ケイケイの映画日記
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2019年12月31日(火) 「テッド・バンディ」





今年最後の感想でございます。あー、もう時間ないわ!速攻行きます!監督はジョー・バーリンジャー。

シングルマザーのリズ(リリー・コリンズ)は、バーで出会ったハンサムなテッド(ザック・エフロン)と恋に落ちます。しかしテッドは連続殺人犯の容疑をかけられ、彼は無実を主張。リズは疑心暗鬼になりますが、果たしてテッドは殺人鬼なのか?

有名なシリアルキラー、テッド・バンディのお話です。作品は、テッドではなく、恋人だったリズの視点で描かれます。オチはわかっているはずなのに、本当にテッドが犯人なのか?的な描き方で、妙にお行儀が良いわけね。

私がこの作品を楽しみにしていたのは、この手の「いかがわしい」作品が好きなこともありますが、主役がザックだったこと。ザックはハンサムで通っていますが、私は胡散臭い感じがすんのね。何というか清潔感に欠けるというか、耳の後ろが汚れている感じがするわけ。しませんか?そうですか。でも私はそのちょい不潔な感じがするところが、この役にしっくり合うと予想しました。

作り的には再現フィルムのようで、リズに焦点を合わせているので、彼女のテッドに振り回されて、情緒不安定になる場面ばかり強調されて、少し冗長な感じがしました。それと15Rだったので、殺人の場面が猟奇的なのかと、ちょっと期待していましたが、全然出てこん(笑)。それも肩透かしでしたが、この淡々とした描き方は、ラストのリズの告白と挑発にありました。

そこで全部ひっくり返る。あー、そういう事かと。本物のテッドや裁判の様子もエンディングで出てきますが、これが劇中にそっくりそのまま出てきます。私は殺人鬼の心の闇や、殺し方に力点が置かれた、扇情的な描き方を予想していましたが、そんなの考えれば意味ないのよね。だってサイコパスなんだもん、闇なんかないのよ。

何故リズだけ殺されなかったのか?私は犯罪の隠れ蓑にしたかったのかと思いました。幼な子にまで懐かれた優しい男性。これ以上ない隠れ蓑ですよ。だからリズに袖にされて、新たな隠れ蓑として、友人で彼に恋するキャロル(カヤ・スコデラーリオ)に白羽の矢を立てたのだと思います。警察に逮捕されて、一度も親が出てこなくて不審に思いましたが、途中でチョロッと出てきました。何があっても母親は息子を庇うはずで、出てこられても、テッド的には使えず、返って足でまといになるので、連絡したキャロルをしかったのでしょう。

ザックは私の期待通りの好演で、ハンサムで知性もあるのに、怪しげな風情を見え隠れさせて、楽しませてくれました。いつまでも愛らしいリリーも、儚げな雰囲気がメンヘラのリズにしっくりと来て、作品に深みを与えていました。

でも私が一番良かったのは、裁判官の役で出ていたジョン・マルコビッチ。もう素敵で素敵で萌えてしまった(笑)。押し出しが効いてウィットに富み、もちろん知性的。テッドに諭すように話す場面は、豊かな人間性も感じ、短時間の出演でしたが、作品を引き締めていました。テッドの裁判はたくさんありましたが(だって30人殺している)、マルコビッチ演じる裁判官の史実が、作り手にはテッドの事件のキーポイントだと感じたのでしょう。

本物のテッドも、俳優ばりのハンサムで、弁護士を目指していたので、口も上手かったのでしょう。猟奇的ではなく、スマートな作りは、この手のシリアルキラーにご用心ご用心、と言うメッセージかな?最後まで見ると、なかなかインテリジェンスに富んだ作品だったなと思います。


2019年12月28日(土) 「家族を想うとき」




ケン・ローチが引退を撤回して監督した作品です。素晴らしかった。厳し過ぎる境涯に身を置くある家族を、あらん限りの力で見つめ見守っています。その眼差しは真摯で厳しく、でも寄り添うように暖かい。素晴らしい作品でした。

イギリスのニューキャッスルに住むリッキー(クリス・ヒッチェン)。介護職員の妻アビー(デビー・ハニーウッド)、高校生の息子セブ(リス・ストーン)、小学生の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)の四人暮らしです。マイホームを手に入れるため、少しでも収入を多くと、フランチャイズの宅配便ドライバーになります。そのため、妻が通勤で使う車は手放し、それを頭金にしてトラックを購入します。しかし夫婦とも以前より格段に長い労働となり、家庭には不協和音が響き始め、ついにはセブが事件を起こしてしまいます。

まるで今の日本を見ているようです。フランチャイズ制は、日本ではコンビニがブラックだと取りざたされていますが、他にも様々な業種があり、どれもが途中解約は違約金が発生し、ロイヤリティーを払うと、勤務時間に対しての実入りは、それほどないと聞きます。個人事業主と持ち上げられての契約だったのに、遅延や急な休みで、当初順調だったビリーの仕事は、罰金で借金が膨らむ羽目に。

介護士のアビーは、朝の八時半から夜の九時まで、シフトを組んで5軒の利用者を移動しています。これをバスで移動するなんて、自殺行為のようなもの。リッキーは自分が仕事で長時間で休めない勤務は当たり前だが、アビーにはもっと早く仕事を切り上げろとか、バスで移動しろとか平然と言ってのける。パートだからと、妻の仕事は軽く見ているのです。これは残念ながら、夫にはありがちな事です。移動には時給は発生しないセリフも含めて、監督は本当にしっかりリサーチしています。家庭が崩壊していくまでの描写が、本当に丁寧でリアルな事に感心しました。

セブがぐれていくのは、両親を見て自分の将来に希望が持てないからです。日本でも言われる貧困の連鎖。反抗する息子に手を焼くリッキー。ついには手を挙げてしまいます。しかしこれには痛恨の事情がありました。少し前の感覚なら、父親に殴られても当然のセブ。しかし巧みな脚本は、体罰はしてはいけないと、観客に素直に思わせます。この繊細さにも唸りました。

その事情に関しての娘の告白は元の楽しい家庭に戻したかった切望が、させたことです。慟哭する両親。リッキーもアビーも、子供たちの為に働いています。しかしその仕事が、子供たちの心を蝕んでいく。そして何も悪い事をしていないのに、借金が膨らんでいく様子に、震撼しました。だってこれは、うちの家族だったかも知れないから。

イギリスの労働者階級の話が、どこをどう切り取っても、今の日本、私の周囲と被さるのです。自分の身の丈より少し上を目指し、頑張った。それがいけないと言われたら、どう生きていけばいいのでしょう。

更なる災難がこの家族に降りかかります。死に体のような現状に、追い打ちをかけるリッキーの上司。ここで心優しく大人しかったアビーが、上司に罵声を浴びせます。自分は人のお世話をする介護士なのにと、恥じ入る彼女を見るのが辛い。親を慮って、隣にいるので、いつでも起こしてと、父を気遣う息子。

ラストは見る人によって、感じ方は正反対だろうと思います。私は絶望ではなく希望だと思いました。リッキーのの行動は常軌を逸していていますが、それは家族を養わなくてはいけないという責任感からです。働く事でしか、家族への愛を表現出来ないリッキー。家族はこれから心を一つにして、難関に立ち向かうはずです。妻の怒り、息子の思いやりを先に描いたのは、そのためだと思いました。

楽観過ぎるとお思いか?いやいや、これは事実です。夫も以前の職場が廃業後、やっと見つけた職場がブラックで、鬱寸前でした。辞めた時のためにと、私もダブルワークを始め、息子たちを集めて家族会議。もしお父さんが仕事を辞めたら、すぐには仕事は見つからないので、あんたたちを当てにしなければならない。それで大丈夫か?と尋ねると、長男が「大丈夫や。子供三人の稼ぎで充分家族は養えるはず。お父さんには辞めて貰っていいよ」と二つ返事で返ってきました。下の二人も異論なし。あの時の親としての嬉しさは、今でもしっかり覚えています。

夫に直接長男から、話して貰いました。勇気が貰えたのか、その一週間後見つかったのが、今の職場。もう8年勤めています。他にも、父が病気になり、母と上の息子二人とで、下の兄弟と父を養っていた家族も知っています。私の友人は、ご主人が病で後遺症が残り、仕事は廃業。結婚の決まっていた長男が結婚を二年延期して、両親を養い、友人も早期で年金を支給されるようになり、無事結婚しました。三男は高校の修学旅行の時、積立金を妹の高校入試に使い、行けなかった子がいました。クラス全員でお金を出し合い、お土産を買ったとか。もちろんその子は、無事就職しています。

家族が健康で円満であれば、大概の事は、切り抜けられるのです。それがお金は潤沢にあったけど、家庭不和が元で、何も残らなかった家庭に育った私の人生哲学です。この家族も、きっと踏ん張ってくれると、私は信じて止みません。

この家族は、特別な家族ではありません。自分に置き換えて思考すること、それが監督の願いではないでしょうか?名匠が渾身の思いを込めて作った作品からのメッセージを、しっかり受け取りたいです。


2019年12月15日(日) 「村西とおる 狂乱の日々」




身辺慌ただしく、やっとこさ戻って参りました(詫)。「村西とおる 狂熱の日々」が、昨日早めのレイト上映の前に村西監督の舞台挨拶があると聞き、行ってきました。正直映画は付け足し(笑)。生村西とおる見たさに駆け付けましたが、期待を裏切らず楽しかったです。

まず監督の印象ですが、若い!御年71歳だそうですが、体格もよく声も通り、「お待たせしました。お待たせしすぎたかも知れません」のお約束のフレーズで登場。隙を与えぬ弾丸トークで、場内笑い声が絶えず、もちろん私も爆笑。正直含蓄のあるお話はあんまりなかったですが、格が違うと言うより、モノが違うと言う感じです。

だってさ、前科7犯にして借金50憶作ったんですよ?一億だって私には借金できません。これ言わば才能ですよ。村西とおると言う才能が引き出した借金なわけです。

含蓄ないとは書きましたが、印象に残った言葉は、「前科持ちになって、もう雇ってくれるところはないと思った。だから自分で何とか(起業)しないといけないと思った」。「逃亡生活は、するもんじゃありません。常にこの人は私を売らないかと心配で、人を信用出来なくなる」。このバイタリティーと孤独の共存が、「村西とおる」と言う強烈なカリスマ性を持つキャラを作ったんだなと感じます。

作中ですが、とにかく良く食べるんですね、この人。そして「監督・プロデューサーがステーキ食べて、スタッフが安い弁当食べるなんて許さない。みんな平等で同じものを食べなくては」と言う。生い立ちに壮絶な貧乏体験があり、貧乏が不幸の根源だと語ります。食に執着しているだけではなく、この人の幸せの基準にでもあるのだと思うとでも、哀愁めいた感情が湧きました。

劇中撮っている作品は「北の国から 愛の旅路」と言う1996年制作のDVDで、4時間ちょいの超大作。カテゴリーは映画ですが、調べると限りなくアダルト。でも岡崎二朗、今は薬物で消えてしまったけど、当時はVシネに出ていた清水健太郎など、それなりに名の知れた人が出ています。主演女優はミステリアスKと言う人ですが、知らんな(笑)。一応プレイメイトジャパンだったそう。スタイルは良かったけどスレンダーで、豊満な女性が選ばれると思っていたので、意外でした。顔は別嬪さんでしたよ。

北海道をバスで回りながらの撮影は、もうめちゃめちゃ(笑)。段取りは悪いは、俳優を首にしてスタッフが急に役を代わるわ、主演女優はいなくなるわ、太ももに痣は作ってくるわ、最後は交通事故まで。添え物的に裸のお姉ちゃんたちが大量に出てきて、「おもちゃのチャチャチャ」歌ったり、ユーモラスなエロが繰り広げられるのです。川での撮影の時は、一般人にばれてしまい、遠巻きに人だかり。子供がその前を通り、今なら通報騒ぎのはずなので、呑気な時代だったんだなぁと、今の時代から見ると、若干牧歌的(言葉が違うような・・・)な感じも。

そのお姉ちゃんたちなんですが、女の私から見ても、観賞用としては残念な感じです。「ブスばっかり寄こしやがって!〇井きんが10人20人来るより、宮沢りえ一人でいいんだよ!」まあそうですけど(笑)。それでもその心を押し隠して、いい加減な子には厳しく、真面目な女の子には誠実に接して、この辺が凡百の山師との違いかなと思います。

狂熱と言うより、際物をそれなりに見たと言うのが感想です。
アダルト業界の闇が問い沙汰されていますが、監督の質疑応答の際、聞いてみたくも思いましたが、「政治経済の事は質問なさらないように。へそ下三寸のみお願いします」との事で、聞けませんでした(笑)。自分に対する質問で一番多いのは、どうしたらAV男優になれるのか?だそう。「今は寝盗られ男優と言うのがあって、妻が犯されるのを後ろ手に縛られながら、よしこー!とか、たみこー!(名前がクラシックなのが、何となく淫靡)とか叫ぶだけで15000円です」だそう(笑)。我こそはと思われる方は、監督までどうぞどうぞ(^^)。


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