あふりかくじらノート
あふりかくじら



 ハラレ、渋滞の朝。

ワンガリ・マータイさん日本で講演、だなんていっている間にもこちらでは渋滞ですジュウタイ。

どうしてだろう。
ガソリンが急に手に入るようになった?まさか。ブラックマーケットに流れているんだろうな。

ともかく、交差点が動かなくなってしまうくらいに車が混雑している毎朝なのです。ぜんぜん車がいない日もあるというのに。

そして、割り込んでくる車の強引なこと。ああ、わたしのRAV4に傷をつけないでちょうだいな。どう考えても道交法違反っしょ!っていう割り込み方で、よくあんたたちサバイブしてるわね。ああ、怖。

すごいのは、どうどうと道を横断してくる歩行者(車が来るまで間に合ってないっちゅうねん、こら!)、交差点にたってる新聞瓜…じゃない売り。それから、ストリートチルドレン。
子どもは特にすごい。どう考えても、毎日何人も死んでるんじゃないかってくらい、道の真ん中に立っていて、赤信号で車が止まるとぺたぺた窓を触って物乞いする。

これがアフリカの都市の風景なのかな。

物乞いといっても、やっぱり組織立ってる場合が多いんだろうけれども、それでもなんだか哀しい。物をもらうことが当たり前になっている、あの可愛らしくて憎たらしい顔。

こういうとき、わたしはいつも何もあげない。意地を張っているわけじゃないけど。でも、あげているひとは多い。

やっぱり、素直にちいさなお金をあげる気になれないのである。
ええ格好しいでも、きれいごとでもなく。
ただ、踏み出す気になれないだけなのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、オフィスに着く。
朝の風景。



2006年01月30日(月)



 レディ・グレイとチョコレート。

夕べいただいたチョコレートケーキを冷蔵庫で冷やしていたので、おもむろに取り出し、レディグレイをポットたっぷり淹れ、濃い目のミルクたっぷりミルクティにいたしました。

紅茶を飲みすぎて考えた。(たぽっとしてる)

このところ、どうしてもハラレを出たいといいながら、やっぱり出かけていく機会もないままにどんどん閉塞感が増しているので。

気が狂ったように書いていた報告書は一応仕上がる気配を見せたが、少しずつもっともなご指摘を受け、形を変えている。
しかし、このことでわたしはジンバブエ情勢がずいぶん立体的に見えるようになった気がする。それは、良いことなのだろう。

援助や外交といった紋切り型の切り口ではない、もっと立体的なもの。それらが絡み合っているのはあたりまえのことなのだ。そして、ひとつの国のそういうものを知るためには、とてもとても長い時間と、知ろうとする気持ちと、偏見や先入観に惑わされない頭が必要なのだ。

昨日、土曜日の昼下がりにはチャプング・ビレッジにいった。
外国人の大好きな、おみやげ物屋とカフェ・レストランがある。
メルマガ参照

やはり、色んなひとと会うのは大切だ。
そして、わたしは、そのようにして色んな人と付き合うことにより、自分の視野を意識して立体的にしていかなければならないのだと思う。


それにしても、ハラレの外の空気を吸いたい。
何をこんなに、この街にばかりこもっているのだろう。

でも、わたしがしたいのは観光じゃない。
なんなんだろう。





2006年01月29日(日)



 気を取り直し、アラスカ。

昨日何を思っていたかというと、アラスカの空気のこと。そのにおいのことなのだ。あんまりむかつくことがあって、つい忘れちゃった。

たとえば、朝、家を出るとき。
このところ、雨季真っ只中で毎日のように雨が降り、昼間はとても暑い日ざしがおり、それからまた夕方雨が降ったり激しい雷がなったりする。
朝、植物が湿っている。水滴が滴り、空気にも水がたくさんふくまれている。

そんなとき、すこし気温が低い。
そして、空気がとても澄んでいる。それは、11歳から14歳を過ごした米国はアラスカ州の空気のようなのだ。
ここアフリカ、それもジンバブエで、わたしはアラスカを思い出している。

ハラレは、1500メートルの高地にある。
冷え込むときは、ひんやりとする。それが、あの爽やかなアラスカの夏を思わせるのだ。ファイヤーウィードが鮮やかなピンク色の野原を彩り、勿忘草の淡い青紫が光り、遠くにはうつくしく雄大な山脈が見える。とても大きな大地。


今日、とてもうつくしい夕焼けだった。
少しの水分を含んだ、うつくしい空。

ハラレの空はうつくしい。いつも、ほんとうにきれい。
青い空も、夕焼けも。雷も。


そしてわたしは、少し家を通り過ぎて、先のほうにあるボン・マルシェ(スーパー)までドライブした。カラのカセットテープを購入し、いま、アラニス・モリセットをドライブ用にダビングしている。(わたしのRAV4はCDが聴けぬのだ)

2006年01月25日(水)



 アラスカのにおい。

彼は、怒ることがない。
よっぽどのことがない限り、平然としている。というより、とても前向きで、もうその場所にはいなくて、次のことを考えている。

一方、わたしはすぐ怒る。
頭に血が上って喧嘩っ早い。

ときどき、あまりに怒る自分に嫌気がさす。そのパワーは実にもったいないと思う。それでも、わたしは物事をはっきりさせたいたちで、ネガティブに考える態度は大嫌いだ。もっとも自分もネガティブの罠に落ちることもあるが。

ここで、ふと思う。喧嘩すべきか、だまっておくべきか。

でもわたしは黙っていられない。ストレスをためるよりは、全部はきだしてはっきりさせたほうが楽だ。陰険な社会は嫌いだ。

だから、たった数行のメールでひとに4ムカツキ(4カ所もむかつく部分があること)くらいあたえることのできる(しかも「いいこと」をしていると思いこんでいる)女に、やっぱり正面からがつんと言ってやるべきと思う。
ぜったいわかるはずがないのだけれども、毎日数ムカずつきっちり与えられちゃあたまらん。

だって、「何かあった?何でも話をきいてあげるよ」だよ!あんただっつうの、あんた!偉そうに。


追:
デジ一はやっぱりいいよねぇ…。
ちょっと大きさは難点だけれども、逆に言えば、コンパクトカメラを構えているより様になるんですよねぇ。写真好きはほぼ銀塩好きなんだろうが、デジ一にしちゃおうかな。コメント感謝。


追1:
あれ、アラスカ関係ないじゃん↑

2006年01月24日(火)



 活字中毒の成れの果て。

いや、なんのことはない。
鬼のように書き物をしたなんて久しぶりだ。とても気持ちがいい。そしてちょっと危ないこの感覚がたまらない。魂が削られていくような、そのぶんあっちの世界から跳ね返ってきて、何かが一緒に降臨していくような、この危険な循環。ああ、血がまわるの、ふふふ。
そう、報告書は優に二万字を超えてしまった。な、長い。よ、読めない。(?)

報告書はあくまでも報告書であって、論文じゃないところがミソ。

ジンバブエのクリーンアップ作戦後の人道支援をめぐる支援の政治化、それから市民社会の動きについてというものであったわけで、まぁ、ようするに5月からこれまでと時系列的に並べまくり、それから市民社会についてもっともらしく論じた。人類学者にいわせりゃ、「市民社会なんて〜」など言われそうだけれどもね、まぁ、わたしは社会科学者であり活動家なのね。最近は、外交屋とつるんでるし(?)。

それにしても情報あふれてて、苦しかった。まさに鬼のようだった。
でも、論文っぽく書くって気持ちが良いの。あの、注釈つけてみたり、出典にものすごくこだわってみたり。掴みはオッケー、オチもオッケー、みたいな。そしてクライマーックス!みたいな。

ともかく、一歩進んだような気がする。あ、ビール呑んじゃうわけ。今夜は。金曜日だし。

そして、本が読みたいの。とってもエキサイティングで、そして軽く読めちゃうんだけれども、世の中を皮肉っちゃったどうしようもない本の世界で、わくわくどきどきしちゃいたい。
なので、元外交官の暴露本を入手。ベッドの中でビール呑みながら閲覧。

活字中毒。そうさ。

これさ。 → 『国家の罠』

2006年01月20日(金)



 お写真くじら。

「くじら」「写真」というキーワード、あるいは「くじらの写真」というのでわたしのサイトにくるひとが多い。
くじらの写真を探しているのだろうけれども、まぁ、くじらの写真はない。というか、わたしが撮ったくじらの写真はない。その代わり、お気に入りの写真家が水中で撮った写真はある。ちょっと加工をしてあるが一応彼の名前は入れている。

写真を撮るのはかなり好きなほうで、ちょっぴり自信ある作品もけっこうあって、プリンターでハガキにして人にあげたりすることもある。一部はサイトにも載せている。

いつだってカメラはフィルムのものが好きで、しかしお金はなかったからずっと普通のカメラ「キャノン・オートボーイルナ」を使っていた。それでも、けっこういい写真が取れていたのは、ルナのシンプルな機能と相性が良かったこと、それから構図をいつも考えながら撮っていたことなのかもしれない。

しかし、ジンバブエに来るにあたり、デジカメを購入。ほんとうは一眼レフが欲しかったが、普通のちいさなデジカメにした。とたん、写真に味がなくなった。
デジカメはネットに載せるにもすぐデータになっていて便利だが、その代わりピントや何かがいまいちなじめない。色合いも、操作がよくわからない。露出もわからない。(もともと知識はないが、カンは少しはある)

それよりもなによりも、エライ勢いでぶれる。どんなに息を止め、わきをしめても、ぶれる。すごくぶれる。まともに撮れるのはごくまれ。
どうしてだろう。シャッタースピードが遅いのか?どうやって操作するのだろう。こんなことなら、やっぱりルナ一筋にすべきだった。ちょっと自信があった写真撮影も、がくんと自信がなくなった。

アフリカにくるとき、やっぱりいい写真が撮りたいと願い、お金をためて一眼レフを買おうと思った。
もう、銀塩は衰退の一途か。

デジタル一レフってどうなんだろ。
いつだったか、普通のフィルムの一レフ使っている超アマチュア主婦(わたしももちろんアマチュア)が、あんまり腕がないがきれいにオートフォーカスされた写真を撮っていた。おお。やっぱりマシンなのかと思い、愕然とした。これにわたしの腕が合わされば、さぞやすばらしいものが撮れるに違いないと思った。

どうなんだろ。
日本に帰るとき、やっぱり買っちゃおうかな。
でも、デジカメってつかいにくい。そんな気がして、もう何年もの間迷っている。

2006年01月17日(火)



 通り過ぎる、過去未来。

ものを書いているとき、苦しい。
でも、苦しいなかでどこか危うい快感を覚えている。

自分は物書きなのだけれども、しかしながら、ただ「物書き」というだけではまた済まされないような、なんとなくしっくりこない感覚を抱いたまま、アフリカにかかわり何年も過ごしてしまった。

基本的に研究者であり、物書きであり、それから実務者でもありたく、NGOにも一般企業にも官公庁にも、それなりにかかわっていようと思うし、それだけの容量を捌くだけの素質は少しずつはあると思う。
でも、ただひたすら書く。


本日、サザをビーフシチュウで食す。
かなり満腹。体重が10kgは増えたような気がする昼食だった。

赤いRAV4にガソリンをいれ、久々にタンクが満タンになる。リッター売りしているガソリンは、なかなか満タンまで入れる機会がない。ブラックマーケットで一生懸命ガソリンを入手している一般市民を尻目に、わたしはわたしに与えられるべきであったかどうかさえわからない恩恵を、いまここで受けている。
ジンバブエは、相変わらずガソリンが死ぬほど不足。その現状をわかっちょるのかボケ!と誰に対してともなく心の中で毒づく。自分に対してか。

どうあったって、わたしは今、ここから抜け出せない。
でも、少なくとも抜け出せない自分のことを知っている。それに気づいて、こころがしんと冷ややかになって、客観的に自分をみつめる自分がいる。


ティファニーでも何でも、指輪が欲しいと思うこともある。
安心感、束縛、現実、幸福という名の平穏な日々。そこへ落ち着くことができたら、わたしの生き方は変わるのか。
しかしそれは、向田邦子の言う、生け花をするときに「枝を矯める」という行為である可能性が高いことは明らか。そして、そのような場合は、わたしの人生はどうなってしまうのだろう。この、射手座のB型丸出しのひとつところにとどまれない生き方は。

でもほんとうは、わたしの求めているものはティファニーなんかじゃない。
ほんとうのところを知るために、わたしは手探りでものを書く。

恋愛もするし、キャリアも求める。おいしいものも、食べる。しっかりと。もっともっと、満たされない満足を求めて。


2006年01月16日(月)



 ミリーミール。

土曜日、新年会。ジンバブエに長期滞在する日本人を集めて大使公邸ガーデンにて。美味いそばを喰らう。久々にピンクのスカーフを捲くも、誰もほめてくれない。いじけてキャッスル・ビールをがぶ呑み。人間模様を観察し、実況中継する。

帰宅後、昼寝。

夜、先週と同じく某日本人宅へお邪魔。またやってしまった。ジュディ・オング。嗚呼。
しかし、今回は深夜帰宅。シマウマ信号(注1)を左折。

若い協力隊員の男子と将来のキャリアについてトーク。
わたしは25歳のころ何をやっていたか。うむ。この日記の初期を見ればわかるか。(これをはじめたのは24歳のとき)
彼は手に職(技術)を持っているが、わたしは社会科学のマスターぐらいだった。
こういうトークが他人とできる日は、意外とちょっとした元気をもらえる。

日曜日の今日は、報告書の作成(後半)に突入。
その前に、マウントプレザントのスパーにて買い物。キャッスル・ミルクスタウトと、クラシックな瓶のコカコーラと、ミリーミール10kgを購入。

もちろん、ミリーミールは主食のサザになるもろこしを挽いたもの。購入したのは、中でもちょっと高級な白いもの。10kgで230,000ジンバブエドル也。
これは、大体230円くらい。お買い得。
10kgあれば、くじらはひとりなのでずいぶん持つと思われる。

夕食、ポークソテーご飯。ガーリックを効かせてナンプラーとはちみつひとさじ。つけあわせ、イモ。


(注1)くじら宅の目の前にある競馬場でシマウマを飼っている。汚いシマウマ。縞がわからなくなるくらい。そこの角の信号をくじらはこう呼んでいる。

2006年01月15日(日)



 ペポカボチャなるパスタ。

Baby Marrowという名札のついた野菜をスーパーで見かけ、なんとなく気になりつつも横目でちらり一瞥をくれてやっていたのだが、とうとう購入したのである。

このBaby Marrowというのは、Marrowというでかいサイズのグリーンの物体の子ども版であり、見かけからするとうり科の野菜であるらしい。なるほど。瓜か。ふーん。
ズッキーニというものをいつも探していたのだけれどどこにいてってもなかなか見つからず、半分あきらめていたところへ、このMarrow登場か。マローン。

辞書で引いてみると、このグリーンの物体は「ペポカボチャ」あるいは「ナタウリ」とある。
カボチャ?かぼちゃじゃにゃーだろ。などとと思ったが、しかしカボチャは南瓜と書く。なんだウリか。
ナタウリというのが、しかし、わたしの発見したこれに近そうだという独自の判断を下し、こいつをナタウリと呼ぶ決心をしたのち、わたしはこの子を購入し自宅につれて帰り、おもむろに分断してから、急に思いついてパスタにいれた。マローパスタ。あ、マローって呼んでるじゃないの。

テイスト的には、なんとなくソフト。んで、ウリっぽい性格。ズッキーニというものでわたしが想像する物体からは少し違うが、それでもまあ悪くないので合格ライン。やっぱり外国で暮らすということは、食物、とくに野菜などを独自に開拓せねばならぬのである。ところ変われば野菜も変わる。

ときに、ペポカボチャの「ペポ」ってなんだろう。ペポ?ペポ…。

ああ、気になって今夜も眠れないじゃないの。

2006年01月10日(火)



 狂宴、のちコーラの瓶。

あといくばくもすれば、たそがれどき。今日のハラレはじつに天気がよく、空が青々、雲は真っ白、お日様はじりじり。それでも気温は低く、とてもさわやかだ。このやろ。

夕べ、某日本人邸宅にお邪魔し、そこで騒々しく営まれていた数十名もの(気持ちの)若い男女による宴にそろそろと足を踏み入れ、麦酒や葡萄酒やウヰスキーなどを、そこの邸宅に丁寧にしつらえてあるバーカウンターでカパカパといただいていたところ、非常に気分が良くなってしまい、狂宴に率先して腕を振り腰を振りステップを踏み野次を飛ばしながら、カラオケマシンなる文明の利器にはまり、これまた宴に酔いしれる(自称)若者どもと狂ったようにエンジョイしたのである。
嗚呼。またやっちまったよ。

そして、朝さ。

このなんともいえない虚しさと気恥ずかしさが残る宴の翌朝というのは、まさに、なんと言うか、なんともいえない。朝、他人の邸宅のソファで目覚めると、カーペットのそこここに、毛布にくるまって丸まった男女が幾人も倒れ、まるで戦場の跡さながらであった。
そして、こんな日に限って天気がよい。

夕べ、男どもは邸宅の庭にでんと構えるジャグジーなる池に十数人ほどはまり込み、パンツを脱いで大騒ぎをしながら、ジャグジーに出汁をとっていた。(汚)服のまま裸の男どもに引き込まれた(破廉恥)女どももいたようだが、くじらは逃げた。

朝、実にお天気のよいハラレを、お気に入りの道を通りながら帰宅。家々が途切れ、緑の土地がぱっとひらけるところがある。スーパーにより、りんごと野菜と、それからどうしても欲しくなった瓶のコーラを購入。コーラは30,000ジンバブエドル也。(約30円といったところ。カンのコーラはその三倍程度の値段)

コーラの瓶のクラシックな美しさにひかれ、冷蔵庫で冷やした。
そして、夕べの恥を忘れ去るべく、昼寝した。ぐっすりと昼寝した。

2006年01月08日(日)



 文字が意味すること。

報告書を熱心に書いていて(まだリーディング段階だけど)思う。

自分は、これをもっていったい何をしたいのだろう。

1)日本政府のアフリカ外交政策に影響を及ぼしたい。
2)日本の一般の人々に対して、ジンバブエの状況を伝えたい。
3)それによって、現在のジンバブエの政治経済状況の悪化を少しでも食い止める方向に導きたい。

大きな大きなことを申し上げちゃえばそうなる。

さて、具体的には何なんだろう。
その、ジンバブエを具体的に改善に導く方策とは?
自分の仕事に課せられたことはほんのちいさなことだけれども、結局わたしのようなドナー国の人間や国連の人々が幾度も繰り返し述べるのは、抽象的なことか絵に描いたもち、あるいはエゴか思い込みか偽善的な正義感ばかりなのかな、ということに思い至るとちょっと疲れてくる。

わたしは何か。
いちおう研究者に分類されると思っているし、個人的には物書きだ。だったら研究者的にものを書いて世間に出すのがまず第一かな。
それから、自分の人生の中で可能な限りのちいさな具体策について思いをめぐらせよう。

彼からメールが来ていないので、ちょっと不機嫌。
自分の生活もきちんとコントロールできない人間に、国連の悪口を言う資格はないわな、と自分を戒めてみる。ぴしっ。

身の程をわきまえて、しかし、貪欲に大胆に生きたい。
わたしは、指先一本で生きている。ときどきいろんな誰かに支えられながら生きている。
組織は、結局守ってくれないから。そういう数年間を、このところ生きてきた。

将来が、ちょっと不安。

2006年01月03日(火)



 ぱっしり、学生気分で。

本日より、新しい年の始まり。
いろんなひとが自分のメルマガや日記・ウェブログなどで今年の抱負と昨年の反省などをつづっているが、まあ、自分はそういうきっちりした性格ではないし、守れないのもまたおんなじ反省するのもいやなのでやめておこう。(逃げておこう)

今日も、ひきこもり。
それでも、新年というのは何にも変わらないけれども、気持ちだけはちょっとぱりっとしていて、いい。

まんまるいダイニングテーブル(大)の上に、おもむろにたくさんの資料をひろげて、大学院生のときみたいに片っ端から読んで、A4サイズの裏紙の束にメモを書いていく。大切なところには★印。

リーディングをしていると、なんとなく気分がすっきりしていく。
三時間ばかり続けたら、だいぶ調子が出てきた。この調子。
やっぱり報告書を書かないと何にもはじまらないからね。こうして、一年をはじめられたのはやっぱりいい。

ひとりで考え込む正月。

くだらないテレビも見てるけど、天気もいいし、気分もいい。
あとは、書くだけ。

2006年01月01日(日)
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