| 2008年01月02日(水) |
イルミネーションブーム |
近所の、以前岐阜大学があった跡地にできた公園で、 7年前からイルミネーションのイヴェントが行われるようになった。 買い物の帰りなどに車から公園を眺めると、とても心誘われる。 来場者も案外多いようで、駐車場入り口から車が列をなすこともしばしば。 先日など、暗くなってからその近所のスーパーに行ったら、 ほとんど満車状態で、ちょうど出る車があったので入れ替わりに停めたが、 店内がごった返しているのでなくて、スーパーから公園までが人の行列、 要するに、公園の駐車場に入れない人たちがそこに停めてるらしかった。
わざわざ遠出してまで、しかも混雑を心配しながら見ようというほどの 情熱はないのだが、外からあの光の競演を眺めると心がそそられる。 もちろん、138タワーのイルミネーションなど、 心そそられるままに、駐車場に入って、鑑賞して帰ったことも何度かある。 しかし、いくら心そそられても、時間の都合とか、天候・寒さへの配慮が たいていは優先されて、めったに見に行くことはない。 この長良公園のイルミネーションは、何年か前に1度、 宴会の帰りにバスで帰り、停留所をひとつやり過ごして公園前で降り、 見て回ってから帰ったことがある。 その時に比べると、ほとんど公園全体に光の作品が広がっているようなので 何日も前から、今回は絶対行こうと思っていたのだった。
で、今夜それを決行した。 近所なんだからいつでも気楽に散歩すればいいじゃん、と言われそうだが、 なかなかそうはいかないものなのである。 いつでも行ける、は、結局なかなか行けないで終わるものなのだ。 今夜行くぞ、を実行するのは、なかなか勇気のいることなのである。 で、珍しく決心して出かけたのである。 幸い、空気は冷たいが風がないので、そんなに寒くはない。
しかし、外側から見ていたときに感じたような派手さは、 中に入ってみるとそれほどのものではなかった。 以前に比べ広範囲の展示になっているのは、参加団体が増えたためらしい。 どれも、電球の配列が粗いのと、色彩感が中途半端なのが残念だ。 恒例の大樹を利用したメイン広場のは確かにいいものだが、 全体的にはお子さま向けという感じがした。 こういうイヴェントはやはり、統一的感覚をもった監督の下で、 意図的に構成される方が美しい空間を作れるだろう。
それにしても、地球温暖化の防止が世界的に叫ばれる中で、 こんなイヴェントが栄えていいのだろうか、、、と一方では不安である。 普段は水銀灯のようなものが少なからぬ本数点灯していて、 こういうイヴェントの時はそれを消しているから、 公園などではかえって省エネなのかもしれない。 しかし、繁華街の場合はどうなのだろう?
イルミネーションは、公園や繁華街で盛んだが、それだけではなくなった。 私のもっとも好きなイルミネーションスポットは、 通勤の帰路から非常に静かなところに逸れて入った住宅地である。 車の通りも少ない雑然とした住宅地に、幻想的な区域がある。 数件の家が、家の前のちいさな庭にイルミネーションを競い合っている。 道の反対側は、かなり長い墓地である。 普通だったら、歩いていると心細いくらいに淋しい通りである。 その暗い通りを進むと、わっと思うような幻想的な光の世界に出会うのだ。 電球の密度も濃いし、年々工夫を凝らしているようだし、 さらに驚くことには、参加する家が増えているようだ。
そうだ、、、今夜もの足りなく感じたのは、この幻想的な雰囲気だ。
私も、この閑静な密集的住宅地の暗く寂しい空間の中に、 この幻想的な光の空間を作ってみたいな、という誘惑にしばしば駆られる。 そんなことを始めようものなら、1階に住む爺さんが激怒するだろうし、 町内で浮いた存在になってしまうだろう。 しかし、私が即座にためらう理由は、もっと単純な理由である。 消費電力のこともあるけれど、1番の理由は、 さぞかし片づけが大変だろうという、それだけの理由である。
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