たりたの日記
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| 2005年10月25日(火) |
合瀬智慧子詩集『おりがみ』」より「神水川」 |
神水川
合瀬智慧子
文明という名の糸を逆にたぐれば かならずどこかの河口に辿り着ける 流れの音はすべての生物を引き寄せ 岸辺に集い睦み合って 人は言葉を持たない大古の時代から あらゆる生物達と自然の恵を分かち合い 流に沿って生きてきた
命と心に通じ合う たとえば火 たとえば風 人は体を流れる 二つの管の 濁った流れが清められていくように 水の中にも神を住まわせ 愛を浮かべ様々な想いをたくし 信じることだけを知っていた
草木の露と 岩の間を潜り出たばかりの雫が 透明な一すじになった神水川 雪山のふところに抱れて 山女は まだうらうらとまどろみ 早くも腕まくりをした猫柳が ひたひたと水面を打ち 風に流された寒椿が漂う神水川
淵に憩い瀬を走る流の面に 浮彫にされた季節の顔が 人の心を未来へ誘う
*RKBラジオ「五木寛之の夜」で五木寛之さんが朗読してくださる。
――合瀬智慧子詩集「おりがみ」(1998年12月30日発行)より――
この詩「神水川」は昨日の日記に書いた従姉、合瀬智慧子の詩集「おりがみ」の中の一篇。
従姉は長い間詩を書き続けた。佐賀新聞の読者文芸欄に詩壇ができてから毎月詩を投稿するようになり、1年目には年間文芸賞を、それから間もなく県文学賞を受賞したということだった。こういうこともいただいていた詩集のあとがきを改めて読んで思い出したことだった。
身体に障害を持ち、虚弱体質の彼女は生涯職業に就くことも無く、また家庭を持つ事もなく、甥の面倒を見たり老母の介護をしたり地域のボランティア活動に携わりつつ詩を書き、母親が他界して1年4ヶ月後の昨日、63歳でその生涯を終えた。
この詩の題になっている神水川(しおいがわ)は佐賀県の北山ダムの近くを流れる川だ。 わたしの父と母の故郷だというのに、しかしわたしは美しい自然に恵まれているというこの土地の事をほとんど知らない。ちょうど、わたし達の子どもがわたしの生まれ育った町の事をほとんど知らないように。
それでもこの川の記憶はおそらくはわたしの一番古い記憶の中にあるのだ。 父の継母が一人暮らしをしていた家のすぐ目の前を川が流れていた。その町は山の中腹にある町だから、川も下流のそれとは違って、岩の上を走る激しい流れを持つ川だった。父親の継母の家にわたしたちの家族4人で泊まった夜、轟々と物凄い音を立てて流れる川の音がすぐ耳元で聞こえるので、目を閉じると川に流されそうで怖かった。あの川が神水川(しおいがわ)だったのだろう。 父の継母はわたしが6歳の時に他界したから、この川の記憶はそれより前の記憶ということになる。5歳、あるいは4歳の頃の。 その川の音は怖かったはずなのに、その強い響きに心惹かれてもいたのだろう。今でもその川の音を聴きたいと思う。 従姉の家の裏にもこの川が流れていた。その川の水で洗濯をしている伯母の姿や、水浴びをする従姉妹たちの姿が薄っすらと記憶に残っている。 わたしにとっては記憶の中にしかないこの川は、従姉にとっては従姉の家から眺める山と同じように、彼女の暮らしの中に日々流れ込んでいたのだろう。
ところでこの詩がRKBラジオ「五木寛之の夜」で五木寛之さんに朗読されたと注釈がほどこされているが、この詩集をまだいただいていなかった頃、金沢に住むわたしの弟がラジオを聴いていたら、五木寛之さんの番組の中で従姉の詩が読まれびっくりしたという話を聞いた。弟がラジオで聞いたという詩はこの「神水川」という詩だったのだろう。 この詩集の評が記されている佐賀新聞の切り抜きが手元にあるが、その評の最後には文芸誌「城」同人 小松義弘氏のこのような文章がある。 「・・このように季節と自然とが、みごとに把握されている。 中央とか地方とか、すでに古くなった対立項を持ち出すのも恥ずかしいが、あえて言及すれば、地方で文学する豊かさを、合瀬氏の作品は期せずして物語っていると思うのであった。」
今日、従姉の葬儀の日。
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