ケイケイの映画日記
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2022年10月21日(金) 「マイ・ブロークン・マリコ」




私この作品、凄く凄く好き!思春期から大人になるまで、シイちゃん(永野芽郁)とマリコ(奈緒)のような、いつでも一緒の同性の友人が居た人は、多いと思います。メンヘラの女の子と、共依存に見える親友との友情を、女の子時代の郷愁を掻き立てられながら、胸いっぱいになりながら、見守りました。監督はタナダユキ。

仕事の合間に昼食を取っていたシイノトモヨ=シイちゃんは、親友のマリコが飛び降り自殺をしたと、ニュースで知ります。親友の自分に何も告げず、そんな!シイちゃんはマリコを虐待していた父親(尾見としのり)の家に乗り込み、遺骨を奪います。どこへ行こうかと迷っていたシイちゃんですが、以前マリコが行きたがっていた海へ向かいます。

中学生の二人が可愛い。バンカラでガサツ、でも情の深いシイちゃん。ガーリーで愛らしく、でも笑顔の裏に強烈な屈託を抱えるマリコ。中学生の時も、高校生の時も、そして大人になっても。マリコは常に男性によって、心身を傷つけられているのが、本当に辛い。

自分は彼氏が出来れば、シイちゃんとの約束を簡単にブッチするのに、「シイちゃんが私より大事な人が出来たら、私、死ぬから」と、涙を浮かべ、シイちゃんの目の前でリストカットするマリコ。おいおい、それは男に言う言葉だよ。他人から見れば、とても面倒臭いメンヘラ女子です。でも私には、そう見えなかった。

幼い時から虐待し、高校生になってからは性的虐待までした父親の、辛いと言う言葉では軽すぎる過去を払拭するには、父と同じ同性である、男性に愛される事でしか、癒される事はないのでしょう。その気持ちに付け込まれ、やはりクズの男ばかり選んでしまうマリコ。

「みんな私が悪いんだって」。泣き笑いしながら話すマリコを抱きしめたくなる。自己肯定感の低さは、こうやって周囲から生まれるのです。シイちゃんは、ずっとずっと私のような想いで、マリコを守っていたんだね。「私ね、今度生まれたら、シイちゃんの子供になりたい」。寄る辺ない身の上のマリコには、シイちゃんは親友であり、姉であり、母であったのでしょう。

そして、「私だって、アンタしかいなかった」と、勝手に死んだマリコに憤るシイちゃん。両親の離婚がチラッと語られますが、彼女も家庭には恵まれなかったのでしょう。マリコを支える事で、シイちゃんは、成長していったんじゃないかなぁ。絶望を抱えていたマリコには、ブラック企業でも、ガシガシ頑張る逞しいシイちゃんは、自分の希望だったと思います。

だから、私には共依存ではなく、純粋な女の子同士の強い友情に感じました。

ひったくりに遭ったシイちゃんに、何くれとなく世話をしてくれるマキオ(窪田正孝)。良い人過ぎる彼ですが、彼にも暗い過去を匂わせている。私が心に残ったセリフは、死のうとしていたシイちゃんに、「死んだ人を忘れないのは、その人を想いながら生きて行くことだ」と言う言葉。平易でとても解り易く、心に沁みる言葉です。

マリコの父親は何なのか。この作品で一番解らなかったのは、この男です。虐待の限りを娘にし尽くしたのに、本当に哀しんでいるように見える。キョウコ(吉田羊)のような善き人が、何であんな男と一緒になったのかも、謎。これは原作読むと判るのかな?

永野芽郁も、普段のふんわり可愛い雰囲気から逸脱したシイちゃんを熱演で、すごく良かったんですが、奈緒の造形したマリコが出色で、少し霞んでしまったかも。それ程今回は奈緒が良かったです。どうしてメンヘラになってしまったのか、その心情が手に取るように伝わってきて、本当に辛く愛おしかったです。

ラストの手紙の中身は、明かされません。そこで想像してみました。シイちゃんが笑ったのは、「シイちゃんが自殺したら、化けてでてやるから」かな?神妙な顔になったのは、「私のせいで、恋愛できなかったね。ごめんね。好きな人を見つけて、結婚してね。そして私を生んで下さい」だと思います。現役から大人になってしまった元「女の子」も含み、全ての女の子に送る、作品です。女の子の友情は素晴らしい!


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