果たしてこれは形容矛盾でしょうか・・・? ちょっと切実。 たとえあり得る表現だとしても、なかなかにうさんくさいのは確かだけどね。
形容矛盾といえば、「革命の血統」ってのは相当に矛盾だと思うんだけど、 某息子氏についてあっさりと使われておりました。ニュースステーションで。皮肉だったのかなぁ。
昨日庄子薫の「僕の大好きな青髭」が出版元で品切れ(=古本屋で探してください)だってことを知って微妙なショックだったんだけども。 いやぁ、売れてないんだなぁ、と思って。でも、他の赤頭巾ちゃんや白鳥の歌はちゃんと置いてあるのにねぇ。 まぁさておいて。代わりに、「バクの飼い主をめざして」っていう随筆を買ったわけなんです。それを読んでて・・・。なんだかな。 価値基準の相対化とか情報の洪水化とかはもう、ずっと前から(それこそ一世代も前から)言われてるわけで。今更なにをか言わん。 で、多分その中で溺れないように、ほとんどの人は「フィーリング」に頼ってやってるわけで。私もそうだし。 でも一方で、私は、分析とか理性とかともかくそのへんの考えることを、(フィーリングも考えることの中に入るのかも知れないけどさ・・・)結構信じてる。 あぁ、やっぱり上手く言えないわ。 新左翼みたいな(最近70年安保あたりを調べる必要があって、「理論史」みたいな本を借りてみたわけなんです、)なんだか別の世界に行ってしまったような理論はもちろんご免だし、 ニーチェの本の中の人も「神(≒理性)は死んだ!」って叫んでるわけだけど、(これをつなげるのは間違ってるかな?まだかなりちぐはぐなんです。) でも理性(庄子氏が言う知性?)は死ぬわけはないよ・・・。
あーぁ、ぐちゃぐちゃ。
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