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2003年07月29日(火) 思い遣るということ

バイオリズムを考えると、今は不調な時期であるはずだが、どういうわけか、好調だ。いつになく、頭が冴えている。勉強が進む。やはり「危機感」というのが、そうさせるのか。

午前中は歯医者。全体の検査ということで、360°レントゲン写真を撮り、歯の一つ一つから、隙間の全てさえも丹念にチェック。歯茎の検査では、流血が見られる。緊張の1時間であった。今回で終了のはずだったが、早期治療が必要な歯を発見したらしく、再度訪れることに。総額はかなりのものになりそうだ。歯は大事だといっても。帰りに支払いをしようとしたところキャッシュカードが無い。一度家に戻ることに。しかし家にもなかったのだ。これは明らかに紛失。心当たりがないわけでもないので、とりあず銀行に連絡。そのまま、近くの支店に寄り、仮のカードを発行してもらった。これ以上心配の種を増やすことはやめて欲しいところだが。歯科で支払いを済ませ、Highburyにあるというウォルマートに行こうとするが、バスが予期せぬ方向に進み、結局家の近くまで戻ってきてしまった。未だに分からない、単純なはずの市バスルート。

もう夕方になっており、家に戻る。しのぶがメッセージを残してくれていたらしい。朝の電話もやはりしのぶからだったのだろう。何も会っていないので、体調が悪いのではないかと心配して電話してくれたのであった。私にはできないことだ。しのぶと話していていつも思う。いつも、周りの人たちのことを、考えてあげているんだな、と。恩に着せるようなことはもちろんしないが、これほどまでに、他人を気にかけ、他人の気持ちを深く真剣に理解してあげようとする、そんな心掛けを持った人物が今までいただろうか。時には、相手の言動を非難することだってある。人の機嫌をとったりしているわけでは決してないのだ。本当に優しいのだと思う。人との関係を大事にしている、そして常に真剣に向かい合っている、と、そんな印象をもった。

自分のことで精一杯ということもあった。私の場合。しかし、時に自分のことさえも真剣に考えられないとしたら?いつも他人を思い遣っているというのは、本人の思い上がりではないと言い切れるだろうか?

電話しないと。


2003年07月28日(月) Indoors(箇条書き)

朝は、コーヒーのせいなのか、お腹から声を出しすぎたせいなのか、気分が悪くなる。夕方に、ミネラルウォーターを買いに出かける。たったあれだけの距離であるにもかかわらず例の日射病に似た症状が現れる。帰ってから1時間ほど寝る。ルームメイトが大掃除を始める。BGMはいつものMetalica?おそらく。とても耐えられる気分ではないので、ウォークマンでCAを聞きながら勉強していた。やけに勉強がはかどるので、深夜まで続けた。マットがソファでうたた寝してしまったので、今日は自分のベッドで寝た。まさか本人に言えるはずはなかったが、服は着ていてほしかった。

どういうわけか、夏はTOEFL対策という生活スタイルというべきものが続いている。今年で3年目。

冬は恋愛。


2003年07月27日(日) 再会を願って

やはり、何かを手に入れるために何かを捨てなければならないようだ。つらい決断を、近いうちに下すことになるだろう。

今日、失いかけていた希望をほんの少し取り戻す。といっても何も状況は変わっていないが。気分というのは変わりやすいもの。

朝のうちに家に電話。相変わらず曇り空。少し雨も降った。ダイニングで勉強、午後にルームメイト帰宅。特に言葉は交わさず。ルームメイト、「週末は何してた?」、「別に」と私。冷たいじゃないか。気がつくと外は晴れてきたのでウォルマートへ。CD−Rの画像を印刷してもらうのが目的だったけれど、また別のウォルマートでしか受け付けていないそう。明日行ってみようか。

夜、短時間ながら熟睡してしまう。おまけに軽度の金縛りにも遭った。起きてからも、まるで全身が鉛のように重い感覚が残っていた。その後少し読書。

それから、ルディに電話。おそらくぎりぎりだったと思うが、携帯は通じた。日本での数々の思い出は今も胸の中にある。そしてとうとう、お互い日本を離れ、故郷へ、新しい場所へ。今になってようやく、本当に遠く離れてしまうことを実感した。別れの辛さを再び噛みしめた。しかしそれは時間と共にいずれは訪れるもの。次に見つめるものはもちろん近い未来だ。

棒読みのドイツ語で(台本まで用意)一緒に過ごせたことの喜びと、感謝、楽しかったことなどを伝え、そしてドイツで会う約束をして、まるでいつもの帰り道の別れ際と同じように言葉を交わし、受話器を置いた。


2003年07月25日(金) 教室分割

午前中は試験。今回こそは真剣に、という思いで臨んだものの、問題のレベル以上に、集中力が試されたといえよう。サマープログラムの真っ最中ということで、あの小さな教室に生徒がほぼ満員。問題用紙も十分に広げられないくらいの、あのスペースの少なさ。試験の終盤、ただでさえ最も集中力を必要とするリーディング。隣の生徒がいきなり答案用紙をバタバタと裏返したり、ボールペンで絵を書き始めたり、かなり落ち着きのない様子を見せる。最後にはおそらく通常の音量で、ゲームを(ゲームボーイアドバンスだと思われ)始めたのだ。そんなこと構わず私は問題を解こうと努めるが、意識すればするほど、雑音が気になってくる。問題も読めなくなってくる。周りの人達も、隣の彼の行動に気付いたのだが、非難するどころか、どうやらそれは笑いを誘ったようで、やがては誰もが試験を途中で投げ出す。リラックスしすぎですよ。

やはり自分としては、可能な限り最高のコンディションと環境で試験に臨みたいわけである。正式な検定試験や入学試験でないだけに、おそらく真剣に取り組んではいない人が多いのも仕方がないだろう。ただ、客観的にそれを区別することはできないのだから、私としては、教室の割り当てを変えてほしいと望む。もちろん、真面目に受ける組とそうでない組。より公平な採点結果が得られそうだ。(多少は責任転嫁という面あり。)

今回も思うような結果は得られないだろう。しかし、もし一人で同じ試験を受けて、実力の全てを発揮できたところで、やはり水準が低いことには変わりはない。

午後、家に戻ると電気が復旧していることに気付く。やれやれ。早いうちにマット外出。私は、Wendy'sで昼食、帰りにバリューマートで食料を少々買う。今まで一切触れなかった食器洗い機の電源を入れてみるが、手洗い用の洗剤を入れたところ、大変なことになる。マットが珍しく洗い物をためていたのは、一体何故だったのか。故障中?いや、やはり、注意書きに従わなかった私のミスか?とにかく、台所が洪水になるところであった(ほとんどは、泡)。夕方にインターネットで求人検索他。夜は、ルームメイトがいないのでダイニングの大きな机で勉強。

また、涙もろくなってきましたね。


2003年07月21日(月) 失態

今日は、パーティに間に合わないという大失態を犯す。遅れたのではなく、行けなかったのだ。馬鹿という言葉が、今日の自分ほどに似合っていたことがあっただろうかと思うほど。1時間ほど、ショックで何も考えられず、表情も消えたままだったと思われる。しだいに、まあ仕方がなかったわけだし、と開き直る。ヴァイオリンで、いつになく激しい曲を弾いていた。

それほど遅くはない夜にルームメイト帰宅。洗面台に置いた(置き忘れた!)カードにすぐに気付いたようだ。先に"Thanks"と、マット。しかしその後に、"Sorry"という言葉は、私が言えば十分なはずだったのだが。

リビングで、珍しく話せる時間があった。今日は散々だったが、しかしいい機会だと思って、母が以前に送ってくれた風呂敷(のようなもの)と、シモジマの装飾品(日本の夏バージョン)を贈る。予想外に気に入ってもらえたようだ。

今回の失礼はお詫びのしようもないが、また来年、ということに。

Have a great birthday!
 


2003年07月19日(土) 週末(箇条書き)

昼過ぎまで寝ていた。あのとき賭けていたら負けていたところだ。マットはゴルフを観ている様子、と思いきや、今からゴルフに出かけるところだと準備を始めた。私もブラントフォードへ帰るため荷物をまとめる。

ブラントフォードのバスターミナルで、いつものようにJames家再会(毎回の送り迎えに感謝しています!)。ミニゴルフに行くそうで、キッチナーの方角へ車を走らせる。DINERが一件、それに隣接してミニゴルフのスペースがあった。そのすぐ背後、フェンスの向うは普通のゴルフ場があった。ロンドンのゴルフ場も果たしてこんな風なのかというくらい、本当に「何もない」広大な景色が果てまで続くような、そんな中で人はひたすらにボールを打ち続けていた。

私たちはというと、まずダイナーで、これもまた大きすぎるハンバーガーが夕食。店内に、ロンドンのバーガーキングで見た同じ絵を発見。その絵というのは、夜の、おそらく静かな一角のバーに集まっている4人の姿。エルビス・プレスリー、ジェームズ・ディーン、マリリン・モンロー、今は亡きスター達だ。もう一人が、未だに分からない。シナトラではなさそうだが。最初に絵を発見したとき、一瞬裕次郎に見えたのだ。それ以来、残りの一人は石原裕次郎だと思わないではいられない。本当のところは分からないままだ。

ミニゴルフだが、京都にいたら、「しょぼ」なんて言葉を吐いていたに違いない。まあ、子供たちも一緒だったわけだし。交流が目的でしょ。ちなみに、スコアは72くらいで、ダントツで負けました。


2003年07月14日(月) mission

今日はオスカルの命日だ。だからといって、何かあるわけでもない。

新しい仕事を手にし損なった。他人に100%依存してはいけないことは、分かっていた。しかし、見切りをつけ自身で行動しようとする度、足を止められてきた。信じて、待っていた。耐えていた。そしてその結果がこれだ。しかし、誰を責めようとも思わない。ただ、物事がやはりそう簡単には流れなかっただけ。もちろん自分の責任がゼロであったとは思わない。

今日からはおそらく容易ではない道を行くことになるだろう。しかし、このくらいの苦難は、まだどうってことないはず。環境こそ違いはあっても、今までに同じような思いは経験している。きっと対処できるはずだ。



2003年07月13日(日) サイコ

あまのじゃくだよ。今度から君をあまのじゃく君と呼ぼう。

まったく、繰り返してばかりだ。何ゆえに天は、このように人を引き合わせるのか。

(一瞬ではあったが、確かに身の危険を感じた。)


2003年07月12日(土) 今のところは

午後に外出。おとといから気温は下がったまま。太陽が顔を見せていないせいもあるが、風の冷たさといい3月ごろかとさえ思う。全く空腹ではなかったが、ただそういう気分だという理由でバーガーキングへ。コーラがどうしても飲みたかったというのも、普段はあり得ないことである。なにか、さっぱりと、すっきりとしたものが欲しいというのは昨夜から続いていたが。帰りにビクトリアパークへ。ただ何もせず座っていた。木々の音を聞き、風を浴び、陰イオンを吸収する。本当に、ただ座っているだけというのも、私にとっては珍しいことである。数十分ほど過ごし、帰宅。ものすごく気分がよくなっていることに気付いた。ただ油断は出来ないことはわかっているので、調子に乗って大食いしようとか、直ちに勉強をしようとはしなかった。もう少し様子を見る必要があった。本当に、数分後、数時間後はどうなっているか、自分でも予測不可能なのだ。とにかくこのところ体調が思わしくない、また変わりやすい状態であったのだから。"How are you?"の問いに、たいてい"Good"という風に答えているが、心の中ではいつも、"so far"と続けていたのだ。 


2003年07月11日(金) 実は優しい

不調。一度は起きて外出してみたものの、どうもすっきりしない。米を炊いたり、6個3ドルのマフィンを試食したりしてみるが、ますます気分は悪くなる一方。結局何もできず、頭痛もし始めたため早い時間に再び寝ることに。

夜遅くにルームメイトがジェイミーと共に帰宅。やや大音量でMetalicaを聞き始めたようだったが、ここまで体調か崩れると、静かであってもそうでなくても眠れないことには変わりないので、気にせず、じっと動かずにいた。が、気分の悪さは普通でなくなりはじめ、トイレに数度駆け込む。一度、ジェイミーと鉢合わせ。すごく不思議そうな顔で数秒間私を見つめていた。その後部屋の中で一度嘔吐。二度目はトイレの中だったか。さすがに気付かれて当然だったか、ドアの隙間から大丈夫かと尋ねる。大丈夫だと答える。ドアをきちんと閉める余裕もなかったのかと自分を責めたいくらいだったが、吐いた瞬間を見られていなかったことが救いだ。それこそ家を追い出されるところだ。

気分も落ち着いて部屋に戻るとすぐに、ルームメイトがやって来て再び大丈夫か、何が起きたのかと尋ねる。何か必要なものが?とまで聞かれたときは、驚くしかなかった。あえて言うとコーラが飲みたかったが、家に無いのは分かっていたので、大丈夫だとしか答えなかった。それよりマットの言葉と、その気遣いが本当に信じがたいものだったので、その驚きのせいで、"Thank you" という一言さえも、最後に口にするのが精一杯だったくらいだ。


2003年07月08日(火) タマ

朝の電話で、タマが死んだことを母から聞いた。七夕の夜、タマ専用の箱の中で、それは本当に眠っているようだったという。その前日、病院の帰りに、いつも静かだったのに急に何かを訴えるかけるように鳴いていたとも聞いた。もういいよ、と言いたかったのだろうか。話を聞くが精一杯だった。話そうとすると、先に涙が出るから。今も画面が霞んでだんだんと見えなくなってきている。今日はもう書けない。タマは18年間、私が小さい頃からいつもそばにいた。たくさんの思い出をありがとう。最後は一緒に居てあげられなくて本当にごめんね。きっと今頃は、これまでに一緒に過ごした仲間にも会っているはず。大好きだった猫缶もたくさん食べているはず。元気に遊んでいるタマを思い浮かべて、思い出をありがとうという気持ちになった。


2003年07月07日(月) broken

予定通り、昼過ぎに起きる。歯痛は治まる気配がないため、やはり処方された薬を買いに行くことにした。21番のバスでHuron streetへ。待ち時間の間に少しばかりZellersで調理用品や家具を物色していた。SHOPPERS DRUGMARTで薬を受け取る。待てずに、バス停に着かないうちに薬を服用。バスに乗っているうちに薬が効いてきたのか、何やら手足がしびれる、フラフラするなどの症状が現われる。歯痛は治まったのだからそれで問題はないのだろうけれど。GARELLIA MALLに寄るが何も買わず、その後バーガーキングへ。店内はやはり今日も空いていた。歩いて家に向かう。

エレベーターから降りるとすぐに気付いたのだが、部屋からいつもの激しいロックが思いっきりドアから洩れている。またかという思いで、心の中ではため息をつきながらドアをあける。台所にウームメイオがいて何やら整理などをしていた様子。妙に今日は機嫌が良いらしく、普段はあまり見せない、やけにいきいきとした表情で、今日は何をしたんだとか私に尋ねてる。さらに、これは先日トロントで聞いたバンドだ、とそのとき流れていた音楽のCDジャケットを見せながら楽しそうに語り始める。何が、あったのだろうか。

早くも夜の10時になろうとしている。薬の副作用か、頭痛とめまいがひどく少し休んでいたが、いい加減寝てる場合じゃない、と起き上がった。部屋の外はまだ騒がしいが、壊れていたはずのCDウォークマンがどういうわけか今は正常に作動するので、TOEFLのリスニングでもしようか、または勉強用の?BGMを聞きながら、一日も終わりに近い時間にようやく机に向かう。


2003年07月06日(日) suffering

現在療養中である。何故カナダに来てまでこんなことで時間を過ごさなけければならないのか。時間の空費としか思えない。が、しかし体調が万全でないと、結局何も出来ないのだ。全く不可抗力的な病ではないものの、起きてしまったことには仕方がない。今はただ休むしかないのかもしれない。足掻いたところで、良い結果が出るわけではない。どこかでは、焦りはどうしても抑えきれないが。

といっても、1日中寝ているわけではなく、家にいる間、楽に読める本を数時間で読みきり、学校も仕事も控えているという怠惰な生活を積極的に選んでいるわけである。ろくに動かせない身体を仰向けにしながら、思わず馬鹿と自分に呟く。もちろんこの状態をあと何日も続けようとは思わない。とりあえず、ファミリドクターには掛かるかもしれない。再発の恐れがあるとしても、とりあえず来年一度日本に帰る時まで持っていればと願う。今この時点で問題なのは歯痛で、これに関しては木曜日に歯科を訪れることになっており、一度の治療で治まることであろう。


2003年07月04日(金) ショートカット

朝はいつも通り早めに起きて準備するが、出かける直前に再び歯痛にみまわれる。一瞬その場でうずくまってしまったが、何とかイブプロフェンを取りに行く。通常より大幅に遅れて学校に着く。すでにクラスは始まっているので、先にジャスティンと話す。仕事のことよりも先に、歯医者のことで。彼の行きつけの歯科を紹介して頂いた。ありがとうございます・・・。

授業終了後、カフェに向かう。途中の道でマット、ジャスティン、プラス韓国の女の子2人(そのうち一人は例の土曜日の夜酔って浮かれていた『客』だと気付く)に会う。やたらと露出の多い服を身に着けていたうえ、妙に落ち着きがない様子に思えた。私はジャスティンとだけ少しばかり言葉を交わして別れた。カフェで急いで昼食。コーヒーは小さいのにして、本日はクランベリーマフィンを選んだ。

予約していた美容院へ。学校から2軒隣にある。中は広々としていて、歩くと床が軋むがそれがまた良い。。担当はフランス語圏出身だという女性。最後まで丁寧に、かつ親切に話して下さったので最初の緊張はどこへ行ったのか、すごく居心地が良かった。ただ、長い髪に飽きたとは行ったけれど、これはあまりにも短すぎないかと、ケープを外し鏡に映った自分を見て思った。だけどまあ悪くないですね。

一旦帰宅。部屋はかなり暑い。珍しく、ルームメイトがいるのにソファに座り映画を観る。The End of days、だったか。観ている途中、突然大雨と、おまけに雷が襲来。午前中ジャスティンが誰かと電話中、午後に雷が来るらしいことを話していたのを聞いたのだが、こんなに晴れているのに、まさか雷なんかが、としか思っていなかった。その後30分ほど嵐は続いただろうか。直前までの晴天が一瞬のうちに全く姿を変えたのが印象に残りすぎた。ここはアパートの10階で、窓の外は本当に空しか見えないものだから、空が形相を変えると何よりも先にそれに気付く。まるで部屋が空に浮かんでいるようだからだ。10階自体そう高いものではないが、この周辺が森林だったり住宅だったりするので、窓の外の風景を遮るものがない。ブラントフォードでは大半の時間を半地下で過ごしていたので、見上げる風景が全く違うのも言うまでもない。一気に標高が上がったので多少戸惑いも見られなくもなかった。

嵐のあとルームメイトは外出。私は沙羅と電話。夜に一緒にビクトリアパークに行くことになった。


2003年07月02日(水) 繋がる

本日ようやくインターネット接続に成功。So-netのサポートセンターにFAXを送ったのだが数時間後に回答が来た。もっと早くやっていればよいものを。

今日は歯痛のためベッドに横たわることしかできず、その間、赤川次郎を1冊読みきり、ドイツ語のテキストを眺めたり、メルマガを整理したりと、比較的怠惰に過ごしてしまった。


2003年07月01日(火) 休日

Canada dayということ本日は祭日。

しかしいつもと同じ時刻に壁の向うでアラームが繰り返し鳴り、そしていつもと同じ時刻にルームメイトは出て行った。当然学校は休みのはずだが、しかしもしかすると、などとしばし考えてしまった。かといって確認の電話もする気にならず、ここ数日はなかなか疲れが取れない状態が続いており、目覚めは良いものではなかったので、再び寝ることにした。昼過ぎにようやく起きる。シャワーを浴びようとするが、浴槽がどういうわけかひどく汚れている。掃除しようとしたが、どうやら排水溝が詰まっていることに気付いた。

午後にルームメイトが帰宅するのとほぼ入れ替わりに外出。といっても近くのコンビニまで水分補給のためにジュースを数本買いに行っただけ。

夜に来客があるはずだったが、24時前の今になっても誰かが来そうな様子はない。22時ごろ、遠くで花火が上がるのをこの部屋の窓から見た。ルームメイトはすでにベランダで一人それを眺めていた(バスローブではなくTシャツで)。私も外へ出る。少しばかり日本を思い出したりもしていたが、色々考える間もなく、ちょっとした連発を最後に、花火は終わってしまったのである。この間のTOEFLテストの採点をしていた。私の採点結果を知らされる。重いため息。グラマーがほぼ満点だったのは予想していたとは
いえ、やはり聞き取れない、早く読めないという、未だに同じ問題を引きずっている事が大きな問題である。


川村 |MAIL