ケイケイの映画日記
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2026年09月15日(火) 「白鳥とコウモリ」



亡くなった原作者の東野圭吾氏は、校区が違うだけで、ほんの近所で育ちました。年齢も私が四つ下とほぼ同年齢で、氏のエッセイを読むと、放課後に遊んだ場所やお祭り、子供の頃の原風景も同じです。なので、勝手にオラが街の大作家と誇りに思い、親近感を持っていたので、氏の逝去は本当にショックでした。もちろん原作も何作が読み、映画化も観ています。今回も追悼で観たいと思いましたが、出来が悪かったら嫌だなと、敬愛する映画友達に相談したら、「大丈夫、観ておいで」と背中を押されての鑑賞でした。持つべきものは友。原作も読みたくなりました。監督は岸善晴。

弁護士の白石健介(中村芝翫)が殺害され、その数日前に白石と接触のあった倉木達郎(三浦友和)が捜査線上位に浮かびます。何度か倉木の自宅を訪れて聴取する刑事の五代(柄本佑)に、倉木はあっさり犯行を自供。父親の無実を信じる倉木の息子和真(松村北斗)と、真実が知りたい白石の娘美令(今田美桜)。二人は真実に導かれるように、協力して父親たちの軌跡を辿り始めます。

この内容ですから、倉木は偽証しているのは予想できます。なので、何故倉木が偽証しているのか?、誰を慮っての事か?そして真相は?の展開です。東野圭吾の原作は長尺で内容も濃く、脚色を誤れば薄っぺらくなりがち。今回は私と相性の良い岸監督のせいもあってか、展開は澱みなく、台詞や展開は、後々に繋がってくるので、左程疑問に思うところもありませんでした。これは脚本の向井康介の功績でしょう。

実直で温厚。似通った美点を持つ倉木と白石。「これは自分の父親ではない」と、和真と美令が強く疑念を抱く様子が、胸を打つ。二人とも良き父だったのでしょう。彼らの成育の健やかさまで感じました。私はこの点が一番好きでした。

居酒屋を営む洋子(風吹ジュン)織江(井川遥)母娘を登場させ、冤罪の無念さや、加害者家族の壮絶な差別や苦悩も描き込み、そこも観客に問いかけている。

五代の苦悩には、検察に行ってしまえば刑事の仕事は終わり。心残りがあっても捜査出来ない無念さを体現している。そして作品は、物証ではなく自白が最も重大な証拠である危うさも指摘。時代設定は克明に記され、最終は2018年だと記憶にありますが、今は少しは進歩しているのでしょうか?

唐突気味に語られる、白石家の弁護士(松岡逸美)の真犯人の犯行動機は、恨みつらみではなく、本人の素因に纏わると語られ、これは素因が遺伝に繋がり、加害者家族の苦悩が深まるのではと、危惧しました。

そして最大の疑問が倉木の行動です。彼の偽証の唯一最大の理由は、自分の罪悪感です。しかし散々洋子たちを見ていて、その辛さをまだ若い和真が、一生背負うはめになる事は、解っているはず。その事には、罪悪感は無いのか?

和真との面会を拒絶したのは、息子の顔を見ると決意が鈍るからでしょう。「母親が闘病時僕は高校生で。父がお弁当を作ってくれるんですが、それが不味くて。お金貰う方が良かったんですが、それが言えなくて」と泣き笑いする和真。お互いを想い合う父と息子の過去が、一瞬に浮き彫りになり、秀逸なシーンです。

倉木には過去を清算したい身の上があったのは解ります。でも遺産を洋子親子に渡したいだの、度が過ぎる。そこに私は、倉木程の善き父親でも、妻子に対しての無自覚な傲慢さを感じるのです。夫・父親の意思には従うべきだとの思考です。和真の語る父は、「仕事一筋の人」。仕事をして養ってきたのだから、との思いが、倉木にはなかったでしょうか?

私の父親は四度離婚、五度結婚した破天荒な男ですが、甲斐性は人一倍どころか、私の夫の10倍はありました。晩年、「男は妻子に贅沢をさせれば、何をしても良いと思っていた。80過ぎた今、それは間違っていたと思う。お父ちゃんが悪かった」の言葉を聞けたことが、父との最大の想い出です。

上記二つの私の疑問は、原作を当たれば書き込んでいるのでしょうか?久しぶりに東野氏の小説が読みたくなりました。作品としては、犯罪について、多岐に渡ったテーマを、コンパクトにまとめていて、充分水準以上の作品に仕上がっていると思います。


2026年09月05日(土) 「時には懺悔を」



久しぶりに打ちのめされました。賛否両論ある作品ですが、私は絶賛です。監督は中島哲也。

金に汚い仕事ぶりで、「死んだ方がましな人間」と仲間内で囁かれていた探偵の光本(佐藤二朗)が殺されます。調査を依頼されたのは、元同僚で、今は一匹狼の佐竹(西島秀俊)。師匠の寺西(役所広司)から託された、新人探偵の聡子(満島ひかり)を助手に、捜査を進めます。そこには9年前の障害児誘拐事件が絡んでいました。

「死んだ方がまし」な人はいないと思いますが、「生きていても意味がない」と、世間に思われている人は、いると思います。その思考は、やまゆり園の事件につながる事だと思います。私はそれは間違っていると、否定している作品だと思いますミステリー式に光本の死を追いはしますが、この作品の肝はそこじゃない。私は親にとって、子供とは?を問う作品だと思いました。。

独りで障害児の育児に対峙する辛さや葛藤は、佐竹の妻の由紀(柴咲コウ)や、誘拐された子の母の民恵(黒木華)を描く上で、画面からもよく伝わります。「この子がいなければ」という負の感情にも、理解も示している。しかし子供が居なくなっても、彼女たちに安息は訪れないのです。

民恵が息子探しを光本に依頼したのは、純粋に息子の今を知りたかったからだと、私は思う。でもそれだけじゃない。精一杯障害児の息子の世話をしたのに、失った途端、精神状態がおかしくなった由紀共々、彼女たちが持ち続けるのは、「この子がいなければ」と思った、自分に対しての罪悪感です。

事件を辿りながら、現在は別の家庭を築く民恵に、聡子は息子の養育を迫ります。彼女は娘と離れ離れ。会う事を拒否されている。隠れて娘を見つめる慈愛深い聡子の表情が切ない。迸る行き場のない母性の先に、民恵の息子がいました。でも聡子が民恵の息子・新(しんすけ)に、肩入れするのは、娘の身代わりではないと思います。

新が画面に出て来た時、その障害の強さに、少したじろぎました。しかし何度も画面に出てくる新が笑う時、私も笑顔になる。その時ハッとしました。見知らぬ子供の笑顔を観て、こちらまで笑顔になる経験は、誰しもある事です。そこに障害の有る無しは、関係ないんだよ。暑苦しいお節介で、新の養育を民恵に迫る聡子は、同じ母親として、民恵に罪悪感の上乗せをして欲しくないのだと思います。

新を誘拐し、そのまま数奇な経緯で父親として一人で育てている哲雄(宮藤官九郎)。捨てようと思えば出来たはず。亡き妻の「運命」という言葉は重かったと思います。でもその言葉に従ううちに、新こそが自分の生きる目的になる。「こいつだけだもん、俺の家族」「俺みたいな人間がまともに生きてこられたのは、こいつのお陰」。この言葉が実の親ではなく、血の繋がらない父から出た事が、どれ程尊いか。そして哲雄は、多くの福祉支援を受けていた事に、私は注視します。

死ぬ間際に、光本が何をしたか?あれこそ血の繋がった父親の業かと思います。障害児の息子の死に、自分を責め酒浸りとなり、自暴自棄になった佐竹もまた、親の業を背負っていたと思います。寺西は、そんな佐竹を甘ったれと断罪します。しかし、彼に調査を依頼したのは、父親から逃げ続ける佐竹に、逃げられぬ爆弾投下だったんじゃないかなぁ。これもまた、師匠としての親心かと思います。

クドカンが素晴らしかったです。いつもながらの飄々とした演技の中、新によって人として変わった様子が、手に取る様にわかる。ろくでなしだったでしょう、それが謙虚で思慮深く、誠実な人にしていました。彼は彼のまま。変貌ではなく、成長だと感じました。

とても苛烈な作品です。私が痛感したのは、親で有る事は、重い業を背負っているのだなという事。決して子育てする親を、孤独にしてはいけない。哲雄の境地になるには、多くの支援が必要だと思いました。子育て経験のある私は、きっと出来る事がありそうです。

中島哲也は、「下妻」から観続けて、ピークは「告白」。ここまでは文句なしに大好きでしたが、「渇き」「来る!」は、イマイチでした(いや、イマニ、イマサンくらい)。その後のパワハラ騒ぎで、もう終わるのかと残念でした。でもこの作品を観て、どっこい生きていた。私はやっぱり思うのです。監督・中島哲也は素晴らしい。


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