ささやかな独り言。...琴代 諒

 

 

野菜の馬 - 2010年08月16日(月)

野菜の馬



 夕方から出てきた雲が、月も星も覆ってしまっている夜だった。気温はそれほど高くないくせに、湿気が多くてじっとりとまとわりついて、寝苦しい夜だった。あたしはとても布団に横になっていられずに、畳の上に転がりながら冷たい所を探していた。
 ふと、障子をノックする音が聞こえた。ノックと言っても、障子の枠をがすがすだとかぼふぼふだとか、どうやらノックしているらしいと感じ取れるような鈍い音のものだったけれど。障子の向こうに人影もないし、不思議に思って見ていると、障子がすすすぅと細く開いて、そこから何か入ってきた。まずは、キュウリで出来た馬。割り箸の足で優雅に入ってきた。次はナスの牛がゆっくりと。そして、和紙を簡単に切り抜いて作ったと思われる、人の形をしたものが、ぺらぺらの体をユラユラ揺らしながら入ってきた。そうして、あたしの顔の傍に行儀良く並んで座ってみせた。
 和紙の人形は何やら身振り手振りで話しかけてくる。どうやら、キュウリかナスに乗れと言っているようだ。
 乗れと言われても、流石に大きさが違いすぎる。まったく変な夢を見ているなぁ。
 顔に出ていたのか、和紙の人形がぺらぺらの手で正座していたらしい膝をぽふりと叩くと、割り箸と和紙をあたしの布団の下から出してきて、何やら作り始めた。そんなもの、布団の下になんかしまった覚えはないんだけど。そうして出来上がったのは、箱のようなもの。ナスの牛にくくりつけると、牛車の格好になった。これは、動物の背中に直接乗るのを渋ったと思われたんだろうか。
 そうして早く乗れと言わんばかりに手を引いてくる。だから大きさが。と言おうとして、同じ大きさになっているのに気がついた。周りを見る感じでは、あたしが小さくなったようだ。どうせ夢なんだから、この際乗ってみるか。
 そうして牛車に乗ると、人形を乗せたキュウリも牛車を引いたナスも、ふわりと浮いた。そんな低空飛行、浮かない方が楽なんじゃないかというくらいの低空飛行で、ふわりふわりと歩いている。障子を出て玄関に向かうと、やっぱり玄関はすすすぅと少しだけ開いてあたし達を通してくれた。

 この辺はお盆には玄関に提灯を吊るす。暗くなるとほんのり灯る明かりが綺麗だ。街灯が少ないおかげで、提灯のぼんやり光る灯りが霞まずに見られる。今夜は月も星もないから尚更。
 あたし達はうちの玄関の提灯をくるりと回ると、またゆったりと浮かびながら通りに出た。
 だけど、提灯を吊るす習慣も少しずつ廃れ始めていて、今は全部の家の玄関が提灯を吊るしてる訳じゃない。なのに今夜は提灯の灯りで綺麗な行列が見られる。小さな頃に見たお盆の夜みたいだ。
 提灯灯りの行列を進むと、玄関からキュウリやナスや人形がふわりふわりと出てきて、あたし達みたいに低空飛行で散歩し始めた。みんな同じ方向に向かって進んでいく。時々人形同士が会話してるような素振りをしたり、キュウリの馬同士が鼻を付き合わせたり。何だか生きてるみたいで面白い。向こうには立ち止まって動かなくなってしまったナスの牛に困り果ててる様子の人形もいて、つい笑ってしまった。

 そうしてゆっくり進むうち、見覚えのある門をくぐった。これ、お寺の門だ。
 お寺の中を進んでお墓に着くと、そこは灯籠で眩しいくらい。キュウリやナスはそれぞれ自分の家のお墓に行くと、蓮の葉が敷かれたお供え物を置く台に降りて、そのまま動かなくなってしまった。和紙の人形も、灯籠の周りをくるくる回ると、地面にぱさりぱさりと落ちていく。
 あたしを連れてきた人形は、ぺらぺらの手であたしの手を掴むと、ぶんぶん上下に振り始めた。どうやら別れの握手らしい。あたしも負けじと握り返してぶんぶん振ったので、人形の手の辺りはしわくちゃで湿っぽくなってしまった。そうして手を離すと、灯籠をくるくる回ってぱさりと落ちた。あたしを連れてきた人形で最後だったらしく、あとはもう動くものなんてなくなっていた。
 空を見上げたら、いつの間にか雲が晴れて月が出ていた。あんなに眩しかった灯籠は、月明かりに霞んだ普通の灯籠。


 そこから記憶は飛んで。障子の隙間から差し込む朝陽で目が覚めた。結局畳の上で寝ていたらしく、洗面所で鏡を見たら、顔に畳の跡がついていた。
 寝苦しかったとはいえ、変な夢を見た。そう思いながら仏間に入ろうとして障子に手をかけたら、障子はほんの少しだけ開いていて、そのすぐ傍には和紙の人形がぱさりと落ちていた。手の辺りがしわくちゃになってしまっている人形を、あたしは拾って、仏壇の前に飾ってあるキュウリの馬に乗せてみた。


...

煩悩の塊 - 2010年08月05日(木)

煩悩の塊


 子供の頃の話だ。幾つだったかも覚えていないくらい、子供の頃の話。
 夏に、田舎の祖母の家に遊びに行った。普段自分が暮らしている所とは比べ物にならないくらい、静かで不便で涼しくて樹がたくさんあって人がいなくて穏やかな場所。農作業中の近所の人がかけてくる挨拶に応えながら、近くの小川や林に遊びに行くのが祖母の家での過ごし方だった。
 そんなある日、何処をどうしたものか道に迷った。いつもの帰り道、気さくなおばさんと丸々太った犬が店番をしている小さな雑貨屋の前に出るはずの砂利道は、しかし雑貨屋の前ではなく薄暗い林の奥へ奥へといつの間にか私を通していた。それに気がついたのは、降り注ぐ夏の陽射しが生い茂る樹に遮られて涼しくなり始めてからだ。確かに道だと思って歩いてきた場所を振り返ると、道なのか樹と樹の間なのか判らない空間で、道ではないと気がついてしまうと途端に心細くなってしまった。
 歩いてきた道を戻ったつもりだったのだが、どんどん見知らぬ景色になっていく。疲れと心細さでしゃがみこみそうになった頃、長い階段が見えてきた。ところどころ石が欠けたり苔むしたりしたその階段が祖母の家まで連れて行ってくれる気がして、くたくたの足でせっせと登った。蝉時雨の中、終わりのないように思えた階段を登りきると、そこは小さな広場になっていて。古びて雨宿りすら出来ないような、壁が崩れてしまった小屋の中に仏像が佇んでいた。もしかしたら仏像ではなかったかもしれない。何せ子供の頃の記憶だ。観音か弥勒か、はたまた神像だったのか。
 すらりとした立ち姿の、穏やかな顔をしたその像は塗りが剥がれていて、木肌の上に少しだけ塗料が残っているような酷い状態だった。だが白い塗料が少しだけ残ったその顔から目が離せなかった。像の持つ雰囲気に飲まれてしまったと言ってもいい。くたびれた足も蝉時雨も強い陽射しも忘れて見入っていた。
 その日は結局どうやって祖母の家まで帰り着いたのか覚えていない。
 その後何度もその仏像のあった場所を探したが、たどり着けなかった。迷子の果てにたどり着いた場所で道など覚えていなかったし、誰に聞いても知る者のいない像だったから、無理もない。

 育った私は、像を彫るようになった。あの時の像を思い浮かべながら。思い浮かべる像のせいか私の作る像は仏像と呼ばれ、私は奇才の仏師として注目された。私の作る像を仏像と呼ぶのは違うと思うのだが。
 今日も雑誌か何かの取材を受けた。いつもと同じように、何度語ったか知れない迷子になった話をし、その時の仏像がモチーフであり原点だと締め括る。後は製作場所である小さな四畳半ほどの小屋に案内して中を説明すれば、取材はこれで終わり。どこの取材でも毎回聞かれる事は同じ。依頼される事は同じ。最初はあの像の手掛かりが掴めるか、それが無理なら像を彫る時のイメージが湧くかすると思って受けていた取材も、代わり映えしなくてすぐ飽きてしまった。他社の特集かウィキペディアでも読んでくれないものだろうか。
「最後に。これは取材とは関係ない個人的な感想ですが、貴方の作る像、不思議な色気がありますよね。艶かしいというか。仏像じゃないみたい」
 驚いた。今までそんな事を言われた事はない。まったく飾り気もない地味で目立たない小娘だが、面白い事を言うものだ。
「私の像は柔和だとか女性的だと言われる事は多いですが、艶かしいとは初めて言われました」
「そうなんですか。では私だけなのかしら。この像は素敵だけど仏像と呼ぶのに抵抗があるのは」
 本当に面白い。私も自分で作っていて、仏像というカテゴリに分類されるのが不思議で仕方がないのだが、初めて私と似たように感じている人間に合った。この女の取材なら、また受けてもいいかもしれない。多分きっと、この女はもう私の取材にこないだろうが。この女は、像の持つ雰囲気に怯えていた。


 薄暗い小屋の中。満月の光が射し込むように窓を開けて部屋の照明を落とす。作りかけの像が彫り上がったのだ。まだまだ細かいところに手を入れたりはするが、一先ず私は彫り上がった像の前で自慰をする。いつものように。
 私の出した精液が、私の彫った像にかかる。像の顔や胸元に点々と飛び散るその白の様は、子供の頃に見た像の塗料を思い起こさせる。普通の塗料では白すぎて鮮やかすぎていけない。筆で飛ばしたのでは良い斑具合にならない。精液が一番あの時の像に近づく。
 私の作る像は私の煩悩の塊だ。あの時の像に会いたい。あの時の何とも言えない恍惚感と体の中に渦巻く欲は、他では感じられなかった。会う事が叶わないなら、せめて近い物を自分の手で。全身全霊でそんな欲を込めて彫り上げている物だ。欲を忘れない為に魂抜きすらしていない。彫り上がったら、こうして最低一度は穢す。
 そんな物が仏像の訳がない。これは私の煩悩の塊だ。子供の頃に出会ったものがあまりに強すぎて、それ以外に興味を持てないほど歪んでしまった私の煩悩の塊。


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