どうでもいいことだけど。
休日の自分は嫌いだと思う。
身体は休息を求めているのに、それに従わない醜いこの精神が。
こんばんは四亜です。
人を愛するってなんだろう。
恋愛小説を読んでいると、いつもそんなことを思います。
言葉と言葉のばかしあい、睦言のオンパレード、まるで薄っぺらなその羅列。
そして、なんとはなしに心が踊るのに、所詮は作り物だと、まがい物だと、そう思ってしまう自分が、ものを作るのはとても辛いこと。
声が出ない時。 ああ、だめだなと思う。 声が出せない時、 今日は駄目かもなと思う。
諦めてしまうのは案外簡単で。 妥協で生きていくのは活かされていると感じる。
いつしか諦めることに慣れ過ぎてしまった自分が、すました大人の仮面をつけて、無理矢理閉じ込めて忘れさろうとしているその激情を。 鍵をかけて、そしてそれから…?
父は嫌い。
いつも人の顔色をうかがって、「自分」という個が無いから。 だから父は嫌い。 自分がどうであるかより、人が自分をどう評価するかに念頭が置かれているのだから。 もう働きたくないのだと思う。 きっと、楽をして生きたいのだと思う。
だから私が嫌いなんだろうと思う。
I HATE YOU, I LOVE YOU,WHICH IS TRUTH?
外国語をならべてみて、間違えていてもいいかと思うのは、本当は英語なんか出来なくてもいいやとか思ってるから。
冷静に、人のことはわかるのに、自分のことがわからない。 なすべきことはもう決まっていて、それが季節が変わろうともこの身体が一つまた歳をとったとしても、変わらずに、きっとあるものなのに。
好きだけれど、大嫌いだ。
いつも人を愛し続けることはできるんだろうか?お決まりな恋愛小説みたいに、家族を愛し続けることができるんだろうか?たとえば、連続ドラマのように。毎日、愛することができるんだろうか?
そんな、バカなことを思う。
またつまらないことに文字を費やして、仕方ないなと思う。
こんなことは、口に出したくないし出す自分も嫌いだから。
どうすればいいのかなんて、はじめから決まっていて。 どうしたらいいのかなんて、子供じみた質問で。 どうにもかたくなに拒むのもやっぱり大人気ないな、なんて思う。
一日中、日のあたる場所で眠れたなら、どれだけ幸せだろう。 それでも私が選ぶのは、闇に隠れた月の光りさえ届かないこの場所。
自殺願望なんかないけれど、時々自分を殺したくなる。 友人もそうだと言ったけれど。 そうじゃなくて。 なんか、どうでもよくなる。 自分のこと、大切な人のこと、大切なモノのこと、作品のこと。
そういうのがすっぽり、まるで記憶喪失になったみたいに、消えてしまう。
ああ、鬱ってやつ?
単なる現実逃避だと言われればそれだけで。 おそらく、生きて行く上ではちっぽけなことなんだろう。
それでは何故人が綴るかというと、命を綴るのだと、そう思ったり。
これだけネットが普及して、誰でも簡単にこうして想いを綴る。この電子の箱の中に。 何故描くのかと聞かれれば、それは、
「それを探すのがあなたの役目でしょう?」(BYコナン)
…そんな芸術家兼怪盗の台詞が頭を掠める。
探偵よりも怪盗に惹かれてしまうのは、そのアンダーグラウンドの闇により近しいところに自分がいるのか、それとも、絶対に近付けないものだから焦がれるのか、私には判断つかないのだけど。
叫びたい、唱いたい、声を出して、描きたい、弾きたい。
わめいて、床を転がって、泣叫んで、それでもどうしようもないとわかったら、少しはこの胸の中の何かを落すことはできるんだろうか?
駄目だ。
駄目な時は文もそのまま駄目。 わかってはいるんだけど…
あなたのその冷たい皮をはいで、肉にくちづけをしたら、わかるでしょうか。この胸が抱える闇にどうぞ気付かないでください。
私の醜さをどうぞ気付かないでください。
闇は抱擁。 輝ける月のように、あなたはいつも遠く見下ろしている。 真白い光が逃げ場を無くす。 闇は抱擁。 このどろどろした中に溶けていたいと想うのは罪ですか。 あなたの元にこの醜い私を曝せないから、どうか隠していてください。 闇は抱擁、この私の醜さを。 どうか深く閉じ込めて欲しいのです。
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