ケイケイの映画日記
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2025年11月18日(火) 「盤上の向日葵」




令和版「砂の器」だと言われている今作。良い内容だとは理解出来ますが、どうも役者の好演の割には、各々キャラがきちんと浮かび上がらず、少し残念な感想です。これも「薄い水割り」系でした。監督は熊沢尚人。

ある山中で男性の白骨死体が見つかります。手掛かりは希少で高額の将棋の駒。その事が、現在躍進中の天才棋士・上条佳介(坂口健太郎)との繋がりが浮かび上がります。

「砂の器」と比較されるのだから、佳介の生い立ちに秘密があるのだろうとは、予想出来ました。その幹の部分は良いのです。問題は物語を際立たせるための枝葉。この手の作品に、刑事のキャラは重要です。刑事の石破(佐々木蔵之介)は、パワハラ気味で高圧的な男です。相棒の若い佐野(高杉真宙)を顎でこき使い、嫌な野郎感満載でした。とこかで人情家だとか、叩き上げの鋭い洞察を見せるのかと思っていましたが、ずっとこのまま。食べるシーンがしょっちゅうですが、こういう演出の時は愛嬌を表現するもんですが、ただ食意地がはっているだけに見える。観ていてあんまり気分がよろしくない。

佐野はそれ程文句ないです。でも、棋士を目指していながら、年齢でタイムオーバー。そこから刑事になるなんて、とても優秀な人のはず。それが、将棋に詳しい以外、生かせていません。

息子を虐待する佳介の父親(音尾琢真)。とても複雑なキャラなはずが、これもただのクズに終わっています。チラチラさせる父親の心情は、もっと掘り下げて描くべきでは?亡くなった佳介の母親である妻の事は「一目惚れだった、抱けるだけで良かった」との台詞以上に、純粋に愛していたのは明白です。妻死去後、憎悪が佳介に向かった理由は、もっと深く描くべきじゃないのかな。音尾琢真は芸達者なので、弱さは十分に伝わるのですが、自分でも気づけていない葛藤あるのが、イマイチ伝わらない。

佳介の母。ほぼ台詞無しで何度か登場するだけ。「8番出口」のヒットは、ニノの好演とストーリー展開だけではなく、私は小松奈々演じる元カノにもあると思っています。少しの台詞とシルエットだけしか映らない元カノは、充分に清楚さも聡明さも漂わせていました。だから、一瞬だけ元カノが映る場面が、とても鮮烈でした。様々な苦悩を抱えているこの母も、名のある人を配して、少し台詞も喋らせてみては、良かったかと思います。

唐沢(小日向文世)のパートは、とても良かった。お風呂で佳介を抱きしめるシーンは、泣けてきました。小学校の元校長という背景も解り易く、誠実な愛情を佳介に与える善き人で、心に残ります。子供のいない夫婦のようで、妻(木村多江)共々、桂介を慈しむ様子に無理がなく、素直に胸が熱くなります。

でも泣いた時、ふと思いましたが、このパートは良かったけど、それでも加藤嘉の息子との巡礼シーンには及ばない。「そんな男は知らん!」と泣きながら言う加藤嘉は、観て何十年経とうと、息子への強い愛情を感じます。強烈な哀しみは、人は忘れないという事なんだな。

そして肝心の佳介も腑に落ちない。あんな極貧+クズ親に育てられ、どうやって東大に合格出来たの?物語的に東大である必要性は?借金を返し終えたからって、何故年収の良い外資系の会社を辞めたの?その理由は?いきなり父親が「こいつは汚い血」と罵り始め、そして驚愕の出生の秘密へ突入しますが、それも唐突過ぎて、気持ちが追い付いていきません。本人のショックの大きさは推し量れますが、唐突過ぎて、感情移入できない。それと、桂介は、あの環境で、どこにいても頭角を現す超が付く優秀な人のはず。それが、台詞やあれこれ語られるだけで、将棋に強い以外は見えてこない。これも物足りなかったです。

賭け将棋士・東明(渡辺謙)のキャラも、イマイチ腑に落ちませんが、圧倒的な渡辺謙の存在感が、有無を言わさないというか、「良い」しか許さんぞ的な圧を感じます(笑)。演技力というより、存在感です。唐沢が将棋の楽しさを教えた天使なら、こちら東明は将棋に対して依存症的にさせてしまった悪魔。同じように「生き甲斐」なのに、明暗がくっきり浮かびます。

さて私が一番良かったのは、東明と賭け将棋を指す兼崎(柄本明)。多分、伝説の人なんでしょうね、将棋に対しての執念や凄みも感じさせ、娘(片岡礼子)の「あんな父は久しぶりに見ました。ありがとうございました」の台詞も、将棋がなければ生きて行けない、幸福で辛い賭け将棋士の性を感じさせて、短い台詞なのに素晴らしい。この気の利いたセリフが、他にももっと欲しかったと思います。

以上、気を削がれる事が度々で、桂介の背景に同情出来るのに、感情移入出来ませんでした。全体的に、原作の上っ面をなぞった感が残ります。生い立ちが厳しい人は、形を変えて世の中いっぱいいます。それは金銭的な事だけではないです。自分を守ろうと思うなら、「魔」が口を開けていても、絶対吸い込まれない事。寄る辺ない身の上だからこそ、人頼みではなく、自分を律してセルフコントロールしなければいけない。感情に流されず、自分の気持ちに、正直に優先順位をつける。多分叙情的な琴線に触れた人が多いと思われる作品ですが、私には、とってもドライな感想が残りました。




2025年11月04日(火) 「爆弾」




めっちゃ面白い!実を言うと、咀嚼できなかったり、疑問に感じたりが終盤続出するわけね。それでもこの作品、私は大好きです。今年の邦画のNO・1は、「国宝」だと思っていたけど、撤回します。この作品です。好きな映画は完成度とか格とかではなく、偏愛だなと、改めて思い知った作品。監督は永井聡。

酒に酔って、酒店の自動販売機を壊した事で、警察にしょっ引かれたスズキタゴサク(佐藤二朗)。刑事の等々力(染谷将太)の尋問中に、突然自分は霊感が働く、もうじき爆弾が爆発すると「予言」します。果たしてそれは、実現します。警視庁の捜査一課からは、清宮(渡部篤郎)と類家(山田裕貴)が派遣され、タゴサクの尋問が再開されますが、彼らはタゴサクに翻弄されていきます。

もうね、佐藤二朗の怪演がすごい!いつもの佐藤二朗なんだけど、でもスズキタゴサクなんだ。当初は小汚くて、頭も弱そうな中年男として登場したタゴサクですが、そのまんまのペースを崩さず、様々な顔を見せだします。無邪気で愛嬌があり、話好き。相手の心に入り込んで懐柔していく様子は、相当知能が高そう。多分メンサ級。だけど、サイコパスではない。無邪気の中に邪気を漂わせて、笑顔がとても怖い。私がとにかく秀逸だと思ったのは、他の登場人物を通して、メンサ級に生まれついた、タゴサクの哀しみが浮き上がってくることです。

類家も多分、メンサ級の頭脳の持ち主で、それを買われての捜査一課強行犯課に抜擢なのでしょう。清宮の手に負えくなり、タゴサクの尋問は類家が担当に。その事を清宮は嫌がっていました。何故なら清宮は、自分の部下も、タゴサク同様の、モンスターに変貌する素質を持っている事を見抜いているから。

私が思うに、等々力も多分メンサ級だな。何故彼ら二人は、自分の頭脳からしたら、退屈極まりない世の中なのに、モンスターにならないのか?類家は、世間を破壊するより、守る方が難しいから面白いからと言う。等々力は、今の自分が不幸ではないからと言う。二人とも自分を肯定している。という事は、タゴサクは不幸で自己肯定感が低いと言い換えられないか?全く描かれない、何が彼らが三者三様になったのか、ものすごく興味を掻き立てられました。

登場人物は、光と闇を抱えた人ばかり。自殺した長谷部(加藤雅也)しかり、矢吹(坂東龍汰)の手柄を出し抜いた伊勢(寛一郎)しかり。等々力は、「例え何か露見しても、それでその人の全てが否定されるわけじゃない」と言います。この慈悲と洞察力が、自分の頭脳に負けない人格を持つ、等々力の武器なんだなと思います。多分彼は、悪には転ばない。こちらも深いメッセージが込められていると思う。表裏一体のような類家とタゴサクですが、光が類家、闇がタゴサクというところでしょうか。しかしこの光と闇は、いつでも交換可能だと思います。

後半の重要な人物たちの絡ませ方が、稚拙です。ここはミステリーとしては致命的だけど、私は人間観察に視点を置いたので、雑なのは気になりませんでした。この辺は意見が分かれるでしょう。大切な人から貰った帽子を、タゴサクは何故捨てたのか?それは類家の言った、罪を負わされ、自暴自棄になったから、ではないと私は思います。自らタゴサクが背負ったんじゃないかしら?そして、その事で相手への慕情は捨て去り、関係性が新たなステージに入ったからかと思いました。

矢吹(坂東龍汰)や伊勢の暴走に、心当りのある人も多いはず。前者は若い功名心、後者は贖罪です。矢吹のバディ倖田(伊藤沙莉)の、バデイを想い、心ならずも規律を侵してしまう姿も理解出来ます。保身ばかりのパワハラ上司かと思っていた鶴久(正名僕蔵)の見せる温情もしかり。、スリリングな高頭脳の戦いの中、人間らしい暖かさを滲ませていて、ホッとします。

とにかく全部のプロットに置いて、熱量満タンで素晴らしい!文脈や行間は、過分に役者の力量に頼るところがありますが、それを差し引いても、私は大好きな作品です。引き出したのは、監督だしね。私の疑問が、続編で解明されますように、切に願っています。だから、続編が作られるように、お願い、ヒットして!エレカシ宮本の主題歌まで、気に入っている作品。


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