ケイケイの映画日記
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2023年08月15日(火) 「バービー」




産湯を使ったお人形さんはタミーちゃんだったし、リカちゃんも大好きだけど(「現実を生きるリカちゃん」のファンです)、私は人形はバービー派でした。この作品は製作が決まった時から、楽しみにしていました。公開前にケチがつきましたが、映画はとっても良かった!もう最高!期待以上の出来でした。秀逸なフェミニズム映画です。監督はグレタ・ガーヴィク。

バービーランドに住む定番型のバービー(マーゴット・ロビー)。裁判官も医師も作家もお友達も、型番は違うけど、みーんなバービーです。もちろんBFのケン(ライアン・ゴズリング)もいっしょ。毎日素敵なファッションにお食事、お勉強にパーティーと、仲良くランドに住んでいます。ところがある日、定番型のバービーが死を考えるようになったり、ハイヒールを脱ぐとベタ足になったりと、不安定になってきます。変てこバービー(ケイト・マッキナ)によると、それは彼女の持ち主の気持ちが伝わっているからなのだとか。自分の持ち主を探しに、バービーは人間界に行く事になります。

のっけから、テーマカラーのおピンク満載!ランドの様子がとにかく可愛くて楽しくて!何も考えず、ポジティブに好きな事だけに囲まれてね。私も住んでみたいわ〜と、ウキウキ。但し一か月。いや、一週間かな?(笑)。期間限定と思わせるのが、この作品の要でして。

キュートでカラフルなれど、チープすれすれ、絶妙にプラスチック感を漂わせ、そこはかとなく「籠の鳥」を匂わせるランド。品行方正で他人の陰口も言わず、女の子同士仲良しこよし。男の子を泊まらせるなんて、ママに怒られるから、出来ません。ここは、喜怒哀楽の楽しかない場所。そんな場所、そのうち退屈よね。それが解らないバービーたち。ここは与えられ、保護された場所です。

バービー人生で辛酸を舐め尽くした変てこバービーに促され、仕方なく(しんどい事は嫌)バービーは、人間界に辿り着きます(本当は遊んでいたい)。そこはバービーランドと真逆の男社会、自分は女の子たちのアイドルだと自負していたのに、ローティーンになると見向きもされなくて、大人の男たちにはセクハラされる何という現実。悲しくて切なくて、涙するバービー。初めての感情の発露です。人間界という大海を知り、成長し始めている証しです。

対するケンは、いつもバービーの添え物だったのに、男社会の現実にウハウハ。積年の恨みを晴らすため、マチズモに目覚め、それをバービーランドに持ち込んだから、さぁ大変。すっかりランドの世界観が豹変してしまう。でもこの「恨み」、長年女性が抱いていた憂いなのです。このケンのキャラは、とても上手い。ほんと、添え物でしたね。何というか、私の時代のケンは凛々しさがなくチャラい(ごめんよ)。イマイチ好きになれなかったので、BF役はGIジョーを買って貰った事を思い出しました(笑)。

マテルのCEO(ウィル・フェレル)は、会社の役員が男性ばっかりでも気にならず、事件を起こされる前にバービーを捕まえたい。素直に箱に入らないバービーにクソアマ発言するも、ランドにマチズモを持ち込むケンは許し難い。曰く「現実では実現できないから、バービーランドくらい、女性社会にしたいのだ」。

↑自分たちが社会を牛耳るのは太古よりの正義で、何の問題もない。モラハラと言われても、何がモラなのか解らない。僕の言いつけを守ってくれない、君が悪いのさ。でも君を愛しているんだ。だから夢を見させてあげたいんだよ(当社解説)。

多くの、それも善良と呼べる男性が陥る思考ですね。無自覚な差別感です。夢を見させてあげるのではなく、夢を実現させてあげるべく、支えてあげるのが愛情、敬意では?これを縁の下の力持ちという。女性はずっとずっとず〜と!この役割をしてきています。夫や子供を愛しているから。

仕事や家庭生活、子育てに疲弊するマテルの社員のグロリア(アメリカ・フェレーラ)の長台詞に、私は涙が止まらない。要約すると、「いつも明るく愛想良く、でも目立つな。気配りをしろ、家事をしろ仕事しろ子育てしろ。家族や社会のためになるように生きろ。そして感謝を忘れずに。女はいつも言われている。」ここまで誰かのために頑張って、感謝されるのではなく、感謝しろって。でもね、耳にタコができるくらい、同じ内容を聞かされているんです、私たち。

「82年生まれ、キム・ジヨン」で、ジヨンの女性上司が、同僚男性から「夫に感謝しろ」と言われるを思い出す。出世したのは、彼女の頑張りなのに。男性が出世して、妻に感謝しろとは、あまり言われないと思います。感謝とは、本来美しい言葉ですが、「働く夫(仕事は定時で終わり、働く以外は自分の自由時間、家庭にはノータッチ)に感謝しろ」と言われ続けて、私はこの言葉が今では、大嫌いです。謙虚にはいたいけど、親にも夫にも感謝しろと言われ続けて、私はもう金輪際感謝なんか、したくない。私が大噴火して宣言したから、夫はもう言わないけどね(笑)。

縁の下の力持ちとして、誰かの人生を支えてきた女性たちが、自分の人生を生きたいと思うのは、当然の事です。「楽しいだけでいいの?」と、バービーに問うグロリアのローティーンの娘。それも与えられた人口の「楽」。自分の足で踏みしめながらの「喜怒哀楽」は、人生を豊かにし、成長させてくれるはずです。ベタ足に似合うサンダルは、その象徴なのでしょう。

フェミニズムって何かしら?私が思うに、男性を糾弾したり、追い越したい野心ではなく、敬意を持って貰い対等な立場になりたい、ではないかな?一方的ではなく、お互い支え合う姿です。男性にばかり要求するのではなく、女性もしっかり自立したい意識を持つべきです。男女両方共にアプローチしている点が、とても気に入りました。

「添え物の哀しさが解かったか!」と叫ぶケン。リーダーは辛かったと言うと、「解るよ」と同意するCEO。なら、お互い協力して、責任は半分こにすれば?女性の社会進出が進めば、案外肩の荷が下りて、楽になるかも?そうそう、裁判官のバービーが、「添え物ってサイコー!」と言ってましたっけ(笑)。無い物ねだりではなく、役割を分け与える感覚かな?コメディ仕立ての王座奪還作戦も、男女の特性を上手く使っていて、気持ちよく笑えました。

マーゴット・ロビーがバービーそのもの!似つかわしいとは思っていましたが、少々年食ってるけど、大丈夫か?と思いましたが、可愛いったら、ありゃしない。可愛いおぼこ娘に見えるのなんの。「バービーに性器はないの。お股ツルツルよ」には、笑いました(笑)。笑いましたが、ここには深い意味がある。セクハラしてくる不穏な輩に、自分は人形とけん制していたと思います。そうしなければいけないくらい、若い女性は、常に性的な危機に晒されています。

定番型=普通の女の子の解釈で良いのでしょうね。プロデューサーも兼ねるロビーの想いは、たくさんの女の子、そして男の子にも届いたと思います。

ポップな美術にウキウキ目を見張り、平易な言葉に込められた深い含蓄を、是非心に留めて頂きたいです。この作品を、女の子だけの特権にするのは、勿体ない。現在のハリウッド躍進中のパワーカップル、ガーヴィク&ノア・バームバックが奏でる世界を、是非ご賞味下さいませ。


2023年08月11日(金) 「離愁」




映画好きなら、一度は観た記憶がある画像です。傑作の誉れ高い作品なので、映画の内容より、このラストシーンの結末は知っていました。でも私の認識は実際とは食い違い、今回諸手を挙げて、絶賛する訳には行かなくなりました。それ以外でも、かなり認識は異なっていました。監督はピエール・グラニエ=ドフェール。

第二次世界大戦のフランス。幼い娘と身重の妻のいるジュリアン(ジャン・ルイ・トランティニャン)は、戦火を逃れ、疎開しようと決意します。妻と娘は座席のある車両に乗れましたが、若く元気な彼は、家畜用の車両へと誘導されます。様々な男女が乗り込む中に、憂いを秘めたアンナ(ロミー・シュナイダー)もいました。緊張感が高まる車両の中、二人はお互い魅かれ合い、深い仲へとなります。

一番のびっくりは、ジュリアンが妻帯者だった事。何故か私は独身だと思っていました。この作品の公開時は、私は中学生でした。その後もすっぽり情報は抜け落ちていたんですね。

次のびっくりは、戦争を背景としているけれど、主な内容はメロドラマだと思っていました。そういう見方も出来るでしょうが、私の感想は、完全に反戦ドラマ。特に編集が秀逸で、戦争当時のモノクロの記録映像に、製作当時(1973年)、戦時中を再現したモノクロの映像が繋がれ、次に段々と鮮やかな色彩を放ちます。無理なく観客は戦時中に。場面展開で何度も同様の手法が使われ、感嘆しました。

街中が疎開する様子は、幾多の映画でも描かていますが、自分の年齢が行くほど、その大変さ、無念さに胸が痛み、今回も大層感情移入しました。お金がある人は、馬車や車を使い、着の身着のままの人も大勢おり、この辺描写はとても丁寧です。

すし詰めの貨物列車内は、老若男女の様々な人がいます。女性は少ないので、アンナと派手目の中年女性は、すぐに狙われる。当初は諍いが多かった男性陣ですが、時間が経つと、同じ目標を持つ者同士の連帯感が生まれ、酒盛りをしたり、トランプに興じたりと、この辺は辛さを強調する作品が多い中、どんな境遇でも人生は謳歌するべきと、如何にもフランス的だなと感じました。

それだけではなく、列車内なのに空襲で、あっと言う間に隣に居た人が死んでしまった事や、火事場泥棒のような真似をしたり、悲惨なシーンも盛沢山。特に私が印象に残ったのは、「戦争は第一次大戦だけで、もう起きないと思っていた」と言う、老人の言葉。このセリフは再三出てきて、現在の不穏な社会情勢と照らし合わせて、身が引き締まる。

そして身の上話の最中で、自分はドイツ人だが、国では迫害されているユダヤ人なので、国へは帰れないと語るアンナ。私が驚愕したのは、その事実をジュリアンが知らなかった事。情報は隠蔽されていたのでしょうか?それなら、ここは隠蔽の恐ろしさを表現しているのだと思います。

派手目女性と彼女を狙う男性との情交を目の当たりにし、ジュリアンを誘うアンナ。最中にずっと笑みを浮かべるアンナ。セックスで生を実感しているのだと私は思っていましたが、後の場面から、それだけじゃないみたい。最中に目があった、派手目女性のウィンクも、のちのちの展開で、ただのケセラセラには思えなくなる。

平和な日常が遮断され緊迫する中、ジュリアンがアンナと深い仲になったのは、取り敢えず良しとしよう。途中で列車は切り離され、妻子とは離れ離れになってしまった中、明日をも知れぬ運命に、何とか生きる縁が欲しいのが人間の性(さが)だと思います。このまま妻子と会えなければ、「ひまわり」と同様のケースだと思いました。アンナに「奥様を愛している?」と尋ねられ、「結婚しているから」とはぐらかすジュリアン。「愛している」とは言わない。彼も妻子は探さない男だと思いました。

一時間半、上記のような場面の連続で、話に違わぬ名作だと感じていました。しかし、目的地に到着して以降、私的に怒りと謎が充満。アンナを妻と偽り、公文書偽造の罪はまぁいいでしょう。愛人であり共に戦火を潜り抜けた二人。あそこで付き放す事は出来なかろう。

しかし、妻が出産した病院へ何故連れて行く?例え乞われたとしても、妻が見つかれば、二人の関係は終了じゃないの?おまけに幼い娘を抱え、心細い中、一人で出産だよ?そして病院に着くなり、「男の子だった」と喜び、「娘に会ってくる。少し待っていて」と言い残し、娘のところへ。いやいや、妻への労いは?もしアンナの前で憚られるなら、男の子だ、娘に会ってくるも憚られるはず。勝手な男だと憤る私(!)。対するアンナも、図々しい女だと腹立たしかったですが、すっと立ち去った事に、理性を感じました。きっと頼る人もいない中、心細かったんだと感じました。これは後で理性ではなく、相手を思う聡明な判断だと思い知ります。

三年経ち、ドイツに占拠されながらも、家族四人で暮らすジュリアン。「妻は何か感じ取っているかもしれない。しかし、何も言わない。嫉妬も情熱もない女だ」と、彼のナレーションが入ります。はっ???完全に妻を見下す発言。それ、子供抱えて言えませんから。家庭に波風立てたくないからでしょう?戦火の不穏な中、家庭が壊れてしまっては、子供を育てられない。先の「結婚している」発言もあるし、この男、もしかしてモラ?

そして終盤。この画像ですよ。どこもかしこも、純愛だの素晴らしいラストだの書いてある。ジュリアンが独身だと思い込んでいた私も、そうなのだと信じていました。でも実際は既婚者。誰も書かないなら、私が書こう。この男は駄目です!

いい?ジュリアンはいいでしょうよ、どんな罪咎が待っていても。「純愛」を貫いたんだから。では妻子は?この戦火の中で、どうして幼い子を抱えて妻が生きていくの?それも命懸けで自分が子供を出産している時に、夫は他の女と情を交わしており、有ろうことか、窮地に自分たちではなく、その女を選ぶ。いったい誰の子供なの?私なら発狂しますよ。いや子供のために発狂も出来ん。ワーーーーーーーーーーー!!!

そして尋問する警察官から、アンナは当時からレジスタンスというか、スパイだったのではないかと感じました。「どちらが誘ったのか?男か女か」。誘ったのはアンナ。身の上話も半分は嘘かもしれない。最中に派手目女性がウィンクしたのも、彼女も同じ立場だったかも知れない。派手目女性は、どうして客車に乗らないのか?問われ「女が苦手なの」と答えている。アンナがジュリアンと情を交わしていた時の微笑みも、生の享受ではなく、首尾よくいったの安堵かも知れない。

偽の証明書までは想定内。愛人の立場で、もっとジュリアンを利用出来たはずが、病院で気が変わる。それは車中でシングルマザーが亡くなり、その赤ちゃんを抱いていたぬくもりが、アンナを立ち去らせたのだと思います。ジュリアンの子供たちを、同じ境遇にしてはいけないと痛感したのでしょう。

折角のアンナの想いを無にするジュリアン。彼女こそ、ジュリアンを愛し始めていたのでしょう。だから相手の立場を慮る。翻ってジュリアン。アンタ妻子持ちだよ?アンナこそ運命の女ってか?運命なんかどうでもいいから、妻子を守りな。結婚したなら一番大事なのは、話し合いでもなく愛情でもなく、相手の人生に責任を持つ事です。次に大切なのは、子供がいれば、その子たちをしっかり育てる事。極端な事を言えば、愛情はなくても良いわけですよ、この二つがしっかりしていれば。でも愛情なくば辛いから、夫婦は誠実に、お互いを一番にするべき努力をするわけな。これは今も昔もどんな時でも、同じはず。

命懸けの異常な空間の中、芽生えた愛情を偽りとは言いません。でもそれは、日常が戻れば、リセットされるべきです。それが人が持つ理性ではないですかね?このラストは、アンナの女心さえ無にして、私は到底受け入れられません。

私はロミー・シュナイダーの作品で何が好きかと言われたら、ほとんど観てないのな。取り敢えず「地獄の貴婦人」は好きです(ワハハ!)。今回出ずっぱりの彼女を観て、何と美しい人かと惚れ惚れ。どちらかと言えば、角ばった男顔の美貌ですが、クールビューティーではない、上品な色香が漂う。所作がとても上品で、パンをほうばる様子の愛らしい事。素晴らしい!

トランティニャンは、何を考えているんだかで、ずっと冷たく冷静な面持ちでしたが、そうかこんな自分勝手な男だったんだから、上手く演じていたんだなと納得しました(笑)。

という事で、傑作の誉れ高い今作ですが、ラストの為、目出度さも中くらいとなりました。すっかりロミーに魅了されたので、次はフィリップ・ノワレが、愛しいロミーの復讐のため、大虐殺する「追想」を観たいと思います(これで合っている?)こちらの方が私に合いそう(笑)。To be continued!







2023年08月09日(水) 「658km、陽子の旅」




わー、凄く良かった!現代的な要素をモチーフに、引きこもり気味の女性の内面をロードムービーとして描いています。懐かしいような感情が、心に湧き上がってきました。監督は熊切和嘉。

青森から上京して22年の陽子(菊地凛子)。夢破れて、現在は半ば引きこもりのような様子です。従兄の茂(竹原ピストル)が突然現れ、父(オダギリジョー)が亡くなったと言います。茂家族と共に、葬儀のため車で故郷に向かう陽子。しかし、不慮の出来事のため、サービスエリアで茂とはぐれてしまいます。

脚本上手いなぁと思ったのは、陽子のスマホが壊れていたこと。妹が何度も連絡しても繋がらないので、突然茂が現れる。茂とも同じ東京に住みながら、随分と久しぶりな様子の陽子に対して、妹は如才なく親戚付き合いもあるようです。

現在は財布は忘れても電子マネーで何とかなるけど、スマホがないと、本当に致命的なんだなと、この作品を観て痛感しました。私の若い頃はガラケーさえなく、いったいどうして連絡とってたんだろう?と、暫し思い起こしてしまった。この場合なら、サービスエリアの受付に茂は伝言、陽子も尋ねる。まぁこれが思いつくのは、だいぶ年寄りですな(笑)。陽子の年齢なら、まずお手上げです。

財布は車の中。所持金は二千円札が一枚(!)。仕方なくヒッチハイクで家まで辿り着こうと決心します。まず最初に乗ったのが、就活で面接の帰りのシングルマザー(黒沢あすか)。気を使ってパンまで買ってくれたのに、陽子は愛想も礼儀もなく、四十路だろうが、なんだその態度は!と、私はイライラ。別れ際にお金を貸して欲しいと陽子は頼みますが、シングルマザーは、「さっきのパンで持ち合わせがなくなったの」と断ります。お金の持ち合わせではなく、親切の持ち合わせかもなぁと、感じました。

降ろして貰ったインターで、同じくヒッチハイク中の若いリサ(見上愛)と知り合い、自分とは違うコミュニケーションの上手さに、引いてしまう陽子。別れ際に寒くないよう、マフラーまで貰います。

次に乗せて貰ったのは、自称ライターの男(浜野謙太)。陽子は時々、父の「亡霊」を観てしまう。勿論それは彼女の思い出の中の父の想念です。男と別れた後、父の亡霊は彼女を殴る。独り言のように、愚にもつかない事で、幼い時の父の悪口を言う陽子ですが、厳しくとも真っ当で、善き父であったのだろうと、このシーンで思いました。

そして次の老夫婦(吉澤健・風吹ジュン)。その温かさに心がほぐれたのでしょう、、無口だった彼女は、やっと礼が言えるまでになる。老夫婦に紹介して貰った女性(仁村紗和)を経て、父と小学生の息子の車に乗せて貰った時、陽子は切々と、自分の人生を吐露します。あぁ、恩送りだなぁと思いました。この二日間、様々な人と接して、成長した彼女は、その姿を見せられなかった人たちの代りに、この親子に見て貰っている。

人は自尊心を失うと、孤独と虚無感に苛まれ、正しい認識さえ奪われてしまうのだなと、陽子の吐露に、涙ぐんでしまいました。陽子は弱いからそうなったのか?いえいえ、一つボタンの掛け違え、階段の踏み外しで、誰もがなるのじゃないかしら?彼女の吐露を聞いて、何故親戚に電話が繋がったのに、切ってしまったのか、理解出来ました。立派に家を継いだ妹への、劣等感だったのでしょう。

菊地凛子が絶品!殺伐として干物みたいな陽子は、年相応の経験も不足しているようで、とにかく幼稚。いやもう、その様子が本当イライラさせる。42歳の女性が、22年間背を向けた父親の葬儀に、ヒッチハイクで向かうのは、とても無様な事です。しかしこれが陽子42歳の人生の集大成なら、しっかり見届けてあげよう。そう思わずにはいられない陽子を、見事に演じきっていました。今までの彼女の中で、一番好きです。

昨年冬に撮影だったのでしょう、雪景色も観られます。荒涼たる陽子の感情に、少しずつ血が通い始める姿を、是非ご覧ください。


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