ケイケイの映画日記
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2016年02月20日(土) 「恋人たち」



ロードショウ中、この作品の高評価は見聞きしていたものの、当時は元気になりたい映画が良くて、あえてパスしていました。そしたらキネ旬一位を取ったご褒美で、再上映。では観に行くかと腰を上げたものの、時間が合わず、無念の見逃し。もう縁がない作品かと思っていたのに、何と近場のラインシネマで限定上映!これは私が観なくちゃいけない作品なんだと思い、やっと観てきました。この作品を観ても、私の昨年の自分の邦画ベスト順位は変わらないけど、見逃さなくて本当に良かったです。監督は橋口亮輔。

三年前通り魔に妻を殺されてから、その悲しみから逃れられず、今も鬱屈とした状態のアツシ(篠原篤)。自分に関心がない夫や姑(木野花)と暮らすパート主婦の瞳子(成島瞳子)は、皇室オタクで雅子様のファン。自作の小説を書いて、それを元にイラストを描くのが趣味。ある日パート先の弁当屋に出入りする藤田(三石研)と深い仲になります。ゲイの弁護士四ノ宮(池田良)は、異性愛者の親友・聡(山中聡)を、ずっと愛していますが、二人の関係性が壊れるのを恐れて、告白出来ないままです。

この三つのお話が交錯しないまま進み、徐々に絡まっていきます。冒頭しばらくは、観たのをもう後悔しちゃって。橋口作品は、「ハッシュ!」「ぐるりのこと」は面白く観ていますが、デビュー作の「二十歳の微熱」は、全然合わなくて、途中リタイア(録画ですが)。とにかくしんどいのです。悪夢再燃か?と感じましたが、今作は中盤から終盤にかけて、ぐいぐい力強くなっていき、最後は号泣でした。

瞳子は、最初はそのだらしなさ愚鈍さが、観ていていやでいやで。姑や夫に無視されても、不満なそぶりもなく、あきらめている風でもない。どうして私の何がいけなくて、そんな態度を取るのかと、聞けないの?そしてあのセックスは何?チョンの間だって、もっとましなんじゃないの?(知らないけど)。あんなので従ってちゃだめよ。自尊心なさすぎ。藤田にすぐ体を許すのも何なんだ。もっとお化粧してお洒落して、自分を大事にしなさいよ。

同僚との会話で、「私は死んだ姑を思い出して、泣く事なんかないと思う」と言う間柄なら、「お母さんはウィルスなんかで死なないから大丈夫よ」なんて、冗談でも言わないの。いきなり殴る夫は悪いけど、怒られても当然です。姑は友人や自分の親とは違うのよ。これが私の妹なら、怒鳴りまくるわ。子供のいない夫婦なのに、何故避妊しているのか不思議でしたが、この辺りで、もしかしたら瞳子が母親になるのは、夫が不安だったのかなぁと思いだすくらい、私には頭の悪い女性に見えました。妻や一家の主婦と言うのは、家事が出来るだけでは、一人前じゃないんです。

それが、藤田の化けの皮が剥がれた時の彼女の独白で、私はまさかの号泣。自分の口を養うだけの才覚も無く、常に卑下してきた人生だったのでしょう。瞳子は、夫に愛して欲しかったんだと思う。それをあきらめていたのですね。愛されるすべを知らないから、言う事を聞いていただけなんだ。藤田が事後の会話中、瞳子の乳房を弄ぶのを観て、あれは親密な男がする行為だと思いました。それを良く知らない男がすることに、私は嫌悪感がありましたが、瞳子はそこに魅かれたんだと思う。本当は夫にそうして欲しかったんですね。藤田と会う時、時代遅れの、だけど女らしさを強調した服でお洒落する瞳子は、それなりに綺麗でした。若い頃はきっと、もっと似合っていたでしょう。その頃を思い出せばいいのよと、瞳子が愛おしくなりました。監督、複雑な女心がよくわかっていて、とても感服しました。

四ノ宮もそう。誰かれなく尊大で傲慢。弁護士以外で何の取り得のある男なんだろう?大嫌いだったのが、切られた聡への電話での告白に、また涙。忍ぶ恋心は、切なかったでしょう辛かったでしょう。でも聡はその気持ち、知っていたと思うよ。だからあなたも、胸を張って友人としていられるよう、頑張って弁護士になったのじゃないの?愛情があなたを成長させたのだと思う。だから、聡と過ごした日々は、否定なんかされないのよ。

最初から最後まで私を泣かせたのは、アツシでした。彼だけはとても理解も共感も出来ました。何故親や兄弟が出てこなかったのかしら?妻は自分の肉親以上の人だと言うのは、良くわかります。でもこれが私の息子なら、抱き締めずにはいられない。いや息子でなくても、抱き締めたい。彼が泣く度、先に何があるかわからないので、長生きしなきゃと、唐突に思いました。

アツシの上司の黒田(黒田大輔)を絶賛する人が多かったけど、観て納得。傾聴がどんなに人の心を癒すのか、よくわかりました。口煩く励ましたりもせず。お腹いっぱい食べて、笑いなさい。僕はもっとあなたと話がしたい。人間にはいいバカと、で悪いバカと、たちの悪いバカがいる。篠原君はいいバカだよ。この平易な言葉の羅列が、観る私の心にも滋味深く染み入りました。元左翼崩れの黒田は、左腕を失った代わりに、怒りから赦しと癒しの心へ、自分自身を成長させたのだと思いました。アツシを気付かう女子社員も良かった。あの会社、アットホームだったなぁ。あれは亡くなった妻が、アツシに導いたんじゃないかと思います。

この作品、主人公たちの心の軌跡を追うディティールこそリアルですが、この人たちは、決して身近にいる人じゃない。特別な人です。むしろ周辺の、夫のゲイの親友を疎ましく思う聡の妻や、結婚したら妻に言いなりの聡、山中崇の冷血な公務員、特権意識と差別感満タンの女子アナ、瞳子の夫や姑など、この人たちの存在の方が、よほどリアルでした。私たちが自分を観るなら、こちらだと思います。みんな悪意のない人ばかり。だから始末が悪い。気をつけなくちゃ。黒田さんのようになるには、人生修業がいります。

他には安藤玉恵が、ものすごく楽しかった。やっぱりいい女優さんです。何となく順ミスも納得してしまった(笑)。

ラストの見えた青空、ゴミ屋敷から整理整頓されたアツシの部屋が映った時、これはアツシだけではなく、登場人物みんなへの、希望とエールだなと思いました。「二十歳の微熱」も、最後まで観たら違ったのかしら?もう一度挑戦してみたくなりました。寡作の橋口監督ですが、これからも見続けたいです。


2016年02月15日(月) 「オデッセイ」(MX4D 字幕)




映画人生初のMX4Dです。いつも「お前ばっかり映画観て」と、夫から罵られているので、この作品なら夫も楽しめるかも?と、誘ってみたら二つ返事でOK。夫婦50割引きで安く観られるので、どうせなら新しい方式で観ようか?多分3Dより500円くらい高いくらいだろうし。と思って、予約開始になって、ふたを開けると、何と鑑賞料金+1600円で2700円ですよ、奥さん!(私は3Dメガネ持っているので、-100円)。二人で5300円?観る予定の日は、TOHOシネマズの日で、皆々様1100円と、夫婦50割引きのお得感もござらん。愕然として、

私「普通の3Dでええやん」」と言うと、
夫「話の種にええやないか」と仰る。
私「でも高血圧の人は、止めた方がいいみたいやで」(←最近薬を飲み始めた夫。観るのを阻止したい妻)
夫「ええやないか、大丈夫やろ」

いやに食い下がるなー。こんな事なら、ポイント貯まっていた分使って、一人で見れば良かったわー(夫が観たがっているのに人でなし)。そして極めつけは、

夫「長い事映画の感想書いていて、読んでくれてはる人に、こんなんやったと、伝えなあかんのと違うか?」

ええい、その言葉で腹は決まった!大枚5300円払ってやろうじゃないか!
映画は前評判に違わず、すごーく良かったです。MX4Dについても後で書きます。監督はリドリー・スコット。

火星を探索中の宇宙船ヘルメス。船長のルイス(ジェシカ・チャステイン)と5人のクルーでしたが、突然の嵐に見舞われ,火星より撤収する事にします。その作業中クルーの一人ワトニー(マット・デイモン)が、撤収作業中に折れたアンテナの直撃を受けて吹き飛ばされ行方不明に。その状況からワトニーの生存は絶望的で、ルイスは他のクルーの命を優先し、火星から脱出する事に。報告を受けたNASA長官サンダース(ジェフ・ダニエルズ)は、ワトニー死亡と発表します。しかし奇跡的にワトニーは生きていました。火星の探索はこの後4年後。ワトニーのサバイバルが始まります。

とにかくワトニーが超ポジティブにして、楽天的。わずかな食糧の中からジャガイモを選び、人糞を肥料に火星の土を利用して、あっと驚くハウス栽培。彼は宇宙飛行士にして、植物学の博士。芸、いや学びは身を助く。その他クレーン車も動かせば、大工仕事も。冒頭の傷口の手当は、ドクター顔負けでした。何と言うか、一人TOKIO?(笑)。ビニールとかガムテープもどきとか、あんなのが死ぬか生きるかの時、ましてや火星で使えるのか!?と、少々驚愕でした。ここもTOKIO感倍増(笑)。とにかく次にどんな手を打つか、考えて考えて実行に移す。人間って智恵の生き物だなぁと、感心します。

自分の記録をコンピュータに録画するワトニー。ユーモアも毒もいっぱい。彼の頑張りの元は、「こんな所で死ねるか」なんですが、それより私が感じ入ったのは、ストレスがあったり、死を覚悟しても、孤独感が全くないのです。NASAがワトニーを見つけてから、古い機械で交信しだしてからは、一層でした。

これは食物を育てているなど、一人なのでやる事がいっぱいで、孤独に浸れないと言うのもあるけど、ワトニーを支えたのは、ルイスが残していった、ディスコミュージックじゃなかったのかなと思います。ディスコミュージックと言うのは、熱く愛を歌ったり、音楽はダンサブルで、俗っぽい。娑婆そのものじゃないですか。死んでたまるか、もう一度娑婆に戻ってやるぞ!と言うファイトを沸かせたんじゃないかなぁ。

配役の目配せは、NASA広報統括に女性(クリスティン・ヴィグ)、宇宙探索の責任者に黒人(キュエテル・イジョフォー)、クルーにヒスパニック(マイケル・ペーニャ)、エンジニアのトップは中国系。そして船長は女性。もちろん要所要所に白人男性(ダニエルズ、ショーン・ビーン)を配し、完全平等の世界観です。これが現在のアメリカですよと、言っているのか?NASAはCIAみたいに非情じゃないし、叩き上げは、キャリア組であろうトップにも噛みつくし、お決まりだけど、表層的から一歩抜け出た、丁々発止を見せてくれます。

難航するワトニー救出作戦。あの手この手を繰り出しますが、全て帯に短し襷に長し。そんな中奇策を授かったクルーたちが、自分たちの将来を顧みず出した結論は、定番の成り行きですが、観ていて感激しました。クルーのヨハンソン(ケイト・マーラ)が、同じクルーのベック(セバスチャン・スタン)がワトニー救出へ向かう無事を祈って、ヘルメットの窓越しにキスをする。「今のは内緒よ」といたずらっぽく笑う姿が印象的。彼が好きなのですね。でも恋愛はご法度のはず。だって妊娠したら大変だもの。地球の家族とメールや直接コンピュータで話せても、宇宙船の暮らしはやはり、ストイックなものなのだと思いました。

長い月日、一人で頑張ってきたワトニー。筋骨隆々だった体が、やせ細り肌は弛み、吹き出物だらけ。限界が近づいているのですね。マットは本当に減量したのでしょう。多分最初の方に映るマッチョな体も、落差を出す為作ったのでは?ご立派!

宇宙を映す3Dは美しく、雄大な風景が観られます。孤独感より父性的なものも感じたのは、きっと3Dのお蔭です。MX4Dに関しては、この作品では成功とは言えない感じ。宇宙船発射や、気流に巻き込まれた時、座席が前後左右に動くのですが、この作品のように、内容も厚みがあるものは、返って気がそがれて、画面に集中出来ません。霧も匂いも要らなかったな。それと座席を動かす為、やや軽めに作ってあるので、隣の人の振動が伝わり易い。私の隣の人は大人しかったですが、「足元どんどんしないで下さい」と言う声も聞こえました。単純なアクションとか、内容より映像重視の作品なら、面白いかも?作品は選ぶと思います。

ラストはハラハラするも、安心と感動の展開です。中国におべんちゃらしているプロットもあり、色んな意味でハリウッド的作品です。でもハイクオリティ!ラストの音楽は、最後まで人を食ったようなグロリア・ゲイナーの「i will survive」(笑)。私なら、クール&ギャングスの「Celebratio」にしたいわ(笑)。


夫と「面白かったな」「MX4Dは要らんかったな」とわいわい言いながら劇場を後に。
夫「通常より500円くらい高かったんか?」
私「???言うたやろ?一人2700円。1800円の料金で観たら、3400円やんか」
夫「そんなん知らんかったわ」
私「何回も言うた!私は普通の3Dにしようって言うたのに、あんたが絶対こっちって言うたんやんか!」
夫「そうか。忘れたわ。悪いから2000円は出すわ。」
私「お金要らんから、お願いやから、何回も言った事、聞いてないとか言わんどいて!」

あぁゼイゼイゼイ。夫を引接すると、ストレスが溜まりまくる。そして今日も「お前が鞄は?て聞かへんから、手ぶらで出てしもた」と、お約束の一言。あぁ!お願いやから、良い子、いや良い夫になって。次は「Xミッション」連れていってあげるからね(笑)。


2016年02月14日(日) 「サウルの息子」




仕事休みが続いて、連日映画を観歩いています。昨日は今週の大本命「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります」をテアトル梅田へ観に行くも、あえなくソールドアウト。通常土曜日はネットで先に買うのですが、会員更新したので、無料のチケットを使おうと思ったのがまずかった。時計を観ると、ガーデンシネマでこれまた本日初日の、「サウルの息子」がまだ間に合う。水曜日に心斎橋シネマートで仕事帰りに観る予定だったのを、急遽変更。駅から10分のテアトルから更に10分のリーブルへ、梅田お散歩物語。上映10分前に滑り込み、こちらも残席5つほど。本来なら苦手なタイプの作風ですが、何故だがストンと胸に落ち、多分ずっと眉間に皺を寄せ、哀しい顔で観ていたと思います。監督はこれが初作のネメス・ラーシュロー。カンヌ映画祭グランプリ受賞作です。

1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。そこでゾンダーコマンドとして働くハンガリー系ユダヤ人のサウル(ルーリグ・ゲーザ)。ゾンダーコマンドとは、ナチスから選抜され、自分たちと同じユダヤ人がガス室で抹殺されたのちの、遺体を処理する特殊部隊で、数か月後には彼らも抹殺されるのです。ある日ガス室で生き残り、すぐに殺された少年を、自分の息子だと言うサウル。ユダヤ教に則って息子を葬りたい彼は、収容所内を、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を探し廻ります。

冒頭からガス室送りのユダヤ人の様子やその後、死体の山の処理など、かなりきつい場面が続出。思春期に読んだ、ピーター・フランクルの「夜と霧」が、目の前に現れたのかと思いました。最初ずっとぼやけて映る死体の山に、あまりにむごいから、映さないのかと思っていました。

死ぬ前に罪を犯さして、その上殺される運命のコマンド。私ならいっそ早くに地獄に堕ちたいと思いました。そう思った時、サウルたちは、地獄に堕ちる事も許されないのだと気づきます。そして目を背けたくなる死体の山に、辛いのに、何故私の心はそれほど波立たないのか?と思った時に、ぼやけた画面の理由が解釈出来ました。あれはサウルの心なのです。気が触れてもいないけど、正気でもないのだと思う。

人は強いストレスを受ける時、感情を鈍磨してやり過ごすと言います。喜怒哀楽の表情のないサウルは、一切の感情を排していたのだと思います。そんな彼の目にはっきり映る「息子」。でも本当に息子なのか?ずっと訝しい気持ちを抱いていた私。やっと見つけたラビに、祈りの時に息子の名前を聞かれ、答えられません。リーダーも彼に息子などいないと言います。サウルは、妻との間の子ではないと言いますが、何かとサウルを気遣うリーダーは、多分彼の心の状態をわかっていたのだと思います。

ゾンダーコマンドたちが、収容所からの脱出を計画する様子が同時に描かれます。息子の事に一心不乱で、仲間の足を引っ張るサウル。ユダヤ教は、火葬されると転生出来ないのだそう。ガス室で死んだ人たちは、皆焼かれました。

最初、サウルの行為は、死んでいった同胞への罪悪感や贖罪なのかと思っていました。最後の最後、出会った少年に向けて、初めて笑顔を向けるサウル。彼に取って、子供は未来であり希望なのだと思い直しました。だから「息子」をユダヤ式に葬り、自分を含め同胞の転生を願ったのでは?他のコマンドたちの希望は、脱出でした。その違いだけ。人はどれだけ辛い状況でも、絶望ではなく希望を抱く生き物なんだと、私は思いたいです。そう思うと、あの幕切れにも、皮肉ではない一筋の光明を感じるのです。「サウルの息子」は、焼き殺されはしませんでした。

コマンドたちと共に、当時の収容所で労働も感情も体験しているような、疑似感覚を抱く作りです。ホロコースト物は、まだまだ斬新な切り口があるのだなと、思いました。そして、たくさん作られる反ナチス作品に、どれも異を唱えないドイツは、決して同じ過ちを繰り返さないだろうとも思います。人種間でいがみ合い、差別や殺戮の頻繁な昨今、永遠に学ぶべきテーマだと思います。








2016年02月13日(土) 「スティーブ・ジョブズ」




当初は時間があれば的な、パスでもいいわと言う作品でした。でも監督がダニー・ボイルと知り、それは観なければいかんなと、近場のラインシネマで会員手続き更新もあり、初日に観てきました。訳わかんないまま、なのに全然退屈もせず、それなりに面白く観てしまったのは、やっぱりボイルの着眼点の秀逸さかな?今回はあらすじはパスです(書いてもあんまり意味はない)。

ジョブスの人生を辿るのではなく、彼の人生で良くも悪くも、ターニングポイント的であったろう、三度の大々的なプレゼンの舞台裏が描かれます。三度の間は年月を数年経ており、それは画面でも出てきます。しかし私はジョブズに関しては、マックの創始者+αくらいしか知らなくて、もう画面を追いかけて咀嚼するのに必死。でもそれも退屈しなかった要素かな?

とにかく長台詞の応酬で、ジョブズ役のマイケル・ファスベンダーと、片腕のジョアンナ役ケイト・ウィンスレットは大変だったでしょう。当初の共同創設者セス・ローゲン、アップルの元CEOジェフ・ダニエルズもしかり。もう監督サディストですか?と思ったくらい(笑)。私のような門外漢でも置いていかれず、何とか咀嚼できたのは、演技陣のお蔭です。

職業人としては天才肌のジョブズは、奇想天外な事を思いつきで言い募り、言い出したら絶対に聞かない。スタッフは振り回されて大変だった事でしょう。自分の意思は曲げず、どんどん経営が苦しくなり、アップルを首になり、また帰り咲いての道程がどんなものであったか、多分美化している部分もあったろうけど、面白く観られました。

美化と言うと、多分現実のジョブズは他者に対して失礼千万、嫌な野郎ではなかったのかな?その最もたるものが、元恋人との間の娘・サラを、長い間認知しなかった事。確かDNAで94%親子と出ているとの台詞があったので、これは完全に彼が悪い。しかし、養子として実の親から離れた過去を語らせ、父親になるのが怖かった、傲慢に近い仕事上のオレ様気質とは真逆の、弱い側面も描きます。

それら多面的なジョブズの、致命的な欠点を描いているのに、観終わった後は、のちに語り継がれるであろう時代の寵児の、人間味あふれる物語に感じさせてしまうのです。ボイルは着眼点とか構成とか、本当に上手いなと唸ります。ジョブズの人生の切り取り方、浮かび上がらせ方が秀逸。


数十年の時間の経過は、ジョブズを大人にし、丸くもしていました。パパと呼ばせるのを拒絶していた娘を、「ハニー」と呼びかけた時は、感激しちゃった(入ってきたのは、ダニエルズだったけど)。ジョブズはこの時、家庭を持ちサラ以外の子も持っていたはず。彼の人間としての成長を促がしたのは、彼の奥さんじゃなかったのかと思います。出てこない奥さんを投影したのが、ジョアンナの滋味深いキャラだったのかな?と思います。「仕事ではあなたの妻よ」と言ってたものね。

アラン・チューリングの話しが出たり、あぁこれがiphoneやipodを作るきっかけかぁと思わす箇所もあり、なかなかに楽しかったです。でも私のように、ジョズズはあんまり知らないわ、と言う向きは、ちょこっと彼の年表でも頭に入れて観れば、一層楽しめると思います。


2016年02月12日(金) 「キャロル」




素晴らしかった。男性の同性愛を描く作品では、私は「シングルマン」が一番好きですが、女性ではこの作品が一番。女性同士の愛を描いて、いくつかのパターンがありますが、私が一番観たかった、女性が女性である、有りのままの恋愛が描かかれていて、とても感激しました。原作は「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミス。監督は「エデンより彼方へ」もとても好きだった、トット・へインズ。

1952年のクリスマス。高級デパートのおもちゃ売り場で働くテレーズ(ルーニー・マーラ)は、娘のプレゼントを買い求めた美しくエレガントな女性に、一目で心奪われます。その女性はキャロル(ケイト・ブランシェット)。夫(カイル・チャンドラー)とは、もうすぐ離婚だとキャロルは言います。テレーズがキャロルの忘れた手袋を自宅に送った事から、二人の交際は始まり、やがて恋愛に発展していきます。

ケイト・ブランシェットがクールな気品と風格に溢れた、圧巻の美しさ。豊かなブロンドに、エレガントなファッションが絶妙にマッチしています。毛皮のコートや、深紅のリップに真っ赤なネイルは、人によっては単なる下品な装いになるのに、このゴージャスさ。これはキャロルの内面が装いに勝っているからです。

対するテレーズは、将来の夢はカメラマン。パンツスタイルもスカート姿も、いつも清楚な装いながら、さりげなくロマンチック。テレーズからも、彼女の純粋さや若々しい乙女心が感じられます。ファッションで二人の内面を浮かび上がらせ、秀逸です。

二人の逢瀬が始まってからしばらくは、テレーズが「初めての恋」にときめき恥じらう様子がこちらに伝わります。それを豊かに包容するキャロルの様子に、こちらまで緊張してしまい、もうため息ばっかり。テレーズは異性の恋人がいますが、その事に素直になれず違和感を感じています。その違和感を、若い頃から隠そうとしなかったキャロルですが、結局は結婚している。

パーティーでキャロルに、顔見知りの年配の夫人が、「夫が来たら教えてね。」と隠れて煙草を吸う姿に、「生活費が減らされる?」と軽口を叩くキャロルですが、これは本音なのでしょう。上流階級である彼女たちは、経済的に夫に寄生する人生しか、選択肢がなかったのだと思いました。煙草一つ自由に吸えない。対する庶民のテレーズは、自活の道を夢を持ち歩んでいる。持てる者の不自由さ。キャロルも始終煙草を吸いますが、それは安定剤代わり。窮屈な暮らしに対する、彼女の捌け口だったのだと思います。

子もなした長年のレズビアン夫婦の、倦怠期の紆余曲折を描いた「キッズ・オールライト」、狂おしい情念に、こちらまで焦がれた「アデル、ブルーは熱い色」が、私は大好きなのですが、この二つに共通していたのが、経済的に優位に立つ方が、夫のように振る舞う事。そして「妻」の方は、ストレートの私たちと同じように嘆き苦しみ、男と浮気するのです。これは男性同士では描かれないパターンです。

ところがこの作品には、それがない。どちらかが男になるのではなく、美しい女性同士の恋愛でした。柔らかな肌の者同士の触れあいを感じるセックスシーンと、いたずらっぽく女同士がお化粧するシーンが、同系列に恋する二人として描かれ、私の中でとてもしっくりくるものがありました。

「心に従って生きなければ、人生は無意味よ」とは、キャロルの言葉。この言葉に辿り着くまで、キャロルはどんなに傷つき、疲弊してきたことか。最愛の娘まで取り上げられ、それでも自分は偽れないと決心するキャロル。どんなに娘を愛しているのか、丹念に描いていたので、自分が自分を欺く事の辛さとは如何ばかりかと、同性愛以外の差別にも、考えが及びます。美しい恋愛映画であると共に、ここが描ききれている点が、この作品を唯一無比の作品にしたのだと、思います。

とにかく主演の二人が秀逸。ブランシェットの圧巻の役作りもさることながら、頭の先から爪先まで、恋する乙女の狂おしい情感を表現した、ルーニーも素晴らしい。オスカーの主演女優賞は、二人ともって言うのは、ダメかな?

何かのアンケートで、同性愛者の比率が増えている、と読みました。それは昔口に出来なかったのが、言えるようになったからでは?テレーザのように、異性間の恋愛に違和感を持っていた人々が、自分の思いを解き放ったからかも。比率が増えた事を夫に話すと、ますます増えたら、人口はどうなる?と言います。確かに。でも心配召さるな。だってあなたも私も、同性とセックスするのは、無理でしょう?だったら、彼ら彼女らも、異性とのセックスは無理なのです。恋をするのに理由はいらない。属する世界も性別も超越させてしまうのです、きっと。キャロルとテレーズのように。



2016年02月10日(水) 「残穢【ざんえ】 ‐住んではいけない部屋‐ 」




あぁ〜、怖かった!座席は本当は誰もいない列の端が好きですが、今回何故か嫌な予感がして、ちょっと真ん中目に。観たのはレディースデーと言えど平日だったのに6割の入りと、これも本当に助かりました。視覚に訴える怖さではなく、思わず前後左右見渡してみたくなるような、心理的なじっとりした怖さで、ホラーとして拾い物です。監督は中村義洋。

ホラー作家の「私」(竹内結子)は、読者からの実体験を元にした短編を、雑誌に連載しています。その中で目に留まったのが、女子大生の久保さん(橋本愛)からの手紙。一人暮らしの彼女のマンションで、毎夜物音がすると言うのです。気になって彼女のマンションを訪ねる「私」。久保さんと二人で、謎を追い求め始めます。

人気作家の原作を、手堅く映画化するヒットメーカーの中村監督のホラーなんて珍しいと思っていたら、「本当にあった!呪いのビデオ」シリーズに、ずっと携わっているんですね(今も)。そのスキルが発揮されたのが今作のようです。

全体にムードはどんより曇っており、セピア色の写真、昭和の建造物、新聞の切り抜き等々、私の年代なら覚えのあるものが、上手く再現されていて、禍々しい雰囲気を煽ります。作り込んではおらず、再現ドラマのように適当にチープにした感じが一層禍々しさを演出するのに効果的。

その再現フィルムのような作品中、竹内結子と愛ちゃんの芝居のさじ加減が絶妙。無名の役者さんたちにインタビュー形式で、不可思議な現象の謎を追いかける、狂言回し的役です。女優として華やかさいっぱいの二人が、ずっと体温低い演技で、上手く存在感を消して、作品に埋没しています。これにはすっかり感心しました。作品と役柄を理解しているんですね。

謎は単なる祟りではなく、幾重にも上書きされた、複雑なものでした。最初の「河童のミイラ」のお話が、回り回って繋がる脚本も上手い。現代から昭和、都会から地方と、段々土俗的に物語が進み、祟りの正体に切ないものを覚え、成仏させてあげたいと思わせるのも、良いです。段々時を遡って、たくさんの家や登場人物が出てくるので、若干わかり辛い(と言うか、途中で誰だっけ?と忘れてしまう)箇所もありますが、工夫で乗り越えています。

祟りは「話しても聞いても着いてくる」なんて劇中言われたんで、本気で一人暮らしでなくて、良かった!と思いました。車でも土地でも家でも、直近の事故物件は、現在は法的に隠してはならないのですが、それ以前の事は、知る人も少ないです。続かないお店、住人が定着しない部屋などは実際あるし、精神病を患う人は、確かに先祖の祟りのように、昔は言われましたが、この作品のように、何の罪科がなくても祟られちゃうんじゃ、どうしようもなし。祟られる人、そうでない人の線引きは、どこにあるのかしら?

ラストにあるものに向かってお経をあげる上田耕一扮する住職さんの姿は、皆々に代わり、霊を鎮めるために、お経をあげていたように感じました。肝試しに廃墟や因縁のある建物に侵入なんて、言語道断。取りあえず「穢れ」には近寄るべからず。心霊現象に出くわしたら、ご先祖様を頼って、墓参りに出かけようと思います。



2016年02月07日(日) 「最愛の子」




実話が元の作品。普遍的な子を思う親の愛情、親を慕う子の気持ちを軸にしながら、中国の様々な社会問題に切り込んだ社会派作品。私は傑作だと言い切って良いと思います。監督はピーター・チャン。

2009年7月18日、中国・深圳。寂れたネットカフェを経営するティエン(ホアン・ボー)は、三歳の一人息子ポンポンと二人暮らし。妻ジュアン(ハオ・レイ)とは離婚して、親権はディエンが持っていますが、ジュアンは仕事も順調で、再婚して裕福な暮らし。ポンポンの養育権も要求しています。そんなある日、遊びに出たはずのポンポンが誘拐されてしまいます。憔悴しきる元夫婦。様々な手を尽し、三年後奇跡的に深圳から遠く離れた貧しい農村で見つかったポンポンは、実の親を忘れており、育ての親ホンチン(ヴィッキー・チャオ)から離される事に、泣き叫びます。

中国は一人っ子政策で知られていますが、跡取りとして男子が望まれるため、女子が生まれると捨てられ、男子は人さらいにあい、人身売買が多発しているそうで、年間誘拐数は20万人にも及ぶそうです。ホンチンは不妊症で、一年前亡くなった夫から「お前のため」と、他所の女性に産ませた子だと言われ、それを信じてポンポンを育てていましたが、実際は夫が誘拐してきた子。そして捨て子だった女子の赤ちゃんも拾い、ポンポンの妹として妻に育てさせています。

前半は気が狂ったように、子供を探す元夫婦の姿が描かれます。これが我が身に起ったら?と、同情と言うには生ぬるいような感情が、怒りと共に湧き上がりました。報奨金目当ての詐欺の電話、貧しさから我が子をポンポンと偽り、ティエンに育てさせようとする親、巧妙な手口で誘いだし、ティエンから金を強奪しようとする者。人の弱みに付け込む輩に憤懣やるかたない気分になります。その中で私がとてもとても切なかったのは、誘拐された親同士の自助グループの存在です。

自分の気持ちを吐露する人々の様子に涙するも、一種カルト的宗教団体のようなムードを漂わせるグループ。歌を歌い、シュプレヒコールを繰り返す彼らに、当初は怖いような感想を持ちましたが、観ていて段々哀しい気持ちに。こうでもしないと、子供を見つける希望が失われるのです。次の子供を持つのは敗北でもある。妻の新たな妊娠を機に、次の子を持つ決意をした父親の、浚われた子への罪悪感に苛まれる痛恨の涙が、今思い出しても涙が出ます。

子への愛と言うと、どうしてもクローズアップされるのは、母親です。しかしこの作品は、不自由な貧しい暮らしをしながらも、ポンポンを手放さなかったティエンを始め、子を探す為、教師と言う安定した生活を手放した父親、そして上記の父親の様子など、父性と言うより母性に近い、本能的な子へのありったけの愛が描かれています。これは中国男性の特性なのかもしれませんが、本来どの父親にも備わっているのだろうと、少なからず感銘を受けました。

やっと夢にまで見た我が子を抱きしめるのも束の間、ポンポンは両親を忘れ、警官に「この人たちを捕まえて」と訴えられる。さらにはホンチンを探し求めるポンポン。本当に無情です。子が見つかっても、まだ試練が待ち構えている。ポンポンが初めておずおずジュアンの手をつないできた時の、ジュアンの喜びに満ちた涙が忘れられない。

後半は、慈しみ育てていた我が子二人を奪われた、ホンチンの育ての親の愛情が描かれます。捨てきれぬポンポンへの愛と、彼女から取り上げられ、今は施設に預けられている妹を養子にしようと、奮闘する姿が描かれます。彼女も言わば被害者。しかし知らぬ事とは言え、育てていたのは誘拐された子。夫は誘拐犯。彼女が妹を奪還出来る道理はありません。可哀想には思うのですが、実の親ほどには、同情も共感も湧かない私。無学な農民である事に見下されても、猪突猛進なホンチンの暑苦しさに、次第にイラついてきました。しかし自分の持てるもの全てを投げ打つ、捨て身の彼女のある行為を観て、次第に思いが変化していきます。

それと共に、今まで全く縁がなかったはずの法律の書物を持ち歩き、熱心に弁護士に法律を聞く彼女。ホンチンの造形は、地方の貧農での、学問の必要を説いていたのではないでしょうか?人は感情だけで生きて良いのではありません。道理も秩序も感情のコントロールも、学ばなければ得られないのだと痛感しました。ここに貧富の差だけではなく、作り手は、都会と地方の落差を訴えていたのだと思います。

あの皮肉で切ないラストは、一見無情のようですが、私は違うと思いました。ホンチンは、夫からポンポン以外に、嘘をつかれていたのでしょう。何よりも「家」の存続が大切だった夫。昔ながらの価値観に振り回されているのです。今も「家」の存続は大切ですが、それはあくまで「家庭」を基盤にしたものです。都会の溢れかえる離婚に辟易している裁判官を映し、夫の嘘の罪深さでホンチンを慟哭させたのは、新旧両方の価値観で揺れる中、何が本当に大事なのか?を、観客に見極める目を持って欲しいと、切望しているように感じました。

自己紹介の時、妹の存在も披露するポンポン。見守る両親。何の変哲もない情景ですが、ホンチンの身に起った事も含めて、私は新たな希望を、みんなが手にしたのだと思いたい。願わくはホンチンは深圳に留まり、その大きな目で世の中を観て、地方にはない情景をしっかり自分の中で消化してほしい。

この映画がきっかけとなり、誘拐に対する法律が改められたのだとか。素晴らしい事ではありませんか。エンドロールに、モデルとなった人々のその後が描かれます。モデル・作品上の架空の人々皆に、倖多かれと願わずにはいられません。


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