桜の実は、さくらんぼかな。多分。
昔、昔、私がまだ小学生の頃、父はよく夜の校庭に仲間の野球を 見せに連れて行ってくれた。…というか、彼は自分が好きだから行くし、 私の事も好きだから連れて行ってくれたんだろうと思うけれど。
夜の野球ってなかなか良い。冬が明けて、春の生暖かい風が、夜に冷えて 湿る匂いとか、少しだけ肌寒い空気の層や、照明に照らされて惑う虫の 群れとか。そういう私の好きなものにたくさん出会えるからだ。
夜のお出かけは、少しだけ秘密の匂いがして、それがまた私を少し大人にする 気がする。…夜露に濡れる草の匂いが好き。…照明に白く霞む月が好き。 お父さんの楽しそうな背中が好き。でも私は、一人で遊ぶのも好き。
少しだけ遠い喧騒の中で、私は校庭に沿うように生える桜の木に登る。 私にも届く低い枝に、小さな実をつけたその木の実。少しだけ、紅い。 青い青い葉っぱの中、小さな小さなサクラの実。届く所にあるのが嬉しくて いくつも取って、その中で一番好きなのを、掌に握り締めた。
でも、そのあとそれがどうなったのか私は知らない。ただ、ここまでを 昨日の夜に嗅いだ匂いで思い出して、なんだかふと、思い出に振り返っただけだ。
小さな木の実。今は、その木の下に行く事もない。
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