコンを持ってきて、光のなか、床に座ってこれを書いている。明るい空。さっきまで、重たいスコールが激しく屋根を打ち付けていた。


書くことしか、わたしを世界につなぎとめておくことができない。


2007年01月14日(日)



 マラウィの空、くじらの思うこと。

たくさんの書くべきことがあって、そしてわたしはいま、マラウィの夕べに座っている。The Warm Heart of Africaと呼ばれるマラウィの、色鮮やかなアフリカ色の町に座っている。
自分の日常生活から少し離れた、それでも初めて訪れる「懐かしい場所」。

この場所は初めてなのに、昔から漠然とあこがれていたからか、とても落ち着くのだ。

直前の精神状態が危ういものだったからか、ここにきてひとつの何かを終えた気持ちにさえなっている。

遠くにいる自分、この場所にいる自分。
ふたつのイメージが揺れ動きやがてひとつにフォーカスされていくとき、わたしはまたわたし自身とだけともにいる。
誰にも干渉できない、恋人さえも入り込めない場所にいる。
色んな音楽だけが、ただ静かにテレビから流れるホテルの一室で、わたしは自分の体内に内包されている30年分の過去を振り返りながら、その様子を見つめている。

町の人々、そしてマーケット。
最貧国のひとつとされるマラウィだけれど、その空気の活発さにわたしは安堵する。そしてうれしく思う。

リロングウェは色が鮮やかで、小さな町で、想像通りの「懐かしいところ」だった。
そして、緑と赤土の色が雨季の水分を含み、くっきりとしている。
これが、わたしのいるべきところである。
隣の国ジンバブエとはずいぶん違った雰囲気の国で、わたしはわたしの中の過去とアフリカを再確認する。
初めて訪れた、マラウィという国で。
いままでどうしても訪ねてみたかったこの国で。

わたしはこれからどう生きていくのか、考える時期なのだし。
色んな決断も、冷静に、ひとつひとつしていかなくてはならないのだ。そうなのだよ。

そして今年はたぶん、とても大きく進むと思う。


いらいらしない日々が、来るといい。


2007年01月08日(月)



 垣間見える黄金の空。

雨季とはいえ、あまりにも雨が長い気がする。

普段であればきっと、午後の30分程度激しい滝のようなスコールがあり、雷雨となり、それが去ると暑くまぶしい日差しが降り注ぐというような天候であるはずなのに、このところの雨は長く、空は日がな一日泣き出しそうな表情でハラレ上空に垂れ込めている。

のんびり過ごしてしまったけれど、気分は良い。
昼寝したり、ぼんやり書き物をしたり、それから長電話をしたり。

夕方、日があと少しで沈むころ、思い立ってスーパーに買い物に行った。無性に野菜とフィレ肉がほしくなったからだ。
肉はなかったけれど、野菜は多少買えた。

スーパーには適切なサイズと照明の明るさと配置、そして空気みたいなものがあって、それらが調和しているバランスの良い店を選ぶ。いつも行くアルンデルのSPARにはそのバランスのようなものがあると思う。この店だと、比較的わたしは落ち着くのだ。いちばん近くのスーパーではないけれど、そのへんは気にならない。

閉店間際のSPARを後にすると、18時半の空は雲が分厚くなっていて奇妙な色をしていた。それでも、西側の空の雲が切れたところに、黄金の光が輝いていた。雲間の陰影がくっきりと映し出され、光り輝き、水分の多い雲を感じさせる。

うつくしい夕暮れどき、空はいつでも違う表情をみせる。

帰宅したとたんに、例によって停電。
一時間半後、電気が戻ったので、さっき買ってきたじゃがいもやニンジンなどで肉じゃがを作る。

明日から仕事始め。
いろんなこともはじめなければならない時期。

今日は精神状態を整えつつ、ゆっくり眠ろう。

2007年01月03日(水)



 くじら2007年、ジンバブエにて。

2007年が始まったこの日、ヴィクトリア・フォールズからハラレに帰ってきました。

ひとりのフラットで、新しい年をはじめます。


世界三大滝のひとつといわれるヴィクトリア・フォールズは、水が最大量の時期ではなかったものの、とても雄大で自然の巨大な力を感じさせる圧倒的なものでした。


色んなものを見て、そして色んな刺激を受けて、ちょっとくたびれた感じがします。こうして一年が始まっていくのだけれど、まぁ、これもまたわたしの生き方です。


くたびれたので、眠ります。

向田邦子の『眠る盃』が心地よい日本語で、わたしの疲れを少しだけ癒してくれました。


今年もどうぞ、よろしくおつきあいくださいませ。


2007年01月01日(月)
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