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2002年07月14日(日) +++お弁当の思い出+++![]() 私が 小4の時 母が結核で入院した。 私は 病名を聞かされていなかったが 国語の授業で ヒマラヤに住む少女が 結核で 生死をさまよう話しを勉強し その時 担任が「○○のお母さんは 結核でも死なへんから」と 言った・・・。 初めて 聞く母の病名・・・。 その後「おまえのおかん 結核で死ぬねんで」と お決まりのパターンで 軽口を叩かれたが そんな事は どうでも良かった。 「ママは 死んでしまうんやろか・・・」その事ばかり ずっとずっと 考えていた・・・。 当時 父は単身赴任で うちは おばーちゃんと私と妹の3人で 週末以外は過ごしていた。 ある日 遠足があった。 たまたま 父が赴任先から帰ってきていて お弁当は 父が作ってくれた。 おばーちゃんは 70を過ぎていたので 日々のおかずは 和食が中心で 妹が「ハンバーグを食べたい」とか 言うと 見よう見真似で 私が 奮闘する日が続いていた。 週末父が作ってくれる洋食が どれだけ楽しみだったかしれない。 だから お弁当を父が作ってくれるのは 内心ちょっと嬉しかった。 お昼になり お弁当を空けて 思わず泣きそうになった。 そこには 父のおつまみの「たにしの佃煮」と平べったい「卵焼き」 それと赤くない「ウインナー」ろおにぎりが入っていた。 誰にも 見つからないように 大慌てでおかずを食べた。 お友達は 色とりどりのおかずが入っていて うらやましいと思うよりも 母がいない事の 寂しさが ぐぐ〜〜っと 沸いてきて「ママは死なへん」と何度も思った。 父は きっと晩酌のおつまみを 横からつまみ食いする私が 「たにしの佃煮」を喜ぶと思って 入れてくれたに違いない。 でも その時は そんな風には思えなくって 恥かしい気持ちと 寂しさが入り混じって 帰宅してから「お弁当おいしかったよ」とは 言えなかった。 毎日 ひなのお弁当を作る時 ひながフタを空けて 「あっ・・・」と思うのでなく「わぁ〜」と思って欲しいと思う。 いつも 楽しいお弁当が食べられますように・・・。 |