雑記帳
日々の感慨、経験、その他をつらつらと

2001年08月08日(水) 万年筆

誕生日にと、万年筆を買ってもらいまして、昨日届きました。
店員さんが、ペン先を洗うときに間違って吹っ飛ばしたので取り寄せてもらったという愉快な事態もあったり。(インクを変えるときはペン先をちゃんと洗わなくちゃならなくて、洗った後の水を、水銀体温計を振るみたいにして出していたら、見事にすっぱーん、と・・・)
白状するのもなんですが、ペン先よりデザイン重視です。
きっと愛用します。

まずは、文芸同好会の会誌を落とさないようにせねば・・・・・・。
最初で最後になるんでしょうから・・・。(ごめんなさい。)

塾で、「医系小論文」なる講座を取っているのですが。
いやはや。なかなか出題がしんどい。あたりまえか。
「動物実験の是非」「人の死の(法律上の)定義について」「ガン告知について」「生殖医療の倫理的(?)問題」「遺伝子技術の問題」そして「科学論」そのものとか。
あーぁ。普段全然この類のこと考えてなかったのがもろばれです。
こういう問題を突きつけられると、少なくとも新聞レベルの知識は要るから、新聞読むのも必要だなぁ・・・とか思ったり。でもやっぱりそれだけじゃ足りないし。
それに、自分で考えなきゃならないし、(まぁそれは当たり前だしいいんだけど、)論理的記述能力が試されるし。ふー。

「科学論」の問題で、立花隆と利根川進(1987年ノーベル生理学医学賞受賞のMIT教授)の対談が出てるんですが、もう大変で。
「生命現象(哲学、文学などの精神現象も含む)における物質的基盤の有無」とやらを論じてるのですが。
なんというか、利根川氏の話し方が文系の人間に喧嘩を売ってるとしか思えない。
生命現象は全て物質レベルで説明がつけられるとか、現代の生物学の成果が哲学に大きな影響を与えたとか、個々の人間の性格や知能、それを基盤にした行動の大枠はその人の遺伝子群でかなり決まってくるとか、よく読めば言ってることはそう変なことではないんだけど・・・。
例が乱暴、表現が喧嘩腰。
それでもって、問題文の対談が、二人の主張がまるっきり平行線のままで終わっててなお気持ち悪い。気になるなら自分で本買えばいいんだけどさ。そもそも対談の本てなんかずるいような気がして嫌。どうせなら、出た意見やら思想やらをまとめてから本にして・・・。
さておいて。
その乱暴な例、たとえば「精神現象を幻とか神秘とか言って自然科学の方法論で研究しないのは非科学的でナンセンス。非科学的な説明に納得するというのは、賢い人の脳味噌を分け合って食べれば頭の良さが分け与えられるって説明に納得するようなものですよ」ってのに、私は上手く反論できなかったりするのだなぁ。
とりあえず思いつくのは、「非自然科学的ってのと非科学的ってのは必ずしも一致しない」くらいだけど・・・。社会科学も科学だろうから。
そして、「論理的」と「科学的」はどのくらいどう違うのかしら?
哲学やちゃんとした(?)思想は、十分に論理的だと思うのだけど。
社会科学や哲学によって精神現象を研究するのは非科学的でナンセンスなのか?

・・・そんなこと言っても、所詮揚げ足取りかも知れない・・・。
でもあんまりひどいよねぇ。

なんにせよ・・・。
精神現象について、自然科学的な研究が進んでいけば、いずれ社会科学との差がほとんどなくなるような気がします。
例えば、「すぐれた詩が人間を感動させるとき、脳でそれに対応する物質現象が起きている。それが解明されれば、どういう詩、ストーリーがなぜより人を感動させるのかといったようなこともわかってくる。」のだそうです。それはそうでしょう。
でもそんなこと、どんな詩がなぜ人を感動させるかなんて、脳波を測定したりしなくても、多少の洞察力、思考力があれば分かることなんじゃないかしら。もちろん、個人が洞察やら思考やらしたところで、偏見とか思いこみによる間違いはあるだろうけど・・・。
それにしたって、自然科学的実験において、個体差によって結果が違ってくることとどこが違う?特に、文学作品の見方についてなんて個体差が大きすぎるような・・・。


なんか鼻息荒くなっちゃったかな・・・。
穴だらけかもしれないし・・・。


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