ケイケイの映画日記
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2023年11月19日(日) 「正欲」




いやー、力作だなぁ。この原作、映像化するのは、すごく大変だったと思います。なかなかイメージが追い付かない中、段々と作り手のメッセージの輪郭が浮かび上がってきて、ストンと胸に落ち着く頃には、この作品が大好きになっていました。監督は岸善幸。

検事の寺井(稲垣吾郎)は、小学生の息子が登校拒否になり、その事で妻(山田真帆)との間にも溝が出来つつあります。夏月(新垣結衣)は、独身で実家住まい。友達もおらず、毎日淡々とした日々を送っていたところ、中学生の時に転校した佳道(磯村勇斗)が、こちらに戻ってくると知り、胸が騒ぎます。学園祭の企画で、大也(佐藤寛太)と知り合った八重子(東野絢華)は、男性が怖いにも関わらず、何故か大也が気になります。

この三組が、ある性癖と絡めて、少しずつ繋がっていきます。その性癖とは、水。水フェチなんです。もうね、女王様の聖水プレイ以上に解りません(笑)。ただお陰様で私はたくさん映画を観ているので、その嗜好は観た事も聞いた事も無かったですが、否定する気にはならず。こんなのもあるのか、大変だなぁと、変に感心。そして興味が湧きました。それが結果的には鑑賞に役立つ事に。

水に性的興奮を覚えるのですから、カテゴリー的には変態かと。ずっと書いていますが、私は他人に迷惑をかけたり傷つけたり、犯罪でなければ、どんな変態でも構わないと思っています。でも私みたいな人は少数派なんでしょう。夏月、佳道、大也の三人は、世間から白い目で見られないよう、自分の性癖がばれないよう、人とは関わらないように、ひっそりと生活しています。受け入れられる事は、最初から諦めていて、大也など、人を寄せ付けない様子は、攻撃的に見えるほど。観ていて辛くなる。

世間を代表しているのが寺井。自分の辞書には不登校などなく、声を荒げたり手を出したりはしませんが、自分の理解出来ない事は、正論で押し通し否定する様子は、モラハラっぽくさえ見える。不登校に関しては、妻には賛成できかねる部分もありますが、あれこれ手を尽くしてきたのでしょう、子供の笑顔が最優先だという感情は、同じ母としてとても理解出来ました。

夫婦の溝を、夕食がレトルトカレーや、作り置きのオムライス「だけ」の献立で表すのが秀逸。仕事して帰ってきた旦那さんに、妻としてこれは無いと思う。部屋も徐々に散らかり放題。なのに、顔をパックする時間はあるという。妻の視界には、ほとんど夫は居なくなっているのでしょう。でも一番ダメなのは、夫がその事に気づいていない事です。ある意味夫も、妻子に本当の意味で、関心がないのです。子供が不登校にならなければ、夫婦のお互いへの思いは、露わにはならなかったと思います。

お互いの嗜好を確認した夏月と佳道。人への性的欲望はない二人ですが、徐々に距離を縮め、お互いがなくてはならない間柄になります。「もう一人で生きてきた方法を忘れた。居なくならないで」と言う夏月に、「僕もだよ」と答える佳道。そこには性も恋も媒介しないけど、その気持ちは、愛ではありませんか?そう思うと、この二人は普通のカップルだと思いました。

八重子は、多分性的なトラウマがあって、男性が怖い。大也に惹かれたのは、性の匂いがしなかったからだと思います。彼も女性への性的興味はありません。だから八重子は、男性への恐怖が、大也なら払拭出来ると、恋をしたのでしょうね。口を過呼吸気味にパクパクさせながら、一生懸命自分の気持ちを大也に伝える八重子。大也の心は少し解れますが、そこまで。夏月と佳道にはならない。大也の先輩の言うように、私も八重子なら大也を孤独から救うと思ったので、すごく切ない。大也はまだ本当の自分を語れない。愛情を得るには、勇気が必要なんだなと、しみじみ思いました。勇気を出した八重子には、幸あれと思います。

この作品、人との繋がりをネットに求める危うさも描いています。私は小学生が学校に行かないでYouTubeに配信するのは、やっぱり反対。まだ人間形成が出来ていない時に、不特定多数の人に、自分を曝け出すのは危険過ぎます。佳道も、夏月の存在が、他の人とも繋がりたいとの思いを抱かせたのでしょう。人との接触が希薄だったため、クズを引いちゃったんでしょうね。

私も40歳になるかならないかで、ネットの世界に入り、たくさんのお友達が出来て、盛んにオフ会したものです。善き人ばかりで、今も楽しく繋がっている方も多く、運が良かったのだと、この作品を観て思いました。私は趣味としてはマジョリティの映画だったし、レビューは、書く人の年齢・性別・知力・体力・人生の経験値等、大げさに言えば、書く人の全てが投影されるもので、それも功を奏したのでしょう。それ故に、マイノリティーの孤独さが、切々と伝わってきます。

稲垣吾郎は本当に不思議な人で、知性はあるのに、鈍感で無神経な、でも人の心はちゃんとある人を演じて、本当に上手い。水に性的興奮を覚えるガッキーのシーンは、官能的で清廉で、綺麗だなとさえ思いました。これは多分ガッキーが演じているからでしょう。この二人をキャスティングした事が、成功の最大の要因だと思います。

世の中の価値観は、多種多様となって、選択肢が増えました。しかし何も考えず固定観念で生きていた昔の方が、「それだけ」だったので、迷う事が無かった分、楽だったかも。でも楽の先に幸せがあるかと言えば、さにあらず。茨の道の向うに待つ幸せも、きっとあります。「女三界に家無し」を引きずった時代に生きた私は、今の時代の方が良いと、言い切りたい。多様性を認めるのは、人権を守る事だと、私は思います。

自分の辞書にない事は、理解出来なくていいんです。私もそんな事、たくさんあるもの。でもその事を否定しないこと。世の中は自分の思考が全てではないと、認識することが大切だと思いました。特異な性癖をモチーフに、今の時代に、とても大切な事を教えてくれる作品でした。




2023年11月06日(月) 「月」




う〜ん・・・。この作品を観たシネ・ヌーヴォは、有難い事に一か月前に上映時間が解ります。久しぶりにヌーヴォで観たくて、時間を合わせてやっと鑑賞。安全杯だと信じ込んでいたら、まさかの大外れ。さもリアルに描いているようで、本当に現場をリサーチしたのか?という場面続出で、その場限りで繋いでいく内容に、だんだん腹立たしくなりました。監督は石井裕也。今回罵詈雑言になりそうなので、ネタバレです。

新作が書けなくなった作家の洋子(宮沢りえ)は、売れないアニメーション作家の夫(オダギリジョー)と二人暮らし。生まれて三年間寝たきりだった息子を看取った、辛い過去があります。息子の死から立ち直りつつある洋子は、知的障害者施設の介護職員として働き始めます。施設の職員には、陽子(二階堂ふみ)やさとくん(磯村勇斗)らがおり、厳しい介護の現場に、皆が疲弊しいます。そんな折、洋子の妊娠が発覚。洋子は高齢出産となり、出生前診断が可能です。夫婦は命の選択という岐路に立たされます。

この作品は記憶にも鮮明な、相模原市の介護施設で、優性思想を持った介護職員の大量殺人を基にした作品です。常に禍々しく薄暗い画面、鬱蒼とした森、物々しい施設の様子。まるでダークホラーです。そのつもりですか?違いますよね?それと余計な描写、情報があり過ぎて、障碍者の人権や命を考えるはずのテーマが、絞り込めておらず、大変散漫な印象です。

例えば陽子。作家志望で、ここで働けば、題材等得るものがあると、言わばスケベ根性で働いています。この設定に文句はありません。しかし、父が不倫体質、自分の才能の無さに生きている値打ちがない、上手く行かない自分の人生のストレスからの虚言癖。必要ありません。ストレスからの虚言癖なら、仕事の辛さだけに絞るべき。

洋子は震災の時の取材体制のせいで、書けなくなりました。話は通じますが、これも話を広げすぎ。障害を負った子供の生死が、書けなくなった理由で充分。そして何故、主治医の産婦人科医(板谷由夏)が、洋子の友人なの?これも余計。アドバイスに「友達としてではなく、医師として言うね」と断るなら、ただ主治医と患者の関係で充分です。わざわざ友人にする理由が解らない。

三年ぶりに仕事を見つけて来た夫。マンションの管理員です。私は分譲マンションの管理員として10年目に入りましたが、ここの描写がズタズタ。夫の年齢は40代半ばくらいか?この仕事も低賃金です。私が入社した頃は60歳からスタートする仕事だと言われ、私は散々あちこちで「若いのになんで?」と言われました。年々仕事を始める年齢は高くなり、今は65歳です。夫の年齢ならもっと賃金の高い仕事があります。何故この仕事?二人体制という事は、100軒以上の物件なのでしょうが、ゴミ庫が無駄に広すぎ。あの広さなら、ゴミはそれぞれ分別できるコンテナがあります。そして大規模なマンション程、清掃専従の人が別に居るので、ゴミ庫の清掃もしてくれるはずです。防犯カメラのウィンドが一つで画面占領も有り得ない。通常4分割〜8分割です。管理事務所で待機中は、そうやってマンション全体を監視しています。さとくんが、いきなり夫の勤務中にマンションに入れるのも謎。オートロックは?無いなら、正面の窓を開けっぱなしはあり得ない。何故なら、立ち入り禁止の管理事務所に、そこから突進される危険があるから。

極めつけは相方の管理員。性格悪いのはまだしも、「あんたの履歴書を読んだけど」。本当に憤慨しました。そんな重要な個人情報、会社の庶務方でも普通閲覧出来ません。ましてや現場職。どうして読めたの?誰が見せたの?うちは毎月研修がありますが、必ずコンプラについて言及があります。こんないい加減な仕事内容、悪意満タンの人でも出来る仕事ではありません。自分の仕事をバカにされた思いでした。何のために夫の仕事を管理員にしたの?これも必要ないです。

これと同じことを、現在介護に携わる方々も感じたんじゃないかな?例えば糞尿まみれで個室に監禁されている利用者。認知症に症状として、便に固執するのは知っていますが、監禁はあり得ません。総がかりでお風呂に入れるはずです。お友達によると、原作でもこの描写はあったそうな。創作なのか実話なのか、稀にはあるかも知れません。私が言いたいのは、何故そのような「滅多にない」扇情的な場面を描くのか?です。

その他にも、施設の体制がぐちゃぐちゃ。男性二人が当直の時もあれば、事件が起きた時は陽子一人が当直。暴れる入所者が懸念される施設なら、女性一人の当直はあり得ないはずです。いたずらに入所者のてんかんを誘発する職員やら、やる気のない職員ばかり描き、何故頑張って介護する職員を描かかないの?数で言えば、まともな介護職員の方が、「絶対」に多いです。そんな片手落ちの描写の羅列で、真に問題定義が出来るとは、思いません。

心優しい職員だったさとくんの、心の急変も謎が多い。糞尿にまみれた入所者と自分を同一視してしまった時からです。でもその入所者の異変は、薄々は判っていたはず。背中を覆う刺青を見せる必要は?大麻吸引の場面を見せるのは?彼が前科者か、似たり寄ったりだと言いたいと思いました。介護は人手が足らず、受刑者が刑務所で資格が取れたはず。それを想起させる人が殺人に手を染めるのは、真面目に働くその人たちへの偏見を、助長するのじゃないですか?

それと支離滅裂な言動から、さとくんは事件の前に措置入院となります。措置入院は、自傷他害の恐れありの人を、二人の精神科医が入院妥当だとして、初めて入院。二週間で退院はあるかも知れない。でもこんな短期間の入院なら、保護する人がいないと、退院出来ないのでは?いないなら、警察の監視下に暫く置くと思いますが。

私は現職の前は、13年間医療事務をしていました。最後は精神科のクリニックに5年半いました。勤める前は、自分は差別心はないと思っていました。勤めて直ぐ感じたのは、あぁ私はこの人たち、人であって人ではないと思っていたんだ、差別してたんだよと、痛感しました。「僕の友達がアルカイーダで、エリザベス女王の友人なんです。今ポンドが下落しているでしょう?女王が泣いているらしいですよ」と、ニコニコ話す患者さんと、私は普通に映画の話で盛り上がっていました。妄想は確かに凄いですが、それ以外は至って普通。皆、変わった事は常に言うので、それも楽しい。バカにしているのではなく、単純に面白いのです。

それと同時に、とにかく決まりを守れない、自分勝手が過ぎる人が多いので、あんなに患者さんの悪口を言って発散した科もないです。しかし私は受付だったので、患者さんの医療者側への悪口もいっぱい聞きました(私の悪口も言ってるだろう)。同じ土壌に立っているから、悪口合戦になる。この人たちも私も、人間同士なんだよ。そして精神病も障害(知的障害、発達障害もたくさんいた)も一様ではなく、人柄も気質も理解力も様々です。人格とそれらは別物だと思い知ります。私が精神科に勤務した一番の収穫はここです。

これは介護職についた人も、同じだと思います。私なんかより、もっともっと厳しい環境に身を置いた方々の方が、障碍者は個体ではなく、人間なのだと、痛感していると思います。それは志がなく、「でもしか介護職員」もそうだと思う。私は昨日今日来た洋子の告発なんかではなく、ベテラン介護職の人への敬意を持った、そういう描写が観たかった。それは決して綺麗事では、無いはずです。

介護職の人の離職は、短期間の人はともかく、仕事そのものが嫌になったは、少ないと思う。理由は低賃金、劣悪な勤務体制、スタッフの人間関係の悪化ではないですか?せっかく「こんなに大変で給料は17万」というセリフが出たのに、それをストーリーに絡ませず、勿体ないと思いました。さとくんも、これらの要素で病んでいった、の方が、説得力があったと思います。

良かったのは、洋子夫婦の描き方。子供を亡くした夫婦のその後は、お互いを思いやりながらも、このようにすれ違うのだと思います。夫が小さな賞に入賞し、「今度回転寿司に行って、いっぱい食べよう。賞金出るんだ、五万円だけど」との言葉に、嬉しくて号泣する洋子。「お金なんか関係ないよ」。かつて彼女が貰った賞には、比べるべくもない小さな賞だと思います。でもこの数年の夫のどん底の葛藤を知るから、心から嬉しいのですね。夫婦の再生を祝福しているようで、このシーンは大好きです。

私は40で初産の人が、「出生前診断はしなかった。どんな子でも受け入れる気でいた」との言葉を直接聞いた事があります。出生前診断で、子供に異常があれば96%が中絶を選ぶとのセリフは、診断する人は、異常があれば中絶が前提なのだと思います。これをどうこう言う人がいるなら、私は人でなしだと思う。障害児を産まなくて済んだと安堵する人はおらず、自分も傷ついているはず。一生その事を背負って生きているはずです。

新聞で読んだ、療育施設の所長さんの談話を要約して書きます。「障害を持つ子供は、小さなうちから見つけ出し、早くから療育機関に繋げること。そうすれば、必ず社会に適応でき、就労に繋がる。人口が減る中、生産性のある人を社会に送り出す事は、税金の収益にも繋がり、国力アップとなる。なので、これらの責任は国にある」。朝から胸が熱くなりました。

この作品に描かれた障害者は重度で、就労は難しいです。しかし基本は同じ。扇情的な場面の羅列の割には、薄っぺらな内容で憤慨しましたが、この事が再認識出来たのは、私的に収穫です。作り手の、あなたはどう思うか?の私の答えは、生まれ来る人々は、全て生きる権利がある。それは重度障碍者だとて同じ。その人たちが、状態に応じて安寧な生活がどうすれば送れるか
、それを考えるのは国の仕事。しっかり国に考えて貰って、私たちはその財源を作るべく、しっかり仕事して、税金を払う、です。

かつて看護師が不足していて、国は担い手を作るため、医療者としての位置づけを医師の直ぐ下に置き、賃金をアップして、国ぐるみで地位を高めた、という話を読んだ記憶があります。それを今度は福祉業界で働く、介護職や保母さんにして欲しい。福祉の世界は、かつて母・妻・嫁・娘が、愛情や責任の美名の元、当たり前のように無報酬で担っていました。政府は、女子供が今までタダでやっていた仕事、金が当たるだけ有難いと思えの感覚でいたのが、今の惨状を生んでいる。陽子の父が言う、「娘は尊い仕事に就いてる」のセリフは、私もそうだと思います。福祉業界で働く方々が、プライドを持って仕事が出来るよう、国に猛省を促したくなる作品でした。









2023年11月03日(金) 「唄う六人の女」




これも予告編だけを観て鑑賞。ミステリーの領域より、主人公萱島(竹野内豊)にまつわるお話が気に入ったので、私は面白く観ました。監督は石橋義正。

両親の離婚のため、幼い頃に父(大西信満)と別れて育った写真家の萱島。その父が亡くなり、辺鄙な山奥の実家へ戻ります。家は不動産屋の宇和島(山田孝之)に売ることに。駅まで宇和島に送って貰っていた萱島は、謎の女の出現で、事故に遭います。気が付くと、そこは6人の女が出入りする家で、二人は共に監禁されます。

夢か現か幻か。この女たちは、森の精霊ですね。売り払った山には、とある秘密があって、それがため、萱島の父は断固として土地を売らなかった。という内容を、幻想的に描いていきます。

きっと母親に悪口ばっかり言われて育ったんでしょうね。久々の生家に帰ると、父と別れる前の、幼かった自分の痕跡があちこちにあって、萱島は自分が記憶を封印していたのを、感じます。父とはどういう人だったのか?萱島が感傷的になりつつ、探ろうとする姿が描かれます。ここがね、私は心を掴まれました。人によっては、平凡な導入かもしれませんが、私は竹野内豊、好きなのね。どこが好きかというと、低体温で感情の起伏が少ないところ(笑)。そして軽薄ではない。他は顔が好き(身も蓋も無い理由)。私の好きな彼の個性にあっていて、静々深々、萱島の感情が伝わってきました。

この精霊たちも気に入りました。個性の描き分けが出来ていて、私が特に気に入ったのが、人魚のように自在に水の中を踊る精霊(アオイヤマダ)。若々しい官能性があって、もっと観ていたかったです。水川あさみも、成熟した色香を漂わし、萱島を惑わしますが、彼にはかすみ(武田玲奈)という、公私共の若いパートナーがいます。寸でのところで思い留まる、萱島の誠意も気に入りました。

この手の寓話は、精霊が男性の精を吸い尽くすみたいな描写に成りがちですが、そうあってはならん理由がちゃんとありまして。萱島には、心身共に充実して、過去を思い出して欲しかったんですよ、彼女たちは。そのために、手荒い教育的指導をしていたわけで。その辺も澱みがない。

繊細に過去を紡いで、自身もどんどんスピリチュアルになる萱島に対して、人品骨柄賤しく、どこまでもとことん悪漢のままの宇和島。そういえば、両方無精ひげなんですが、山田孝之は汚らしく見えたのは、役造りには成功だったのかな?宇和島は、「俺とあんた(萱島)は似ていると思っていたが、あんたは偽善者だ」と言います。このセリフを入れるなら、どこが似ていたのか、その描写は欲しかったです。そして、萱島は偽善者ではありません。

人には見えない物が見えた父。同じ物が見えた息子に、自分の意思を託すのは、自然な事です。父は片時も息子を忘れた事はなかったと思います。その事を理解した息子の行動も、これまた自然の成り行きだなと思います。純粋さを受け継いだんですね。

ラストの成り行きは、仲介業者の松根(竹中直人)が、「あんたみたいに若い女に手を出したから、(萱島は)罰が当たって事故にあったんだろう」の言葉に対する、かすみのアンチテーゼだと思う。萱島は、若くて美しく賢いかすみが、自分の人生を捧げても良いくらい、素晴らしい人だったんでしょう。彼女をそれを立証したくて、受け継いだのだと思います。

最後に白川和子!「春画先生」でも元気な姿を見せてくれましたが、何と75歳なんですね。ちゃんと田舎のお婆さんに見えるのに、とっても小綺麗で感激しました。さすが元ロマポの女王。だいぶ前なんですが、CSで何気なく昔の「必殺」シリーズを観ていたら、そうだな、30半ばくらいの彼女が出演していてね、勿論濡れ場あり。それが裸は見せないのに、喘ぎ声が物凄くて、超エロエロ(笑)。男の人は、こんなの聞いたら、その晩はタダでは眠れないのじゃないかと思う程。それ以来、この人を見る度に、女の鑑だと思って背筋を伸ばしています(笑)。

土俗的で寓話的に描かれる中、父子の愛情に環境問題も上手く絡めていました。プロデューサーの山田孝之が、あんな唾棄すべき男を演じて、竹野内豊に花を持たせているのも漢で、好感が持てました。感情が精霊たちに抱擁される感覚がして、私は好きな作品です。


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