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2003年03月27日(木) Takin' a chance on you/me

午前中はハミルトンのMcMaster Universityへ。

トレイシーに、今日あなたは何故そんなに静かなのかと聞かれたが、時差ぼけによる不調以外にいつもの悪い癖で、またも一人悩み始めたことにある。昨夜、初めて「後悔」した。過去に捕らわれるのではなく今をまっとうするのが、私の理想とする生き方だ。そしてこの短期間の間に、自分の一つ一つの言動には責任をもち、そして全て自分の意志で選んだ事だから決して後悔はせぬよう生きることを学んだ。この春休みの間の出来事にしても、全て自分に納得できたはずである。そして辛いことではあったが思い出として封印したはずだった。それが、「後悔」という形で記憶が呼び起こされたのである。

経験から何を学ぶか。確かに時間を無駄にしてしまったのかもしれない。もっと合理的な時間の使い方が他にあったはずだ。その時は仕方なかった、といえばそれまでだが、今冷静に、過去が失敗だったと考えるなら、二度と繰り返さぬよう努めるしか道はないのだ。「反省」として記憶に留めておけばよいだろう。まるで当たり前のことだが、二の舞を踏むようなことは避けたい。

精一杯のことをした、と自分に満足していた具合だが、もっと、賢明に生きるべきではないか。ただ「後悔」だけではないといえるのは、その失敗のおかげで何物にも代えがたいものを得たからだ。。得たものと、失ったものを計りにかけても、何も始まらないかもしれない。成長の糧になる部分だけを吸収すればいいのだから。



今日の結論:賭けてみようか。


2003年03月26日(水) lunch:Wendy's/ supper:HARVEY'S

最初のうちは、緊張と興奮のせいで忘れていたのだろう。今になって、時差ボケに苦しんでいる。学校がまだ始まっていないので、強制的に朝起きる必要もないので、深夜であれ、目が覚めているうちに勉強するなど、特に克服を急いではいない。だがこの調子で続けていいはずがないのは承知。

今日は、午後からトレイシーの店で、エクセルの入力等を手伝った。特に問題はない。その後EJを読みながら、タイタニックを見る。

眠気がピークに達するころに夕食。玄米と白米のブレンドを調理してみたが、あまり良いものではなかった。とはいえ、短期の滞在ではないのだから、食生活に関しては深刻である。夕食としてマクドナルドか、それ以外のファーストフードが、連日続いているのだから。このままで、今の体調とプロポーション?を維持できるとはとても思えない。菜食生活の維持や、日本食の調達、早めにアパートを借りることも含め思案中である。


2003年03月23日(日) Fruehling(春)。別れ、始まり。

出発の日がやってきた。例によって土壇場になってあわてて準備をしたで、持参する荷物をよく吟味する暇もなく、目の前にあった書籍や服をひたすらにスーツケースに詰め込んだため、おそらく必要でない物まで含まれていることだろう。スーツケースは上限の30kgをわずかに超えていた。引越しの荷物整理も、完了させることができなかった。発つ鳥が、思いっきり後を濁してしまった。三宮駅まで母が見送ってくれる。バスターミナルがあるにもかかわらず、エスカレーターしかない上、段差も少なくない駅の設備が、不便極まりないことに気づく。空港には、早めに着いたが、検問が通常より厳しくなっているため、あれこれしているうちに搭乗時刻がすぐに来てしまった。搭乗ゲートまで来て、MKに最後になるであろうメールを送る。返信はすぐに来た。MKらしいメールであった。
That's the way he is.

離陸し、大阪の夜景を窓から見ていた。だんだん小さくなっていくその風景に、友人や、あらゆる場面でで関わった人々を思う。本当に彼らから遠く離れてしまうのだ。新しい生活が始まる。彼らも、私も、それぞれの目標を果たすため。

旅立つその日は変えられないのだから。思い出を胸に。

飛行中だが、予想外に快適だった。酔い止めを服用しているので、半分以上は寝ていたが、かなり熟睡できた。バンクーバー乗り継ぎも問題なく、荷物が恐ろしく重いこと以外はこれといった疲れも感じなかった。20時過ぎにトロント着。James家再会。長旅だったという実感もあまりない。出発前に「ちょっとそこまで行ってくるわ」というような挨拶で別れたが本当にそんな気分だ。以前より健康体になったのか、あるいはバカンスで来たのではないという意志がそうさせたのか。

とりあえず本日より、カナダからお送りします。


PS いつかあなたの名声が太平洋を越えてこのカナダ大地に届くまで。そしてまた私も。


2003年03月10日(月) Rose

今朝は引越しの見積とかで、某引越業者(深草にはこの会社がなぜか多く見られる)が午前中に来た。いつもお世話になっている不動産の方にも立ち会っていただいた。荷造り用のダンボールを、たくさん受け取った。それを見ていると、本当にもうすぐここを出るのだという実感が、湧かないでもない。

昼前にMK電話。生協の脱会手続きをするために来たのだが、そのことを昨夜ダイエーが閉まる少し前に聞き、会う約束をしたのがその直後だった。いつも、「急」だ。我々が会うときは。あるいは予測不可といえる。そう、そもそもの始まりも・・・。この話は広がると切りがないので止めておこう。

いつからか学食も開いていた。卒業までにもう一度行くとしよう。

とりあえず五条へ同行する。鶴亀屋という、アジアな雑貨・衣料を扱う店へ行った。清水がようやく見えたというところで左折し、坂を少し歩いたところにその店はあった。MKの影響であるのは明らかだが、こういうエスニック色が濃い物になぜか魅せられるようになった。十分に吟味した上で、MKはバラモチーフの指輪を購入。最初すごくハードなものに見えたが、後になると見慣れてきたせいもあるのか、すごく馴染んでいるようだった。アクセサリーも相性だと思う。まず一目で強い印象を受けるもの、まれに、矢が飛ぶような光が走るのを覚えることがある、身につけて違和感のないもの(見た目と、感触等)。特にこういう店は一点物が多いから、その中から自分に合った最高を見つけるのも面白い。

その後四条まで歩く。バイトの時間が迫っていたため、昼食も阪急の7階で急いで済ませることになった。MKを急かせるつもりもなかったが、やはりもうすこし時間に余裕があったら、と思った。バイトも残すところ2回。

人生はたくさんの小さなめぐり会いと、小さな別れでできている。(映画『おもいでの夏』)


2003年03月04日(火) インコの状態

今日もいつも通り夕方からバイト。一時的に、店員の数の方がお客様より多くなるのが気になるが。つらい9時閉店も何とか切り抜けられそうだ。ただ、昨日の疲れ(足腰の)が今朝起きた時も残っており、最終までもつかどうか心配していたが、途中でそれさえ忘れて、機械的に接客をこなし、時には考え事に耽っていたりして時間を過ごした。

今日は特に新しい発見もございません。一つ気になったことといえば、日本語の問題であるが、数日前の新聞で発見した「インコをかごにつるしていた」という表現。その直前が、「○○動物園の大きな広場に」であるから、「かごをつるしていた」が正しいのではないか。あとは、そこにインコを入れるだけであるし、「インコを入れたかごをつるしていた」。あるいは、インコに重点が置かれているから「つるしたかごにインコが入っていた」等。かなり、どうでもいいような事だが、数分ほど考え込んでしまった。インコがかごの外にいたのなら、また表現は変わってくるだろうし。



川村 |MAIL