ケイケイの映画日記
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2022年12月31日(土) 2022 ベスト作品




今年もあと僅か。また50本しか観ていないので、洋画・邦画併せてのベスト10です。


1 ベルファスト

2 トップガン・マーヴェリック

3 マイ・ブロークン・マリコ

4 パワー・オブ・ザ・ドッグ

5 ウェストサイド・ストーリー

6 フレンチ・ディスパッチ・ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

7 エルヴィス

8 スワン・ソング

9 ハウス・オブ・グッチ

10 ハッチング-孵化-

以上です。大幅に鑑賞が減っているのに、感想文書いてない作品があれこれあるとか、何と情けい(泣)。「ベルファスト」は、私が家庭を育んできた過程で、とても大切にしていた事が目の前に現れ、自伝的作品である監督のブラナーに肯定して貰ったような、そんな幸福感で胸がいっぱい、笑顔もいっぱいの作品で、悩む事なく一番でした。2位は当然愛するトムちんの当たり役!3位も愛していると言う点では、上記二作と甲乙つけがたく、気が付けば邦画から一本だけこの作品でした。「パワー・オブ・ザ・ドッグ」は配信で観ましたが、これが驚くほど緊張感が持続し、監督カンピオンの腕前にも改めて敬服。でも凄くて完成度が異常に高いから愛せるかと言うと、それはまた別の話(笑)。今年の選ぶ基準は愛しているか?でしたが、愛してないのに、選んでしまった「パワー・オブ・ザ・ドッグ」が凄いのか?(笑)。選んでしまったのは、ラストのフィル=カンバーバッチの穏やかな死に顔だったと思います。

生活していく上での様々な雑用が、段々スピーディーに処理できなくなり、シワ寄せは当然映画に(泣)。グチグチ言っても仕方なし。コロナ禍で生活様式が代わり、拍車がかかってしまった老化を、来年は何とか食い止めたいと思います。

お正月明けは何が観られるかな?また色々忙しそうなので、「ケイコ、目を済ませて」は、どうぞ長く上映してくれますように。
では皆様、今年もお世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。


2022年12月18日(日) 「ミセス・ハリス、パリへ行く」




素敵な素敵な、大人の童話。童話の中に人生のほろ苦さも滲ませ、そのお陰で絵空事から上手く脱却させて、私も俄然夢を持ちたくなりました。監督はアンソニー・ファビアン。

1950年代半ばのロンドン。エイダ・ハリス(レスリー・マンヴィル)は、終戦後、生死の判らぬ夫を、家政婦をしながら待ち続けていました。数件の家を掛け持ちしていたエイダは、ある裕福な家で、ディオールのドレスを手に取り、一瞬で心奪われます。ディオールのオートクチュールを買う事を夢と決め、一生懸命貯金の日々です。何とかお金を工面してパリのディオールに到着したエイダですが、支配人のクロディーヌ(イザベル・ユペール)に追い出されそうになります。

冒頭、友人のヴィー(エレン・トーマス)やアーチー(ジェイソン・アイザック)とのやり取りや仕事ぶりで、エイダの明朗で優しい人柄を描きながら、夫の無事を待つ身の厳しい心持ちを上手く掬い取っていて、秀逸です。

私もそうですが、年を取ると、自分自身の夢を持つ事が、とても困難になってきました。健康で長く働き、子供たちに迷惑をかけずに生活すること。最近夫婦して、こればっかり語っていますが、これは夢ではなくて、目標なんだなと、エイダを観てはたと気づきました。夢とは手の届かないところにあって、でも実現出来るよう、ワクワクと頑張る事なんだね。エイダの姿がとても眩しい。

エイダが夢に向かって紆余曲折する描き方が、とても上手い。上手く事が運び過ぎだと思うと、次に待ち構えるのは苦い現実。長く生きていると、窮地に陥ると、思わぬ奇跡的な出来事が起きて、自分を、家庭を救ってくれた経験が、誰しもがあると思います。反対に、打ちのめされて、時間だけが解決の道だった事も。それを交互に見せる事で、この童話に現実感をもたらしています。

奇跡的な事柄を引き寄せるのは、私はその人の人柄じゃないかと思います。真面目に誠実に前を向いて歩いてきたエイダ。「一生懸命、床を磨いて、お金を貯めてここに来たのよ!」とクロディーヌに向かって、臆せず啖呵を切るエイダ。その姿を観たスタッフの一人は、「家政婦さんが買いに来た!素敵な人よ!」と、サロンに触れ回ります。上流階級の客の傲慢さに辟易していたのでしょうね。労働者階級だって上流階級だって、同じ人間だもの。エイダによって、彼女たちも勇気づけられたことでしょう。

マイク・リー作品の常連のマンビルは、映画好きには知られた人です。明るくてユーモアがあり世話好き、でも大胆で豪胆な可愛いおばさんのエイダを演じて出色の好演です。ダメな人・出来る人・怖い人。どれも好演する彼女が、普通のおばさんが一番強い!を痛感させ、感嘆しました。これは「あなたを抱きしめる日まで」で、やはり普通の可愛いおばさんの中の、誰よりも強盛な信仰心を演じて感嘆した、ジュディ・デンチを彷彿させました。チラッと読んだ感想で、「ヒロインに魅力が薄い」と書いてあり、とても残念です。一般的には馴染みがないかもですが、御年66歳、これからも意気軒昂である女優さんです。覚えておいて欲しいなぁ。

そして何たってディオールですよ!ブランドに疎い私ですが、若い頃は小物や化粧品、バッグなど、ディオールは数点持っていました。海の向こうの小娘でも手に出来たのは、こんな理由があったんですね(それでも親に買って貰っていたけどね)。ショーのオートクチュールは、今の時代でもビクともしないデザインで、眼福眼福。レッドカーペットに映えまくりでしょう。仮縫いの様子も興味深かったです。華やかなサロンと、労働者階級のデモや、汚い路上の対比も良かったです。若い頃、「anan」だったか、麗しのパリに行ったものの、街はゴミと犬の糞だらけだったと言う記事を読みました。それを思い出しちゃった(笑)。

子供の頃、童話を読んで、正しい事をすれば、良い事が起り、人を騙したり嘘ついたりすると、悲惨な末路が待っている。だから真面目に正しく生きようと学びました。だからね、現実に少々お疲れの大人にも、もう一度襟を正すために、童話は必要なんです。エイダと私たちに幸あれ!


2022年12月14日(水) 「ザリガニの鳴くところ」




想像していたより、ずっと叙情的なお話しでした。一人の孤独な若い女性の成長物語を通して、性差別や人種差別、貧富の差からの差別を焙り出していたと思います。一点気にかかる事がありましたが、終盤、とあるセリフから、自分なりにその点を紐解く事が出来て、今は一点の曇りもなく、秀作だと言い切れます。監督はオリヴィア・ニューマン。

1965年のノースカロライナ。19歳の少女カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)は独り、人里離れた湿地に暮らしていました。幼い頃、母は父のDVに耐え切れず出奔、後を追うように上の姉や兄も家出。残された父とカイアでしたが、母の手紙を読んだ事を切欠に、父までカイアを置いて家を出ていきます。以来、たった一人で湿地で暮らすカイア。しかし、彼女と恋仲であったチェイス(ハリス・ディキンソン)が湿地で死亡。警察は当日、湿地から出ていたのにも拘わらず、カイアを犯人として逮捕します。幼い時から彼女を知るミルトン(デヴィッド・ストラザーン)は、引退を撤回して、彼女の弁護士として弁護を引き受けます。

過酷さよりも、美しい自然の様子を映す湿地の風景が素晴らしい。六歳の女子が一人で生活するなんて、インフラの整った都会でも無理なのにと、作品を観る前は想像していました。しかし他者からは嫌われた湿地は、ここで生きて行くと心に決めた彼女を、温かな包容力でくるんでいました。まるで相思相愛の関係のように。

私は一歩も湿地から出ず暮らしてるのかと想像していましたが、実際は、雑貨店を経営するジャンピン(スターリング・メイサー・Jr)とメイベル(マイケル・ハイアット)夫婦が、何くれとなく親代わりになっていたのでしょう。必要な時は、街にも出ていました。自力でシジミを売りに来た幼いカイア。多分、通常よりおまけして買い取ったはず。事情に気づいた夫婦が、カイアの支援を決心するシーンもありました。当初は、湿地で暮らすだけなのに、あまりにガーリーで、清潔感のあるカイアの様子に違和感がありましたが、身だしなみの整え方を教え、服も与えたのでしょうね。「メイベルさんからだ」と、ミルトンは裁判の時の清楚なワンピースをカイアに渡したのは、そういう含みもあったのかと思います。

何故福祉局からの問合せに、ジャンピンはカイアの事情を話さなかったのか?当初はカイアの心情を慮ってと思っていましたが、メイベルの「あの人はあなたを娘だと思っていた」との言葉で、ハッとしました。ジャンピンがカイアに去られたくなかったのでは?もちろんメイベルも。この時代、正式な手順を踏んだ養子縁組は、黒人と白人では、人種の壁が阻み、難しかったと思います。映画で描かれる以上に、カイアと夫婦の間には、もっと強い絆があったように想像しました。

初日に虐められた事が原因で、学校には通わなかったカイア。文盲の彼女に字を教えたのは、兄の友人だったテイト(テイラー・ジョン・スミス)。偶然通りかかった沼で、思春期のカイアと再会します。元々が聡明だったカイヤは、ぐんぐん知識を吸収。思春期の二人は恋に落ちます。テイトが大学進学で町を離れるのを機に別離。この若い恋人同士の出会いと別れの描き方の瑞々しさよ。本当に50年前のロマンス映画を観ているようです。

特にテイトが寸での所で、二人が肉体的に結ばれるのを立ち止まるシーンは、印象的。年齢的にはハイティーンの二人。もし妊娠でもしたら、カイアに申し訳ないし、自分の将来も違ったものになるはず。第一男として責任の取れる年齢でもないです。相手も自分も大切にするなら、それは今ではない。昔は軽はずみな性交渉はしてはいけないと教えられたものですが、何故いけないのか、今の時代、きちんと映画で描かれるとは、少々感激でした。

対してあっけなくチェイスとは結ばれるカイア。浮ついたチェイスを信じてしまったのは、彼が湿地全体を見渡せる櫓に、カイアを誘ったからだと思います。彼女はそこで「ずっと横顔だけしか知らなかった親友の、全部を観たような感じよ」と感激します。自分を育てた愛着あるこの湿地を、チェイスも特別なものだと愛していると、思い込んだのでしょう。

チェイスは事故か殺人か、捜査も中途半端。なのに検察も警察も、当日アリバイのあるカイアの殺人ありきで、どんどん裁判を進めていきます。正直こんな杜撰な捜査で?と、びっくりしました。状況証拠だけで物的証拠は皆無です。「湿地の娘」への、蔑みがさせる事です。「湿地の娘」は、懸命に生きて、今では湿地の生態についての学問書まで出版していると言うのに。蔑んでいた「湿地の娘」の、社会的な成功を許さない、世間の傲慢さを突いた、ミルトンの最終弁護が感動的です。法廷場面はきちんと作り込んでおり、見応えがあります。最終的な判決は陪審員に委ねるので、「12人の怒れる男」も思い浮かびました。

出自の差別、人種差別の他、カイアやカイアの母親を通して、作品はDV被害に遭う女性の叫びも描かれます。子供を残して去る事は許し難いですが、殴られ続けると、きちんとした思考や感情が消え去り、どす黒い塊が感情を覆うのでしょう。逃げ出す術は他にも選択出来るのに、それが出来なくなっているのだと思いました。特に男尊女卑が甚大だったはずの、当時では。

そしてDV加害者の父も、戦争帰りのPTSDを匂わせている。年代的に朝鮮戦争でしょうか?子供を捨てた、非難されるべきカイアの両親にも、その背景を匂わせたことで、憐憫の情を感じるのです。

カイアを演じるデイジー・エドガー=ジョーンズが素晴らしい。聡明で可憐だけではないカイあの情念を、余すところなく演じています。そして美しい!ミルトンを演じたストラザーンは、明晰な答弁と温もりを感じる人柄で魅了されます。これぞいぶし銀の魅力でした。

原作者のディーリア・オーウェンズは、本職は動物学者で、学術書は出版しているものの、小説は69歳でこの作品が処女作とか。瑞々しい若々しさと、世間を観る冷徹な眼差しが交差する内容は、円熟とはこの事かと感嘆します。


誰もがハッピーエンドに安堵し、心に温かい感情が広がる中、ラストには驚愕の秘密が。でも、偏見と差別が横行する当時は、こうするしか地獄から抜け出せる方法が、なかったのだと思い至るのです。底辺の人々が清廉ではなく、向上心を持つと、世間は「欲」「野心」と観て、踏み潰そうとしたと思います。そしてその世間の中には、自分も底辺なのに、認めない人もいたでしょう。昔の時代を描きながら、二方ともそうなってはいけないと、今を生きる私たちを、戒めている気がしました。

秀逸なミステリーにして、瑞々しい青春ドラマでした。










2022年12月04日(日) 「ある男」




チラシを手に取ってから、とても楽しみにしていた作品。何故妻夫木聡の弁護士・城戸が在日三世の設定?と、訝しく思って観ていたら、過去を追う「ある男」に、自分を重ねる城戸の心情が、私の心に染み入ってくるのです。社会派ミステリーの秀作です。監督は石川慶。

離婚をして息子の悠人(坂本愛登)を連れて、実家に帰ってきた里枝(安藤サクラ)。親の営む文房具店の手伝いをしています。常連客となった谷口大祐(窪田正孝)と親しくなり、やがて結婚。二人の間に娘も生まれ、平凡ながら幸せに暮らしていましたが、仕事中の事故で、大祐があっけなく死去。一周忌に、疎遠だった兄(真島秀和)を呼びます。しかし、仏壇に向かった兄は、この男は弟ではないと言い切ります。半信半疑の里枝は、離婚の時に世話になった弁護士の城戸(妻夫木聡)に、自分の夫が何者だったのか?その足跡を追って貰う事にします。

前半は、丹念に里枝と谷口の馴れ初めから、幸せな家庭生活を送るようになる様子を描きます。後々の感動的な里枝のセリフのため、とても重要なプロットだったと、鑑賞後に思いました。

離婚直後の里枝の情緒不安定な様子を演じる、安藤サクラが素晴らしい。私は元々この人、とても綺麗な人だと思っています。なのにそうじゃない役の方が多いでしょう?しかし今回は、純粋で豊かな母性を持つ里枝の内面を映す表情は、とてもとても美しかったです。寡黙で自信無げな様子が、雨宿りしている濡れた犬みたいだった、寂しげな谷口。それが里枝と言う善き伴侶を得て、笑顔が増えてくる。

人権派弁護士として、名を馳せる城戸は、帰化済みの在日三世です。私も帰化した在日二世。在日を描く作品は数ありますが、内面の葛藤を描いて、これ程共感出来た事は、かつてありません。娘婿の前で、平気で在日をヘイトする義両親。「あなたは違うわよ。三世ともなれば、日本人と同じだもの」。曖昧な笑顔で切り抜ける城戸。三世であれ、四世であれ、帰化して日本国籍を取得しなければ、日本人と同じではなく、在日韓国人です。そして日本に来て数年でも、国籍を取得すれば、それは日本人です。

妻(真木よう子)の母は、褒め言葉として、「日本人と同じ」と言ったつもりでしょう。名誉白人的な褒め言葉で喜ぶほど、城戸も私も落ちぶれちゃいない。私も良く在日に見えないと言われましたが、相手は褒めているつもりです。在日”なのに”きちんとしていると言うのです。無自覚な差別程、たちの悪いものはない。だって抗議も出来ない。

さて、どうするか?好意だけ受け取り、差別心は窘めず、やり過ごすのです。議論になって時間を取られるのが面倒臭い、煩わしい。何故なら、多分自分の気持ちは、解って貰えないと言う、あきらめが先に立つから。私や城戸のような「賢明な在日」が抱える葛藤です。

その城戸の気持ちが爆発する、受刑者の小見浦(柄本明)との面会場面。「あんた、在日やな?」の第一声は、城戸にとっては不快だったはず。その後のやり取りで、こんな犯罪者にまで、どうして自分の出自を侮辱されるのか?今は日本人であるのに。城戸など、弁護士と言うステイタスの高い職業についているので、尚更のはず。

安藤サクラ、窪田正孝の演技も素晴らしかったですが、妻夫木聡の渾身の演技が本当に凄くて。あの曖昧な、相手には好意的に見える笑顔の内心、皮肉な笑顔からの憎悪剥き出しの形相など、城戸の気持ちが届きすぎて、本当に辛い。

妻からも諫められるほど、谷口の過去を探る事にのめり込む城戸。そこには、自分と似て非なる、だけど同じ「出自」に捕らわれた谷口に対しての、シンパシーがあったと思います。城戸も谷口も、誠実に真面目に生きているだけです。

印象的だったシーンは、鏡に映る自分の顔を観て、発狂したようになる谷口。
父親似の自分が恐ろしいのです。整形すれば良いと思われるでしょうか?私は自他ともに父親似だと認識していますが、母の面影も充分にあります。その母の葬儀の時、叔母から母が、目と鼻を整形していたと聞かされた時は、どれほど仰天したか。父親似の私が、整形している母にも似ているのです。紛れもなく、それが「血」なのでしょう。鏡を観る度、谷口が慟哭するのは、それを知っているからです。

自分の妻の秘密を知った城戸のラストシーンに含みがあります。彼は在日である出自を隠さず生きている。だからなのか妻は、常に上から目線で夫に対して物言いし、観ていて傲慢だと思いました。挙句に夫に子供を預けての狼藉。自分がバカにされたと城戸は思ったでしょう。それは自分が、「在日」だったからか?自分が日本人であっても、妻は同じことをしたのか?と。谷口は自分の親、城戸は国籍と、彼らはずっと「血」に捕らわれて生きなくてはいけないのか?

私には在日としての誇りなど、ありません。ただ生まれ持った出自が、在日であった、それだけ。それを受け入れて、粛々と生きてきただけです。その延長線上で、城戸や私のように帰化をチョイスする人もいる。在日として誇りを持っているのではなく、人としての誇りを持って生きてきました。もし、次に日本に生まれるなら、私は日本人として生まれたい。その方が楽だから。韓国に生まれたら、韓国人として生まれたい。城戸の姿は、谷口に触発され、if、もしも・・・を映していたと思います。

谷口や本当の谷口(仲野太賀)のした事が、本当にあるのかどうか、判りません。全てを終え、真実を知った里枝の「今となっては、あの人がどんな過去を背負っていたか、関係なかったと思えます。私たちと過ごした四年が、全てだと思います」。この心に染み入る言葉こそ、たくさんの「谷口たち」への、最大の真心なのだと思います。私も里枝の言葉を、ずっと心に刻みつけたいと思いました。





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