たりたの日記
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昨日の夕方、盆の迎え火を焚いた。 弟の連れ合いと二人の甥っ子といっしょに。見よう見まねで、茄子に割り箸を刺してこしらえた馬も傍らに置いた。
去年のお盆の時、同じメンバーと母とで盆の送り火を焚いたのだった。これまで我が家にそんな習慣はなかったのに、どういう訳か、母が今年は迎え火と送り火をする言うので、私も付き合ったのだった。 クリスチャンである私は盆という行事そのものに馴染めなかった。野菜で作る動物も、死者の霊を迎え、また送るということも。それでも、その夏は私もその送り火を見つめていたのだった。いったい誰の霊を迎え、誰の霊を送ろうとするのかわからないままに。母が何を考えているのか分かるような気がした。
「去年はお祖母ちゃんといっしょに送り火を焚いたね」と私がぽつりと言うと、「覚えてる・・・」と甥っ子たち。その後に言葉が続かない。みな黙ったまま、松明が燃え尽き、辺りが暗くなるまで、蚊に刺されながら玄関先に座り込んでいた。
6月15日に母が他界した。ちょうど熊本から弟がやって来る水曜日で、 右手を弟に左手をわたしに取られながらの最期だった。それから息つく間もない、あれやこれや。葬儀という社会的な行為を執り行う為には個人的な悲しみを悲しんでいる訳にはいかないしくみになっているらしい。社会的にきちんとすること、恥ずかしくない葬儀を執り行うことが母の唯一の遺言であってみれば。
7月30日に大分へ帰省し、四十九日、初盆の法事、初盆会と呼ばれる、自宅へ弔問客を迎える儀式を終え、今日、自宅に戻ってきた。半月家を空けたことになる。でも私とすれば、母の病床を見舞った5月の末から今日までが一続きの緊張の中にあり、ようやく今、着地したという感覚があるのだ。社会的な役割を果たし、ようやく個人の悲しみを悲しむことができる時期を迎えたのかも知れない。
さて、それでは私は母の死に向き合っているのだろうか。 今だに、私の心はそれを拒否している。思い出すことを拒否している。対話することを拒んでいる。いったんそこと向き合えば、子供の頃から封印してきたものをこじ開けてしまうことになりはしないかと怖いのだろう。パンドラの箱を開けて収拾がつかなくなってしまうのいではと。 時間が必要なのかも知れない。
今は山に登りたい。
旅のバックを放り出したまま、わたしは富士登山のツアーを探したりしている。
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