ケイケイの映画日記
目次未来


2004年05月30日(日) 「熱いトタン屋根の猫」(DVD)

今日はハリウッド・クラシックです。テネシー・ウィリアムズの戯曲なので、御存知の方も多いと思います。ビデオ屋で何を観ようかなと、探していた時、この前ワッシーさんとでこやんでご飯を食べた時、「日本もそうやけど、ハリウッドも昔の人みたいにため息が出るような美男美女、今おれへんよなぁ。」と言い合ったのを思い出し、手に取ったのがこの作品。美男美女中の美男美女、ポール・ニューマンとエリザベス・テイラー主演です。

一代で大農場を築いて億万長者になった男が病に倒れ、その遺産をめぐって、妻・息子・その連れ合いがそれぞれ胸に秘めていた不満や憎悪、疑問が噴出する様が描かれる家庭劇です。

ニューマンとリズは、上手くいっていない次男夫婦。妻は、自分への愛が冷めきっている夫の気持ちを取り戻そうと、必死に夫にすがり、愛を囁き、ベッドに誘うも拒否されます。長らくセックスレスであるのがわかるのですが、肉体的な渇きでなく、妻にとっては精神的な絆をもう一度結びたいが為の行為なのです。下世話に流れがちな設定を、妻の純粋に夫を愛し求める気持ちが表現出来ていて、何とも切なくなりました。

これには訳があり、夫の親友の自殺に妻が絡んでいるのが原因なのですが、どうも夫はゲイなのです。この辺りは、今ならもっと突っ込んで描けるのでしょうが、1958年製作の作品なので、あからさまには描けない分、観る方の感覚が鋭くなり、全て目に見えるものから受け取れる今の作品とは違い、奥行きのあるセリフや演出が楽しめます。

ビッグ・ダディと呼ばれる父親が魅力的です。大きな肥満気味の体に、押し出しの効く雰囲気。成り上がり者のゆるぎない自分への自信が、傲慢スレスレで男らしさと映ります。何故物やお金だけで家族への愛を表現してきたのか、その理由を探る、地下室での次男との会話に、ありきたりな結論の出し方ですが、普遍的な家庭の幸福の在り方が示されています。

輝くばかりの美しさのリズは、当時3番目の夫を亡くしたばかり。優雅なグレース・ケリー、清楚なオードリーに比べて、意外や幾分ビッチな感じがするのですが、それがリズ独特のゴージャスさと色気につながっています。
ポール・ニューマンは、御存知吸い込まれそうな青い瞳が何度も輝き、他の人が演じれば、ただの幼稚な甘ったれのお坊ちゃんを、繊細で影のある魅力的なヒネクレ者に演じています。本当に彼の若い頃って、素敵なんですよ。(ぽぉ〜)最近でも「ロード・トゥ・パーデション」で、素敵な美老人ぶりを見せてくれていました。

「欲望という名の電車」と比べて、いささか評価は低い作品ですが、全体に舞台劇のような息づまる緊張感、セリフの応酬が見所で、少しデフォルメが過ぎる義姉の描き方などもあり、結末も平凡なのですが、ラストは後味の良いものです。親子とは?夫婦とは?を問い現代にも充分通じるところのある、辛口ホームドラマでした。


2004年05月25日(火) 「スキャンダル」

「女の年はクリスマス・ケーキ」と言う例えを、聞いたことがおありでしょうか?23、24はピークでバンバン売れて行く。25は買い忘れが買っていく。26になったら三つ幾らの叩き売り・・・

こんな失礼な例えが、只今42歳の私の若い頃はまかり通っていました。事実21歳の時に売り急ぎ?した私は、23〜25歳くらいの時、友人達の結婚ラッシュに、お祝い金の算段に頭を痛めたものです。週刊誌などで読むと、ヨン様熱烈支持層は、どうもこの「クリスマス・ケーキ神話」から上の年代らしいのです。

比較的結婚が早く、それ故恋愛経験の乏しい40前後から60代の人妻が、一度燃えるような恋をしたいけど、不倫は怖い。誠実且つ優しそうなヨン様なら、体の関係のない清らかな不倫が夢見られる、ざっとこんな感じらしいです。私にもあてはまる項目があるんですけど、ヨン様ファンでない私は、何となく少女のようないじらしさを感じてしまいます。

さて、「スキャンダル」。何度も映画化されたラクロの原作を下敷きに、18世紀の朝鮮王朝の時代を背景に描いています。私は在日韓国人なのですが、日本生れの日本育ち。学校もずっと日本の学校で、韓国の歴史については、日本の人より若干知っている程度なので、どんな豪華絢爛たる王朝絵巻が見られるか、楽しみにしていたのですが、出だしこそ法事や舟遊び、貴族夫人の朝の身だしなみなど、当時のしきたりや風習を映してくれるのですが、中盤以降全然そのような描写がなく、中々見られない設定なので、その辺にすごく興味のあった私は、少し物足りませんでした。

その代わり期待していなかったストーリーの充実と、主役3人の好演に目を見張りました。ヨン様は、「冬ソナ」とは一変するプレイボーイの役ですが、いやらしさよりも色気を感じさせ、遊びのつもりが本気になって
いく過程の演技も繊細に演じ、正直上手くてびっくりしました。今までたんぱく質は植物性で取っているイメージの彼だったのですが、今作は、肉もうなぎも山芋も食べている感じで、立ち回りも見せるなど、男らしさ満点です。

裏であやつるチョ夫人役のイ・ミスクは、製作当時は今の私の年齢らしいのですが、成熟したゴージャスな色香を振りまき目が眩むよう。早くに結婚したせいか、小娘からおばちゃん一直線の私は、女として成熟の色香など発した記憶がなく、羨ましい限りでした。同性から反感のもたれやすい役ですが、満たされない哀しい妻の心を透けて見せるなど、魅惑の悪女ぶりでした。

ヨン様ファンが自分を重ねやすいヒヨン役・チョン・ドヨンは、未亡人という設定のため、地味なチョゴリ、お化粧もごく控えめながら、返って持ち前の愛らしさが引き立ち、この役を清楚で聡明な女性とだけに終わらせず、女の情念も感じさせていました。3人相応の結末が待ち受けているのですが、韓国の儒教の考えが日本の方よりは、少し余分に入っている私には、結構深みのある結末でした。

でもこのお話、チョ夫人が夫の子供を生んでいれば、全然展開が変わっているんですよね。女の年はクリスマスケーキでなくなったけれど、妊娠・出産にまつわる哀しさは、現代と通じるものがあると感じました。


2004年05月23日(日) 「ビッグ・フィッシュ」

嘘とホラの境界線って何でしょう?私はこの作品を観て、嘘は自分の保身や人を傷つけるもの。ホラはこうだったら良いな、と現実を誇張して自分の夢を語り、人を楽しませるもの、そういう印象を持ちました。

この作品は、ホラ男爵ならぬホラ父ちゃんの冒険に付き合うのにいやけがさした息子が、母親から連絡をもらい、余命いくばくもない父の元に駆けつけ、本当の父親の姿を探すお話です。

実は私の亡くなった母親と言うのが、虚実ない交ぜに自分の人生を娘に語り、私を振り回しがんじがらめにした人なので、息子のウィルが、ホラでない真実を知る事にこだわる姿が、痛いほどわかるのです。血をわけた親の本当の気持ち・姿を知ることは、自分を知ることでもあるわけです。

とは言え、うちの母の子供を支配するためについた嘘でなく、父・エドワードのホラは御伽噺のような内容で、他人からは好かれる父を何故ウィルは嫌うのか、観客からは見えにくいと思います。

これは親が子供にこう育って欲しいと理想があるように、子供にだって親に対して理想や願望があるはずなのです。冒頭ウィルの結婚式の際、自分にない人を惹きつける魅力を持つ父に対し、彼がコンプレックスを抱いている様子が描写され、血の繋がりのやっかいさを感じさせます。

この作品を華やかに彩るはずのホラ話なのですが、確かに楽しいのですが、ストーリーとの絡ませ方に光る物がなく、特に父が訪れる「幻の町」のお話など、のちに廃墟寸前のこの町を救うのですが、華やかなりし時の町でさえ、そんなに魅力的であるとは思えず、一生懸命な彼に不思議さがつきまといます。これはあのティム・バートンなら、どんな素敵なホラ話を見せてくれるのか、期待が大きすぎたせいかも知れません。

あんなに嫌っていた父のホラ話の続きを、死ぬ間際の父に語るウィルの姿には、やはり目頭を熱くさせられました。自分もホラ話を語ることで、きっと真実の父が見えたのでしょう。自分に対する愛が語らせていたホラ話だったと。

ウィルの何もかも忘れて、父だけを思うこのシーンに、私は母の危篤の時の自分の姿が脳裏をよぎりました。一週間ほど妹と交代で病院に泊り込んだのですが、死ぬ前の日が次男の5歳の誕生日で、母はもう死ぬというのに、
私のいない誕生日に、息子は寂しい思いをしていないだろうか、風邪をひいている長男はどうしているだろうと、私は母だけを見てはいませんでした。

なんと情けない娘です。あの時息子達を案じる私のように、母だって心から私を案じ、愛して育ててくれていたはずです。ウィルの姿に母が亡くなり13年、精一杯娘として親孝行して来たと思っていた私ですが、初めて母に対して申し訳なさで胸がいっぱいになりました。

幸か不幸か私には娘がおらず、息子が3人です。父と息子はハードボイルド。決して友達親子にはなれません。大人になった息子達が、どんな形で自分の父親を理解するのか、そのたたずまいだけで、二人を見守る心を表現していたジェシカ・ラング演じるお母さんのように、私もなりたいものです。



2004年05月21日(金) 「死に花」

今日からレビューを書かせてもらうケイケイと申します。初めましての方は初めまして。お見知りおき下さいます皆様は、今後もどうぞよろしゅうお願い致します。

さて、記念すべき第一作目に選んだのは「死に花」です。この作品は、超高級豪華老人ホームを終の棲家と選んだ老人達が、ひょんなことから銀行強盗を実行するお話です。

描かれる老人方たるや、エアロビクスにスイミング、筋トレにお酒、そして恋と若い子顔負けの勢いです。福祉なんかにゃ志低く、やる気なさそうな星野真理扮する今時のやんちゃな新人職員・和子チャンはたまげます。そしてそれは、老人以外の多くの観客と同じ目線です。その和子チャンに、エロ爺の青島幸男はその忙しさの本質を語ります。「みんな退屈が怖いんだよ。」

この和子チャンは、いつの間にやら強盗一味に加わるのですが、彼女は全然お年寄を尊敬もしなければ、いたわりもしません。彼女にあるのは楽しいから、面白そうだから、この人たちはイケてるからの「共感」です。彼女が違和感なくお年寄達に受け入れられる様子は、老人に対して優しくしなければ、いたわらなければと言う保護する」接し方ではなく、一緒に共感することが大切なのではないかと感じました。

昨今の老人を主人公にした作品では、老人の恋と性も盛り込まれて描かれていますが、本作でも積極的に描かれています。役立たない体に鞭打つ姿など、笑いを誘いながら、人を愛すると言うみずみずしい感受性に性を伴うことに、年齢は関係ないのだと感じます。

銀行強盗を決意したあとの、おじいちゃんたちの姿は、観ているこちらまで楽しくなるよな弾けっぷりです。まるで幼稚園児が、お気に入りのおもちゃを与えられたように、嬉々としています。生きる目標が何でもいいから欲しかったのですね。

不満もあります。あんな大富豪ばかり集まるホームの老人を主役に据える必要があるのでしょうか?長屋のおじいちゃんでも充分ではないかと思いました。それに不必要に老けメイクしすぎ。最近のお年寄りは、おじいちゃんももっと身奇麗です。設定とチグハグな気がします。そして誰も身内が出てこないのです。思春期の子供に親が立ちはだかるように、老春を謳歌しようと
するのを邪魔するのは、実の子供たちのはず。漫画チックが過ぎる、銀行強盗の方法も含め、寓話だからと逃げずに、きちんと作り込んでいれば、爽快感・痛快感が、もっと増したと思います。

老いるとは子供に返ることのように表現されますが、実際は、子供は大きくなればあれもこれも出来るようになりますが、老いるとは、今日出来たことが明日は出来なくなることです。去年は乗れた自転車が、半年前は結べた靴紐が、昨日は数えられた数字が、次々と、そして永遠に出来なくなることです。その空しさにわびしさに、折り合いをつけて受け入れる、そんなラストがほろ苦く心に残りました。


ケイケイ |MAILHomePage