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2004年11月27日(土) 海峡を渡るバイオリン

正直、見ていて疲れた。


8時に始まった3時間のこのドラマ、少年時代だけで40分。どう考えても長いと思う。
もちろんこれは「剛をもっと映せ」という意味でなく。
ドラマを見終わったあと、シナリオを読んでみた。
すると不思議なことにシナリオで読む分には蛇足な部分はないように感じた。
あれ?おかしいな。 再度読む。
少年時代のカットしてある部分にすら「なぜカット?」と思うシーンが含まれている。
なのになぜ、映像にするとダラダラした印象を受けてしまったのか。
考えてみた。
監督はこの作品の焦点を絞れていなかったんじゃないだろうか。

1)故郷・母への想い。
2)バイオリンへの情熱。
3)ひとつの夢に向かっていく夫婦愛。

1を際立たせる(ラストシーンへの加速も含)には少年時代を丁寧に描く必要がある。
しかし現実を元にした少年時代の描写は、主人公の認知度に左右されるものではないのか。
幼き日からバイオリンに魅せられ、バイオリン一筋に過ごしてきたのならわかる。
しかし今回の少年時代では母親との別れのシーンを描きたいがためのものじゃなかっただろうか。
更に付け加えるならば、これだけグダグダと少年時代を流しながら
後半で母を「気丈な人」と言わしめるだけのエピソードがないようにも思えた。

2を際立たせようとすると 少年時代のそれはただの思い出のひとつにすぎない。
(少年〜青年期には教師という目標があり、バイオリンはただの思い出だったはず)
そして、ストラディバリウスに触れてからの豹変が唐突で、ただの身勝手に思えた。
子供用のバイオリンを作って生活していた過程(家族としてバランスがとれていた時代)が
南伊子の台詞のみで表現されているからなおさらだと思う。
二人でゼロからやり直そうと決め、故郷の紅葉からの先。そこが私が見たかったものかもしれない。
後半「日本で生まれ育った君には」と言うほどのことが伝わってこないのも、南伊子に会うまでが端折られていたからだろう。

3の夫婦愛に関しては南伊子の視点からのみ表現されていたように思う。
そしてこれは昌鉉の意識をバイオリンに集中させるためであり、後半の後悔につながっているのだが、
それにしては2であるバイオリンに対する情熱が独りよがりで、努力というより幼い狂気に見えた。
乱暴な言い方かもしれないけれど、不言実行で勤勉な努力家が日本人の美徳とするならば、
このあたりで 共感という意識は薄れてしまうように思った。
台風がすぎてからのシーンも、なぜあの詞を読み上げる重要なシーンがカットになったのか、
私にはどうしてもわからない。


泣き叫びぶことは感情を爆発する表現のひとつだけど、
ナントカの一つ覚えみたいな演技は 飽きたのです。

・・・私は剛が声高に早口でまくしたてる演技は好きにはなれない。
それはただのテンションの爆発であるから。
もしそれを存在させるのであれば、淡々とした平凡さを対極にキチンと描かなければならないと思う。
(「僕の生きる道」ではそれが表現されていたはず。)


4ヶ月という撮影期間。役者もスタッフもどこかで麻痺してしまう部分があるんじゃないだろうか。


もちろん 輝いているシーンもたくさんあった。

昌鉉が教師になれないと知り「国にも戻れないし」とつぶやくシーン。
弟子入りを断られて途方に暮れながら木に刃をあてるシーン。
どちらかというと昌鉉の自分自身に向けての台詞なのに、すごい孤独と行き詰まりが伝わってきた。

南伊子を見て恋をするシーン。
昌鉉の目から恋する気持ちがあふれてくる。そして南伊子の清貧な美しさも輝いていた。

丸山医師から初めて作ったバイオリンを酷評されて急いで帰るシーン。
まるで子供のようなワクワクしている横顔。バイオリンへの想いがすごく伝わってくる。

雨に濡れた娘をほったらかしにしながら タオルの染料に夢中になるシーン。
南伊子に無邪気に話しかける昌鉉には悪意のかけらもない。
でもそれは純粋なだけに残酷で、南伊子を傷つけてしまう。

激しいケンカあと、夫婦の冷たい空気を解いたのが
ほかの何でもないバイオリンであったことに 笑う二人。
・・・ほんと、ヘンな夫婦だ。・・・でも、大切なことだと思った。


あぁ、完全版が見たいな。
カットされたすべてのシーンを見てみたいな。
心底そう思ったドラマでした。
(それってドラマとしてどうなんだろう。)


*****


スマステ。剛がでると聞いてあわててチャンネルを合わせる。
“泣ける俳優”? “泣かせる俳優”???

泣いてんのは剛だよ、なんて おもしろくもない言葉が浮かんでくる。

剛はただ“必死な男”を演じてきたんじゃないか。
自分の色を消すことで、平凡な登場人物に光を与えられる俳優だと私は思う。
涙も感動も、そして笑いも、それは観る側の勝手な感情であって それは俳優には関係ない。
視聴者が泣くのは作品であり登場人物であり、自分自身に泣いている。ついでに言うなら音楽に泣かせられている。

剛が、チョナンが、どんどん訳のわからない方向へ流されていってしまう。
ヤツはヤツで 正直なんだかニュートラルなんだかわからない対応をしてるし。

剛のドラマ・ディスコグラフィを見られたのはもうけもんだけど・・・
だけど。
それを慎吾の(そしてタカハタシの)番組でするってのは悪趣味だろう。
つーか、こっぱずかしかった。うわぁ。

慎吾に丁寧語を使ってしまう剛と、
天然炸裂「内緒ですよ」なエマニュエル吾郎さんに癒されたスマステでした。



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