たりたの日記
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2005年12月25日(日) |
初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。 |
聖降誕日礼拝に出席する。 クリスマスのメッセージ、テキストはヨハネによる福音書1章1−14。 冒頭の言葉。 この不思議な言葉がストンと自分の内に納まるように感じた。
「初めに言があった。 言は神と共にあった。 言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。」
メッセージの中で受け止めたこと。 言(ことば)はギリシャ語のロゴスを日本語に置き換えたもの。ロゴスの意味するものは天地宇宙を支配している理性、原理。そしてこれはイエス・キリストを示す。
1800年代の中ごろ、マカオで中国語に聖書を翻訳したプロシアのギュツラフは、遭難してマカオに漂流してきた3人の漁師の助けを借りて、聖書の日本語訳を試みる。 彼が訳したヨハネによる福音書の冒頭はこうだ。
「はじまりにかしこいものござる。 このかしこいものごくらくにござる。」
言(ことば)は単なる言語ではない。生きて血の通った方。ロゴスが受肉し人間の形をとった、それがイエス・キリストに他ならない。このギュツラフの和訳は意味深い。かしこいもの―ロゴス、人となった宇宙の理性、神そのもの。
クリスマス、ことばが肉となった日。 闇の中に光の来た日。
<ヨハネによる福音書> 1:1−14
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
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