ずんだいありー
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2003年01月01日(水) あけおめ

ことよろ
ことかれ
ぜっみつ
まらけつ
たねつけ

年末年始でテレビもいろいろな番組がラインアップ。
これまでで一番面白かったのは羽賀研二が生まれて
初めて実父に会うという12/30(月)「暴露なくして
芸能界なし!ワイドショーの主役6」。

羽賀研二ってさぁ、ハーフで極貧だったっていうことは
知っていたんだよね。でも、そういう話って芸能界の
人にはありがちじゃない?一攫千金的に裸一貫で芸能界
に入ってきたという。そういうレトリックの中で在日
韓国人が芸能界に多いんだという嘘かまことかも正当化
されてきたと思うんだけど。

でも、羽賀研二の家って本当に貧しかったみたいなんだよね。
小学生の時の担任の先生も彼の家が自転車置き場みたいな
トタン屋根のところだったって形容しているし、羽賀自身も
昔のその家が27箇所も雨漏りがある家だったということを
忘れられずにいたということを思うと本当なんだと思う。
偏見だけれども30-40年前の沖縄の貧しさはきっと東京や
埼玉のそれよりももっと貧しくて、そして貧富の差もかなり
激しかったんだと思うんだよね。その沖縄で「貧しい」って
いうのはちょっとどころじゃぁないと思うの。

羽賀研二はその貧しさをいつも父親のせいでもあるんだって
思ってた。米兵だった父親は彼が生まれる前日に蒸発していた
んだけど、羽賀研二はそれをずっと許せないでいたんだと思う。
「親父は何で300ドルだけでもいいから送ってくれないんだ」
「そしたら俺もお袋も家賃を3-4ヶ月も滞納することは無かった」
っていうアメリカにいるだろう父親を憎む思いは40になっても
変わらないことを吐露していて、でもその一方でやっぱり父親に
逢いたいって思うんだよね。

で、羽賀研二は会いに行くのよ、アメリカに。
で、生まれて初めて父親に会うのよね。
そしたらさぁ、羽賀研二もう、ぐちゃぐちゃに泣いちゃって
泣いちゃってそしてとても嬉しそうに父親と話をするのよ。
今までのことなんてまるで忘れたかのように、父親を受け入れて。

あたしゃぁ、ぼろぼろと泣いてしまっただよ。
もし、アタシが羽賀研二の立場だったらどんなことがあっても
父親を受け入れることなんてできない。心から憎んでどんなに
逢いたいと思っても憎しみが先立ってしまうと思う。
40年も連絡も無いまま、突然連絡がきて「会いたい」って
言われても憎しみだけが募ってしまって、それからそれまで
経験してきた苦しみだけが心の拠りどころとなってしまうのでは
ないかと。

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父親が何をトチ狂ったか「退職後は小笠原諸島に別荘を購入したい」
と雄たけびこいたようで年末に実家に戻ったら父親がいなかった。
この休みに小笠原に行っているんだって。

小笠原って船しかなくて東京の竹芝桟橋から一昼夜船に乗りっぱなしで
じゃないといけないんだよ。しかも船は3日に1ぺんしかないんだよ。
そこに住みたいって言っているのは現実を無視した「男のロマン」で
しかないのを知っていてそしてそれに父親が酔っているのを私と母親は
もう、とうに知っているのに、やっぱり行ったのね、小笠原。

なんでも、船賃が往復で約10万円もして(一等船室・相部屋)しかも
船が片肺運航となってしまったので時間が一昼夜以上かかってしまった
とのこと。宿にたどり着けることも無くて福祉会館に泊まったことや
とにかくなにもかもがスケジュール通りにならないことを母親に電話
してきて伝えたそうだ。

母のスタンスは「黙って父親が小笠原をあきらめるまで待つ」という
ことでそれに習ってあっしも黙っていることにした。母親はこのあと、
ゆっくりと「買うんだったら沖縄にするのはどうかしら?飛行機も
たくさん出ているし、そこからさらに他の島に行くのも容易だと思うよ」
といって沖縄をそそのかすのだと。あっしも「もし、お父さんが沖縄に
別荘買うんだったら僕も出資する」と持っていくことで沖縄にするよう
持って行くつもりだ。っていうか本当に別荘ほしいのか再考するっていう
のが最初にしなくちゃいけないことだわね。
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しかし元日。
年賀状書いて
お参りして
ばあちゃん家行ったら
することなし。
マジなし。

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

またまた、色を南カリフォルニア大学っぽくしてみた。
エンジ色と山吹色の取り合わせって一番好きな色かも。


















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