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Montgomery Book

第3章 (10) 森の聖霊、海の呼び声

あたしがほんとにお祈りしたいとき、どうするか教えてあげましょうか。たった一人で広い広い野原か、深い深い森のへ行って、空を見上げるんだわ。上の上の上のほうを──底知れず青いあの美しい青空を見上げて、それからお祈りをただ心に感じるの。

アン・シャーリー/「赤毛のアン」

 アンの暮らすグリーンゲイブルズは森や木立のなかに点在する農場のひとつで、遠くには海も見える。そういう場所で空だけを見上げれば、ほんとうに吸い込まれて気が遠くなるような感覚に陥ってしまう。アンが「お化けの森」の空想に苦しんだり、お祈りを捧げに行ったような、薄暗く、あるいは陽光がもれさし、入り組んだ人気のない小道や小川が流れていたりする美しい森は、島の全土に散らばっている。なかにはジェーンの見つけた、こんな忘れられた森も、実際にあったのだろうか。

道ばたに色のうすれた立札が立っていた──白い板にだらだらとつながった黒い字が書いてあった──とうの昔に死んだ老人が何年も前に立てたものである。
『ほーい、のどのかわいた者は 誰でも この水辺へ来なされ』
道を示している指にしたがい樹木の間の妖精の出るような小道を歩いて行くと、苔むした石に囲まれた澄んだ深い泉があった。

「丘の家のジェーン」

 人の手が入った庭や果樹園とちがい、森は自然のままに育った木の王国である。モードは一方で庭づくりに丹精を込めたガーディナーでもあったが、野生の草木が育つ野原や森の魅力が、存在の奥深くまで染みこんだ人でもあった。ひとりで何時間も森や野原や海岸をほっつき回り、星や月の出をながめるという、魂の自由を求める人だった。

でも、森の中では、ひとりっきりでいるのが好きです。どの木もみんな昔からの親友ですし、ひそやかに吹き抜ける風はどれも陽気な仲間ですから。もし、霊魂再生説を本気で信じるなら、この世に生を受ける以前のある一時期、わたしは木だったことがあるのだと思うくらいです。

L・M・モンゴメリ/「モンゴメリ書簡集(1)」

 エミリーがいうように、「月夜には家の中にはいられないんです。遠くへ出ていかなけりゃだめなんです」(「エミリーの求めるもの」)という感覚。'そんなことをする娘はほかには一人もいなかった'(同上)というのもまた事実であろう。

わたしは森の巫女だ──わたしは樹木を愛以上の感情で見る──礼拝の気分で。

エミリー・B・スター/「エミリーはのぼる」

 人はひとりで歩きながら祈ることができる。歩きながら自然に内なる声へと耳を傾け、過去や未来や自分の求めるもの、求めるべきものを立ち昇らせあらわそうとし、吹く風や足元の大地や、高みに輝くものと交歓しようとする。それはまさに巡礼の精神である。樹木を礼拝するというエミリーの気分は、身近に「御神木」に接している日本人にとっては、誰でも共感を覚えるものかもしれない。

わたしが故郷を離れてから、絶えてかぐことのなかった香りです。世界中のあらゆる香りの中で、露を含んだたそがれどきの大気にしみこんでゆくモミの香りのようなものは何ひとつありません。

L・M・モンゴメリ/「モンゴメリ書簡集(1)」

 私の住む南国の地には樅の木はほとんど見当たらないので、日常的にその香りに触れることはできず、記憶にもない。私が知っているのは、夏の夜のクスノキの香り。これはモードには見当もつかない香りだろう。山はあるが平坦な林はなく、いわゆる里山に暮らしているので、北国の雑木林にあこがれをもっている。いつか島を訪れたら、森の中に分け入って、樅の湿った香りを嗅いでみたい。メープルシロップまでは望まないから。「黄金の道」では、主人公セアラの、根っからさ迷い人である父親が、樅の木の香りについて情熱的に語る。

微妙に混ぜ合わされた珍品の酒のように血の中に流れ込んで、幸運な星の下に生まれた他人の羨ましい人生の物語を聞いた時のように、いわく言いがたい甘さでぞくぞく震えてしまう。

ブレア・スタンリー/「黄金の道(下)」

 森と海、その両方に想いを馳せるのに好適な場所がある。プリンスエドワード島の家で、玄関の上がり口などに置かれる、砂岩の段々がそれだ。陽にぬくもり、夕暮れ時にもほんのりとあたたまった砂岩の段々に腰かけて、暮れゆく空を眺めながら、海の呼び声と森の息吹を胸に感じてみたい。庭に置かれる砂岩の段々は、海と森をつなぐパワーストーンかもしれない。

 エミリーの住むニュー・ムーン農場の台所の裏口にも砂岩の段々があるし、農場の庭はえぞ松に囲まれ、中央に大きなえぞ松と赤い砂岩のベンチが置かれている。また、アンが新婚時代を過ごした「夢の家」の玄関にも、やはり砂岩の段々があった。グリーンゲイブルズの玄関にも、赤い砂岩の段々がある。第二赤毛のアン「アンの青春」の冒頭は、8月の午後、アンがその段々に座って夢想に耽っているところから始まるのだった。

森というものは決して孤独ではない──囁いたり、招いたり、愛情ゆたかな生命に充ちている。然し、海は偉大な魂である。絶えずなにか大きな、人に分つことの出来ない悲しみに呻いている。その悲しみのために海は永遠に黙している。わたしたちにはその無限の神秘をきわめることはできない──その周辺をさまよい、畏れ、魅せられるだけである。森は無数の声でわたしたちに呼びかけるが、海は一つしか声を持っていない──その壮大な音楽でわたしたちの魂をかき消してしまう強力な声である。森は人間的だが、海は天使長(アークエンジェルズ)のむれの世界である。

「アンの夢の家」

 米映画「シティ・オブ・エンジェル」のなかに、人間界でさまざまなサポートをしている天使たちが夕暮れの海辺に黙して立ち、沈みゆく太陽の調べに魂をゆだねているシーンがあり、気に入っている。モードの言葉はこの場面を思い起こすし、映画を観るとモードの言葉を思い出す。太陽の綾なる調べは人間には聞こえず、天使の姿もまた人には見えないのだという。

 ヒトは森で生まれたという説と、そこからいったん海に行き陸に戻ったという説もあるそうだ。ともあれ、海は地球上の生命のゆりかごであった。私たちの身体には海流が流れているし、海と同じく月のリズムで生きているのだから。海の呼び声には逆らえない。故郷が海のそばにある場合はひとしお、呼び声は強いのだろう。

たとえどこに住もうとも、あの島に打ち寄せる波のささやきが「島に帰れ」と夢の中でくりかえすのです。

L・M・モンゴメリ/「険しい道」
参考文献
2001年11月05日(月)


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