Onry Me
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先週、祖母が重大な病気に掛かっている事が判明しました。 病名は「心肥大」だそうです。
・・・ことの発端は11月。 祖母が息が苦しいと言い出すようになりました。 「きっと風邪だろ」 最初は、みんながみんなそう思い楽観視していたのですが、 一向に具合が良くなる兆しが見えず、辛い状態が何週間も 続いていたので祖母もさすがに息苦しさに耐え切れず 病院で精密検査を受ける事になりました。
その検査結果が出たのが先週、息苦しさの原因は 「心肥大」という病気のせいであることが判明しました。
心肥大とは読んで字の如く、心臓が肥大してしまう病気だそうです。 心臓が肥大してしまうと、それだけ心臓に負担がかかり 全身に血液を送るのに力を要するので、心肺機能が弱り 心筋梗塞や心不全になってしまう可能性が高くなるんだそうです。
詳しい検査結果が出たのは数日前だったわけですが、 医師からは
「この状態では、もう治療法もなく いつ心臓が止まってもおかしくない状態です」
そう言われたんだそうです。 それだけ病状は進行しているんだそうです。
既に祖母の心臓は心肥大の限界を超え、心臓の弁の動きもおかしく 心筋梗塞を起こしかけており、いつ止まってもおかしくない 状態なんだそうです。 本来なら入院して安静にしてなければいけない程の病状なのですが 今は胸の苦しみ等がないとの理由で家で普通に暮らしていますが、 心臓自体は、いつ止まってもおかしくない状態なんだそうです。
今まで病気らしい病気をした事がなかった祖母だったので これには、激しくショックを受けていたみたいで、以降 食べ物も喉を通らない状態になってしまいました。
確かに、いつ爆発するかもわからない時限爆弾を体の中に抱えて 生きることが、どれ程の恐怖か・・・私には想像出来ない恐怖を 今、祖母は経験している事と思うけど、私自身一体どう励ませば よいのやら、わかりません。 父の時もそうだったんだけど、病気で弱ってる人を励ます事ほど 難しいことはないなって、今回改めてそう思いました。
そんな私に祖母がふと、父の事を引き合いに出し ガン告知されるのと心肥大でいつ死んでもおかしくないって 言われるのとどっちがいいかね? って聞いてきました。
私は、とっさに「心肥大の方が良いに決まってるじゃん」 っと言いましたが、それは偽らざる私の本心でした。 末期ガンだと告知されて、既に手術も出来ない状態であった にも関わらず家族に弱い所を見せなかった父の姿を思うと 祖母の心肥大は、心不全や急性心筋梗塞等、になる可能性は 一般の人よりも高いものの、安静にしていれば何年も生きられる 可能性があるように思えたから・・・。
でも本人にしたらガンであろうが心肥大であろうが、 辛い事に変わりはなく、今思えばなんの励ましにも なっていなかったなって反省したりしています。
祖母は現在82歳。 82歳って聞くと普通はヨボヨボのおばあちゃんを想像してしまうかと 思いますが、うちの祖母はそんな事がなかったりします。 髪を茶髪に染め、背筋もシャンとしていて、動作も機敏で とにかく元気で頭も体もしっかりしていて、年齢より10歳は 若く見えるような人だったりします。 実際、75歳まで保険会社で仕事を現役でしていたほど活発な人なのです。 ・・・なんって言ったらいいんだろう? 雰囲気的には森光子みたいな感じって言えば分かってもらえるかもしれません。
そんな元気な祖母だから、今回の件では落ち込みようが半端では ありませんでした。 最近は土地やら金やら・・・自分が死んだ後の遺産相続のことを しきりに気にして言ってるけど、そんな事は誰も望んでなくて、 家族はみんな、何年も何十年も、ただ長生きして欲しいって それだけを願ってます。
身内の自分が言うのもなんだけど、うちの祖母は 不思議な人で人を惹きつける魅力を持っています。 家族も、田舎の親戚も、友人も知人も、常に皆 祖母を慕い、祖母の下へとやってきます。 私たち家族や親戚も、それぞれ色々と問題を抱えてはいますが 祖母がいるから結束出来ている部分があります。 間違いなく祖母は常に私たちの中心にいます。 そんな祖母がいなくなったら・・・。 考えただけでも暗く寂しい気分になってきます。
時代は常に流れてて、生きてる以上は皆、やがては 死という現実に向き合う時が来るのは仕方のないことだけど、 やっぱり最愛の人がいなくなるのは寂しいです・・・。
私も今年で30歳。 今までの人生の中で身内の葬式に何度か立ち会いました。 小学校の時に父方の祖母と母方の曾祖母が亡くなりました。 20歳の時に母方の祖父が亡くなり、26歳の時には父と 父方の祖父が亡くなりました。
最近は楽しかった昔の事をふと思い出す事があります。 小学生の頃、夏休みに母方の祖父の家で父と祖父が 野球のナイター中継を見ながら楽しそうにお酒を酌み交わす 傍らで、庭で無邪気に花火をしていた頃の思い出。 毎年のようにみんなで行っていた家族旅行。 父方の祖父の家に1人で泊まった時のこと。 私に慣れない手つきでトーストを焼いて目玉焼きを 作ってくれた優しい祖父の姿。 毎年、美味しいお節料理を食べさせてくれた父方の祖母。 強く優しく厳しく頼りがいがあった父との数々の思い出・・・。
その時々の楽しかった日々は今でも私の記憶の中に しっかりと刻み込れています。
2003年現在、慌しい毎日の中にあっても未だに ふと、その頃の楽しかった日々の思い出が心をよぎる事があります。 その度に物凄く切なく悲しい気持ちになってしまいます。 楽しかったあの頃に戻りたい。 何の不安もかかえずに、何の疑問も抱かずに ただただ楽しかった、あの頃に戻りたい。
・・・そんな現実逃避をしたところで、過ぎ去った過去は戻らずに 時間はこうしてる今も少しづつ未来へと流れていく。 過去を振り返ったって何にもならないことくらい分かってるけど ふと、過去に戻りたいと無性に思ってしまうことがあります。
・・・でも過去に戻れない以上、楽しい未来を思い描いて 前向きに未来に向かって歩いて行くしかないんだろうなって思うし きっと前向きに生きてれば、楽しい未来がやって来るって思って 生きていきたいって思ってます。 不況であったり、高齢化社会であったり、年金問題であったり 戦争であったり、事件や事故であったり・・・不安や悲しいことも 世の中には沢山あるけど、楽しい未来を思え描いて生きていれば 誰にでも、きっと楽しい未来がやって来るんだって私は信じてます。
祖母は12月25日に、めでたく82歳の誕生日を迎えました。 今年は誕生日プレゼントに真っ赤なパシュミナのストールを プレゼントしてあげました。 派手好きな祖母だけあって、物凄く喜んでくれました。 こんな何気ない幸せが、これから何年も何年も続いたらいいな・・・。 これからも祖母孝行を出来たらいいな・・・。 そう思いながら「おばあちゃん。長生きしてね」 って心の中で呟きました。
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