ケイケイの映画日記
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2019年02月26日(火) お知らせ

いつも皆様には好き勝手描き放題の私にお付き合い下さり、感謝しております。さて、長年「映画通信」として、最新日記とインデックス、掲示板へのリンクとして拝借していたジオシティーズさんが、3月いっぱいで閉鎖となります。

いきなりではなく、昨年10月頃より連絡は受けておりしたが、私のスキル不足&適当な移転先が見つからない(なにせリンクだけだし)ため、暫定処置として、「ケイケイの映画日記」の一番下に、「HP」の項目があります。
そこにインデックスをリンク出来るようにしました。掲示板も、インデックスの下にリンクしてあります。


ここの「HP」の文字を「インデックス」に変更出来れば、このまま行きます。(同様に「mail」も文字さえ変えられれば、掲示板をリンクしたいです)
これは何とかしたいので、息子三人、誰かが暇な時に捕まえて、何とか頑張りたいと思います(他力本願)。そのままの事も大いにありなので、期待しないでお待ち下さいませ(ごめん)。

では、よろしくお願い致します。
お詫びの印に、今私が嵌っているバンドを貼り付けておきます。
青の「グレタ」の文字をクリックして頂くと、曲に飛びます。

グレタ・ヴァン・フリート




2019年02月19日(火) 「女王陛下のお気に入り」




ランティモスの作品がオスカーの10部門にノミネートされたと聞いて、世も末じゃと思ったアタクシですが、もしかして、アルモドヴァルみたいに、早々円熟しちゃったの?と哀しんだのも杞憂に終りました。日本に3桁くらいしかいない(はず、多分)ランティモスファンのご同輩、安心召され。愛も変わらず珍妙で黒くてグロテスクで、そしてラストはペーソスたっぷりです。監督はヨルゴス・ランティモス。

18世紀のイングランド。フランスとの戦争と紛争中ですが、女王のアン(オリヴィア・コールマン)は政治に疎く、幼馴染のレディ・サラ(レイチェル・ワイズ)に全幅の信頼を寄せ、政は彼女が取り仕切っています。そこへ没落貴族のサラの従姉妹アヴィゲイル(エマ・ストーン)がやって来て、何でも良いからお城での仕事が欲しいとねだります。アヴィゲイルは、身分の復権と言う野心を持っており、持ち前の賢さで女王に取り入ります。

つー事で、サラとアヴィゲイルの「女王のお気に入り」争奪戦が始まります。
みんな嫌な女でね(笑)。嘘はつくは、身のこなしは下品だわ、汚い言葉は発するわで、コスプレ物の品格など皆無です。やっぱりランティモス(笑)。ここは要するに「大奥」なんですね。どれだけ女王の寵愛を得るかが最重要。しかし「上様」は女というややこしさ。これが巧みに脚本と演出で、滑稽でグロテスクで切ない。全然エロチックじゃないのは、愛がないからなんだな。

女王は病弱な上に、癇癪もちの醜女。小さな子みたいに駄々をこねたり喚いたりするので、最初は頭が弱いのかと思う程でしが、17人の子を流産死産で亡くしている事が起因しているようです。精神の疲弊が肉体へ及んだんでしょうね、過食嘔吐を繰り返すのは、今で言う摂食障害なのでしょう。そう思うと哀れです。ジタバタひっくり返って、「死にたい!」と絶叫する滑稽な姿には、涙が出て。しかし直後、したたかで下衆な面をバンバン見せられ、私の流した美しい涙を、返して頂戴!と言う気分になる(笑)。

政治に忙しいサラの間髪を抜いて、女王に取り入りアヴィゲイル。サラが男前な愛を女王に注ぐのと正反対に、女としての手練手管で女王の寵愛を得ます。こんなに若くて美人なら、こんな方法でなくても、ある程度身分の高い男に取り入ればいいのにと思いますが、聞き逃してしまいそうな過去の独白に、秘密が解明出来るのでしょう。彼女はあらゆる女の武器を駆使しても、作中一度も男と寝ません。多分今後もセックスはしないと思う。女王に取り入るのは、彼女なりに一世一代の大博打なのでしょう。そう思うと、この性悪女が愛しく思えるのです。

最初はまぁ何て怖い女・・・と思っていたサラですが、夫の前では淑やかです。それが一度政治の場に出ると鉄の女と化します。一見友情が縁での出世のように見えますが、アンが女王でなければ、この友情は育ったのか否か、わかりません。それを一番知っているのは、女王でしょう。

コールマンが主演、エマとワイズが助演でノミネートと、演技合戦が一番の見所です。アンサンブルの良さが下衆っぷりを愛でさせ、高貴な方々も、下々の者と変わらぬ愛憎や哀歓をお持ちなのねと、こちらも野次馬と化して、面白く観てしまいます。

中でも素敵だったのは、ワイズ。凛々しく圧巻のエレガントなダンディズムが炸裂。しかし貫禄たっぷりに、小娘アヴィゲイルを制したのも束の間、彼女がのし上ってくると、サラにも女の悋気が覗くのです。美しい自分の顔の傷に、一瞥もくれなかったサラなのに、それが命取りになりました。演じるワイズは、良い女優さんだとは思っていましたが、今回は見惚れる程素敵でね、女王の気持ちがすごくわかります(笑)。

ラスト、女王の威厳を見せ付けるアン。その見せ付け方の安さが切ない。アヴィゲイルは、踏んづけたウサギと自分が同じだと、わかったでしょうね。戦い済んで日が暮れて、誰も幸せにはならなかったと言うお話し。人生の教訓は、各自観る人によって違うかも。私の教訓は、欲は程ほどに、です。ランティモスの作品では、すごく解り易い作品です。


2019年02月12日(火) 「アクアマン」




通常ならパスするヒーロー物を、今回はチョイス。これが大当たり!長時間ですが、時間を忘れるほど楽しく、内容も浅からず深からず、丁度いい塩梅の作品です。監督はジェームズ・ワン。

海底の王国アトランティスの女王アトランナ(ニコール・キッドマン)と燈台守の父(テムエラ・モリソン)との間に生まれたアーサー=アクアマン(ジェイソン・モモア)。愛する夫と息子を追手から守るため、アトランナは深海へ戻ります。それから時を経て、やはり海底の国ゼベルの王女メラ(アンバー・ハード)が、アーサーの異父弟でアトランティスの国王オーム(パトリック・ウィルソン)が、海を傍若無人に汚す地上の人間に怒り、征服を企てていると告げ、辞めさせて欲しいと懇願。当初は断っていたアーサーですが、幼い頃から自分を武人として指南してくれていた、アトランティスの参謀バルコ(ウィレム・デフォー)からの懇願もあり、オームと対峙することになります。

予告編で海底のシーンが綺麗だなぁと思ったこと、ジェイソン・モモアが強面なのに可愛い事、私の好きなデフォーとウィルソンが出ている事、そして監督が私の好きな「インシディアス」「死霊館」シリーズのワンな事、等々で楽しみにしていました。そして期待は全部叶えられました!

深海のアクション映画も数々ありましたが、舞台がアトランティスなんでね、風景が神秘的。古代のようでもありSFチックでもあり、でも現代なのでハイテクの要素も満載です。あれもこれも使えて、これは美味しい設定だなぁと思います。そしてやはり海底の中の描き方が美しい。

アーサーとメラの道行きなのですが、基本宝探し。これも何となく「インディ・ジョーンズ」や「ハムラプトラ」風で、懐かしい。真の王を見つけるためであり、二人が急速に接近する様子を描くためであったりと、要するにね、あれもこれも盛り込んで、過去のヒットした作品をモチーフに、海底アクションと言う新機軸で描いているわけ。でもちゃんと収まっていて楽しいのだから、偉い!

その中で、海の汚染問題、母と息子、父と息子、夫婦や男女の関係も描いていて、作品を格上げしています。それも異父兄弟、人種どころか異人種と人間の愛など、複雑。それを誰にでも理解出来るオーソドックスな「愛」と言う視点で紐解いています。例えると殺戮のあるディズニーみたいな感じ(笑)。

アーサーを「人間と交わった汚い血」と罵るオームに対して、陸と海を結ぶ唯一無二の存在と願うエラやバルコ。これはハーフと呼ばれる混血児や、移民として祖国以外で暮らす人々や、その子孫の例えと捕らえられます。オームがアーサーを憎む根源は、人間の子を産んだアトランナを汚らわしき者として、海獣の生贄に国王の父が差し出した事です。アーサーが生まれたため、母が死んだと言いますが、それって逆恨みだよな。怨むなら慈悲のないお前の父親だよと思いますが、オームは父を尊敬していて、それが出来ない。なので愛のある交わりから生まれた兄を、嫉妬から怨むのですね。

まー、婚約者のエラから参謀のバルコまで、みーんなアーサーに取られちゃうんですから、オームが怨みの権化となるのも、仕方ないなとも思います。その辺の視点の暖かさ、品の良さも素敵です。

期待のモモアは百点満点。長髪髭面の小汚さは、海の水で洗われるのであんまり気にならなかった(笑)。三男が言うには、原作のアーサーはブロンドの優男なんだとか。あんなに不死身じゃ、あれくらいのマッチョな肉体は必要だわね。目が可愛くて愛嬌があり、ピュアな印象まで与えます。知らなかったけど、リサ・ボネットが奥さんなんだって。一回りほど年上のバツイチ妻ですが、何でも子供の頃からリサが好きで、押しの一手で付き合い始めたのだとか。長い事実婚を経て、最近結婚。年齢差を考え、慎重になっていたのでしょうね。多分モモアの地の部分も、アーサーに反映されているのでしょう。

それ以外も文句なく、今回お転婆で気の強いプリンセスを演じたアンバーも好感が持てました。ヒーロー物の大作として私的に百点満点です。私は字幕版が観たかったので、普通のスクリーンで観ましたが、吹き替えならMX3D4Dも上映しています。海底場面を楽しむなら、こちらがいいかも?絶対続編あるよの最後です。次はオームと兄弟仲が良くなっていて欲しいな。次も観ます!



2019年02月08日(金) 「七つの会議」




ドラマや映画で大人気の、池井戸潤原作作品。現在ヒット中&高評価ですが、見れば納得。特に男性サラリーマンには、感慨深い作品かと思います。監督は
福澤克雄。

中堅メーカーの東京建電。定例会議中の営業一課。やり手の北川部長(香川照之)が檄を飛ばす中、社員は厳しさに身を縮めている中、課のお荷物社員八角(野村萬斎)は、高鼾中。年下のエリート課長坂戸(片岡愛之助)に窘められるも、知らぬ顔です。これ以降、坂戸の八角に対する叱責は厳しくなります。しかしあろう事か、八角は坂戸をパワハラで訴え、会社の判断で坂戸は左遷。訝しく思った、坂戸の後任で凡庸な社員である原島(及川光博)と、女子社員浜本(朝倉あき)は、やがて途方もない事実に辿りつきます。

「空飛ぶタイヤ」もそうでしたが、膨大な登場人物を認識するのに、世間の認知度の高い人を選んだのは、正解。お陰様でどんどん進むお話に遅れる事もなく、付いていけます。すごく贅沢な役者の使い方で、ちょっと得した気分。

池井戸作品にお馴染みの俳優も多く、あれ?この人もう出てこないの?と思うと、ラスト近く重要な役割で出てきたり、あのドラマではずっと悪役だったけど・・・みたいな人が正義感を見せたり、その反対もありで、良い意味で先が読めず、そこも良かった。

東京建電は、私から見たらとても立派な規模の企業なんですが、大企業ゼノックスの小会社。権力闘争に負けたエリートが、副社長(世良正則)として天下ったり、社長(橋本功)以下全社員が、親会社のゼノックス常務(鹿賀丈)の顔色を伺ったり、会社内での派閥や反目、そして不倫まで!そりゃもう、てんこ盛りに詰め込んでいます。各々、何を考えているかまで整理され、充分「サラリーマンはつらいよ」を、受け取りやすく作られています。社会の縮図を、興味深く学べます。

ですが、その先にあるのが、この作品の本当の核心です。偽装・隠蔽・賄賂。大企業さえ揺るがしてしまう「嘘」が、何故起こってしまうのか?それを巧みに解り易く描いています。心に残ったのは、改心しない悪党もいますが、大部分の携わったサラリーマンに、一片の情を見せている事。やりたくてやっている人はおらず、皆心に罪悪感を抱え込んでいるのが、わかります。そして恐ろしいのは、やがてそれが、「普通」になってしまうこと。

厄介者の八角も秘密を抱えており、二度と欺瞞に満ちた仕事はしたくないと、言うのが内部告発のきっかけになります。八角は自分の正義感が元で、自ら出世をあきらめたのです。辞めずに会社に居座るのは、ユニットバスの件の、贖罪でしょうか?

八角と同期の北川は、出世から下りてしまった奴ほど、怖い者はいないと、八角を恐れます。しかし、観客が共感するのは、八角より北川ではないかな?離婚もし、失うものが無くなった八角に対して、妻子もいるでしょう、ローンも抱えているであろう北川。問わず語りの北川の言葉には、日本のサラリーマンの哀歓が、たくさん詰まっています。

映画でも大人気の野村万斎。彼の現代劇は初めて観ました。前半は映画俳優ではなく狂言役者の演技で、少々鼻につきましたが、後半からは慣れたのか、あまり気にならず。まずまずでした。私はミッチーが地味に好きなんですが、今回は王子様キャラじゃなくて、むしろちょっと恰好悪い役でしたが、好感度の高いキャラに作ってあり、良かったです。でもやっぱり、香川照之が一番かな?彼が八角に渡したネジは、彼のサラリーマン人生の結論なのだと思います。

ラストは溜飲も下がるし、苦い現実味もたっぷりで、この幕引きも良かったです。エンディングで、八角が語る内容は、とても含蓄があります。悪い事は悪いと、言い続ける事。急がば回れのようですが、本当はこれ、大変なんだと思う。世俗に呑み込まれないよう、襟を正さねば。


2019年02月03日(日) 「天才作家の妻−40年目の真実−」




いや〜、面白かった!当初名優ではあるけれど、名にし負う大女優グレン・クローズの夫役がジョナサン・プライスじゃ、些か見劣りするんじゃないの?と思っていましたが、観終わってみれば、絶妙なキャスティングだったなと思い直しました。監督はビヨルン・ルンゲ。予告編やHPで、盛大にネタバレしているので、感想も今回ネタバレです。

高名な作家のジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)。糟糠の妻のジョーン(グレン・クローズ)と共に、ノーベル賞受賞の電話を、今か今かと待ちわびています。無事受賞の報が届き、夫妻と息子のデビッド(マックス・アイアンズ)は、授賞式のためストックホルムへ向かいます。気疲れしているジョーンの元へ、ジャーナリストを名乗る男ナサニエル(クリスチャン・スレーター)が近づいてきて、束の間の話し相手となります。しかしナサニエルは、ジョゼフの書いた小説は、妻のあなたが書いていたのではないですか?と、疑問を投げかけます。

予告編から妻が夫のゴーストライターと言うのはわかっていたので、受賞の報が届き、夫婦で大喜びしてベッドをぴょんぴょん跳ねる二人。ジョゼフが「僕の作品がノーベル賞を取った!」と、言った途端、ベッドを降りたジョーンに、そーだわなーと私は納得。

「どうしたんだ?」と真顔で聞く夫。バカですか?以降古夫ジョゼフの無神経さや、悪気なく妻に屈辱を与えるシーンのオンパレードに、欧米でも亭主ってもんは・・・と、私も結婚生活37年目に突入したもんでね、暗澹たる気分にもならず、淡々と観ました。我ながら、こっちの方が怖いわ(笑)。

夫は表向きの手柄は全部自分のモノ。妻が子育てと執筆に励んでいるのを横目に浮気三昧。この秘密は誰にも告げられない。では何故妻は長年屈辱にまみれながら、離婚しなかったのか?ここがこの作品のポイントです。夫婦が若かりし頃が随所に挿入され、それを紐解いていきます。

若かりし頃のジョーンを演じるのは、クローズの実娘のアニー・スターク。男顔の母にはあまり似おらず、オーソドックスな美人さんです。お芝居上手だなーと思って観ていて、後で知りました。今後ブレイクすると思います。

出会いは大学の講師と生徒として出会った二人。ジョーンはジョゼフを尊敬し、恋しました。しかしジョゼフは妻帯者でした。出会った当時から頭角を現していたジョーンでしたが、先輩女優作家(エリザベス・マクガバン)は、女と言うだけで、どんなに優れていても認めてもらえない。著書を手に取ってさえ貰えないのだ、彼女に告げます。

始まりは新婚当時、面白くないジョゼフの小説を、ジョーンがリライトした作品が初出版となり、以降は彼女主体で書かれて、ジョゼフは編集者のような立場だったのがわかります。冒頭のベッドのシーンと同様、デビューが決まった時、二人でベッドを跳ねている時、ジョゼフは「僕たちの作品だ!」と言っています。この気持ちが持続すれば、ジョーンの悲哀はなかったはず。

ジョーンは浮気に対しても、自分が元妻子からジョゼフを奪った贖罪の気持ちから、夫を責められなかったのでしょう。しかし女たちは、偉大な作家ジョゼフ・キャッスルマンだと思うから、冴えない老人であるジョゼフに、未だに群がるのです。それがわかならい間抜けな夫。わかっているから、尚更腹立たしい妻。

無神経な夫の言動に疲弊し、感情が高ぶる妻。いつもならやり過ごす夫の浮気も、盛大に詰る。対する夫は

「才能ある妻の下、自分がどんなに屈辱を感じているか、わかっているのか!俺は君が執筆出来るよう、家事も育児もしたじゃないか、君の思い通り、家も贅沢な暮らしも手に入っただろう!」

この夫のピントの外れた、小物感卑小感まんたんの「口ごたえ」には、冷笑を通り越して爆笑したわ。ピント外れは、夫あるあるだわね。内助の功の妻に対しての発言でも、妻は怒りますよ。この夫、自分で本当に書いていたら、さっさと糟糠の妻を捨てて、トロフィーワイフに乗り換えるタイプですよ。「僕は君のものだ!」と言う台詞にも噴飯。散々虐げられて、今更言われて、誰が嬉しいもんですか。私がこの夫の台詞で一番感動したのは、「僕を捨てないでくれ!」でした。

それでも夫婦であり続けたのは、ジョーンは夫婦の夢だけではなく、自分の小説を人々に読んで貰いたい切なる希望があったはず。これが物書きの性なんでしょう。

それ以上に面白かったのは、盛大な夫婦喧嘩が始まると、娘の出産の知らせが入り、夫婦で大喜びしてお開きになったり、憎しみ満開の時、夫が倒れて甲斐甲斐しく妻が寄り添ったりと、長い年月夫婦でいた人にしかわからない哀歓が、随所に滲みます。夫婦の別れぬ理由を描くのに、これはとても良い演出だったと思います。どんなに夫にないがしろにされようと、諸々の事を踏まえると、妻でありたかったのは、ジョーンの方だと思います。夫の方も好き勝手しながら、ジョーンを本当に愛する気持ちはあったと思います。愛だとか、打算だとか、それを超えた人達だけが、死ぬまで夫婦を継続するんじゃないかしら?

夫婦の集大成とも言えるべきノーベル賞授賞で、皮肉にも心の底に覆いかぶしていた感情が噴出した妻。彼女の感情を静めるには、最適の成り行きだったと思います。夏樹静子が小説を書き始めた動機は、娘を出産し、この溢れ出る母性を吐き出したいとの想いからだと、昔読みました。それが「天使が消えていく」です。ジョーンも似た事言ってたしな。多分空白のノートには、文壇を揺るがす小説が、今後書かれる事でしょう。

原題は「THE WIFE」。才能ある作家でなくても、長年妻稼業をしている人なら、万国共通理解も共感も出来る作品。


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