たりたの日記
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2017年10月09日(月) 二泊三日の教会音楽講習会へ

10月7日の午後から10月9日の午前まで、聖グレゴリオの家の第38回教会音楽講習会に参加した。
その前に思わぬ体調不良があったので、参加できるかどうか当日まで不安があったものの、途中で帰ることも、講習の最中に休みを取る事もなく、始めから終わりまで参加し、多くを学ぶ事ができた事に、まず心から感謝。きっと多くの方が祈りで支えてくださっているのだ。

今回のテーマは「みことばに近づくグレゴリオ聖歌」〜セミオロジー(古楽譜記譜法解読解釈)による表現を求めて〜 と、私的にはこの上なく魅力的なテーマだった。学ぶ楽譜は講習会の最終日に用いられるミサ曲。3日間の講義は以下の通り。

�.潺議名鑛犬硫鮴發伐里な�
��入祭唱・拝領唱
��寝る前の祈り 練習
�ぞ些�唱
�ゥ▲譽襯箴�
�ε砧藕峙�
��奉納唱/グレゴリオ聖歌の指揮の基本形
�┸欧訌阿竜Г�
��ミサの練習
��ミサのまとめ

この他に、2晩とも、修道院で日々行われている聖務日課の晩課(Vesperae)と寝る前の祈り(Completorium)に参加し、最終日は学んだ事を持ってラテン語によるミサの中で歌うというプログラムだった。

ひとつひとつの講義が、ラテン語の言葉のもつ意味やニュアンスをどう表現するのかという学びの時で、そのテーマの通り、いかにみことばに近づくかという学びだった。
<聖なる言葉なのであるから、そこに自我を入れない、自分の感情を入れない>ということは簡単なようでなかなか難しい。いかに自我を超えるかという訓練にもつながる。
また、<ミサは天の礼拝の一部を地上で行うこと>というお話にも深い示唆をいただく。ミサ、礼拝はこの世にありながら永遠の中に身を置くことなのだ。この地に在りながら、同時に魂のふるさとである場所に在り、命の源である神と、またすべての人々と一つになる、そのようなできごとなのだと改めて確認したことだった。そうではない礼拝に違和感を覚え、自分の求める礼拝はどんなものだろうと長い間探し、心に問うてきた、そんな過ぎ来し方もまた見えてくるのであった。

グレゴリオ聖歌によるミサは3年前よりしばしば出てきたが、晩課と寝る前の祈りは初めての体験だった。以前からこの祈りのグレゴリオ聖歌を聴きたい、歌いたいと思っていたことが叶えられた時でもあった。

寝る前の祈りの一部。Responsorium Brevehaは、グレゴリオ聖歌入門講座で教えていただいていたので、ちょうど胆管がんの手術を待つ1週間、そして手術後から退院まで、毎晩歌っては、慰められ、励まされてきて、すでに自分の一部になっている。今回学んだ前半の部分のTe lucis ante terminum も言葉、旋律ともに深く、美しく、これらの寝る前の祈りをぜひとも自分の祈りとして歌えるようになりたいと新しい希望と願いが沸き起こってきた。

日々の祈り、聖務日課は朝の祈りに始まり、寝る前の祈りに終わるが、そのひとつひとつがイエス・キリストの復活に始まり、十字架の死に終わると講座の中で聴いたことは印象深かった。眠りに入る時、イエスと死を共にするということ。ある意味日々、死に自分を明け渡すという意識。そして朝、再び与えられた命を感謝するということ。そのように祈りの中で一日一日を行きたいものだと思う。


これまで歌ってきた寝る前の祈りの一部、Responsorium Brevehaの意味はこういうもの。
さて、今夜もこの祈りの歌で一日を閉じるとしよう。

  父よ、あなたにゆだねます。
  父よ、わたしをゆだねます。
  わたしを救われた いつくしみ深い神。
  父よわたしをつだねます。
  栄光は父と子と聖霊に。
  父よ。あなたにゆだねます。
  父よ、わたしをゆだねます。


  起きている時も、眠っている時も、
  神よ、わたしを救い、守ってください。
  キリストのうちにいつも目ざめ、
  平和のうちにいこうことができるように。

  
  神よ、今こそあなたは
  おことばのとおり、
  しもべを安らかに行かせてくださる。
  あなたが万民の前に備えられた救い。
  諸国を照らす光
  あなたの民イスラエルの栄光。
  栄光は父と子と聖霊に。
  初めのように今もいつも
  世々に。アーメン。



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