あふりかくじらノート
あふりかくじら



 精神安定剤、みたいなもの。

精神安定剤みたいなもの。
野菜を丁寧に切って、適切なお料理をつくること。
お風呂に、ミルク色の湯をはること。
直接の利害関係もしがらみもない、嫌味でないひとと素直なおしゃべりをすること。
カフェでひとりでものを考えること。

フジコ・ヘミング。


それから、自分自身と向き合うのをやめること。


今日、マイエンピツのある方の日記を読んで、心に深く入り込んだことばに、何もかもをそぎ落とした自分の芯となるべきものを導き出してもらったような、そんな気になった。

サンキュー。

わたしは、選び取るのではなく、そこにあるものを手に取るだけなのだと思う。

2006年10月22日(日)



 パーティ・サタデーナイト。

わたしの住んでいるヴィレッジでもパーティがあった様子。
誰かの家で、大きな音楽がかかっていて、人々の踊り騒ぐ声が聴こえた。わたしも誘われたのだが、他のパーティもあったのでお気持ちはありがたくお受けし、お断りした。

なんというか、1950年代かそれ以前の音楽ばかりかかっていて、60代以上限定の方々が楽しんでおられるのですもの。(エルヴィスしかわからなかった)

やっぱり、20代から30代の若手外交官や外国人が集まったパーティのほうに行ってしまった。派手なダンスミュージックでノリノリ。


またやっちゃった。
踊り狂い。

こんな夜も、いいんじゃないの。

2006年10月21日(土)



 決断でも選択でもない。

ひとりでじっと考えていることがある。
こんなに深く、ほんとうに胃の底の方で考えていること。
怖くて、苦しくて、辛くて。そして独りぼっちな感じ。

何故か、若くして死んだ友人のことを思い出した。
その瞬間、決定的なことに気がついた。

血の通った体温のある、でも深い傷のある左手で、生きた心臓を持ったわたしはハンドルを握っているのだ。街灯などひとつもない暗い夜道を、あの日のようにアクセルをふかしながら。あの事故現場を、同じように通り過ぎているこの瞬間。

わたしは生きているのだ。

わたしの生命を、あと少しで奪ってしまうところだったあの日のことを、わたしはいつかほんとうに死ぬ日まで忘れない。死の恐怖、怒り、悔しさ。怪我と心の痛み。
時空を越えて、あの逆走してきた対向車のヘッドライトがフラッシュバックする。生きているわたしの今の時間へ、瞬間の記憶が襲う。

でも、わたしが再びこの街で生きていることは確かだ。
怪我はわたしを変えたが、わたしの生命は奪われなかった。
このことがどれだけありがたかったか。
どれだけ、どの神様でもない、神様に感謝をしたか。


こうしていると、フジコ・ヘミングに泣きそう。


わたしには、勇気が足りない。
車の中で、独りで運転しながら泣いた。事故現場を通り過ぎながら、生きているんだということに気づいて、泣いた。

そうしたら、わたしは決断を迫られているのではないということがわかってしまった。それに気づくのは、辛かった。
だけどわたしは、それを静かに選び取るだけの、なだらかな海のような心は、いまのところもっていない。
怒りや苦しみ、哀しみが暴れる。

ほんとうは、手に取るだけなのに。

あと少しの勇気が足りない。


2006年10月20日(金)



 亡き王女のためのパヴァーヌ。

ラヴェルの名曲を奏でるのはもちろんフジコ・ヘミング。
静かに部屋に満ちていって、それは深い水の中のように、遠くて懐かしい。

それは何か。
遠い風景。過去の記憶。

それらをきゅっとしめつけるような静かな和音。


身体をまかせる。
この空気に。

パヴァーヌとは、ルネサンス時代の宮廷舞曲だそうだ。


何かを、どこかに置き忘れてきた。
もう、取り戻すことのできない何かを。


そしてまたひとり、ひざをかかえる。

2006年10月16日(月)



 ジョニ・ミッチェルの空気。

ときどき、救いようのない深い絶望感におそわれる。

電話を切ったとき。
あまりにもお天気が良い庭が、リビングから見えているとき。
どこかの可愛らしい子どもをみたとき。

身体中というか、胃袋の内側とか、心臓の周りとか、脊髄の内側から恐ろしいほど重たく感じられるその実感としての絶望感。
将来のないものへ、身を投じようとしている自分にはたと気がつき、そこからは何も生まれないことを知っていた自分にばったりと出会い、瞬間そんな感覚が沸いてくる。

これほどひとを恋焦がれたことはあっただろうか。
しかし、それらもすべては、描かれない未来の幻影に身を投じた自分の本能としての感情に付随するもの。理性はそれを許してくれないはずなのに、わたしはその自分を殺す。もうひとりの自分のために。


ジョニ・ミッチェルなんか聴くからいけない。
"Both Sides Now"
それでも、幾度でも繰り返しリピートして、わたしは自分をその空気のなかでおぼれさせる。涙だって流してやる。

この絶望は、わたしのなかからなくなることはない。
あのひとに恋焦がれる限り、なくならない。

それでも、他人に対しては、いつも幸せそうな顔をする。
いつだって、幸せそうな顔をしてあげる。愛する彼と幸せなのよ、と。実際、愛し愛されることは幸せなのだもの。嘘ではないのだから。


人間が生きていく限り、孤独はなくならない。
いつからか、誰かとあらゆることをシェアしようという気持ちが消えてしまった。もう、すべて語りたいことを語ることは無理なのだ。わたしの肉体から、すべての言葉を発することは、もう無理なのだ。
だからわたしは、微笑む。いくらだって、いつだってたくさん微笑んであげる。


ひとりの人生を考えるとき、何故かわたしは英国の古いフラットでひとり暮らしている自分を無意識に想像する。実際わたしが一年間暮らしたエディンバラの大学寮は、古い歴史的な建物の内装をきれいにしたもので、室内はけっこう新しい感じの印象があったけれど、想像の中のわたしは、白いペンキのはげた窓の木枠がきしむような、懐かしくて胸が締め付けられるような部屋にいる。そこで、たったひとり食事をしたり、風呂に入ったり、眠ったりする。

大学院生だったころはとても孤独だった。
まだ修士だったからましだったのかもしれないけれど、博士課程の学生はとても孤独そうだった。あのイメージが離れないのかもしれない。
とても皮肉なことに、わたしのこころが懐かしいと思う場所のひとつは、アフリカを抜かせば英国なのだ。しかも、英国のイメージはいつも孤独な生活とともにある。


ふと現実に戻れば、自分は日曜日の夕方に投げ出されている。
さっきまで、木陰で踊りを交えながら歌を歌っていた教会のひとたちはいなくなり、静かな夕暮れどきに近所の白人女性たちがテラスでお茶を飲むおしゃべりの声が聴こえる。

ジョニ・ミッチェルがいつの間にか終わっていた。

後悔は微塵もない。
ただ、絶望とともにあるだけ。



こんなわたしを、神さまが許してくれなかったとしても。

2006年10月14日(土)



 こんな停電の夜に。

不思議な感じ。
ずっと何時間も続くのがいつもの停電なのに、今日は一瞬戻ったり消えたりしている。電力公社は赤字。なかなか、こんなにインフラの整った国なのに、こういうことって淋しい。

今日は、旅立つあの子を空港に見送り。
なんとなくしんみりとしながらも、わたしの心の中はこういう淋しいシーンにとても慣れてしまっている。

人生は、こういうことの繰り返し。

停電と電気復活の繰り返し。

2006年10月12日(木)



 明日からはじまるという気持ち。

これからひとつの場所を去り、まったく新しい生活が始まるというその感覚を、わたしはいままで何度経験しただろう。
たくさん学校を変わり、仕事を変わり、大学院に行き、そうやって暮らすうちにいつしか自分がほんとうに「所属」する場所がないのに気づいていた。
いつもいつも、いつか去るのだと思い、少し長くいると、早く出なくてはと思ったり、もうすでにこの場所が「過去」に分類されて懐かしさを感じたりする。

どこかを去るとき、自分たったひとりの人生を思い出しながら、淋しさに微笑むだけ。

それでも、わたしはたくさんの場所をそれぞれ愛してきたし、そこにいるひとたちのなかでもたくさん大好きなひとに出会えた。たったひとりで、それらに触れてきた。つまり集団や帰属の意識のなかでなく、ある種の客観的な視点で。でも冷めていたわけでもない。わたしはそれぞれに情熱的に関わってきた。そして去ってきた。

作家ベッシー・ヘッドの求めていた「帰属意識」に似たようなものを、わたしも心の奥底で求めている。そしてただひたすら求め続けるだけなのかもしれない。痛いほどに。

やがてわたしはここを去るだろう。
明日去っていくあの子のように。

そしてまた、新しい人生をはじめるのだ。
自分だけの日々を。やりどころのない「懐かしさ」という気持ちを抱えて。

まるでそれが、じぶんのことのように、何だかしんみりしている。
ノラ・ジョーンズを静かにかけながら。ひとり。


2006年10月11日(水)



 眠たい。

眠たいというタイトルで、過去、彼に何度かメールを書いている。
なんというか、間抜けな感じ。

要するに眠たいわけで。


頭を使うことってほんとうに草臥れる。
でも、眠たい、と書いたメールを送ることって、その眠気に酔いしれているうっとりとした感じがして、心地良い。

眠たい。

2006年10月10日(火)



 満月街灯。

まんまるいお月様が、頼りない街灯よりもずっと街を明るく静かに照らしていて、静かな気分で帰宅。ひとりになりたい。

くたびれることが多すぎて、どうもこのところのわたしは駄目だ。うまく自分の感情をコントロールできる人間がうらやましい。でも、感情を心の中で爆発させて、わたしは自分の人生のコマを進めてきたのだと思い返す。


しかし、月明かりをみてあのような曲を作ったドビュッシーはすごい。
"Claire de lune"
上品な降りをして、ほんとうは狂気じみたものを秘めているに違いないその旋律なのだ。海抜1,500メートルのハラレは、月に少し近いのか?


ハラレのジャカランダはいよいよ勢いを増し、道が紫色の絨毯を敷き詰めたかのようになる。花吹雪が、桜とは違って豪快だ。
それだけのことで、わたしはこの街を愛する。


お気に入りの映画『かもめ食堂』の小説版を、もう一度読み返す。
この静かなフィンランドの空気がたまらない。

ビジュアルな文章を書く、ということを言っていたのは向田邦子だ。彼女の、どのエッセイだったかしら。

取りとめのないことを考えながら、月灯りが照らす街を、夜も深まって花々の香りがいっそう濃く漂う庭の小道を歩きながら、ひとりの家に帰る。
自分ひとりだけの家。
なんと贅沢で幸せで、そしてシンプルなのだろう。


ほんとうは、彼と生きていくことができたらよいのだろうけれど、それを口に出してはこの夢が消えてしまいそうな気がする。
でも口に出すけれど。

わたしを救ってくれるものは、いったいなにかな。

2006年10月06日(金)



 ベリー・バッド・デイ。

嫌なことが重なると、精神的にぼろぼろな部分がむき出しになって、ひとりで泣いてしまったり。
ほんとうに、自分が救いようもなく、何も手につかず、誰も助けにならず、ひとりでうずくまったり。

ベリー・バッド・デイである。
涙を流してぼんやり座っているのが過ぎたころ、レセプションの女性スタッフに愚痴はじめる。ただ単に、全面的な味方になってほしいだけ。

ふと、他の女性がレセプションにやってきた。
あなた、目が赤いわ、と言われて思わず涙ぐむ。誰も気づいてくれなかったし、ほんとうは誰かに気づかれたかった。

助けて欲しいなんて思わない。
ただ、気づいてほしいだけ。


帰ってきて、自宅があるヴィレッジ内のパブに行く。
知り合いのおじいさんたちもあまりいなかったのが、帰ってよかった。
ぼんやりと目を伏せて、ちょっとキャッスル・ビールを呑んで、そしてバーマンと少し語る。

何もかも、うまくいかないと思うときがある。
絶望的な気持ちになる。

でも、ほうっておいて欲しい。
わたしには、これだけでじゅうぶんだから。
こうして、モノを綴るだけで。

メールをひとつ書いた。
あまり、説明ったらしくない、素直な気持ちだけを綴りたい。


2006年10月05日(木)



 夜になり、思い出す。

何時間か、ひとりで誰とも言葉を交わさなくて仕事をしていて、そしてパソコンを閉じ、オフィスの電気を消して出る。
エンジンをかけて、いつもの道を走る。

暑い季節の夜の空気だ。
雨季がやっと始まって、すこし湿度が高い。濃い夜だ。

ほんとうにひとりきりの時間。
車の中って、不思議。色んなことを思い出して、ふと今週職場を去った同僚のことを思い出した。
もう会うことはないのかもしれないけれど、でもあのとき彼はあんなことをいったな、なんてことを心の中で思い出す。

わたしはわたしで、また自分の人生を送っていって車を運転するけれど、わたしがふと思い出す彼のことばとか、色んなひとのこととか、そういうものは他人とシェアできるものではない。

そしてわたしは、時間と場所を、また流れていくのである。
思い出すべき、思い出ともいえないような、ささやかな記憶を心の奥底に秘めたまま。

2006年10月04日(水)



 雨降りの季節が。

だいたい半年ぶりでしょうか。
先週末から、今年の雨季の気配がやってまいりました。
一滴も雨が降らない季節から、毎日一回はスコールと派手な雷が鳴り響く季節へ。

先週末は、ハイデンシティエリアのグレンビューというところにあるショナ語の先生の家へお泊り。小さな家をいくつかの家族がシェアしていて、とてもこじんまりと小さいけれど、一応水道もあるし、あまりきれいじゃないけど行水できるところと水洗トイレもある。電気もちゃんとある。
なかなかすてきなところでした。

ハイデンシティエリアに来ると、いつもわたしは、やっと正しい場所に戻ってきたような感じがしてほっとするのです。アフリカ都市部の、ごちゃごちゃとしたあの感覚。低所得者層の住宅街。

日曜日には教会へ。
コーラスのコンテストがあったのです。

詳しくはメルマガに書く予定。


2006年10月03日(火)
初日 最新 目次 MAIL HOME

エンピツランキング投票ボタンです。投票ありがとう。

My追加


★『あふりかくじらの自由時間』ブログはこちら。★




Rupurara Moon 〜ルプララ・ムーン〜 ジンバブエのクラフトショップ



『あふりかくじらの自由時間』 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


【あふりかくじら★カフェ】 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


 iTunes Store(Japan)