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fantasia diary*
ほどよくダラダラをモットーに。 アコギをゴロゴロ弾くように。
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2001年10月02日(火) 江國香織。
初めて読んでみた。
■本日の更新はありません。
奏音さん4444HIT誠に有難うございますv(笑) 確か100HITと2222HITと今回か? あれ、思ったより多くないみたいですか。 4回くらい踏まれてたかと思ってたりしてましたが。 ともあれいつも本当にありがとう!キリ番絵描くの遅くてごめんね!
そんな感じで、江國香織の『落下する夕方』を読みました。 今更ネタバレもないですよね、いいですかねちょっと感想書いちゃって。 興味ある人だけ見てくだされば。 あ、秋菜ちゃんこのあと読むんでしたっけ、 今日話しちゃった部分もあるんでとばしてくださっても読んでもかまいません。
なんていうか普通の文だなあと思いました。 特別上手いっていうのとは違うだろうとね。 あのさりげない描写力、読み飛ばせるほどあっさりと現実感を書いているあたりとか、 流石にうわあと思いましたが。 華子のキャラがとても好きで、できるならああいうふうにも生きてみたいと思ってたあのひとが死んだときにはさすがに『待って』と思いました。 しかも普通にこまごま切れてるパラグラフの、 次の段落のはじめにいきなり『華子が自殺した。』。 ものすごく無機質でねえ。 ああして人が急に死んだときの感情は私まだよく覚えてるので、 ちょっと異論唱えたいとこもありましたけど。 (梨果さんが『華子もくればもっと楽しかったのに』辺りの台詞とモノローグとか) 梨果さんの気持ちとわたしのとはまた別なんだろうけども、 あの小説はあくまで読んでる人と梨果さんの気持ちを重ねていく書きかたをしているのでぶうぶう言うくらいはまあ良いでしょう。 健吾と華子の梨果さんの思う価値はシーソーのようでしたね。 健吾を忘れる代りに華子の存在が大きくなったけどぶちっといきなり華子が居なくなる。 だから最後の行動もちょっとわかる気がしました。 でも途中の華子の台詞もわかる気がするのだけど。 里香さんに最初殆ど感情移入してなかったので(あとにいくにつれて漸く段々移入していってた感じ)、健吾には全く魅力を感じませんでした。 カツヤノカナイという呼称には江國さんのセンスというか格好よさを感じたなあ。 そうなのね、最後までそれでとおすあたり。カツヤノカナイがモトカナイになっても。 梨果さんの中ではほぼ最後までカツヤノカナイはカツヤノカナイだったわけで。 最近仲良いってことはようやっとお名前で呼ぶようになったのかしら… まあ江國さんというお人がもしかしたらそんなふうなのかしら(もしくはそんなふうだったのかしらとか)と少しだけ思いました。
やっぱりものを書くには人生経験って必要だなあとかしみじみ感じてみたり。 おやすみなさいませ〜
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