航海日誌

2002年09月10日(火) むしの声

音の無い夜も良いもんだ。

数日、MDのやかましさに辟易してクーラーを切ると、鈴虫の声が聞こえる。

車は車校以来、はじめて高速に乗る。今回は富士川から遠州豊田まで乗ってみる。下り坂は嫌いだから、ここまで。

ビーズって不思議だ。夕日にも朝日にも合う曲だ。何度目かになるリピートもまったく飽きなくて、走ってる間は最新アルバムのGreenをかけていた。

娑婆と言うけれど、伊豆というのは、本当に天上の世界じゃあないかと思う時がある。あちらに行った時は、まるで自分が浦島太郎になったみたいに感じる。
気候も良いので、身体も無理なくなじむ。ところが、帰ってくるとこの暑さと、空気の悪さに嫌気がする。それに車の騒音。

きっと、こんな風に身体によくない環境は、人をねじまげて行くのだな、なんて思ったりした。
本当に、しあわせな環境であれば、人というのは顔に出るものだし、何より人に優しく素直であると私は思う。

家はここ最近、夫婦の仲も良く無くて、元々、そういうものを背負っていたのだけど、普通の家庭だと思っていた。
けれど、母は変にイカレて突如として怒るし、その怒り方が尋常でないから、失笑だ。とち狂ったように、父にきつい。
父は父で、娘を娘とも思わないし、これはまあ相変わらずなんだけど、ここ数日の冷たさに思わず涙でふとんを濡らしてしまったわたくし。
いくら私が出来た人間でも(と言われたのさ。旅先では。)いくら因縁であるからとわかっていても、感情までそうそう割り切れるものではなく。まして、家庭のことであるからなおさらである。

でも、人間げんきんなもので、泣いて疲れて、眠ってしまったら、腹がへって、ご飯をたべたら少しすっきりした。

なんでもないことのように思うことを、いつも見て見ぬふりをして自分を騙して生活しているのが現在であると思う。

今日は一日頭が痛くて、作品を作りたいのに、作れないジレンマ(と言えるだけマシかな。)の中で、伊豆の人たちを思い出した。

今の人は、すぐに結果が出ないと満足しない。社会がそのスタンスだから仕方ないと言えばそう。でも、私はいつも10年先に笑ってやろうと思っている。明日にも結果が出なければ満足しないのは、随分と余裕の無い生き方ではないだろうか。

姪が、家から出ないらしい。ひきこもりっ子に直接あうとは思わなかったけれども。姪の一人は低血圧で、一人は勉強ができる。後者はだからこそ学校へは行っていない。田舎の学校であるから、今どき、部活動がバレーとテニスの二つしかなくて、そのどちらかに絶対入らなければならないという、都会(一応こちらは)では笑ってしまいそうなものだが、人数が少ないだけに「いじめ」もより深刻な村単位のものになり、学童を導くはずの教師の質も悪い。
姪が学校へ行かないのは、家庭の問題であると思うが、誘拐が死刑にならないのであれば、私は姪をさらってきたいものだといつも思う。

まあ、人のことなどどうでもいいのだけれど。さらに、人のことをとやかく言うこともないのだけれど。

今日は平日だから、外を歩いていると、主婦のぶしつけな視線が突き刺さる。新学期なので、お天道様の明るい時間からうら若いものが歩いているのが不自然に写ったのだろう。
自分を蔑む趣味はないけれど、娑婆は否応なく自分の身分を思い知らせてくれる。

波の音も、風の声も、三日月の光りさえ消されてしまうような都会は、とても怖いところだ。
どんなにたらふく食べても、どんなに豪華なモノに囲まれても、私を満たしてくれるものは存在しない。
この虚しさはどうだ。

今はやかましい音も、動き回る絵もいらない。
何もいらない。
静かに、時を待つ。
静かに、空気に溶ける。

だからどうか、私を起こさないで欲しい。
腐ったモノにうつつを抜かす、愚かな私を。




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