TENSEI塵語

2007年10月20日(土) 恐るべき世間体

校長に促されて「朝読」実現へのとりまとめをしているのだが、
全国的にはそうではないのだろうけれど、少なくともこの界隈では、
妙な観念がまかり通っているらしいことがわかってきてびっくり!である。
何と、「朝読」を採り入れると、底辺校の烙印を捺されるそうなのである。
その理由は、この界隈で「朝読」に踏み切った学校は底辺校だけなので、
世間はその仲間入りをしたと見る、ということなのだそうだ。
だから「朝読」導入などもってのほか、という教員が多いようだ。

私にはまったくそんな観点はなかった。
現代の生活環境の中で生活している小・中・高生には、
「朝読」のような、毎日一定時間読書する時間を学校で与える必要がある、
進学校・底辺校に限らず、その必要がある、と考えるだけである。

教育行政は、「総合学習」などというややこしいものを導入するよりも
まず「朝読」を教育課程に導入すべきだったし、
教育再生委員会とやらも、「朝読」を提唱すべきだった。
そうして、小・中・高一貫して読書を日常の営みに組み入れるべきだった。
しかし彼らは短絡的な見方しかできないので、
「総合学習」だの「道徳」だのと、科目的な発想しかできなかった。
その一方で、読書の重要さを訴え、数年前に「子ども読書の日」などという
年に1日の特別な日を制定したりもしたのだが、
そんな1日の制定がいったい何になるのだろうか?

私の高校時代を振り返ると、「朝読」はそう必要でなかったはずだ。
時間はたっぷりあった。
音楽を聞くか、ギターを弾くか、読書するか、
それくらいしかすることがなかった。
勉強、勉強とそううるさくは言われなかったし、
今のように、ゲームだのパソコンだのケータイだのゲーセン、カラオケ、、
そういう遊び道具には恵まれてなかったし、遊ぶお金もなかった。
あのころ、音楽や読書を集中して楽しむことができたのは実によかった。
今の子たちは、いろいろと恵まれ過ぎていて、かえってかわいそうだ。
TV番組だって、昔に比べるとおもしろい番組が多いし、
いったん見始めたら、予告PRについ釣られて予定外に見てしまったり。。
漫画の本だって氾濫しているし、ビデオやさらにはDVDの普及で、
映像作品にも自在に親しめるようになってしまったし。。。
小中学生などは遊びだけでなく、塾、習い事、スポーツクラブ。。。

多くの子どもたちは思っている、、、
勉強どころじゃないし、ましてや、読書どころじゃない。

で、「朝読」というのは、1日10分だけでも本を読ませたい、という
そんな消極的な理念で行うものではない。
「読書どころではない」ような、物の氾濫した恵まれた環境の中に、
選択肢として読書も割り込ませようという試みなのだ。
帰宅してからはぜんぜん勉強しない生徒は多い。
それについてのささやかな対策案も私は持っているが、
(そういうことについて議論できる場もぜんぜん作れない)
勉強しない怠惰な生活の中に、読書の選択肢も食い込ませようという、
これまたささやかで地道な効果を狙った試みなのだ。

そういう点も含めて、基本的なところから議論したいと思っているのに、
まったく無関係な懸念によって、最初から拒絶する人が多数のようなので
驚いてしまったわけだ。

教員になってから、生徒の読書不足を嘆く声をいくつも聞かされた。
国語の教員にとってこれはとても微妙で辛い問題だった。
やっとひとつの打開策として「朝読」にたどり着いた。
前任校ではこれは案外支持されて、今も私が計画した通りに実施されている。
しかし、支持された理由は、真っ向勝負の「朝読」の意義ではなくて、
その副次的要素によるものだった。
今回は、副次的要素にもならない理由で、議論にさえならないようだ。

私には、教育というものを考える際に、
彼らが何を足場に考えているのか、どうもよくわからない。



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