ケイケイの映画日記
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2022年01月23日(日) 「ハウス・オブ・グッチ」




いやー、面白い!めちゃめちゃ面白い!ガガ様最高!と言うか、出演者みんな最高!当時大スキャンダルとなった、グッチ御曹司の殺人事件を、リドリー・スコットが「フィクション」と但し書きしての映画化です。終わってみれば、そのフィクションとの但し書きが効いたのか、「愛憎」より「愛」の方に軍配が上がる仕上がりでした。

親のトラック会社に勤めているパトリツィア(レディー・ガガ)。あるパーティーで有名ブランド、グッチ創業者の孫であるマウリツィオ(アダム・ドライバー)と知り合い、恋に落ちます。現在兄アルド(アル・パチーノ)とグッチを共同経営しているマウリツィオのロドルフォ(ジェレミー・アイアンズ)が、反対するも、二人は結婚。やがて娘の誕生を機に和解。ロドルフォの死後、アルドと共に夫が経営に乗り出すのを機に、パトリツィアの影響力も甚大に。やがて彼女は、アルドとその息子パオロ(ジェレット・レト)と対立します。

基本的には、壮大なソープドラマです。キャストからして、はまり過ぎて胸焼けしそうでしょ?それがさにあらず。何故かと言うと、皆々強欲で欠点があっても、悪党がいないからです。それはスコットの解釈を理解して、キャストみんなが、自分の役柄を愛したからじゃないかしら?

パトリツィアは派手で野心家の女性です。一目惚れなのはマウリツィオの背景であり、彼自身ではなかったはず。あっさりマウリツィオが彼女に陥落する様子は、もう赤子の手を捻るようなモノ。情熱的な愛情表現、刺激的で獰猛なセックス。彼の周囲には、見た事がない女性だったのでしょうね。

父親に反対されて、パトリツィアの家に居候し会社で働くマウリツィオ。下々の従業員と和やかに仕事をする彼に、育ちと人柄の良さを感じます。でもそれだけかな?洗車中、同僚と水の掛け合いを楽しむマウリツィオですが、そんな「行儀の悪さ」は、芸術を愛し、品性と学問を重んじる父からは許されなかったはず。行儀の悪さは、新鮮で楽しかったでしょう。やがて自分の巣に帰る彼を観ると、それを自由を謳歌すると勘違いしたんだな。

対するパトリツィアは、馴れ初めはどうであれ、夫婦としは、一貫して、夫に対して情の濃い愛情を持ち続けていたと感じました。当初はおぼっちゃん育ちで頼りない夫を、海千山千のアルドから守ろうとしたんじゃないかな?それがいつしか夫のためは、大義名分に。自分の野心が勝ってしまったのでしょう。これはいつの時代にもある事で、配偶者の家庭の事は、口出ししないが不文律。特にお金に関しては。

とにかく出演者みんなが超の付く好演です。ガガは、「スター誕生」の健気で純粋な歌姫から一変。下品一歩手前のゴージャスさで、ぐいぐいグッチを牛耳るパトリツィアの、気の強い女帝から殺人犯迄の半生を大熱演。強気一辺倒ではなく、自分から心の離れた夫にすがる姿は痛々しく、同情しました。ガガ様の演じるパトリツィアは、「スター誕生」の時と同じく、一途さを強く感じます。キャラが全く違うのに同じ感想を抱くのは、ガガの特性の気がします。実際はどうかは判りませんが、映画ではこの事件は、元夫からの仕打ちに激怒した妻の、可愛さ余って憎さ100倍に感じました。セクシーと言うより肉感的なガガのスタイルを前面に押し出したファッションも、パトリツィアと言う女性を浮き彫りにして、良かったです。私は悪女には感じませんでした。ガガ様、歌抜きで充分女優として立派に通用と、確信しました。

アダム・ドライバーは、私は大好きなんですよ。今作の彼が一番好き。あの上品な笑顔、あれは演技ですよ(笑)。上手いなぁと感心。インテリのお坊っちゃんが、パトリツィアの情に溺れて一心同体の時の素敵さよ。段々と、氏素性の違いが出てきて、一族が分断されたのを、妻のせいにして逃げてしまうクズな非情さも、共感できずとも妙に説得力あり。それもこれも、彼の坊っちゃんぶりが素敵だったからだと思います。キャラ的には一番影が薄いはずが、堂々の存在感でした。

びっくりしたのは、ジェレット・レト。癖のある役柄を好む彼ですが、特殊メイクを施しての熱演です。凡人で才能がなく、華麗なる一族、取り分け実の父親のアルドから疎まれるパオロ。容姿もパッとしない。やる事なす事薄らバカなのに、哀愁を帯びて絶妙にチャーミングなのです。もうね、大丈夫よと、抱きしめてあげたいのよー。

強欲で下世話で圧の強いアルド。これもまた、パシーノが絶品の成り上がり感で仕上げています。グッチは宮廷職人から出発と言うのは大嘘で、元はアルドの父親が革靴の職人からであると、劇中出てきますが、その俗人ぶりを一番体現していたのが、アルド。余裕の演技で、大層楽しんで演じているのが、判る。マウリツィオの口車に乗せられた息子のパオロのせいで、投獄された彼が、「パパ、ごめんよ」と出迎えたパオロを抱きしめる姿は、親子だわね。出来の悪い息子を捨てきれない姿に、アルドの別の面も感じました。私はこのシーンが、一番好きです。

一族の中で、最後まで気品溢れる様相のロドルフォには、老いても変わらずエレガントな、ジェレミー・アイアンズ。息子には厳格な彼も、亡くなった妻がいつまでも恋しく涙を流す日々です。女々しく映らず、美しく感じるのも彼が演じてこそです(ジェレミーも長く好き)。イタリア系アメリカ人、生粋のアメリカ人のキャストの中、この役を体現するのに、英国紳士のアイアンズを持ってきたのは、正解だと思います。

権力、家柄、財産。当時はやった歌をバックに、愛憎渦巻くドロドロの世界観を、愛情を込めて描いています。私の実家は、グッチとは比べるべきもない小商いでしたが、それでも当時、そこそこ町では知られたお金持ちでした。それが両親が長く壮絶な不仲から離婚。家業はそこから徐々に衰退。跡取りの兄もいたのに、今は跡形もなく、母も亡くなり実家は消滅したのも同然です。対する赤貧洗うが如しで育った夫の実家は、亡き姑の頑張りで家族が団結。今も生家には、義兄夫婦が住んでいます。「家」を存続したければ、家庭円満、その基礎は夫婦仲。これが私の人生哲学ですが、この作品を観て、やっぱり正しかったんだなぁと、感じ入っております、ハイ。


2022年01月16日(日) 「クライ・マッチョ」




ハリウッドの生きる伝説、クリント・イーストウッドの監督主演作。オミクロン感染爆発で、今までなら自主的に映画館はお休みでした。でも10年くらい前から、これが遺作になるかも?の気持ちで足を運ぶイーストウッドの映画は、もはや映画好きにとっては、神社仏閣に生き神様をお参りに行くようなモノ。と言う事で、観てきました。今回の生き神様は、特別面白くはなかったですが、人生の終着駅に佇むイーストウッドの心情が垣間見られて、のんびりと楽しむ事が出来ました。

1979年のテキサス。妻に先立たれ息子とは別れ、今は孤独に暮らす元ロデオスターのマイク(クリント・イーストウッド)。元雇い主(ドワイト・ヨーカム)から、メキシコから別れた妻に虐待されている息子のラファエロ(エドゥアルド・ミネット)を助け出して欲しいと、依頼されます。元雇い主に恩があるマイクは、仕方なしに引き受けます。

まず目を見張ったのは、イーストウッド、若い!御年91歳ですよ。私の好きな「運び屋」は3年前の作品ですが、ほとんど変わっていません。80過ぎると、肉が落ち骨が削げ、顔や体に骸骨感が出ます。ところがところが、今もって美老人なのよね。そりゃとてもハンサムだった往年から考えると、容色は落ちていますが、それでも立派なものです。さすがに馬を乗り回す場面は吹替でしょうが、ゆっくり馬に乗る場面、ドライブや野宿に、美しき未亡人とのダンスまで!何食べてるのかしら?(笑)。

作品としては、格段に心に迫るモノも無く、ひりつくような苦い感情も無く、至って淡々とお話は進み、淡々と終わり。いやいや、ヤバい連中や警察に誘拐罪で追われているのに、淡々と終われる展開じゃねーだろ、とも思うのですが、疲れも見せずに孫どころか、ひ孫のような年齢のラファエロとバディとなり、喜怒哀楽、人生の楽しみや安らぎを共有しての道行は、観ていて心温まるものがあります。なので、不問と致します。

高揚感や感動はないものの、後半に長期滞在する街での生活は、馬や牛、豚や山羊や犬などの囲まれての、一種牧歌的です。束の間の人間らしい毎日は、逃亡者にはあるまじきもの。そう感じると、あぁこの作品は、寓話として観れば良いのかと、合点が行きました。

ラファエロは当初は口が悪く、悪態をつく可愛げのない超の付く悪ガキです。それがマイクと行動を共にするようになり、愛嬌のある笑顔を見せ、子供らしい純粋さを見せるようになります。マイクから「お前、感じ良くなったな」と言われるのは、初めて躾を施してくれる大人=マイクのお陰でしょう。

激情型で恐ろしく、ニンフォマニアな母親。別れてから一度も会おうとしなかった父親。彼らと暮らすなら、危険な路上の方がまだましだったラファエロの辛さは、想像に余りあります。憐みの気持ちがマイクに湧き、ラファエロはマイクを慕う。ここに社会に置いての、子供に対する大人の責任を感じます。

「俺はドリトル先生か?」のセリフには笑いましたが、老犬に対してのセリフは、あれは自分を重ねているはず。ジェニロペの年の離れたお姉さんと言う風情の、情が濃く気風の良いマルタ(ナタリア・トラベン)は、娘夫婦と夫に先立たれ、孫娘たちを育てています。妻に先立たれた失意で、人生が一変してしまった自分を、反省したでしょうね。

90過ぎて女性とのロマンスを盛り込む辺りも、まだまだ俺も色男だよと言う、イーストウッドのプライドですかね。不自然さはなく、有りだと思いました。

再会後、ラファエロの望む愛情は期待薄の彼の父親。ラファエロの失望を危惧したのでしょう、「愛情”も”本当だ」と、ラファエロに告げるマイク。それは女性関係が派手で、巻き込まれて随分泣かされた、イーストウッドの子供たちへの、謝罪にも聞こえました。そう言えば、妻子を捨てて入れあげていたソンドラ・ロックにも、別離後、訴えられていましたっけ。一回り以上年下の彼女は先に亡くなって、あの世で待ち構えているかもなぁ(笑)。

「マッチョ」ではない老人と子供でも、強い意志を持てば、今の苦境から脱出出来るよ、と言うお話し。生き神様から言われると、説得力あるよね(笑)。まだまだ参拝に行きたいです。


2022年01月11日(火) 「ただ悪より救いたまえ」




年明け四日に観てきました。「新しき世界」が素晴らしい輝きを見せたファン・ジョンミン&イ・ジョンジェが、再びタッグを組み、監督が「チェイサー」「悲しき獣」の脚本家フォン・ウォンチャンとくりゃ、期待しない方が無理ってもん。いや凄かった。隅々まで目配せが利いており、やたら完成度が高い。そして何より面白い!お正月から大満足の作品です。

韓国で極秘の暗殺部隊に所属していたインナム(ファン・ジョンミン)。部隊が解体され、口封じに追われる事に。彼は日本で殺し屋となっていました。在日のやくざのコレエダ(豊原功補)を仕留める事を最後に、足を洗うはずでした。しかし彼の元へ、存在を知らなかった彼の娘が、バンコクで行方不明との知らせが入ります。娘を救うため、バンコクへ向かうインナム。同時にコレエダの狂犬のような弟レイ(イ・ジョンジェ)が、兄の復讐のため、インナムを追います。

殺し屋、ヤクザ、不動産詐欺、幼児誘拐、臓器売買、タイのマフィアなど、裏世界てんこ盛りなのに、次々なぎ倒して行く過程に、全く澱みがないのに、まず舌を巻きました。とにかく脚本が巧みです(脚本も監督)。

行く先々で素手のアクションがあるのですが、これがとてもスピーディー。早回ししているのか?と一瞬思いましたが、特別な装置で近距離で撮り、スタントは最小で、ほぼ役者にさせているのだとか。どこの国も役者は運動神経が良くないと、いい役貰えないよね。銃撃戦・カーチェイスとも、大掛かりではないのに、とても華々しいです。これらのお陰で、血と汗と熱気が充満している背景なのに、匂いはすれど悪臭は感じなかった所以だと思います。

裏社会を中心に描くので、血生臭い場面が続出しますが、血を見るのは屈強な男性だけ。女性や子供は一切無し。インナムの元恋人だけが死体姿で映りますが、インナムの手伝いをするドラッグクィーンのユイ(パク・ジョンミン)でさえ、殴られるシーンもなし。盛大に血は流れ、殺戮場面が繰り返されますが、残虐はシーンは寸止めで描くのを止めています。それでも恐怖に慄きました。この辺の繊細な匙加減に、また脱帽です。女子供が暴行を受けるシーンは、例えフィクションでも見るに堪えません。男なら娯楽になるのか?と問われれば、まぁそうなので、すみません(笑)。

国に捨てられ生気なく人を殺すインナム。コレエダを仕留める様子は、赤子を寝かしつけるようです。対するレイは、暴力的な父親が食用動物の解体をしていたため、生きた人間を吊るし、そのまま解体します。全く正反対のような彼らですが、実は似ているのだと、レイのセリフでハッとしました。

何故インナムを殺したいのかと、マフィアのボスに問われたレイは、「理由は忘れた」と答えます。あぁ、殺す相手がいないと、壊れてしまうのでしょう。それはインナムもそうです。指定された相手を仕留める。その「課題」があるから、彼は生きていた。狂っているのは、二人とも同じ。狂っていなければ、人殺しなど出来ません。

レイを凶暴にしたのは、少ししか語られなかった父親でしょう。きっと「血と骨」の金俊平のような父親だったのでしょう。加えて差別されたであろう在日の出自。何でわざわざ日本で在日を殺すのかと思っていましたが、短いセリフと背景で、レイを浮かび上がらせたかったのだと思います。対して、常に死と隣合わせだったろうインナムは、娘の存在を知り、初めて生きたくなったのじゃないかしら?

これだけノワールてんこ盛りなのに、LGBTまでぶっこむのか?の存在がユイ。しかし彼女がとても良かった。性転換手術のお金欲しさに、少々危ない橋でも渡る気になったものの、少々どころか、危険極まりない橋であると認識しても、また舞い戻ったユイ。そこには欲得ではなく、幼い命は大人が守らなければと言う意思があったはず。彼女の造形は、人としての矜持は、性別なんか関係ないと言っているようで、爽快でした。留置所に一泊した翌朝、薄っすら髭が伸びていたのも、芸が細かく好印象です(笑)。

ファン・ジョンミンの作品はたくさん見ていて、アクション・ドラマ・やくざ・コメディ・国家物と、そのどれもが突出していて素晴らしく、すごい俳優さんだと思っています。ガンちゃんは別格として、今韓国で一番の俳優なのかしら?今回は娘への愛をストレートに外連味なく演じて、胸を打ちました。

イ・ジョンジェはこれが三作目かな?どれも印象深く、彼もどの役も違う人です。今回は目力がすごく、セリフもほとんどない中、レイの怖さと哀しみを的確に表現しています。とても魅力的な悪役で、恐れ入りました。

死闘を繰り広げる最後、「こうなる事は、判っていただろう?」と、不敵にインナムに微笑むレイ。似た者同士の二人、インナムも判っていたでしょう。狂いながら生きると言う事は、常に死に場所を探し求める事なのでしょう。ベストの死に場所を。

良識ある作りになっているので、観た後哀愁を感じても嫌悪感はありません。題材を毛嫌いせず、女性にも観ていただきたい作品です。











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