たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2008年12月23日(火) キャロリングの思い出

 クリスマスイブの夜には天使がやってきて歌を歌う・・・

まだ保育園へ通っていた頃のわたしはそう信じていました。それというのも、実際クリスマスイブの夜更けに天使達の歌を聞いたからです。その声は、どこか保育園の先生の声に似ているような気がしました。

 けれども小学校へ通うようになると、それは天使達ではなくて、教会の牧師先生やお兄さんお姉さん達(その中には確かに保育園の先生がいました!)が夜中にろうそくをともしてクリスマスキャロルを歌いにやってくる事のだと知りました。
 深夜、母から起こされ眠い眼をこすりながら玄関口に出ると、目の前にいる人達がクリスマスの讃美歌を歌い、笑顔で「クリスマスおめでとう!」と言ってくれるのです。そのはずかしいようなうれしいような気持ちを今でも良く覚えています。

 私が初めてキャロリングに参加したのは小学校5年生の時でした。当時、私の行っている教会ではメソジスト教会の伝統だったのか、キャロリングは深夜の12時に教会を出発し、信徒の家や警察署、消防署、郵便局、老人ホームなどの施設を回り、夜明け前に教会に戻ってくるというものでした。
 早朝の礼拝堂にはだるまストーブが勢い良く燃えていて、暖かいお汁こなどが用意されています。そうこうしている内に人が集まり午前6時からクリスマスの早朝礼拝が始まるのです。

 イエスが深夜馬屋で生まれ、そのことを天使から告げられた羊飼いは山を下り、ベツレヘムの馬小屋を目指して歩いていった。その羊飼いのように夜更けの道をイエスに会うために歩くということをクリスマスの度に再現してきたのでしょう。

この日、わたしははりきって歌い過ぎ、その後何日か声が出なくなってしまい困りましたが、この時のわくわくする体験はとても貴重なものでした。このハードなキャロリングはしかし、この年が最期で、翌年からは夕方7時から夜中の12時までに変更になりました。

 わたしは、その小5の時から故郷を離れる24歳の時まで毎年クリスマスイブにはキャロリングに参加しました。高校の時や大学の時は友人達をたくさん誘って参加しましたからずいぶんいろんな友人達をキャロリングに引っ張ってきたことになります。

 楽しい行事ではあるもののしんしんと冷え込む冬の夜、何時間も歌いながら歩くというのはそう簡単なことではないのです。いつも歩き始める時、最後まで歌えるかな、身体は大丈夫かなと不安になりますし、実際終わり近くにはかなりへとへとになるのですがが、小さい頃、私の家にキャロリングに来てくださった人達が笑顔で「クリスマスおめでとう!」といってくださったことが思い出され、しっかり声を出さなければ、喜びを伝えなければという気持ちにさせられるのでした。また暗い道を歩きながら、ろうそくの炎のぼんやりしたあたたかさを感じながら、一年間の過ぎた日々を回想する大切な時でもありました。こんなに長い時間星の明かりに照らされて歩くことはこの時を置いて他にないのですから。
 
 それから長いブランクがありましたが、先日の日記に書いたように今年のクリスマスイブにはキャロリングをやる予定です。大宮駅のデッキでやるので、今風に言えば、路上ライブとか、ストリートというのでしょうか。わたしにとっては子どもの頃からやってきたクリスマスイブのキャロリングなのですが・・・

夕方7時からの教会(大宮シオンルーテル教会)のキャンドルサービスの中で歌ってから駅に向かうので、わたし達のキャロリングは9時から10時頃までになります。

今日は、明日のストリートのリハーサルを兼ねて、大宮駅デッキで、1時間ほどクリスマス歌ってきました。マイクやアンプ無しですが、近くを通る人には歌は届くようです。相方のSの知り合いが二人、たまたま通りかかり、最期まで聴いてくれました。また何人かの人が足を止めて聴いてくれてました。田舎町でのキャロリングは、人通りのない道をとぼとぼ歩き、信者の家や病院などで歌うというものだったので、道行く人に向けて歌うという経験は初めてのこと。なかなかエキサイティングな経験でした。

 歌いながら、時折り夜空を眺めました。路上は天と繋がっている場所なのだとふと思いました。ここを行き交う人々をわたしたちのささやかな讃美の様子を見守る人の眼をそこに感じました。

明日も、通り行く人達にクリスマスの喜びと新しい年の幸せを願う祈りをお伝えしたいと思います。

みなさまもどうぞ良いクリスマスをお迎え下さい。


たりたくみ |MAILHomePage

My追加