あふりかくじらノート
あふりかくじら



 それを英語に訳せ。

「もったいない」に続く、それを英語に訳せ!シリーズ。

「せつない」ということば。
わたしのお気に入り日記の方が最近書いていたのだが、
わたしはこれにとても共感する。
そういえば、ずいぶん前にこのことばについて
考えていたことがあった。

センチメンタルなことを言ってしまうと、
今日はとても「せつない」気持ちで一杯だった。
松田聖子の「Sweet Memories」をうたいたいくらいだよ。
(先週、うたったけどね)

嫌なことは重なるもので、昔の嫌なこととか
運命を左右する試験の結果をまだいただいていないとか、
お給料が涙の出るほど安いとか、
職場の職業的異人種の女たちを見るのも嫌だとか、
誰かを思いっきり殴りたいとか、
愛されてないんじゃないかとか、
そういうのがいっぱい2月28日というこの日に
わたしをゲシゲシっと襲ってきた。
2月も最後だというのに。

おもわず、職場のある駅を通り過ぎるところだったよ。
高校生の頃のようだね。
登校拒否?出社拒否?
あたしの勤め先、会社じゃないしね。

せつないよ。
上述のわたしのお気に入り日記のひとも書いてたけど、
「Love Actually」を観たときのようだよ。

「ラブアクチュアリー」はヒュー・グラントとか
コリン・ファースが出ているからお気に入りという
わけではないのだよ。
ものすごく、きゅうんとする。
何故って、わからないけど。でもわかる。
それにイギリスの懐かしい感じの空気も重なってきてなおさら。
おんなじお話なのに、何度見てもうるうるきてしまう。

だから今日は一日中、「せつない」のテーマ曲、
ラブアクチュアリーのBGMが頭の中をぐるぐるしてた。
自己憐憫?そういうことってあるじゃないのさ。

だから、ラブアクチュアリーの曲なのだとおもう。
そうできるうちは、まだ生き延びていられるんだからさ。

2005年02月28日(月)



 情報発信をするくじら。

なんとなく、このタイトルが気に入ってしまった。

どうも、メールマガジン二種類をはじめ、エンピツ日記や
それをまるまるコピーしたメルマブログを利用していると、
ときどきどこに何を書いて良いのかわからなくなる。
2001年始めごろからこれを書いていることもあり、
そろそろ情報発信の仕方を改革していかないと
いけないように思う。

ウェブサイト本体も移動したし、そのついでにじつは
ブログスペースをもう一つ用意してあるのだが、
凝り性のわたしは多くの時間を費やしてしまうであろうことが
予想されるため、恐ろしくて手をつけていない。

しかし、ブログというのは情報発信のツールとして
非常に便利なものである。
個人であるからして、ニュース的なものに加えコラム的なものを
ごく簡単な機能で発信することができ、さらにそれらを
分類しトラックバックし、コメントをつけ加えることができるのは
とてもすばらしい。

アフリカ関連で、日本語の情報を浸透させていくには
このような個人の動きも重要なのだな、とおもいつつ。
明日やろう、明日やろう、と思いつつ。

*************

メルマガ『あふりかくじらの自由時間』(28日発行号)に
ワンガリマータイ氏のことを掲載。


2005年02月27日(日)



 ちょっとけだるいかんじのくじら。

ちょっとけだるいだけ、ってあんたそんなんじゃ
医者などいきませんわよって思うのである。
しかも、何日から熱があったとか、
熱は何度くらいだったとか、そういう説明を
こちらは一生懸命するわけですよ。

でもね、なんであなたひとの話聴かないのん?ん?
医者でしょイシャ。
なんでひとがしゃべっている途中で
「はいはいはいはい、わかりました。」って言うのだ?
それから、
「ん〜、どうしたのかしらね〜、ん〜、うふふ、
なんだかちょーっとけだるいだけって感じもするしね〜。
でもね〜明日お休みだし(あたしが)、いちおう念のため
インフルエンザのテストしておく?やめとく?」
ってあんた医者!??

ふらふらのところ一時間以上も待たせた挙句、
いまさらインフルエンザのチェックテストでまた
三十分待ちですか。あは。

そしてばっちり流行に乗ったわたくしあふりかくじらは、
血液型もインフルエンザもB型なのでした。

もう医者など行かん。
早くタミフル出せー。

B型バンザイ。

**********

やっと復活した。
苦しみから脱出すると途端に生きるパワーが増す。
いまのわたしは、誰と闘っても勝てるはず。

希望を持って生きていこうと思う。

2005年02月25日(金)



 詳細はあとがきを参照のこと。

あとがきをまず最初に読む本もある。
今まで読んだ本の何割かは、そうしている。
いつだったか、あとがきを必ず先に読むように
しているとどこかに書いていたのは綾辻行人だったか。
ミステリ読者はそうなのだろうか。

あとがきというのは、非常に重要だ。
作者の顔が良く見える。

小説の延長線上みたいなのでは、
なんだか逆に興ざめしてしまうこともあるし、
かといって、深く感じ入れるような小説のあとに、
今朝の味噌汁のことを真剣に語られても、
こいつ馬鹿か、と素顔の作者の薄っぺらさを
本気で嘆くことになる。
こういう作家は、言葉遣いがうまいだけだ。
小手先だけの飾りがたくさんついた中身のないことばを
並べることが得意なだけなのだと、その人間性の
つまらなさに嫌気がさし、そんな小説を読んだことを
後悔さえしてしまう。

あとがきはこわい。

学部生の頃、文芸部の部長をしていた。
冊子作りが中心で、自分も短篇小説などを載せることもあったが、
短篇にあとがきをつけない、というのは鉄則だと思う。
バランス悪すぎで、自己主張が強すぎ、作品の余韻を台無しにする。

角田光代の小説のことを書いた。
彼女も、若いような気がする。
ものすごい力量のある作家の作品は、読んだところで
わたしをこのような状態にさせはしないだろう。
つまり、角田光代は、手の届くところにいるという感覚。
それは、わたしと直木賞作家を絶対的に隔てるものは
ほんとうは存在しないのだということを表す。

ものすごい力量のある作家。
その小説は、きっとあとがきも読者をうならせる。


2005年02月09日(水)



 完璧なる小説の存在価値。

もちろん完璧なる小説などありようがなく、
それはひどく主観的なものに違いないので
あるのだけれども、その存在を信じようとする瞬間の
絶対的な感覚、つまり逃げようもなく身体中を
やわらかくしなやかで強い網のようなもので
捕らえられている感覚がする、その一種狂気じみた
閉塞的な感覚の甘美と絶望なのだ。

つまり、熱にうなされた子どものように
うー、あー、となって身体中が意思に逆らって
しびれている状態のこと。

ふと油断すると気がふれてしまいそうなこと。

わたしの書いた小説、わたしの見た風景、
わたしの肉体に残る物理的感触、二度と会えない
ひとの面影が、誰かの脳みそを経由した比重で持って
そこに文字として綴られている、ということ。

だからわたしは、書く。
こんな苦しみと狂気のなかで、書く。

こんな人間が、文学研究者であるはずなどないことが、
どうしてわからない?
むしろ対極に位置するではないか。
こんなにも自明なことがわからないなんて、
なんて鈍いんだろう。(毒)

**********

直木賞だからじゃない。

角田光代の本を三冊買った。
わたしが昔書いた小説みたいで、ものすごく困惑した。
このひとはわたしより年上なのに、ずっと若い感じがする。

『だれかのいとしいひと』角田光代著 文春文庫



2005年02月07日(月)



 てんとう虫のバスが行く。

ぽっかりとわたあめみたいな白い雲が
いくつも浮かぶ、きれいな青空だった。

今日は市役所に出頭した。(悪いことはしていない)
あんまりきれいな昼間だったので、
すこし思うところもあったし
初めてこの街の<ミニバス>に乗ってみた。

先週のあのひとが、アフリカ某国のミニバスの研究を
していたのを思い出して。
(ボツワナのミニバスもとても印象的で好きだったけれど
それはまぁ、別の機会に書く)

この街のミニバスは文字通りのミニバスで、
なにやら白く塗られた車体に、斬新な角度で
黄色だの何だのの巨大な渦巻きが色鮮やかな太陽を表現し、
(渦巻きに毛が生えちゃったようなやつね)
その脇にはまぶしい赤の直径40センチはある
てんとう虫が描かれている。

けったいな幼稚園バスのようなので
偏見のかたまりみたいなわたしは、いままで乗らなかった。
何せ、市役所から市民病院までちんたらまわるので、
中にはおばあちゃんがいっぱい詰まっている。

でも、今日は乗った。
とうとう。初めて。

ミニバスは、ひととの距離がすごく近いことに気付いた。
街との距離も、近いような気がした。
「地元」とか「故郷」という感覚が厳密な意味で
あんまりないわたしも、
この街に住んでいることが、とても気持ちいいと思った。

良いお天気の昼下がりが、とても似合うバスだった。


2005年02月02日(水)



 くじら的に精一杯生きるため。

喪服はクリーニングに出し、しまいこんだ。

そして、くじら的に自分の人生を精一杯
生きるためにパソコンを買うことを決意したものの、
商品の目星をつけてから十数万円の金を出す
決意をするまでが遅く、子どものお使いのごとく
現金を握り締めて買いに行くと、
なんとわたしのドリームマシンはもう
その店にはおいででなかったのである。

ショック。
おちこんだ。
わたしは絶対に買い物が下手だ。
行列だけじゃなくて、折り畳み傘をきれいにたたむこと
(汚くたたむのはできる)だけじゃなくて、
買い物が下手だ。
そうさ。下手さ。

でも、強く生きようと思う。

B5サイズの愛機メビウス・ムラマサ氏とともに歩むよ。

2005年02月01日(火)
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