なにぃチャンがゆく

2003年11月22日(土) むくわれない

自分にとってベストと感じた相手が
傍にいるようになると、どーして心に隔たりができるのか?
「依存」してしまうから?
いや、依存とは言わないのか。
お互いの『常識』は、『同じ常識』とは限らない。
片方によっては「それはどうかな?」と思う事も多々あるはず。
疑問に感じた点で、話し合いを持つべきなのだが
仮に其処で「それは常識として如何なものか?」と問うた時
素で「え?なんで?」と如何にも其れが
世の中の一般常識である、と言った風な返事をされると
「え?もしかして此方が間違っているのだろうか」と
錯覚してしまう。

いやいや、ここでひるんではならないと
更に追求してみるが、相手は
「そんな疑問を持つ貴女は、自分とは異種な人間だ」とたたみ掛けられる。
私が問うた事は、世間から見て、自分から見て
「貴方の発言、行動は『当たり前の姿』と比較して
それはあまりにも、心ある人間の其れとは違う」と
感じたから話し合いの起因としたものであって
「我が常識・ルールであるから、変化するに値しない」と
次の句も受け付けないというが如く。
譲り合いや、改善策について、論じることもできない。

不満を抱えたまま、相手を疎んじていれば
さも、譲歩してやったが如く
「我が持論が異であろう」とその場しのぎの謝罪の言葉を吐く。
頭を下げても、己の信ずる道は変わらない。

余計その態度が、発言が相手を不快にするということを
分からないのであろうか。
自身もまず、なぜ相手がそう言った発言をするのか
省みることはないのだろうか。
例題として二つあったとして、善と悪とする。
彼は「悪といった例題もあるじゃないか」と言う。
悪い見本を「是の例」として恥じる物は無いだろうか。

私が「善」または「良」と思いすることは
彼に取っては無用になるのだろう。
全く持って私の思いは報われないのであった。






・・・・って結局愚痴かよ。みたいな。




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