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2004年01月06日(火) 僕と彼女と彼女の生きる道<1>

「うわ、お父さんだ。剛が。」パジャマ姿の剛を見てもやっぱり違和感がある。

最初はやっぱり“父”というカタチに見えなくて“剛のドラマ”として見てしまうのよね。
なんとかして頭の中をドラマモードに変換しなきゃ。ウィーン。

前作と同じく“青”な画面なのに、前回は澄んで見えたモノがすごく冷たく感じるなぁ、
と思ったら、剛の目が違うことに気がついた。
常にイライラしてて、時間に追われて。言葉にも感情がついていってない感じ。
娘のクラスや担任や好きなパンを知らない父親なんてざらにいるのに、
徹朗が“父親”に見えない理由は、家族への関心の希薄さにあると思う。
銀行員の父親に専業主婦の母親、かわいい娘。
見た目は理想の家族なのに、[家族]という枠の中の[父][母][娘]でしかなかった。
最初に凛がトイレからでてきたときの、まるで見たこともない生き物を見る目。
凛が泣いている理由がわからないのはもちろん、なぐさめることも思いつかない父親、か。。。
でも徹朗はまだその罪に気づいていないんだよね。生活というものを形あるものだけでしか見ていないから。
最新式の家電やインテリア雑誌のようなピカピカのキッチンやリビング、
丁寧に飾られた子供部屋を見ていると哀しくなってきた。
可奈子はそこで何を考えて暮らしていたんだろう。

東ミッキーはそんな徹郎に微妙に気づいてるね。これからどうやって絡んでくるのかな。
徹郎の父親と可奈子の母親ってのもいい。
もしこれで徹郎の母親がいたら話が渡鬼になっちゃうもんね(^^;
義理の父母というよりも前に 以前家族だった人、というスタンスなのかしら。
それともそこにもトラウマがあるのかしら。

「凛を愛していない」

・・・言いきっちゃったよ。

愛してもらえない子供に視点を置いたドラマは数々あったけど
子供を愛せない、愛し方がわからない、ってとこから始まるドラマってなかったように思う。
あったとしても、大体は憎しみや隠された愛情・歪んだ愛情がテーマ。でもこのドラマは“戸惑い”だよね。
たとえば、徹朗が凛と向かい合おうとする。でも凛は?可奈子は? 忘れてた(←ヒドイ)、ゆらは?

前作はある意味ストレートの直球勝負。
今回は、見た人それぞれで着地する場所が違うドラマになるような気がする。


はぁぁ。火曜日にコレを見ると、次の日が辛いなぁ。。。
とりあえず、ぷっすまは録画して別の日に見よう。気持ちが切り替わらないや。

エンディングの曲、テロップはでなかったけど吾郎のソロ?だよね。
来週は違うメンバーが歌うのかな。謎だわ



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