ケイケイの映画日記
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2009年04月21日(火) 「スラムドッグ$ミリオネア」




怒涛の10日間で6本観る!の、スタート作品。いや転職前はこれくらいの予定は、年に何回か組んでたんですが、転職してから仕事が大変で、めっきり本数が減ってしまってね。しかし映画ファン必見作品が並ぶ18日からの公開ラッシュ、私も乗り遅れてなるものか。昨日はなんばパークスの平日千円クーポン券を使って鑑賞。月曜日の3時40分からの上映なのに、場内はほぼ満席。オスカー主要8部門取ったのも頷ける出来で、私がこの10年で一番好きな「シティ・オブ・ゴッド」を彷彿させる内容でしたが、こちらは核に据えたのが「純愛」と「運命」ということで、やや通俗的で甘やかなのですが、そのお陰で万人の心に響く作品となっています。舞台はインドで、監督はイギリスのダニー・ボイル。久々にオスカー作品賞にふさわしい作品だと思います。

インドの人気テレビ番組の「クイズ$ミリオネア」に、ムンバイから来たスラム育ちの18歳の青年ジャマール(デヴ・パテル)が出場します。次々難問をクリアする彼。しかし司会者のブレーム(アニル・カプール)は、ジャマールが詐欺をしていると警察に通報したため、ジャマールは警察から拷問まがいの尋問にかけられることに。しかし、警部(イルファン・カーン)の取りなしで穏やかな尋問に場を移された時、ジャマールが何故回答出来たのかがわかります。それは孤児として壮絶な育ち方をした彼の、生きる上で得た答えだったのです。

全編躍動感と馳走感たっぷり!幼い日のジャマールと兄サリーム(成人後マドゥム・ミッタル)の悪ガキ時代の、警官をからかい、裸足でスラムを縦横無尽にかけ廻る様子を移しながら、不衛生で貧しくゴミゴミしたムンバイのスラムを余すところなく映すのですが、汚さよりも旺盛な生命力を感じさせます。

それがイスラム教徒が襲われて、彼らの母が亡くなると、孤児となった兄弟二人だけの生活が始まります。寄り添って生きる二人の前に現れたのは、可愛い少女ラティカ(成人後フリーダ・ビント)。反対する兄を説得し、ラティカを仲間に入れるジャマール。しかし彼らは、孤児を集めて物乞いさせて金を巻き上げる、裏社会の大人たちに捕らわれます。

孤児を集めて虐待し働かせるやり方は、日本に住む者には壮絶です。しかしインドにはご存じのようにカースト制度があり、以前インドを旅した人の紀行を読んだ時、物乞いのカーストに生まれた人は、その子供を物乞いのプロのするため、わざと子供の時に親自らの手で、障害者にする場合もあるとか。しかし親がすればやるせないことも、子供を金儲けの道具の一つとしてしか見ない者がすれば、それは猛烈な怒りに変わります。

ストリートチルドレンになってからの彼らの様子に、涙が出て止まらない私。可哀想だからじゃないの。かっぱらいや詐欺、大人をだまくらかして生きる彼らの、逞しい生命力が、もうまぶしくて。一種爽快なのです。もちろんやっていることがいけないのは、百も承知。しかしこの「生きたい」と思うものすごいパワーは、私を含む人生に疲れ気味の老若男女は、ストレートに受け取ってもいいんじゃないかと思います。

幼い頃から機転が効き向こう気が強く、その知恵が悪に染まろうだろうとは予測出来るサリーム。賢いけれど融通が利かず、「あきらめない」純粋な心を持ち続ける弟ジャマールを守って生きるのには、兄としての苦労があったはずです。幼い頃から少年時代を通じて、ずっとその事には気づかず、兄に対しては鈍感だった弟。弟の心には、いつもいつもラティカの存在がありました。兄として嫉妬する心があって当然です。それが後年、弟を裏切る兄となり、ラティカに対しての慈悲のない仕うちになったように思うのです。

しかしそんな兄なのに、怒っても裏切られてもまだ信じるジャマール。断ち切れない兄弟の血と、世界で二人だけで生きて来た、彼らの過去がそうさせるのでしょう。最後に見せる兄らしいサリームの行いに、兄弟というものの深い絆と縁を感じます。

次々回答していくジャマールを認めない、司会者のブレーム。私が素直にその若さの輝きを羨ましく思ったのに、彼には鬱陶しくて仕方無かったのですね。ブレームは旧態勢の古い概念を表しているんじゃないでしょうか?教育もろくすっぽ受けていない、スラムの野良犬ごときが、全問正解出来るわけがない。自分のような選ばれし者だけが答えられるべきなのだと。しかし一夜にして街中のヒーローのように、庶民の期待を一身に浴びるジャマールこそ、インドの進むべき新しい姿だと言いたいのではないでしょうか?

仰天の姿で映画スターからサインをもらう幼い頃のジャマールの姿や、エンドロールの描き方に、インドというより、ボリウッドに対して敬意を表する監督の心が感じられて、好印象です。

脚本の上手さや演出の巧みさで新鮮さは出しているものの、貧しく底辺の若者が、一生懸命頑張って幸せを掴むと言う、ありふれた物語です。彼を支えたのは、「あきらめない心」「愛する人」そしてそれを「運命」と信じる心であるのも、普遍的な正しさです。しかしそのオーソドックスな訴えかけの、なんと力強く素晴らしい事よ。若い登場人物に、自分の熱いメッセージをぶつける監督に、愛すら感じてしまいます。やっぱり映画はこうこなくっちゃ。私よりちょっと年上のボイルの若々しい心に、負けちゃいけないと思う私でした。


2009年04月19日(日) 「ある公爵夫人の生涯」




18日からの期待の作品ラッシュですが、まずは17日に観たこの作品の感想から。ヒロインのジョージアナ(キーラ・ナイトレイ)は、かのダイアナ元妃のご先祖に当たる人で、その生き方もダイアナ妃を彷彿させるものですが、意外や物語に奥行を与えたのは、チャールズ皇太子に当たるデヴォンジャー公爵でした。演じるレイフ・ファインズのお陰かな?濃くもなく薄くもなく、ほどほどに感情が刺激される作品でしたが、豪華な調度品や建造物の再現が秀逸。オスカーで衣装部門を受賞した、当時のクラシカルでエレガントなファッションも見どころとなり、作品の付加価値を上げています。実話を元にしています。

18世紀後半のイギリス。スペンサー家令嬢のジョージアナは、世界有数の名家であるデヴォンジャー公爵の目にとまり、若くして嫁ぐ事になります。美しく聡明な彼女は、たちまち社交界の華として頭角を現し、国民からも愛されるようになります。しかし私生活では夫の浮気に悩み会話の少ない夫婦関係は、決して上手く行っているとは言えず、また男子が生まれない事で、辛い立場にありました。舞踏会で出会ったエリザベス(ヘイリー・アトウェル)は、ジョージアナを理解し親友となりますが、あろうことか、夫は彼女を愛人にしてしまいます。三人一緒に暮らす地獄のような日々。そんな時ジョージアナは、結婚前に憎からず思っていたグレイ(ドミニク・クーパー)と再会し、たちまち恋に落ちてしまいます。

どうしたって、ダイアナ妃を思い浮かべますよね?チャールズ皇太子の現夫人カミラ妃の存在は、二人が夫婦の時から公然の事実だったし、中年にさしかかる年齢の夫と、まだ少女の良家の令嬢が妻に選ばれたのもいっしょ。ただダイアナ妃(ちなみに私と同い年)にしても、同情は出来るものの、夫婦関係が破たんする前の、自分も浮気してという彼女の行動には、個人的には疑問がありました。御先祖のジョージアナには、その回答をもらった気分です。

華やかな名家へ嫁ぐこと、夫との幸せな夫婦生活へ、期待と夢を膨らませる幼い花嫁。しかし彼女が一番期待されたのは、良妻であることより、あと次の男子を産むことでした。「夫はベッドでは何も話してくれないの」と母(シャーロット・ランプリング)に悩みを打ち明けるジョージアナに絶句。そんなこと、母親に相談するか?「何か話すことでもあるの?」という母の返事にも苦笑してしまいます。この会話にジョージアナの妻としての未熟さが表れています。

その後、経済的に恵まれた環境から社交界の華として、今でいうところのファッションリーダーめいた存在になり、少女から大人の女性として成長したジョージアナは、政治にも興味を示し賭けごともたしなむようになります。今風にいうと、マルチなセレブでしょうね。夫と上手くいかない空虚な心を、外堀から一生懸命埋めようとしていたのでしょう。夫は浮気に明け暮れ、結婚前に生まれた女子を育てるように命じ、彼女の産んだ女子には一瞥もしないなど、表側が華やかさとは裏腹、彼女の苦悩は激しくなるばかりです。

そんな時にエリザベスとのことが起こります。しかしこの事で、公爵への同情も湧いてしまうような作りなのです。代々続く名家を絶やさないため、公爵にはどうしても男子が必要なわけです。そこに自分の存在意義も価値も凝縮される人生と言うのは、男の人生として、非常な悲哀があると思いません?この時代女が子供を産む機械なら、男は種馬なんですね。それも種蒔きごんべいさんよろしく、あちこちの畑に種を蒔いても、生まれてくるのは女子ばかり。

三人の男子を産んだエリザベスには、他の女性とは違った包容力を感じたのではないかと思います。私も息子が三人ですが、不思議なもので男の子を育てる過程で、これが男というものかと、夫への謎や不満が解消されたものです。単に割り切れば済むことなのです。割り切ると受け入れることができ、その後に理解が生まれる。

ジョージアナは世間的には良妻であれと頑張ったことでしょうし、夫の浮気も苦々しく思いつつ全て受け入れていました。しかし常に「私はこんなに頑張っているのに、何故あなたは・・・」という不満の思いが渦巻いていたのではないか?それが公爵の苦悩を理解し受け入れたエリザベスとの違いでしょう。子供たちと暮らすため、愛人と言う辛い立場に甘んじたことも、ジョージアナより、世間に長けた女性だと思いました。

一方のジョージアナの行動は、気持ちはわかるけど、男に走っちゃだめでしょう。しかし相手が、若かりし頃からの友人であったグレイだと言うのが、私には同情の余地ありでした。人生とは「あの時こうしていなかったら、いやこうしていたら・・・」という、「IF」が付きものです。ジョージアナは若い頃の夢がいっぱいであった自分を、グレイによって取り戻せる気がしたのではないかと思います。

二人の関係を知った公爵の態度は、現代の価値観からみれば批難されるものですが、当時としては当然でしょう。むしろ私はすごく寛大でびっくり。特にこのままなら、子供には会わせないといい、子供達が書いた手紙を置いて帰る公爵の姿には、哀愁がたっぷり。

昔、杉田久女の伝記「花衣ぬぐやまつわる」のドラマ化で、俳句のため家庭を捨てようとする久女(樹木希林)に、「子供はどうするんだ!」と迎えに来たのに威嚇する夫(高橋幸治)。妻は「何故子供ではなく、『俺』とは、仰いませんの?」と、真剣な顔で詰め寄ります。でも夫は砂を食み(海岸でのシーン)「子供」と言い続け、「俺」とは言いません。言えないのです。久女はそんな姿に夫の本心を見出し、家庭に戻ります。それは「子供」だけではなかったと思います。

公爵とジョージアナにも、同じ思いがあったように感じました。家庭に戻った彼女には、それ以降も問題がありました。あの当時、お手打ちまでは行かなくても、身ぐるみ剥いで追い出されても仕方ない様な出来事です。しかし公爵の決断は、一見非情に見えて、ジョージアナへの侘びと愛が入り混じったものです。ラスト、おずおずと妻の手を取る公爵には、自分に課せられた宿命からようやく解放され、不器用ながら妻への愛を示す姿は、とても温かいものでした。夫にしても、いつも純粋に自分の正直に突き進む妻はまぶしくて、自分は置き去りにされた気がしていたのかも。

その後の二人の様子がテロップに流れます。少々不可思議な関係ですが、後味は良いです。皆が皆、紆余曲折を経て、相手の立場や感情を思いやる、成熟した大人になったということでしょう。

コスプレ女優の冠がついても良さそうなくらい、歴史ものの出演が多いキーラ。今回も年齢より上の役柄ですが、当時としては新しい女性だったであろうジョージアナを、上手くこなしていました。でも何と言っても、この作品を支えたのは、貴族に生まれた憂鬱と屈折した妻への愛情を、繊細にペーソスたっぷり演じた、レイフ・ファインズに尽きると思います。下手な人に演じられたら、ただの我がままエロ親父ですよ。彼のお陰で、数段格調高い作品になったと思います。お行儀良すぎて、もうちょっと毒があった方がコクが増したでしょうが、これくらいにした方が、観客の間口が広がっていいかも。なかなか素敵な作品でした。


2009年04月13日(月) 「レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦」

うんうん、満足!パート1のような派手な活劇場面は、終盤近くにぎゅっと凝縮。それ以外は丹念な、とまでは行きませんが、そこそこな心理描写もわかり易く、主なキャストそれぞれに華を持たせる場面もきちんと作ってあり、有名な逸話の挿入場面も抜かりなし。大作にありがちな大味感は多少付きまといますが、それも許容範囲かと。私はとっても楽しめました。すんません、今回あらすじはカット。

まずは孫権(チャン・チェン)の妹尚香(ヴィッキー・チャオ)が、敵方の曹操の軍の兵隊に化けて、間者として潜入しているので、びっくり。(昨日「Part機廚諒送があって観ていたら、ちゃんと前振りがありました)どうやって潜入出来たのか、年食ってもヴィッキー・チャオだぞ、別嬪さんだぞ、何故ばれない?というのはさておき、彼女のスパイぶりと絡めて、一兵士との心の交流を描くのが好ましい。相手は身分を隠しているとはいえ、敵方の将の妹です。このことで「戦」とは、将の思惑や権力欲、憎しみが元であって、下級の兵士たちは、ただ命令に従っているだけなのだと、今さらながらに思うのです。俺はバカで大飯ぐらいのごく潰しだと語る彼。この戦で活躍すれば、貧乏な家族の助けになるのだと語る姿に、今も昔も、戦争に駆り出される兵士の層というのは同じなのだと、しんみりしてしまいます。

劉備×孫権の連合軍にも、今回色々ありまして、その直属の周瑜(トニー・レオン)と孔明(金城武)の間にも緊張感が走り、お互いの命を賭けた「賭け」をします。有名な逸話を描きながらの、腹の探り合いや信頼感、果ては曹操の傍若無人ぶりや孤独も浮かび上がらせるなど、心理的な描写が冴えます。

軍で勝る曹操、知恵で勝る連合軍の様子を描きながら、静かで巧みな展開を見せ続けた後、ドカーン!とラスト近くの戦場場面は、大変見応えがありました。前作のようにアクション映画さながら、小出しにクリーンヒットを出す見せ方ではなく、最後に出た満塁ホームランのような描き方で、流麗さより重厚さを重視し、時間もたっぷりとってありました。CGも多少は使っていたのでしょうが、ほとんど人海戦術だったと思います。その辺の重量感も、香港・中国・台湾と、中華系の威信にかけて作った意気込みが感じられました。

「戦に勝者などいない」と語らせたのは、昨今の戦争映画の流れでしょう。尚香と一兵士の交流、「夫のためではない、民のために来た」と語る小喬(リン・チーリン)の様子、身の危険を顧みず、優秀な父や兄に比較され、うっ屈した思いを抱く兄孫権のためにと頑張った尚香を描く事で、大味で終わりがちな歴史大作に、現代的な味付けと深みが加わったと感じました。



で、前作で「女がいなくても、素敵に観える」ということを、初めて立証した金城クンなのでありますが、今回もやればできるじゃん!の好演。やる気がないだの、棒読みの大根だなど、心無いけど的を射た評価が定番の彼ですが、孔明というのは中国四千年の中でも飛び切りのインテリな訳ですよ。なので暑苦しい熱演なんかされちゃー、台無しなのです。前回の飄々とした文化人ぶりに、今回は泰然自若の風情まで感じさせ、扇を振る姿もすこぶるエレガント。この作品、必ず金城武の代表作になるでしょう。って、彼のファン以外は誰も言わないのが謎。



しかし!個人的男の趣味を除けば、今回一番渋くて光っていたのは、曹操を演じたチャン・フォンイーでしょう。死者を冒とくするような行為、暴君で部下の注進を聞かず、簡単に首をはねるかと思えば、巧みな言葉の誘導で、死を目前にした兵士をも武器を持たずにおれなくさせる、人たらしぶり。中国史上、名うての敵役のはずが、この作品イチのカリスマぶりです。裸の王様ぶりや、小嬌への恋心などのスキの見せ方も上手く、結構萌えた女子も多いのでは?演じるフォンイーは、あの「覇王別姫」でレスリー・チャンの相手役で有名な人です。今回10年ぶりの映画出演ですが、見事に期待に応えた演技でした。

リン・チーリンの美しさも堪能。モデル出身だけあって、手足が長く所作がエレガントです。夫と観たのですが「特別別嬪ではないが(いや、充分別嬪です)、女の人はトータルバランスが大事」だそうで、清楚で知性も感じさせる彼女は、まずは満点でした。他にはね、ワタクシ薄々はわかっていたのですが、トニー・レオンは、私には特別の感情が湧かない人なのだ、というのを痛感。何を観ても「あぁ、トニー・レオン。今回もまずまず」と言う感じで、可もなく不可もなく。決して嫌いなわけでもなく、この感情はなんなんでしょう?

冒頭、監督ジョン・ウーの、世界恐慌を力を合わせて乗り切ろうというメッセージが出ます。この戦いに勝った方から学ぶべきことは、多いのでしょうね。国を愛し家族を愛し、知恵と工夫で一致団結。そして信頼や義を重んずることの尊さは、こんな時代だからこそ、尚のこと大切なのでしょう。それが「軍=お金」に負けない、秘密なのかも?


2009年04月07日(火) 「トワイライト〜初恋〜」




皆さま、覚えておいででしょうか?あれは四年前、私が「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」で、将来有望株なので絶対覚えておいてと書き留めていたロバート・パティンソン、ついにこの作品のヴァインパイア役で大ブレイクです。しかしながらヴァンパイアと言うのは、あくまで味の素。描かれるのは斬新ではなく、普遍的なハイティーンの恋心でして。これがまた、善良なうら若き乙女の妄想をかきたてまくるロマンチックさ。元乙女のワタクシも、しっかり溜息つきまくって、楽しんでまいりました。原作はアメリカのティーン向け小説だそう。監督は女性のキャサリン・ハードウィック。

母の再婚により母から別れ、陽光降り注ぐアリゾナから、霧に包まれたワシントン州フォークスの小さな町に越してきたベラ(クリスティン・スチュワート)。久しぶりに再会する父(ビリー・バーク)の元から高校に通うことになりました。気遣ってくれる級友たちはいるものの、生来の内気さからか、なかなか学校には馴染めません。そんな時、ミステリアスな雰囲気の五人組の生徒たちに注目するベラ。中でもひと際目立つ存在のエドワード(ロバート・パティンソン)が気になって仕方ありません。それはエドワードも同様なようでした。ある時交通事故に遭いそうなベラを、超人的な力で守ってくれたエドワード。その力の秘密を探るベラは、エドワードがヴァンパイアであると突き止めます。人間とヴァンパイア。その障害を越えて、恋心を募らせていく二人でしたが・・・。

徹頭徹尾、女子目線で作られた青春ロマンス。しかしだね、これがお安い出来かというと、さにあらず。まず主役二人が、上品でお行儀が良いのですね。なので瑞々しさや切なさ、ぎこちなさ、純情さも、私のような親世代が観て非常に好ましく、言わば教育委員会推進路線的な恋なんですね。これを引き出しているのが、ヴァンパイアなわけね。

エドワードの一族はヴァンパイアと言っても穏健派で、普段は獣の血を吸って命をながらえています。本人曰く、ベジタリアンのヴァンパイア。しかしひとたび人間の血を吸ってしまうと、抑制が利かなくなり、相手をヴァンパイアにしてしまったり、殺したりしてしまいます(この辺普通の吸血鬼)。なので愛するベラにキスするのも、命がけなわけです。

燃え上がる恋心を抑えきれず、彼女にキスするも、自制心が利かなくなるのが怖くて、ベラを突き飛ばすエドワード。若い男女が主人公ながら、相思相愛になってキスするまで、映画の中で小一時間。セックスなんか、以ての外です。結局血を吸う=セックスを表し、ティーンがセックスに対して持つ、恐れや戸惑いを描いているんですね。確かに多くのヴァンパイアものでは、血を吸う、吸われるという行為に、セックスと同等の陶酔感として描いているものが多いです。

すぐに事に及んでしまうより、私なんかは30年前の自分を思い起こすと非常に理解出来るし、また親世代としても好感がもてるわけです。そして障害があれば燃え上がるという恋のスタンダードも、人間とヴァンパイアでクリア。恋をすれば、あなただけよと思いこみつつ、この世代には親も重要なファクターです。親がどんなに子を思っているか、さりげなく表現しながら、子もまた素直に親を思う気持ちが随所に出てきます。お互いの両親に付き合っている相手を紹介するなど、親への気配りや適度な依存も表現し、このあたりも可愛げがあります。一応ヴァンパイアものなので、学園ものとしての明るさは出せませんが、若々しい清潔感がとっても心地よいです。アメリカでは熱狂的にティーンに支持されたそうですが、アメリカの女の子は、意外と保守的で古典的な恋愛観を持っているんだと、妙に感心しました。

そしてロバート君!端正なマスクに、程よくヴァンパイアメイクなんぞ施しておるのでね、ミステリアスな憂いが出てます。背も高く逞しさも満点。ヴァンパイアなんで永遠の17歳なのですが、生まれは20世紀初頭なので、頭の中はクラシックな男女観でいっぱいです。

「命がけで君を守る」
「黙って僕のそばにいてくれ」
「僕はただ、君を知りたいだけなんだ」
「ライオンが羊に恋をした」
「人間と恋するなんて、地獄行きだ」
「君の寝顔が好きだ。ドキドキする」


普通ならこのケッ!と感じてしまう歯の浮くようなセリフの羅列も、設定とロバートの口から出ると、悶絶して卒倒する事必死。そしてこれら全てが有言実行なんですから、あーた、正に水嶋ヒロ百人分の威力。多分これを観た女子たちは、ベラに自分を重ねて、「私の全てを奪って」というコピーが、ガンガン頭を駆け巡ったことでしょうて。

霧が多く曇天の日が多い鬱蒼とした町の空気は、このお話の世界観に合っていました。野蛮な敵対するヴァンパイアとの同種格闘場面は、もう少し血みどろになっても良かった気もしますが、そうするとテーマが台無しになる恐れもあるので、これくらいのお上品さでも可。ヴァンパイアの人間外の身体能力を示す場面はCGを使っていますが、森や自然を多様しているので、これも神秘的かつ爽やかな印象を持ちました。

永遠の生命を生きるヴァンパイアとしての葛藤は、さらっとしか出てきません。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」で、何十年経っても幼いままのキルスティン・ダンストが、豊かな胸の女性の絵を指差し「私はいつになたら、こうなるの?」と、トム・クルーズを詰るような、観る者の胸に突き刺さるような描写はありませんでした。その辺浅いけどね。テーマがまた別なのでね、不問としよう!(気にいりゃ何でもOK)。

ベラを演じるクリスティンも、長年子役から活躍している力量を示し、内気で大人しい子ほど、意外や大胆になるというのを、充分納得させてくれる好演でした。他の人物も登場時間は短めながら、キャラは確立されており、描き分けもきちんと出来ています。続編に含みを持たせるラストですが、これくらいの出来なら、期待感も盛り上がろうというもの。

上質の青春モノとして、全女性向けですが、倦怠期の結婚していない若いカップルも、出会った頃を思い出して、甘酸っぱい気分になるかも知れない作品です。私は大いに気に入りました。


2009年04月02日(木) 「ウォッチメン」




面白かった!予告編で想像していたようなブラックユーモアは皆無で、ひたすらシニカルでダークな世界観が繰り広げられる、ヒーローものの怪作。難しく哲学的な会話も多く、血みどろで暴力的な画面を引き締め、意味を与えます。オチだけはちょっと引っかかりましたが。監督はザック・スナイダー。

1985年頃の、米ソが冷戦真っただ中のアメリカ。かつて「ウォッチメン」として、世界の悪を監視し平和を守っていると称賛されたヒーローたちは、彼らの活動停止を定めたキーン条礼の発動後、それぞれの道を歩いていました。その中のメンバーの一人、コメディアン(ジェフリー・ディーン・モーガン)は、政府の裏の活動に携わっていましたが、自宅で惨殺されます。仲間だったロール・シャッハ(ジャッキー・アール・ヘイリー)は、これは「ヒーロー狩り」だと確信します。

まずボブ・ディランの曲をバックに、長いオープニングが秀逸。ウォッチメンの元となる「ミニッツメン」なる、コスチュームや覆面で変装した自警団の衰勢を描きながら、並行して第二次大戦から1985年頃のアメリカの歴史が映し出されます。それにはケネディ暗殺あり、ベトナム戦争あり、フラワーチルドレンを思わす人々ありで、時代のうねりや華やかな喧噪を感じさせながら、とっても詩的に流れる画面に、まずうっとり。導入からしてやられました。

ヒーローと言っても、不幸な事故で身につけた能力のため、人間以上神未満となったDR・マンハッタン(ビリー・クラダップ)以外は、超能力者や異星人であるわけではなく、ただ身体能力や腕力が人より秀でているに過ぎず、「正義」の御旗の元、自分なりの哲学を持って、行動に移しているわけです。そしてその正義への道も、一つではないのだと感じさせるのが斬新です。己の信じる正義へのためなら、人殺しだってやってしまうロール・シャッハや、コメディアンに至っては、女はレイプするわ、ベトナムや街角で罪もない人まで殺してしまうわ、やりたい放題。オジマンディアス(マシュー・グード)は自らの過去を公表、金儲けに余念がなく、普通の穏健派ヒーローのナイトオウル(パトリック・ウィルソン)は、ヒーローではなくなった精彩無い自分を受け入れつつ、過去の栄光も忘れられずと、まるで「MR・インクレディブル」氏な訳です。そんな中、紅一点のシルクスペクター(マリン・アッカーマン)だけが、本名のローリーに馴染み、普通の女の幸せを望んでいる姿が印象的。

彼らの生い立ちを時間をかけて再生する手法が効果的。嫌悪感を持っても仕方ない様な彼らの内面を描き、正義の華やかさに陶酔するのと引き換えに、恐怖や孤独を抱えながら生きているのがわかるのです。その葛藤の表現が、セックスだったり暴力だったりする点が、私にはとても人間臭く感じられ、ぐっと心に入ってきました。今までのヒーローものの葛藤が、ちょっと甘ちゃんに感じられるほど。

彼らが己よりも大切にする正義。このオチのつけかたはどうよ?という気はします。これって、アメリカが原爆を日本に落としたのは、戦争を終結させるために必要だった、という言い分と、同じじゃないの?これに反抗する者、いっしょに罪を被るもの。冷戦時代の姿を借りて、今のアメリカの混迷ぶりを表現しているんでしょうか?でも私は「泣いた赤鬼」の話は好きじゃないな。

ビリー・クラダップが終始あんな姿で出てくるとは思わなかったんで、びっくらしました。もっとも神に近いという設定ですが、変身後に若い女に入れ上げて、糟糠の古女房を捨てたり、忙しいからとセックスに分身を使って、本体は仕事をしていてなど、全く持ってデリカシーのない男っぷり。見かけによらず、生身のと男の匂いプンプンでした。なので彼の口から出る禅問答のような言葉は、私には壮大なんだか陳腐なんだかよくわかりませんでした。言葉より、中身は安っぽかった気がするなぁ。

そこへ行くとエロと暴力の限りを尽くしながら、恐れに涙するコメディアンは、よく理解できました。名前の如くマスクが心模様を映すロール・シャッハのカッコ良さも印象的。「リトル・チルドレン」のヘーリーは上手かったけど、「がんばれ!ベアーズ」の彼を知る私には、時の流れの残酷さも感じましたが、今回見違えるような精悍さ。青春スターだった頃の彼が好きだった人は、安心して観て下さい。パトリック・ウィルソンも、いつの間に中年親父になったんだ?と、ちょっと落胆したけど、インポテンツになったり復活したりの過程は、私は非常に愛せます。平凡な誠実さも私好み。なので一押しキャラは彼です。

オジマンディアスは、もうちょっと酷薄さが感じられる方が良かったかな?ローリーは懐かしの「ワンダーウーマン」を彷彿させる容姿で、素直な女心も理解出来たし、私には好ましかったです。

この作品の背景になった事柄は、私には記憶の深い出来事ですが、そうではない方は、ちょっと予備知識を入れてもいいかも。決して過去のことを描いているだけではなく、現代の平和観にも通じるものがある作品です。


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