MIKI.PRUNEの方丈日記
DiaryINDEXpastwill


2006年02月26日(日) 古い眼鏡

 昨日、眼科に行き、視力検査をしてもらう。

 ここ数ヶ月、目のかすみや小さな文字が見えにくいため。

 診察の結果、やはり、老眼のはじまりとの事。(がっくり)

 さては、新しいメガネを購入しなくてはならないのかと

 思っていたら、

 先生曰く

   「以前使っていた度の弱い眼鏡ある?
    近くのものを見るときはそれを使いなさい。」

 わたし

   「持っていますよ」

 先生曰く

   「じゃ、それを試しにかけて見なさい。
    度が心配ならその眼鏡を持って来なさい。」


 家へ帰り、早速、古い眼鏡で新聞を読んでみた。

   「やった!よく見える。」

 かくして、新しいメガネを新調しなくて済んだ。

 めでたし、めだてし。


 午後は、いつものとおり、日本語を教えようの

 6回目。順調そのもの。生徒さんも大勢見えてくれて

 いるので、3月18日以降も続けることとなる。

 また、一歩前進です。

 生徒さんの要望がある限り、いつまでも、続けたい。


  今日の一首

   小さき文字 霞んで見えてる いつの間に

           古き眼鏡で 視界晴れ OK! 


2006年02月19日(日) リフレッシュ

 病み上がりで会社に出勤したわたしにとって、

 週末はリフレッシュ・タイムとなった。

 勿論、日本語を教えようもきっちりこなし、

 これも、いろいろな外国人の方と話したり、

 ボランティア仲間と会うのもリフレッシュのひとつです。



 入院騒ぎのあった、4日、土曜日から生徒がたくさん

 来るようになり、教室は大盛況です。

 韓国、ヴェネズエラ、中国の方に加えて、ペルー、ロシア、

 パキスタンといった国の方が入ってくれる。

 先生役の我々も、いろいろな言語を覚えられるので

 楽しいです。


 日曜日はのんびり車を走らせたり、ある農家で採り立ての

 トマトを買ってきたりしました。

 このトマト、新鮮で、甘くておいしいです。


 さて病院のことを少し書きます。

 病院では、朝、6時に検温・血圧の測定から1日が始まります。

 わたしは、いつもと同じ時間の起床で、リズムは変わりません

 でした。もっとも、点滴をしていたので、夜中でも、チェックや

 点滴の取り替え、トイレで何度も目が覚めていました。

 病室からは、6時45分ころ、山から朝日が昇るのがきれいに

 見えました。病室の人たちと話をしながら、その太陽が昇る

 様子を眺めていました。


 いつものように、昇る太陽はわたしたちの生活になくてはならない

 大切なもので、あると同時に感謝の念を持って見ていました。

 太陽のエネルギーで暖かくなるし、陽射で明るくなるし、

 太陽のおかげで人間も食物の成長できる。

 太陽をこんなふうに見ることが出来たのは、入院したから。

 忙しく働いていると、そんな些細なことでも見失い、考えずに

 生活していた。


         太陽よ、ありがとう。


 今日の一首

  病院より 昇る太陽 眺めれば

            崇高なひかりに 感謝の念抱く   

 


2006年02月15日(水) 日記記念日

 今日は3年前にこの日記を書き始めた日です。

 月日は流れ、いろいろな出来事や思いを綴ってきた。

 これからも時折、自分を見つめ、自然を愛し、

 こころの思うままを書き綴って行きたい。

 今日の一首

  春ちかし 風に流れて 梅の香に

          振り向きたるは 愛しきひとよ

           


2006年02月14日(火) 入院

 4日(土)、例によって日本語を教えようで授業を行う。

 (お昼の食事をしても何ともなかった)


 授業中から下血が始まる。あまりにひどいので、授業後、

 一旦家へ帰って、自分で車を運転して病院に行こうと思っていた。


 (それまでは冷静でいられ、家まで自分で運転して帰ってきた)


 家で5回目の下血をしたときに、家でほっとしたのと、

 あまりに頻繁の下血により貧血状態となり、たっていられなく

 救急車を呼んでもらうこととなる。

 救急車が到着するまで、一瞬、意識がなくなっていた。


 救急隊員の方に、朦朧としながらも、自分で行こうと考えていた

 地域外の病院を指名した。家の者がその病院に電話を掛けて

 了解をとり、救急隊員も病院に確認して出発した。

 初めて乗る救急車は、血圧が下がったままだし、車に揺られたので

 気持ちが悪くなるし、乗り心地は最悪だった。


 (寝ていても窓から見える風景でどこを走っているかはわかっていた)


 病院の救急センターに到着後は、速やかに診察、レントゲン、

 CTをとり、点滴治療が始まり、緊急に入院となる。

 
 4日の夕方から8日まで、栄養剤と止血剤入りの点滴のみで

 飲食禁止状態で、寝たり、起きたりの4日間続ける。

 さすがに月曜日になって、落ち着きが出てくると、お腹が

 すいてきたが、どうしょうもなく空腹というわけではない。


 8日の午後、大腸を内視鏡で観察する大腸ファイバースコープ検査を

 実施、途中にポリープがあれば、切除するといわれていたが、

 幸いにポリープはなく、検査終了。


 内視鏡検査自体は、何の痛みもなく楽であったが、朝から飲み始めて

 透明な水が排泄されるまで飲み続けた下剤には、ほとほと参りました。

 (下剤は二度と飲みたくはない! 内視鏡はOKです。)


 検査の結果、大腸の一部に裂傷が見られる見られるものの、

 特に異常なし。

 排泄された時に機械的要因で出血したと説明されても

 よくわからない。

 (なぜあれほどにまで、下血をしたのか。)


      病名:直腸炎         で


 9日から 3分粥からはじめて全粥まで、なんでもなければ10日に

 退院となると、いきなり言われて、「えっ、???」と思う。

 (あとで考えると、内科病棟は長期の人が多く、比較的、
  軽い症状の人は、早く退院させなくては、後が閊えるからのようだ。
  わたしも、一旦、空いていた外科病棟から内科に移ったひとりです。)


 退院後、13日(月)に再診で病院を訪れ、担当医とよく話を聞く。

 便秘だった時に、機械的要因で下血と言われても、よく、便秘になる

 わたしにとって、ヨーグルトや食事に注意していて、少し血がにじむ

 ことはあっても、下血にまで至っていなかったのはなぜか聞く。


 胃腸関係は、ストレスが要因で病気になるので

 わたしの場合も、12月、1月に仕事がハードだったために

 ストレスがたまり、下血したようだ。

 ようやく原因らしきものがわかって、ほっとした。


 入院というアクシデントのなか、

  飲食禁止で食べるということの大切さがわかったこと。

  入院患者同士の人との交流は、

   (人柄、話した事柄など)

 わたしの財産になった。

 これらについては、後日、書きたいと思う。


 心身ともに健康であることの大切さを改めた感じた

 11日間でした。


 明日から、職場復帰です。


 ここまで、読んでいただきありがとうございました。感謝。

 


2006年02月10日(金) ただいま

 4日より緊急入院をしていて、今日退院してきました。

 少し落ち着いたら、病院話を書こうと思います。

 おやすみなさい。


2006年02月02日(木) 3回目の車検

 わたしの愛車も3回目の車検となった。

 今日、車検のために車をディーラーに出す。

 6万Kmを超えたばかりの車は、まだまだ快調。

 きちんと整備をして、末永く乗って行きたい車です。

 そして、我が家にもう1台の車が来る。

 姉の乗っていた軽自動車が娘の愛用車兼練習車となる。

 
 娘よ、運転に注意して

 一人前のドライバーになってほしい。


  今日の一首

   冬晴れの 青空のもと 男体山

          真白き頂に 厳冬を感じる  
 


MIKI.PRUNE |MAIL

My追加