21世紀猫の手日記
DiaryINDEX|past|will
| 2025年12月13日(土) |
何となく俯瞰できるようになる。 |
また、3週間ほど色々考えていた。なんであんなに両親は、私をコントロールしたがったのか?そして母はなんであんなに怒ってばかりいたのか?父もなぜ共感することがなかったのか?思ったことを総合すると、基本彼らはそんなこと全然大事じゃなかったwwwという結論になりました。
そうなんですよ、いろいろと話し合った結果、まず、昭和ではあったけど、ZAZA家本来の姿は、侍で明治憲法の世界であった。残念ながら、わざわざ東京まで学生運動をやりに行った母の嫁ぐにふさわしい家ではなかった。
教員同士ではあったけれど、思想的に究極に折り合いません。なにしろ爺さんの家を壊したら、刀がいっぱい出てきて、捨てるのに漁船をチャーターwしたってもう、基準がおかしいです。つまり、秘密が多い家だったんです。明治憲法で封建主義、そして産んだ子は女子。……、女の子は家を継がず、嫁に出すものです。立場悪いんですね。
で、爺さんは私に会ったら、割と……刀の持ち方(忘れた)、どうしても間違ってると思ったら戦ってもいいんだぞ、人を切るときは自分も腹を切る覚悟をしろなどと微妙に侍の価値観を教えていたんですね。母にそれを話すと、すんごく嫌な顔をしていました。でも、その、自分の個より大きなものがある、大事なものがあるという価値観があったために、私はあの家で生き残れたのだと思います。
で、父は、じーさんのことをバカにしていたんですね。なにが天皇陛下バンザイだと、……戦後の食糧難や貧困とか、そこそこ体験しているので、そんなもんです。で、パソコンやバイク2台買うけれど、家族全体のことを考えてたわけではないんですね。夫婦で笑いながら話すとか、温かい雰囲気とか一切ないですから。今の時代なら、お互いスマホみてるだけみたいな感じです。実際は本を読んでいましたが。
家の中での私というのは、子供ではあるけれど、感情的な共感や理解がほぼない状態でした。これは寂しかったし、小学校高学年から家を出るまでは、ほぼ母親に病的に怒られまくりだし、父にもびんたされていました。ま、これは、しつけでしょうがないのかもしれないけれど、教員としてはいかがなものか。
で、父と会話はなく、怒るだけなので同居していたのにもかかわらず、中学になるまで名前を知らなかった。(爆笑)基本、父は着るものやお風呂屋ご飯を母に作ってもらったりしていたけれど、自分さえよければそれ以上は気持ちを理解しようという気はそもそもない人だったのではないか?
娘の態度や見かけが悪くて自分の評判が落ちないよう、コントロールするのが大事だったんです。残念ながら、思い出すと、クラブ活動もどれをやるか決められてるんですね。これとこれとこれは絶対ダメって、そこの先生と仲悪いからw。
で、母は結局一番大事なのは、家庭にいつつ政治活動に全力投球だったんです。娘の気持ちより世界平和が大事だったんです。妖精さんがいるかもしれないとかw、子供の気持ちには添えない。ままごと、バービーとか、女性を限定(家事するとか、おしゃれとか外見重要なことなど)するような遊びはNGで、子供相手でもガチでねじ伏せにくるので、もう私がつらい。かわいいという価値観は全否定なので、ほぼ言われていないです。だいたい髪は短くといわれ、三つ編みをやったこともない。
厄介なことに二人の共通点は、私のことを粗末にはあつかわないけど、理解しようとしない。ひたすら、異常にコントロールをして、私が自分の価値観を持つということが嫌だったようです。命令はあるけれど、話し合いは成立しない。で、子供の気持ちを理解する、それは彼らには無理だったと思います。そういうチャンネルがそもそもなかった。
漫研に入って、イラストや漫画を描いたのが唯一の自由だった時期もありました。そのときの会の方々には私はずーっと感謝しています。うまいことかたちにはできないのですが、私はそこがなかったら、そして、高校の時に一人暮らしをするチャンスがなかったら、自傷か自殺か家出か精神疾患か、確実におおごとレベルのことをやらかしていたと思います。
前半は親に理解してもらおうとか、努力をしたけど、やはり、無理。後半は仕事に口出しをされないように、親に内容がわかりにくい仕事や資格をとるなどと、頑張ってみたけど他人を変えるというのは難しいと思いました。感情の理解とか、共感に重きを置かない人達だったんですよ。2人とも。それじゃなければ、大げんかして離婚していると思います。父の金の使い方は、自分が優先でしたから。
構造的にどうあがいても、感性とか、感情が豊かな人が傷つく環境だったと思います。ある意味、虐待ですね。でも、両親にはおそらくそういう意識はない。大事だと思っている。でも、自由意志はほぼ認めないと。……これは、自分、すごく大変な環境だったと思います。もう、あれですよ、生きてるだけで偉いというやつです。
もっといろんなえぴそーどはあるんですけれど、おおまかにそういう感じだったのでは?と思います。先祖もほかの人のプライベートにかかわるようなことをしていたので、やっぱり、よその家より、もともと口に出してはいけないこととかが、多かったんだと思います。
よく考えると、両親の関係も結構特殊な部類だったのでは?とおもいます。家族団らんがほぼないというか…いとこ一家が笑いながら自由に話をするのを見て、自分にはないんだと号泣したくらいですから。
両親は年を取ってから仲良しになって、母も笑うようになりましたが。
zaza9013
|