たりたの日記
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| 2008年02月26日(火) |
折口信夫 「死者の書」を読む �� |
今日は正津勉文学ゼミで 折口信夫著「死者の書」を読んだ。 いつものようにSさんが丹念に歴史的な背景や人物について調べて書かれたレポートが配られ、15名ほどのメンバーが一人づつ感想を言う。
どの方も難しかったが、おもしろかったという印象を語られていた。興味深い意見が多く、また折口氏自身と作品と関連や、この作品を批評した文章など、調べてみたいテーマがいくつも見つかった。
このテキストは20章に分かれていて、今日は10章までだったから、次回までに、作者について調べたいと思う。
わたし自身の意見は、初めは英語よりも難しいと感じたが、6章に入り、姫が雨の降る夜、ひとつの焦燥にかられ失踪し、夜通し歩いた山を眺めながら心に湧き上がる静かな喜びを語るところで、その姫にすっかり感情移入する事ができ、話の中に入ってゆく事ができたというものだった。
またこの作品のテーマは、「魂を充たすものへの希求」と読んだ。 死ぬ間際に一目見た女に魂の深い結びつきを感じ、死んでもなお、心に刻印され消える事のないその女の魂を求め続けている死んでいる若者、その強い希求。 ある時、山の上に尊い姿の若者の俤を見、そこから呼ばれるように、雨の中を夜通し歩き、女が入る事は許されない山の上の寺へ踏み入る、その強い希求。 またその姫が自らの魂の渇きを癒すがごとく、写経に没頭し、身体をそこないつつも千部の経を写し終える、その強い希求。 この三つの事は、強く魂が求めるものに向かって、ひたすらに進んでゆくという点で共通していると感じた。
Kさんの意見から、そこにあるエロティシズムにも気づく。これは作者の深い部分から紡がれた物語なのだろう。
以下はこの作品の流れを掴む事と、わたしが好きな部分を取り出すために書いたメモだ。きちんと整理したものではないが、メモとして載せておく事にしよう。
<死者の書について>
「死者の書」とは、本来古代エジプトにおいて、死者を葬る際、冥福を祈って棺に一緒に収められた巻物のことである。釋迢空は、その事を十分踏まえ、日本における「死者の書」を小説というスタイルで書こうとした。それがこの「死者の書」である。奈良時代、藤原南家の姫が当麻寺に籠り写経したという中将姫伝説をヒント(中将姫伝説をもとに「神の嫁」を書く)に大津皇子の悲劇を背景として時空を超えた一大叙事詩を描こうとしたものであ る。 (青空文庫の解説より)
(一) < 彼の人の眠りは、叙(しずかに覚めていった。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいる中に、目のあいて来るのを、覚えたのである。>
彼の人は死んでいる。死の眠りから覚め、まず記憶に昇ってきたのが耳面刀自(みみものとじ)という名前だった。死ぬ直前にただ一目見て、一目惚れした女の名前。
< 今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭(な)き声だつた氣がする。) ――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた気がした。俄(にわ)かに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣(わか)らぬ世界のものになつてしまつたのだ。>
人と人との出会いは神秘に満ちている。長い間知り合っていても、寄り添う う事のない魂と魂もあれば、ただ一瞬の出会いにおいて、強く結びつく魂と魂もある。それは肉体のレベルとは別のところにある、より深い人との結びつき、ここに作者の恋愛観、あるいは願望のようなものがあるのだろうか。
其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた気がした。俄(にわ)かに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来たという表現は興味深い。魂が出会う時、刹那を通りぬけ、時空を超える。魂は肉体を離れる。この世を生き終えた死んだ肉体は、死ぬ間際の魂の出会いの故に、時を越えて、その一人の女を求め続けているのだ。
(二)
<当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳(か)けおりて来る。九人と言うよりは、九柱の神であった。白い著物(きもの)・白い鬘(かずら)、手は、足は、すべて旅の装束(いでたち)である。頭より上に出た杖をついて――この坦(たいら)に来て、森の前に立った。>
森の前に立った白装束の神たちは、誰かを探しにやってきたらしい。
こう。こう。お出でなされ。藤原南家(なんけ)郎女(いらつめ)の御魂(みたま)。こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。お身さまの魂を、今、山たずね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
修道者達は、こうこうこうと魂呼ひの行を初めたのだが、その時に奇妙な音を聞く。
< 其時、塚穴の深い奥から、冰(こお)りきった、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。 おおう……。>
その声と共に九人の心がちりじりに消えてしまう。その声は 先ほど墓の中で眠りから覚めた「彼の人」の声にちがいない。
(三)
場面は山の上にある寺の側にある庵室。やんごとなきどこかの姫が、いったいどこからやってきたのか伴もつけず、一人女人結界(にょにんけっかい)を犯して、境内深く入って来た。寺の僧侶達は、慌てる。奈良のやんごとなき郎女(いらつめ)をさてどうしよう。
まずは奈良の屋敷に使いを出し、郎女自身に、その罪を購はさねばならない、償いの期間が終わるまでは庵室から出すわけにはいかない。その庵室には一人の姥が遣わされた。姥は
<郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。>
と郎女に問いかけ、一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出し、郎女の先祖の話をするうちに神懸りに入った。
(四)
姥が神懸りに入って歌った歌は、墓で目覚めた「彼の人」の歌う歌であった。「彼 の人」が一目見て、此世に残る執心となった耳面刀自(みみものとじ)を偲ぶ歌。 死者の魂が、は耳面刀自の子孫である、その郎女を山まで呼び出したのだと言う。郎女は、失踪する前、輝く雲の上に、尊い仏のような姿の若者を見、その俤(おもかげ)に導かれた事を告げ、不審がる。
(五)
場面は再び、「彼の人」の墓の中。死者は、自分が無実の罪で処刑された 滋賀津彦である事を思い出し、自分が名も子孫も残さずこの世から消えていく事を 嘆き、耳面刀自に訴える。
< 耳面刀自(みみものとじ)。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を胎(のこ)して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。>
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。 自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁(し)み、干からびた髄の心までも、唯彫(え)りつけられたようになって、残っている。 のである。 いったい、人間の魂とは不思議だ。ただの一目見ただけの女の存在が自分の存在よりも深くその魂に刻印されているというのだから。
(六)
奈良の貴女、郎女が、お供もつけずに一人、旅の途中にある。どうやら昨夜、雨の降る中、屋敷から抜け出して、夜を徹して歩いてきたらしい。郎女は遠くに藤原、飛鳥の里々山を眺めながら思う。
<この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎(かげろう)の立っている平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。 ところが、この貴女は<やがて後をふり向き、山のなぞへついて次第に首をあげて行った。>
<二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すっかり違った胸の悸(ときめ)き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入っている。そうして、静かな思いの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂(い)わば、――平野の里に感じた喜びは、過去生(かこしょう)に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世(みらいせ)を思う心躍りだ、とも謂えよう。>
6章のこの部分は、最も好きな部分だ。 地上の事へ向ける時とはすっかり違った胸の悸き。静かな思いの充ちて来る満悦。一人で誰もいない山へ入り、その高みからさらにそこから連なる山々を眺める時に心身を満たす喜び、至福としかいい得ないような高揚と慰めに満ちた気分が訪れるのだがを、いったいどう言い表せば良いのだろうと思う。わたしはこの表現の中に、わたしが言い表したかった事が具体的に、その通りに語られている事に驚き、また喜んだ。 二上山を仰ぎ見ての驚きを、未来世(みらいせ)を思う心踊りだ、とも謂へよう― とあるが、この事は、意識が過去や現在の事を越えて、つまり有限の生や時間を超越する無限の永遠へ向けられた事を示しているのだ。そして <しみじみと山に見入って居る。まるで瞳が、吸いこまれるように。山と自分とに繋(つなが)る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。> 山と自分とに繋がる深い交渉―しみじみとよく分かる。 さて、話は郎女が失踪する前の事に遡る。郎女は膨大な。経の本を、一心不乱に書き写す。五百部を過ぎてからは目立ってやつれてゆき、九百部を過ぎてからは筆ははかどらなくなっていった。 去年の春分の日二上山の峰の間に、ありありと荘厳な人の俤を瞬間、目にする。そ の後、郎女の心は、ますます澄むものの、極めて寂しくなり勝っていくばかりだったが、その年の秋に、再びその俤を見てからというもの、郎女は歓喜に満たされる。そして次の春分の日、写経は千部を書き終えた。そしてその夜のこと。 < 経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほっと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなって居る。目をあげて見る蔀窓(しとみど)の外には、しとしとと――音がしたたって居るではないか。姫は立って、手ずから簾(すだれ)をあげて見た 。雨。苑(その)の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立って来た 。姫は、立っても坐(い)ても居られぬ、焦躁(しょうそう)に悶(もだ)えた。 併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。茫然(ぼうぜん)として、姫はすわって居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加って来た風の響きも、もう、姫は聞かなかった。>
(七)
<南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった>と始まり、郎女が夜の間、歩き続ける描写に続き、朝になって、二上山をうっとりと眺めている。 <ここからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考え、浮べることも、しなかったであろう。まして、家人たちが、神隠しに遭(お)うた姫を、探しあぐんで居ようなどとは、思いもよらなかったのである。唯うっとりと、塔の下(もと)から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現(うつ)し世(よ)の目からは見えぬ姿を惟(おも)い観(み)ようとして居るのであろう。>しかし、郎女は寺人から見つけられ、女人結界を犯して寺に入った事と、奈良の藤原家の娘だという事が分かり、大騒ぎになる。
(八)
ここでは奈良の都、また飛鳥の都の様子、またその時の政治の事などが語られ、大伴家持、兄弟、恵美押勝といった歴史上人物が登場するが、失踪した郎女は恵美押勝の姪という事が明らかにされる。
(九)
大伴家持が郎女の失踪を案じるところからこの章は始まるが、以下の家持の郎女への評価が興味深い。
<だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統(すじ)で一番、神(かん)さびたたちを持って生れた、と謂(い)われる娘御である。中略……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだろう。>
(十)
ここで興味深い箇所は郎女がどれほどか、その魂の糧を求めていて、それが得られた時の喜びが記されている後半の部分だった。姫の帳台の後から、父親が <其魂の書物を、姫の守りに留めて>大切に管理していた、二巻の女手(おんなで)の写経らしい物が出て来る。 <郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し予期したような興奮は、認められなかった。唯一途(いちず)に素直に、心の底の美しさが匂い出たように、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたように見まわして居た。其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習いとおした>
また、それから一ヶ月も経たないうちに、飛鳥寺から巻数(かんず)が届けられ、それからと言うものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。
<指ら腕、腕から胸、胸から又心へ、沁(し)み沁(じ)みと深く、魂を育てる智慧の這入(はい)って行くのを、覚えたのである。>
青空文庫で読めます。 ↓ 折口信夫著・死者の書
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