ケイケイの映画日記
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2015年11月26日(木) 「尚衣院-サンイウォン」




素晴らしい!最近は気楽に観られる作品が続いていましたが、今作はズドンと腹に来る秀作です。王朝の衣服を作る部署「尚衣院-サンイウォン」を舞台にした珍しい設定が目新しく、王朝に渦巻く嫉妬や欲望のお馴染みの世界を、重厚に、そして時には軽やかに描いた、絢爛たる王朝絵巻です。監督はイ・ウォンソク。

尚衣院で三代の王に仕えたドルソク(ハン・ソッキュ)。貧しい出自ながら、その功績が認められ、後半年で両班(ヤンバン・貴族階級)に出世が決まっています。そんな時、王(ユ・ヨンソク)の衣服が、下女の不始末で焼け焦げてしまいます。困った王妃(パク・シネ)は、巷で天才仕立師だと噂されるゴンジン(コ・ス)を王宮に呼び、修理させます。




さながら当時のファッション・ショーを観ているが如く、王道の韓服からゴンジンにアレンジされた斬新なものまで、ゴージャスな韓服のオンパレードで、美しさが圧巻。糸から紡ぎ、色を染め、刺繍を施しひと針ひと針縫い上げる様子はわくわくして、スリリングでさえあります。イギリスのキャサリン妃がお召しになった服は、飛ぶように売れますが、王宮がファッション・リーダーであると言うのは、この時代でも描かれます。

四人四様の葛藤や屈託が描かれ、全員に感情移入出来る描き分けが秀逸。先王(腹違いの兄)の呪縛から逃れられず、恋しい王妃まで遠ざけてしまう孤独な王。下女から生まれた出自を問われ、それを跳ね返すことも出来ぬまま、種馬の如く世継ぎを求められる悲哀を託ちます。ドルソクは孤児として蔑まれ、言葉に尽くせぬ辛酸を舐めながら、仕立師として頂点を極めようとした時に現れたゴンジンのせいで、自分の今までの人生が根底から崩される恐れに焦燥します。そして王妃として夫の心の安寧に尽くそうとしても拒絶され、未だ夫婦生活もなく、お飾りのままの哀しい王妃。

斬新なデザインで、王宮や民の心を捉え、風雲児の如く世の中の秩序まで変えてしまうゴンジン。しかしその心に野心はなく、無邪気で天真爛漫な彼は、服を愛して止まない。装うと言う事は、着る人の内面を表現する事です。その場に応じてその人を最高に際立たせたい、その思いだけが彼を突き動かす原動力です。変革を恐れない心の中心は、自分ではなく相手の笑顔。なのでゴンジンは、決して傍若無人には映りません。

ゴンジンの才能に嫉妬するも、同じ服を愛する者同士、いつしか同士のような友情を育んでいくドルソクですが、それを阻むものは、権力欲しさに群がる欲望です。王妃の廃位を狙う狡猾な高官から差し出された娘も、やはり貴族階級の両班の出。傲慢で高慢、気の強いこの娘は、王の手がつかないのを怒り、自ら王の前に出向き服を脱ぎ始めます。聡明で大人しい王妃には出来ぬ、下賤な行い。両班だなんだと言いながら、このはしたなさ。他にも王のお手付きになりたいがため、蔑まれていたはずの妓生のような服を、列をなしてゴンジンに作ってもらう女官たち。一皮むけば両班も庶民も同じだと言いたのだと思います。権力に固執する事が、すなわち「卑しい」のだと思う。

王妃に一目惚れし、立場を弁えず密かな愛を捧げるゴンジン。採寸のシーンは、肌に一度も触れぬのに、熱い吐息を感じるが如くで、キスやハグよりエロティック。彼女のために作る一世一代の純白の韓服は、この作品一番の見どころです。

各々の抱えた欲望・嫉妬・愛情・卑屈さに翻弄される四人。どんな出自・立場であろうと、心模様は同じ。同じ「人間」なのです。どんな逆境にも常に笑みを絶やさず、最後の最後まで温かな、心からの笑みを浮かべたゴンジン。彼の笑みは、彼の持つしなやかで自由な心から生まれたものです。その心を生んだのは、私は人を装わす事への、愛だったと思います。

一方辛い過去から築いてきた栄光を、最後まで手放せなかったドルソク。それは出自を乗り越えたのではなく、過去から逃げられなかったのだと思う。卑小な自分から逃れられなかった者同士、王を待つラストのドルソクの顔からは、達観したような笑みが。王がドルソクに会いに来るとき、その時二人は過去からの呪縛が溶かれるのだと思いたい。

ハン・ソッキュは超久しぶりでしたが、まだまだ若いもんには負けてないです。ドルソクをの人生を全てさらけ出して透かせてみせるような、絶品の好演。コ・スは初めて観ましたが、大きな目が印象的なハンサムで、自由闊達なゴンジンを、愛嬌たっぷりに演じて、とても好きになりました。彼の演技あってこその、私の感じたゴンジンだったと思います。ユ・ヨンソクは童顔が災いして、当初こそ貫録不足と感じましたが、演技力でカバー。パク・シネも清楚で可憐ながら、聡明で芯の強い王妃を好演。満たされぬ女心の哀しみを、若々しくこちらも好演していたと思います。

圧巻の内容ですが、華やかさや重厚さだけではなく、とぼけたユーモアやスピーディな展開など、厚みはあっても決して重くはない作りです。日本でも8代将軍吉宗の生母は下女で、紀州家四男が、まさかの将軍様に。その強運を手繰り寄せたのは、ゴンジンのような人柄であったからかなぁと、思い起こしました。日本も韓国も、同じですね。


2015年11月23日(月) 「Re:LIFE〜リライフ〜」

”あの「ラブソングができるまで」
マーク・ローレンス監督とヒュー・グラントの再度のタッグ作”みたいな売り方されていて、はて?そんな言われた方するほどの作品だったかしら?>「ラブソングができるまで」と、自分の感想を読み返すと、やはりそこそこだった模様(笑)。往年のアイドルを脚本家に替えて、設定は似ていますが、個人的にはずっとこちらの方が好き。御年55歳ヒュー・グラントの、堂々のラブコメです。

脚本家のキース(ヒュー・グラント)は、若くしてオスカー脚本賞を受賞して、将来を嘱望された脚本家でしたが、それ以降は鳴かず飛ばずで、現在は仕事にあぶれています。やっとありついた仕事は、ニューヨーク北部の片田舎の大学でのシナリオ講師。全くやる気のないまま着任したキースですが、そこで出会った人々たちとの日々によって、段々と彼自身に変化が生じます。

冒頭から酔った勢いで、教え子になるであろう女子大生カレン(ベラ・ヒースゴード)と寝ちゃうわ、70人の受講希望者から10人を選抜するのに、女子は美人ばっかり、男子はモテなさそうなオタク系若干だけを選ぶ様子など、電気も止められるくらい逼迫した状態なのに、危機感まるでなし。相変わらず軽薄でいい加減で、皺も増えたし体重も増加したようで、自然体に加齢しているのに、それでもこの手の役をやらせたら、やっぱりヒューは抜群にチャーミングです。

軽くて他愛もないエピソードの羅列のようですが、ハリウッドへの皮肉や恋しさが随所に炸裂し、激しい浮き沈みを経験しているはずなのに、キースは明るいと言うか能天気と言うか(笑)。だから深刻ぶらずに挿入するキースの些細な陰りにも、共感出来るのです。他にはジェーン・オースティンを巡る男女のバトル、女系家族で男一人の悲哀を滲ませる学長(J・Kシモンズ)など、男性の本音が出て面白かったです。

数々のクラシックから現在の映画や俳優の名前がわんさか出てきて、それの出し方が適材適所で上手い。監督は大層な映画好きなんだなと、密かにほくそ笑む私。10人の学生は描き分けも良く、それぞれに見せ場を作る工夫も楽しかった。若い子に「マーティ」を勧めたり、ベルイマン命の子とか出てくるのも、嬉しかったな。そして脚本家(及び志望する人)とは、みんな映画が大好きなんだとも、痛感しました。だから小説家ではなく、脚本家なのよね。

教え子の脚本を見どころありと、キースがプッシュするエピソードが良かったです。いい加減で軽薄だけど、卑怯者でもなく性根も腐っていないキース。それはヒューが演じてきた役柄とダブルけど、だから彼はずっと愛され続けてきたのでしょう。30代には30代、40代には40代、そして50代には50代の人生の気付きがあり、人生はいつでも再生可能だと言うのが、タイトルの所以かな?この作品は、どうしてもヒューに演じて貰わなきゃいけない役だと思いました。

他にはキースの英国人らいし皮肉たっぷりのユーモアを絶妙に切り替えし、彼に啓示を与えるシングルマザー、ホリー役のマリサ・トメイが出色の存在感。20歳前後のピチピチの子たちと同じ教室に放り込まれては、さすがのマリサも容色の衰えがバッチリ。しかし人生の経験値と持ち前のバイタリティーで、逆境を感じさせぬ明るさで、彼女が出てくると、生徒の誰より画面が輝きます。マリサもまた、この手の役どころは得意で、安心して観ていられました。

「コードネーム U.N.C.L.E」では、中年を通り越して、初老みたいに見えたヒューだけど、もう若手を陰で支えるには十分の年齢です。それでもこれからも年齢に応じて、大いなるマンネリで、60代70代のラブコメを見せて欲しいです。希望の星となってね!(同年代です)。


2015年11月21日(土) 「コードネーム U.N.C.L.E. 」




1960年代後半から70年代にかけて大人気だったドラマ「0011 ナポレオン・ソロ」のリメイク作。実は私にとってはとても思入れのある作品で、その理由がイリヤ・クリアキン役のデビッド・マッカラム。


右からイリヤ役のデビッド・マッカラム、ソロ役ロバート・ボーン、彼らの上司ウェーバリー役レオ・G・キャロル。超可愛いでしょう?ねっねっ!当時小学校1年生前後の女子ですもの、何て可愛いお兄さんなんだと、ぽ〜となったのも無理はない。今観ると、ボーンもダンディで素敵ですね。

私は子供ながら舶来かぶれで、一番初めて好きになったドラマはこれで、一番最初に買ってもらった「レコード」は「モンキーズのテーマ」。以降小学生時代は、たくさん放送されていたアメリカのテレビドラマと洋画劇場にズブズブになって、思春期に入っても周囲がキャーキャー言う和製アイドルには目もくれず、洋楽と洋画にまみれて暮らしていました。私のアイドルはたくさんいたけど、私の人生で一最初のアイドルは、デビッド・マッカラムなんです。

だから映画になると聞いた時、喜んだのなんの。しかし!私のイリヤの役が、大男のアーミー・ハマーがやると聞いて、超激怒(イリヤはちょい小男)。もう全然違うでしょ?ハマーは嫌いじゃないけど、でも全然私のイリヤじゃないもん!もうちょっと元作に敬意があってもいいんじゃない?しかし巷ではなかなか評判良いし、観なけりゃ貶すことも出来ない(笑)。と言う事で観てきました。結果、私の好きな「ナポレオン・ソロ」じゃなかったけど、これはこれでとても楽しめました。監督はガイ・リッチー。

東西冷戦真っ最中の1960年代半ば。、世界的に著名なテラー博士(ジャレット・ハリス)の失踪に、核兵器を巡る陰謀が隠されていると判断した米ソは、やむなく手を組む事に。CIAのエージェント、ナポレオン・ソロ(ヘンリー・ガヴィル)と、KGBのスパイ、イリヤ・クリヤキン(アーミー・ハマー)に指令が下ります。博士の娘ギャビー(アリシア・ヴィキャンデル)と共に、三人は博士の捜索に乗り出します。

観る前はブチブチ文句垂れていたのに、ヘンリー・ガヴィルの顎が割れているのを観た瞬間、気分が上がってしまった(笑)。キャスト反対じゃないの?と思っていましたが、ボーンと言えば割れた顎。顎でキャスト決めたんだと勝手に判断して、まずは違和感払拭でした。

好きだったと言いながら、イリヤがソ連人だったなんて、全然知らんかったわ。イリヤ・クリヤキンなんて変な名前だとは思っていましたが、確かに東欧系だわね。同情すべき背景は映画用かしら?ソロにも結構冒涜気味の背景が語られていたのは、脚本を滑らかにするためなのかなぁ〜。あんまり嬉しくなかったけど、これ単体で観た人には違和感ないでしょうし、流れには溶け込んでいました。

腕はいいけど女好きのソロ、ご清潔なイリヤのキャラは踏襲しています。ソロってば、毎回キスシーンがあったような。「スタトレ」のすけべぇカークこと、ウィリアム・シャトナー@カーク船長と双璧だったよなぁ。今思うに、ソロのキャラはボンドを意識したのかな?

当初は当然いがみあっていたソロとイリヤが、段々歩み寄りお互いを理解し合う様子も無理がありません。時代が60年代なので、スパイアイテムもレトロで懐かしく、彼らのキャラの描き分けも上手。女性陣のからめ方も上手い。登場人物の会話の妙も、和訳がいいのか、楽しめました。アクションは安定して観られるし、お洒落な作りです。懐かし組にも初めまして組にも受け入れられる、滑らかな語り口です。ファッションや街並み、セットも往年を彷彿させるようで、それも見どころです。

女性二人も良かった。キュートで勝気なギャビーを好演したアリシアはスウェーデン出身で、これからハリウッドで活躍するはず。冷酷なクールビューティー、エリザベス・デベッキの年齢に似合わぬ貫録たっぷりの美悪女ぶりも天晴れで、今後気にかけたい女優さんです。

ラストでイリヤがソロに愛を込めて、「三流スパイだな」と言いますが、それはお互い様。確かにあれだけお互い情けをかけちゃね、スパイとしては腕は良くてもメンタルで三流。でもその三流さは、人として好ましい要素だと思います。

大作じゃないけど、小技が効いてスマッシュヒットの作品。ちょっとだけ出演のヒュー・グラントですが、キャリアがゆっくり下降気味とは言え、まだまだ大物のヒューにあの役をあてがったと言う事は、作っている段階で続編作る気満々な模様。マドンナと結婚していた頃は、もうダメかなと思っていたリッチーですが、このところ「シャーロック・ホームズ」など、めきめき復活。やっぱりあのマドンナの亭主で居る事は、相当なプレッシャーなんですね。そういう意味ではビッグになり過ぎて、自分に見合う男がいないマドンナも可哀想だな。


(ブロンソン&ジル・アイアランド。正真正銘の美女と野獣ですが、こうしてみるとお似合いですね。だから死ぬまで添い遂げたのよね)

終わってみれば鑑賞前のの嫌悪感はどこへやら、全く別ものとして楽しみました。大昔私がまだ乙女だった頃、チャールズ・ブロンソン夫人ジル・アイアランドの前の旦那さんは、デビッド・マッカラムだと知り、この綺麗な人は一体全体、何を考えているんだと、その男の趣味の幅の広さに驚愕したもんですが、それに比べりゃ、アーミー・ハマーはまだふり幅が小さいかも?(笑)。でも私は今回、ヘンリー・ガヴィルのソロがセクシーで好きです!


2015年11月15日(日) 「劇場版 MOZU」




評判最悪なので、恐る恐る観ました。私はドラマ版は全部観ている、この作品のコアなファンです。連ドラはあまり見ない私ですが、地上波でのシーズン1は久々に夢中になり、年一で契約するwowow(オスカー授賞式の時ね)も、この作品観たさに一か月契約したほど。ところがシーズン2でテンポが減速。もったいぶらせた謎も未解決の部分が多く、かなりがっかりしました。劇場版が出来ると聞いた時は、あぁやっぱりなと思いました。でもここまで来たら、腐れ縁の男のようなもん、意を決して観ました。結果、雑な作りですが、ドラマファンで全部観ている人なら、結構楽しめる仕上がりでした。監督はドラマ版と同じく、羽住英一郎。今回はあらすじは省きます。

完全にドラマを観た人向けの作りです。それに場面場面の繫ぎが悪く、あれ?と戸惑う場面が多々あり、登場人物の背景は全く語らずで、これでは全く初見の人の大ブーイングも無理からぬ話。劇場で大杉(香川照之)のスピンオフドラマの宣伝チラシを貰いましたが、そんな物より、簡単な相関図や背景を書いた今までの経緯を書いたチラシを渡した方が、よっぽどこの作品の動員に繋がったはずです。

映画版で新たに登場したのが、伊勢谷友介と松坂桃李とビートだけし。前者二人は初登場で、たけしはダルマ役。この三人が役割的に完全に滑っています。まず前者二人はいなくても十分にストーリーは回るし、個人的にたけしはダルマじゃないです。山崎務とか、ダメだったのかしら?桃李くんは、長谷川博己とキャラが被ってしまい、演技的に劣るのがわかるのが痛恨。結構背景には哀しいもんがあるのに、そこの見せ方も雑。彼が可哀想でした。伊勢谷友介の役は、ドラマの吉田鋼太郎のように、意外なキャスティングを持ってくれば引き立ったものを、伊勢谷友介では、無駄使いなだけです。

お馴染みキャラが総登場の中、その延長で行けばいいものを、あれもこれも詰め込み過ぎて、失敗したかなと思いました。そのお馴染みキャラも、ドラマのように時間がかけられないので、陰影が浅いです。

それでも楽しめたのは、やっぱりドラマを観ていたので、上記の雑さを大幅に補足出来たからです。倉木(西島秀俊)の妻子の死の秘密や、ダルマの正体も陳腐であっけないものの、一応納得出来て謎が解けたので、すっきり出来ました。特にメンヘラでイライラさせられっ放しだった倉木の妻の、「あの人(夫)は、私がいないと生きていけないの・・・」の言葉の真の意味が理解出来て、彼女に対する観方が、180度変わったのは、嬉しかったです。

私が一番好きだった東(長谷川博己)は、相変わらず謎めいたクレイジーさを発揮しています。ラストで倉木に彼の本当の心情を言い当てられるも、煙の巻き方も東らしさの中に、少しの哀愁も感じさせ、私には一番いいシーンでした。緊張感みなぎるドラマの中、ホッとした大杉の娘(杉咲花)や成宮(伊藤淳史)の再登場も嬉しかったし、気の置けない言い合いをする大杉と明星(真木よう子)の会話など、彼らがここまでの仲になるには、どれだけ命を張ってきたかも覚えているので、微笑ましく観られました。新谷(池松壮亮)も、ちょこっと出ます!(私はこれで彼のファンになった)。

とまぁ、ドラマファン以外には、ちんぷんかんぷん、どうでも良い作品です。
ダイジェスト版ではなく、ドラマを全回観た方は、文句言いつつも楽しめる出来でした。お約束のたった一度の、ラストの倉木の笑顔をもあります!


2015年11月04日(水) 「アデライン 100年目の恋」




画像はヒロインのアデラインを演じるブレイク・ライヴリー。彼女のこの美しく憂いのある表情に魅かれて、観てきました。プロットのトンデモさを、ヒロインの心情を情感豊かに描く事で、打ち消しています。ハーレークィーンロマンス風の作風ながら、アンチエイジングに血眼になっているかつての女子たちに、一考促してもいます。監督はリー・トロンド・クリーガー。

1908年生まれのアデライン・ボウマン(ブレイク・ライヴリー)。21歳で結婚した彼女は一女に恵まれ幸せな日々を送っていましたが、結婚8年目に夫が他界。その半年後、彼女も交通事故に合います。幸いにも一命は取り留めましたが、不思議な事に、それ以降彼女の肉体は老化せず、そのままでした。容姿の変わらなさに不審を抱くFBIや警察。一人娘のフレミングと自分を守るため、彼女は10年ごとに名前と居場所を変え、息をひそめるように生きていました。現在の名前はジェニー。そんなアデラインの心を慰めるのは、今は老いた娘のフレミング(エレン・バースティン)。アデラインを見初め、猛烈なアプローチをしてくるエリス(ミキール・ハースマン)に、尻込みしていたアデラインですが、フレミングの励ましもあり、求愛を受けます。エリスの両親の結婚40周年のパーティーに呼ばれたアデラインですが、そこでエリスの父ウィリアム(ハリソン・フォード)から、「アデライン・・・」と、声をかけられます。

この作品の成功は、一にも二にも、ブレイクの魅力に尽きます。全編ほぼ出ずっぱりながら、ずっと観ていたいくらい、ため息が出るほど美しい。素顔のブレイクは、ファッションリーダーとしても有名ですが、クラシカルな装いから、中盤のヒッピー風、現代の仕事とプライベートの落差のある、メリハリのある装い全て、ノーブルでエレガントに着こなしています。それだけではなく、自分の背景のせいで、愛に臆病になる様子や、自分より老いてしまった娘への愛情を示す母性愛など、情感豊かに演じて、同性の共感を呼びます。

ウィリアムは、かつてアデラインと結婚まで考えた恋人同士でした。それが結婚40周年のパーティーで再会するのですから、神様は意地悪ね。アデラインは母だと偽る彼女に、思い出話を語り続けるウィリアム。当然妻は機嫌が悪くなる。「二番目では、嫌なの」と素直に言える妻に、私は好感を持ちました。嫉妬はプライドが許すけど、二番目は許さないのですね。女は年を取ると、変な見栄を張り、心ならずも逆を行く人が多いですが、妻のこの可愛さは見習いたいと思います。

相手を思うが故のすれ違いや、守る男性守られたい女性の心情が描かれ、古典的な愛情の世界観が繰り広げられますが、品が良いので心地よく観られます。アデラインは本当は相当なお婆さんなので、エリスの猛烈な求愛にも、ニヤリとするような、当意即妙の返しでかわします。女の年季を感じる受け答えに、そうよね、私も今のまま30年前の容姿に戻ったら、あの男この男落とせるんだが・・・と思った人は、私だけはないはず(笑)。

若く美しいままの母より、娘の自分が老いている事を、淡々と受け入れているようなフレミング。そこに行くまで、相当な葛藤があったでしょうね。しかし「ママともっと一緒にいたかったわ」の言葉の素直な響き。生涯孤独を覚悟している母に、「自分のために出来ないなら、私のためにパートナーを見つけて」と切々と訴える様子など、この不思議な空間に、母を愛する娘の気持ちが溢れています。この状況に自暴自棄にならず、アデラインが身を律して生きてきたのは、この娘がいればこそと、感じました。

自分がアデラインになったように、切々と身を焦がしながら観て下さい。ラスト、自ら見つけたものに、喜び涙する彼女。巷では如何に若さを保つかを競うように、アンチエイジングを歌い文句の商品で溢れていますが、私はずっと懐疑的でした。若いままでいるより、私は年齢相応に美しく老いたい。アデラインの憂鬱を観ながら、それは正しかったんだと感じています。「愛する人と一緒に老いたいの」とは、アデラインの言葉。人生で一番愛した人と再会したウィリアムですが、妻に捧げる感謝の言葉に嘘はないはず。だって彼の妻は、ウィリアムが人生で一番愛した妻なんですもの。




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