ずんだいありー
□■□モクジ□■□|→→コレマデ|コレカラ←←
| 2001年06月17日(日) |
Boys Don't Cry |
前、飲み会であったこうきさんと吉祥寺でお茶をする。っていうか散歩も含めてぶらぶら。シナボンを久しぶりに食べ、お約束のようにユニクロへ行き、そこで短パンを購入。吉祥寺は渋谷までは行かないけど人とぶつかってしまうくらいの混雑。やっぱり荻窪くらいのすき方がいいのかな。
夜遅く、「Boys Don't Cry」を見た。アメリカで1993に実際に起こった事件。性同一性障害(英語ではSexual Identity Crisisって言ってたけど)のティーナ(性別は女性)がブランドンという男性として振る舞い、女性と恋に落ち、でも女性ということが周りにばれ、そしてその周りの男にレイプされ、殺されるというストーリー。
見た後からずっと気分が沈んでいる。約二時間の映画の中でとても嫌だったのは男であると思っていた彼女が法律違反から女性であることがばれてしまったとき。ブランドンは周りの男達に身体検査をされてペニスがないことを明らかにされ、そして最終的にレイプされるところだ。
この苦しみは、そしてこの屈辱は多分自分には味わうことがないものだと思う。自分が男の心を持ちながらにして女性の体をしているという事実と違和感は相当なもののはず。そしてそれを持ちながら女性を愛するってことは「レズビアン」のように、自己認識とある種の自己肯定を持ちながら生きている人がすることとは根本的に異なると思う。男の心を持ち、女の体を憎み、女性を愛するということと、男の心を持ち、女の体を肯定し、女性を愛するということには、性愛に体が関係する以上(しないケースもあるかもしれないけど)、致命的な違いになるとおもう。
前、仙台にいたときにとてもとても尊敬するあべしっていう女性に「この時代に生まれてきて本当に幸せだと思う」って言って驚かれたことがある。彼女はこの時代をある種、とても嘆いているというか、すべてを含めて幸せとは言い切れないと思っていたみたいだから、その発言に驚いていた。
でも、ゲイでもホモでなんでもいいけど、とりあえず、男の体をもって、心がそれを肯定し、そして男性を愛するわたしに幸せと思えるだけの衣食住環境を提供し、セックスを享受し、社会がなぁなぁの部分も含めて自分に対して脅迫・強要するものが少ないっていうことは幸せと言えるじゃぁないか。少ないっていうのは、まだ自分にも社会にとってもまだカムアウトを簡単にできる社会ではないっちゅ〜ことを含めての「少ない」だけどこれだけの独立を自分の周りで構築することが可能な「今」をとても幸せだと思う。あべしには「だから、幸せ」といったんだけどな。彼女はとても進歩的だし、理解もあるから逆に賛同してくれると思っていたので反対に僕自身が驚いたものだ。
でも考えてみたら、時代っていうのもあるけど、もっと大事なのは場所、生活する場所なんじゃないかって。この映画を見て一番悲しいのは同じ時代性を、異なる国で経験しながら、「普通じゃない」ということで殺される人と新宿二丁目で「やぁ〜だぁ〜、ババァ。」とかいってる人がいるっていうこと。結局は時代じゃなくて場所なんじゃないかしら。プリシラ見ても同じこと思ったけど。あ〜、でも性同一性障害の人とゲイって一緒のレベルであんまり考えるべきじゃないかもしれないから、一概にそうとはいえないかもしれないなぁ。性同一性障害の人は東京で暮らしていても多分、ゲイの何十倍も辛い人もいるかもしれない。
渋谷や吉祥寺は男二人で歩き、喫茶店のようなところで甘いものをつまんでいても誰も何も言わない場所だ。Or、言われても気にしないでいられる場所だ。それくらい他人に干渉しない場所だ。2001年の東京は隣に誰が住んでいるか気にしなくて、だから殺人が起こっても何も分からないし、ケツマンコがばがばになるまで掘られても気づかれない。それはある人々にとっては「人間味がなく」」「無情で」「無機質で」「自己中心的な」のかもしれないけど自分にはその全てが気持ちいいんだと思う。
ホントはもうちょっと「人情」があってもいいかなぁって思うけど。
バイ・ザ・ウェイ。
最近気になったこと。
・共産党の志位書記長はかなりブス。あの髪の毛を伸ばしたらああいう女の人もいるからかなり両性的にユニバーサルに不細工に入ると思う。
・昨日の日テレの番組でやってた覆面マジシャン。彼はあらゆるマジックのトリックをばらしてしまうが故、世界中のマジシャンから命を狙われているから覆面だって言ってるけどじゃぁ、マギー四郎もお命頂戴って思ってるのかしら。
・日本興亜損保のCMに出ている「西部警察」メンバー、渡哲也・神田正輝・舘ひろしともう一人の男は誰?
・もうすぐ、J-PHONEから待望の「SH-07」発売。Codyちゃん、早く換えましょ!
あぁ、週末終了。
|